9 魔剣、五光神杖《ブリューナク》と邂逅する
「なるほど……そういう事があったのかね」
この屋敷の居間に当たる部分に場所を移し、ダイトの話を聞き終わった老婆――最長老のクノハハは、そう言って、煙管をくゆらせた。
相対して座るものはダイト。と、何故か巫女のメアリリ。
やはり彼女もストロロと同様にワンピース型の緑衣を纏い、可愛らしい膝をつきあわせてダイトの横にちょこんと座っている。
彼女もまたエルフのご多分に漏れず、髪から突き出た笹状の長い耳に整った顔立ちをしているが、ストロロがキツめの美少女というのならこちらは花も綻ぶ可愛らしい女の子であった。
微笑む事が常であるのか眦は柔らかく、碧眼は優しげな光に満ちていた。キメ細やかな肌にたまご型の顔は、メアリリの出す雰囲気とよくマッチしていた。
ほんのりと朱が指す、ふっくらした唇はどこまでも蠱惑的で、愛らしい。艶やかな金髪は真っ直ぐに伸びていて、彼女の頬を軽く撫でている。その金糸ひとつひとつは、金と比しても申し分ないと唸る程だ。
ストロロ達と同様に、まだその顔は幼さが残る。だが、それもまたひとつのアクセントだと思えるほど、彼女という美は整っていた。
そのメアリリだが、すっかりダイトの事を気に入っており、今もお菓子や果物を勧めたりしている。
背後にはストロロとサムタウがかっちりとした姿勢を保持して待機している。二対の碧眼は、しっかりダイトを捉えており、もし仮にメアリリになんらかの危害を加えようものならすぐに飛び出せるように緊張を保っていた。
「悪いけど、あたしの意見を挟む必要はないさね」
と、クノハハ。
「それこそ、そこに巫女がいるんだ。巫女に聞けばいいさね」
「話している間にブリューナク様に聞いたわよ、もう。『話が終わったら会いたい』ってさ」
「なら、私が言えることはないよ」
などと、トントン拍子に話は進む。
そこに待ったを掛けたのが、ストロロだった。
「ま、待ってください。そのような、簡単にブリューナク様とお会いするのを決めるのは、どうかとわたしは考えております!」
ストロロは、祀ろうブリューナクに憂慮しての発言だった。
ブリューナクという存在は、里にとっておおきな心の拠り所の存在。それを、どこぞと解らぬ馬の骨、しかも化性の類であるダイトに会わせるなどというのは、若くしてエルフの防衛を担う狩人のストロロにとっては、到底容認出来る事ではなかった。
しかし、クノハハはふたたび煙管をくゆらせて、こう続ける。
「お会いもなにも、ブリューナク様当人が会いたいって言っているんだ。私達が口を挟む道理はないよ」
「ですが……」
尚も、ストロロは言い募ろうとする。それは、本心から、ブリューナクを心配しての事であり。そして、もうひとつ。
「そこのダイト、とやらを止められないと、そう考えているんだろ?」
核心を突かれて、ストロロは息を呑む。
クノハハは構わず、また、煙管をくゆらせて言った。
「気休めにもならないけど、あんたらでも、そして私でも、そこの坊主が押し通るって言うんなら、阻む事すら難しいよ。それを、森でいっぱつ遣り合ったあんたらが、よぅく知ってるんじゃないかえ?」
最長老として、過去、巫女としての経験を持つクノハハは、自分達よりも遥かに手強い魔法の使い手であるが、そのクノハハを以てして、「阻むものは難しい」と言わしめる存在が、ダイトであった。
故に、クノハハのその言葉に、ストロロは黙って俯くしかなかった。
居間を立ち、またいくつかの部屋を奥へ奥へとくぐって、今度は様々な意匠を凝らした一際大きな扉の前で一行は立ち止まる。その間にすれ違ったエルフの先逹がダイトを見て腰を抜かすが、クノハハは「ボケ防止にゃいい薬さね」と快活に笑った。
さて、とクノハハは重そうなその大きな扉を押して開くと、薄暗い一室が広がっていて、その奥に五つの宝玉の灯る黄金の杖が台座の上で静謐な空気を放ちながら、しずかに鎮座している。
それが、彼女――魔剣、いや魔杖・ブリューナクである。
ダイトは、過去に彼女の共に戦った時と変わらぬ姿に、気持の昂ぶりを感じずにはいられなかった。
だが、同時に不安に思う。「人と共にある」という精神を、踏み躙った自分を許してくれるだろうか、と。
ブリューナクは、優しく語りかける。
『幾年ぶりでしょうか、ダイト。まずは御足労頂き、ありがとうございます』
この場では、巫女であるメアリリとダイトしか交わせぬ思念の波だが、ブリューナクは五色の宝石を光らせると、優しくダイトを労ってくれる。
優しげな語りも、かつてのままだと、ダイトはひそかに咽ぶ。
『さあ、もっと、私に近付いて、かつて共に戦った勇姿を見せて下さい……』
ああ、と涙ですこし詰まった声を出しながら、ダイトは彼女に近寄った。
腰からおのれを外して、ゆっくりと鞘走らせた後に抜き放ち、ブリューナクへと翳す。
そのダイトの仕草に、ストロロとサムタウが僅かに身動ぎするが、すぐにメアリリとクノハハが手で制して事なきを得る。
『久しぶり……リューナさん。また会えるとは思っていなかったよ』
『ええ……私もよ、ダイト。それと、彼女の事は、残念だったわね……』
『知っていたのかい……?』
『ええ、彼女の悲鳴だけ、聞こえたのよ。それで、エルフ達に何か異常はないか探ってもらったのだけど……あなたが居てくれたのね』
