#2 閑話・メアリリという少女
「あらたな巫女が決まったそうじゃ」
「なんでも、ブリューナク様の御声を聞き漏らす事のない逸材だそうじゃ」
「おお、それはよい、それはよい。良き巫女になろうて」
「然り、然り」
わずらわしい、声が聞こえる。
しゃがれた声。喜色ばんだ声。でも、どこか蔑みに満ちた、侮蔑の声。
わたしは、メアリリは。それほどふかくものを考えるエルフではなかった。
だから、ブリューナクさまの御声を聞けること、巫女としての資質を認められたのは、大変名誉なことだと思って、喜んでいた。
でも、実際はどうだろう。
それは、里にとって都合のよいいけにえのようにも感じた。
ブリューナクさまの言われる御言葉は里のたすけなった。
ブリューナクさまの振るわれる光術は里を護るためになった。
みながみな、ブリューナクさまを褒め称える。
しかし、誰もそこに『巫女』という存在を認識してくれない。
それはなんて孤独なんだろう。
それはなんて悲しいんだろう。
うれしいはずなのに、涙が出る。
うれしいはずなのに、嗚咽が漏れる。
みながみな、それを巫女に選ばれたことに対する喜びと見た。親もそうやって、わたしのことをみた。
つめたいまなざし。まるで、ものでも見るかのような、無機質な瞳。
いままで優しかったひとたちの全員が全員、そんな目をしていた。わたしは逃げ出したくなった。
――いや、逃げ出した。
おさない足で、エルフの里を逃げ出した。
ストロロとサムタウだけは、そんな目をせずに、協力してくれた。
幼馴染だから、協力するのは当たり前よ、とストロロは胸を張って、言ってくれたのが、無性にうれしかった。
サムタウは面倒くさそうにしてたけども、里の人達が私を見る目に薄気味が悪い、と呟いて、逃げることには熱心に賛成していた。
でも、私たちの逃亡劇はそんなに続かなかった。
エルフの最長老。過去、ブリューナクさまの巫女を勤め上げ、長老会に入って多くの革新的な取り組みをしてきた、大魔法使い。クノハハ。かつては、グノーグへと切り込んできた人族を、ブリューナクさまの権能を使って退けた、里の英雄。
クノハハさまは、私たちの行く先……里から出てすぐの、グノーグの森にあらわれた。
それは、一方的だった。
魔法の詠唱もなしに風を起こして、ストロロの射った矢を打ち払ったり、サムタウが殴りかかろうとすると、大地から柱を伸ばして阻んだり、攻撃したりして、気付けば、ふたりはぼろぼろになっていた。年齢を考えれば、当然だったのかも知れない。でも、ストロロとサムタウは、すでにおとな達が認めるほどの実力の持ち主だったはずだ。それを、ブリューナクさまをなしで、身動きひとつせずに、煙管を持ったままで捌ききるのは、バケモノじみたつよさとしか言いようがなかった。
わたしはただ震えていることしかできず、その圧倒的なちからに屈するしかなかった。
「エルフらが気持ちが悪いのはわかるよ」
クノハハさまは、いつも吸っている煙管を吸いながら、囁くように、しずかに言う。
「でもね、あそこから今、逃げ出して。あんたらはどうなる?この魔物だらけの森で、どう生きるつもりだっていうんだい?」
ぷぅ、と紫色の煙を吐き出しながら、クノハハ様は眉根を寄せていた。
たぶん、私たちの無謀な、無計画な逃亡劇に、憤っているんだとおもう。でも、その目は、ほかのエルフのそれと違って、どこか悲しそうにみえた。
「あんた達子どもが、逃げ出すような薄気味悪い里にして悪いと思ってるよ。みんな、ブリューナク様の言葉を妄信する。事実、あの方の言葉は我々に確実な益をもたらしてくれるさね。でもね、それを伝える巫女には、なんの敬意も払わない。それこそ、物でも扱うみたいに」
薄気味悪い奴らったらありゃしないね、とクノハハさまは自分をあざけるかのように笑う。
ああ。このひともそうだったのかな。
あの無機質な、つめたいまなざしにさらされて、巫女をしてきたんだろうか。
「だけど、わたしにもまだ、どうすることもできないさ。わたしには、それだけの権力と信用がない。本当に、悪いと思ってるよ。居心地の悪い里をつくっちまって。でも、はやまるこたぁない。あんたら子どもが、成人もしてない鼻垂れが、なにができるっていうんだい。みすみす、死ににいくようなものさね。だから、すまない。あんな里でも、もどってくれ。あんたらが成長するまでには、なんとかしてみせるから、生命を手放さないでおくれ」
そういって、わたしたちに頭を下げてきた。あの、クノハハさまがである。
わたしはそのとき、クノハハさまの中に煌くものを感じたのがわかった。
たぶん、ストロロとサムタウにもある、あたたかいもの……"やさしさ"が、あるんだろうって、わたしはおもった。
わたしたちはお互い顔を見合わせて思った。このひとなら、信頼できるって。だから、わたしは戻ることを決意した。あのつめたい視線で満ちた、あの里へ。ストロロも、サムタウも、いっしょに。
「メアリリ!またあんたは座禅をさぼって!そんなんだから巫女として三流なんだよ!」
「はいはーいはいはい!うっさいわよひもの!三流でいいですよーだ!」
「だれがひものじゃだれが!今でもぴちぴちを地で行っとるわ!」
「頭大丈夫かしら?そろそろ医者の検診でも掛かったら!?」
いまでも、つめたい視線が多いことには変わりない。でも、エルフの若い子達の目には、そういったものがなくなってきている。
クノハハのばっちゃんは、「まだまだ、頑固ものが多くて困るねえ」と愚痴を言っているけども、わたしはそれでも、変わってきている里をうれしく思っている。
いまでも、巫女としての立場を投げ捨てたいとは思うけども、ばっちゃんや、ストロロ、サムタウがいるから、大丈夫。わたしは、やっていける。
でも、おおきな世界へ飛び出してみたい。学んでみたいと思っている。ばっちゃんの里の改革の手伝いができるように。今のわたしじゃあ、まだ、巫女という名前に埋もれているから。もっと、知恵と経験を積まないと、ばっちゃんの役には立てない。
あと……出会いもほしい、かなあ。こころがぽかぽかして、あたたかで。それで純真な、そんな人が、わたしを攫ってくれないかな。なんて思ったりもしたり。