19 テーレスの自由市場
グレイハウンド領の城下に存在する街、テーレス。
そこは、多くの国を分かつ大森林・魔境グノーグの森の直ぐ側にあり、よっつの国の交易を担う、交易都市である。
北をグレンデル、東をツボルグ、南東にイェータラー、南にデネと、それぞれの特産品が集まり、市場を賑わせている。テーレスはそれぞれの国の特産品を持ち寄り、それを交換して栄えた、典型的な交易都市である。
時には思いがけない商売がうまく行って、はしゃぐ商人もいる。時には、収支に見合わない商売に肩を落としたり、拳で訴え掛けるものもいる。しかし、それら抱えて裁き、良き商売を励むようにと采配を振るうガルフォードの信頼は厚く、おもだった商人は概ねその理念に従う為に、テーレスの街は平和と言ってもよかった。
街中を巡回する兵は数多く居るが、テーレスの商人はそれを嫌な顔で見咎めたりはしない。彼らは、他領の兵のように、物を欲したり、金をせびろうという魂胆はなく、ただ純粋に、市民の安全を護ろうと言う意識を持って勤めている。その為、多くの、多種多様な民族が集まり、フロースガルの中で最も栄えていると言っても過言ではない。良き都市であると、ガルフォードが胸を張る理由も理解出来る。
雑踏に混みれた市場は、人々のかがやかしい笑顔に溢れていて、明日自分がどうこうなってしまうような翳りなどは、すくなくとも伺えなかった。
さて、そのテーレスでちいさな影がみっつ、青空の下にある市場を歩いている。
ひとりは、あちこちに目を光らせる艶やかな金髪のエルフの美少女・メアリリ。長い耳をぴこぴこと動かして、周囲を冷やかしては、お菓子や髪飾りのような小物を買い込んでいる。巫女という重責から解放されたせいか、生来の人好きする魅力が更に溢れており、行く先々でその笑顔に見惚れた店子が、品物に色を付けたりしていた。
もうひとりは、こちらも金髪で、肩口で切り揃えたショートボブを小刻みに揺らし、いつもよりも心無しか垂れた吊り目で、あちこち動くメアリリを追っているストロロ。雑多な人混みがどうにも苦手なようで、その顔色はあまり優れていないが、巫女を護れとクノハハから言い含められた事を律儀に守って、メアリリの後をついてきている。
そして、もうひとりは、雨季もだいぶ過ぎて、じわじわと温度を上げてきた太陽があるにも関わらず、頭のてっぺんからつま先まで、ローブで覆った小柄な影。痩せぽっちの身体が、幾らか肉付きが良くなったダイトは、そのエルフふたりの美少女を、微笑ましい目で見ていた。
ふたりは、エルフ特有の緑衣ではない。ライム曰く、あんな目立つ格好はそうはなく、エルフの里から出たおのぼりさんで攫って下さいって言っているようなものだ、という事で、ライムの服を仕立て直し、彼女ら用に宛てがってもらったものを着ている。
メアリリは赤を基調とした、街娘のようなドレスで、黒いブラウスを下地にして、腰にコルセットを巻き、踝まで長いスカートで覆われている。胸元は……元がライムのものなので、だいぶきつく絞っており、隙はない。見るものすべてを虜にしてしまう、蕩けるような魅了と気品に満ちており、本当に町娘を演じているのか、疑問が浮かぶ。その整った容姿と、丁寧な物腰から、どう考えても良家の御令嬢にしかみえない。今も、ふっくらした頬に柔和な笑みが浮かべて、周囲はその笑みに釣られ、自然と表情を綻ばせている。
対して、ストロロは、緑衣が恋しいのか、緑を基調としたチュニックに、黄色いカーディガンを羽織り、黒地のスカートを履いている。服の上からでもわかる膨らみと、今にも倒れそうな程に震えている様子は、庇護欲を掻き立てる深窓の姫君のような成りをしていた。実際は、その服の裏に幾つかもの暗器が仕込まれており、言い寄ろう者が居ようものなら、したのものをなます斬りにしかねない、おっかない中身ではあるが。
ちなみに、ダイトの服装――ローブの下の召し物は変わっていない。というよりも、似たようなものを好んで買って、それを使いまわしている。余程、アレクサンダーからの贈り物は嬉しかったのだろうか。いや、それとも服に対してそれ程興味がないのか、いささか疑問が残る。
さて、この三人。何故このテーレスに出歩いているかというと、グレイハウンドへ来ていくばくかの時を過ごしたものの、訓練、訓練、ばかりでこれじゃあ巫女で居る時と変わらない!飽きた!などと、メアリリが熱く主張をし始めたのが発端だ。
ダイトとストロロ、それにサムタウもそうではなかったのだが、メアリリはどうにも我慢が効かず、事ある毎に駄々をこねだして、それを見た城抜け常習犯のコリンズとライムが気を利かせて、休養日にしてはどうかと、三人に切り出し、数々の準備を経て、今日街へ繰り出すこととなったのである。
ストロロは、当然、最初は反対していたが、ダイトが「あまり我慢をさせすぎて、抜け出されても大変だよ」とのひとことで、渋々了承し、それならば自分が身の回りを護ると買って出て、今に至る訳だ。
一方のダイトは、街行く人々がどのように生活しているか、単純な興味本位と、現在の人族はどのような武器を扱っているのかを確認する為に、護衛ついでに同行を申し出ていた。
サムタウも、ダイトと同様の理由で人族の武器を見てみたいと言ったが、「女の買い物に付き合うのは馬鹿を見る」と言い残して、そうそうに逃げ出していた。
そういう訳で、無目的という訳でもないが、適当にあちらこちらを冷やかしながら、彼らは街を愉しんでいた。
「あ、ダイトくんこれなんてどうかな?似合うかな?」
「ん。そうだね。メアリリの金髪にはちょっと、合わないかな。もっと派手なものでもいいかもしれない」
「うーん、可愛いのに……。あ、お菓子!ほら、ストロロ、そんなに震えてないで、お菓子でも食べて元気出そ?」
「お、お、おかまいなく」
「あ、可愛い!へー、蝶々の刺繍がしてあるんだ、この服~」
玉石混交としたそこは、自由市らしく、様々な人が様々なものを持ち寄って、自由に売り買いしていた。月に二度程、定期的に行われているらしい。
さまざまな食べ物や衣服やアクセサリー、果ては武器や防具なんてものまで立ち並ぶさまは異様で、どこか混沌としていた。
ダイトは、その様子に表情を緩ませ、過去の散って逝った友を誇らしく思った。
――見ろ、この活気を。この盛宴を!君達が遺した未来は、しっかりと息づいている。寝ぼけていたぼくには、まぶしいくらい、人々は今を強く、生きているぞ。
『魔王』という災禍を斬り払って託された未来は、輝かしき人の軌跡であった。
これを脅かす、『魔王』の存在が、また現れようとも、そして、『魔王』すら支配する者が現れようとも、絶対に負けてやるものか、という柄にもない熱意を胸中に宿して、市場の盛況にダイトはローブの下から、柔和に微笑んでいた。
「しかし、すごいねー!色々なものが集まってる!」
「うん、そうだね。昔を思い出すよ」
「へえ、昔って、ダイトくんの意識があった時の事かな?」
「そうだよ。今では、空白の歴史って呼ばれてる、それくらい昔なんだけども、こういった色々なものを売り買いするところがあって、よく多くの冒険者が利用していたんだ」
「冒険者が!ここも、結構冒険者を見かけるよね!」
「うん。いまの時代、彼らはどんな武器を使っているのか、ちょっと気になってね」
「ダイトくんは真面目だねえ……」
「そういう性分だからね」
ダイトはメアリリと会話しながらも、混交とした市場の中にある武器に、時折視線を光らせ、武器の把握に勤しむ。
その時だった。
ダイトの目に、一本の長剣が目に留まる。
彼の本体、アロンダイトと似たように、飾り気のすくない武器だ。鍔元はオードソックスに十字型で、持ち手は最近なめしたものなのか、新しい革を巻かれている。鞘に納められているが、おそらくは両刃であろう。
ダイトは、その武器の前に行って、思念の言の葉を発した。
『懐かしいね。こんなところで会うなんて』
『んぁ……おんやぁ、まぁ……これまた、懐かしい子が居たもんだね……」
間延びした、しゃがれた老婆のような思念波が響く。
メアリリは、それを聞いてえっ、とちいさく声を上げた。
そう、この長剣は魔剣であった。