『うん……でも、僕は間に合わなかったんだ……。僕は、君達との誓いを破って、駆けつけたのに。すべてが終わった後だった』
『自分を責めるのはあなたの悪い癖よ、ダイト。話は、あの子を通して聞かせてもらったわ。仇を取ってくれたのでしょう?あなたなら、それを見逃すはずがないわ。』
ブリューナクはあたたかな光を讃え、ダイトに優しく語りかけた。話をしていくに連れ、自責の念で俯きつつあったダイトは、その言葉を受けて肩を震わせて前を向く。
視線は、いつしかブリューナクの本体――五色の宝石を携えた黄金の杖に定められ、その色は悔恨と懺悔から親を見つけた子どものような、縋る光が宿る。
『あなたは、何よりあなた自身を信じて上げなさい』
『ありがとう、リューナさん……』
構えを取ったまま、濡れた眦を拭うと、ダイトは謝意を告げる。
そのダイトの様子に気を良くしたのか、ブリューナクは宝石をまたひとつ輝かせて、すこしだけ笑う。
『良い顔になったわね。昔みたい。いつまでもあなたは泣き虫なんだから』
『そうかな』
『ええ、そうよ』
「んんっ!ブリューナク様、よろしいですか?今回の『魔王』について御相談があるのですけれども!」
メアリリは甘ったるい雰囲気を出すふたりに咳払いをして割って入ると、件の新たな魔王について切り出した。
『そうね。ごめんなさい、昔のお友達が来て、ついはしゃいでしまったわ』
ブリューナクはそれは嬉しそうに、鈴の音を転がすようなあたたかい思念を出した後に、ひとつ息をつくと、凛とした声を響かせる。
『これは、この地にとっての一大事です。過去に鑑みれば、大きな災いが起こるでしょう。ですから……』
「わたし、出られるんですか!?」
『ええ、そうよ。私達も出ます。ダイト、私をまたあなたの仲間にして下さい』
「話が見えないんだけども……まさか、ブリューナク様が外に出ると言う話にはなっていやせんか?」
「ええ、そうよ!私も出るの!やったぁ!」
クノハハは場の空気を読んで恐る恐る聞くと、メアリリは黄色い声を上げて喜んだ。
だが、その発言はクノハハを驚き、慌てふためかせた。
「なななななんということを!やったじゃないわ、あほんだら!」
「えー、なによ。物事は拙速を尊ぶべしってよくおばばが言ってたじゃないさ」
「それは兵に限ってじゃ!誰が最初から将が動くというんじゃ!将はもっと落ち着いた場面で動いてこそ効果的であって……」
再び、屋敷に入る前の罵り合いが始まろうとしていた時。
ブリューナクはきらりと宝石を輝かせ、メアリリを呼んだ。
『これでは埒が明きませんね。メアリリ、身体をお借りしてもよろしいですか?』
「あ、はい、いいですよブリューナク様」
クノハハの説教を右から左へと流しながらメアリリはブリューナクに近付き、その身を手に取る。
すると、五つの宝玉は輝きだして、部屋一体を光で覆い尽くす。
「む!ブリューナク様が降臨されるぞ!」
説教に夢中になったあまり反応が遅れたクノハハは、光輝くその時になってようやく我に返ってブリューナクの降臨を告げると、その場で膝をついて頭を垂れる。それに慌てて、ストロロとサムタウもそれに続く。
光が収束し、部屋にはブリューナクを胸に掻き抱いたメアリリと、ダイトだけが立っていた。
メアリリは先までの姦しい雰囲気の一切を払拭し、尊さと儚さを兼ね備え、彼女生来の美貌も入り混じって、どこか一種の神懸りを感じさせた。
「おもてを上げなさい」
少女は、厳かに言う。
「これは、この地に生きるすべてのものを巻き込む災禍であることを知りなさい。
そして、私の傍らにいるこの少年……ダイトは、かつての私の戦友。『空白の歴史』を終わらせた、英傑がひとりだという事を、しかと認識しなさい。
それでも、あなた逹に不満はありますか?あなた逹が、ダイト以上の実力を持っていますか?
『魔王』があらわれれば、この世界に安全な場所などもはやどこにもありません。あなたは、それでも私を守ると、そういうのですか?」
儚そうで、しかし、一言一句はっきりと、有無を言わせないように告げるブリューナク。
神々しいとはこの事だろう。
しかし、芝居がかったようにも見えて、ダイトは内心でどこか面白く感じた。
そして、おなじだけ関心もあった。こうやってブリューナクは人と付き合って来た、いや、こうでしか付き合えなかったのか、と。
それは自分のように寝惚けるよりも、とても孤独で、とても悲しい事だとダイトはおもった。
たぶん、ブリューナクの性格から考えたら、こんな主従のような関係は望んでいなかったのだろう。
でも、そうせざるを得なかった。それだけ魔剣として、聖遺物としての『仁』の五光神杖は、エルフにとって強力であり、強大であったのだろうという事がうかがえた。
「いえ、ですが」
「ならば、試してみなさい。里の一番の猛者であるあなたが、彼に通じるのか。彼という大きなちからを上回るちからを、私に示してみなさい。そうすれば、私はこの場で座して待ちましょう」
クノハハ自身、ダイトのその強さを朧げながら把握していた。おそらく、里の総力を結集してもダイトひとりには勝てないと。
しかし、ブリューナクの進軍を阻むなら、彼を倒してみせよと彼女は言う。
無論、そんなことは出来るはずもなく。
もはや、クノハハに尽くす言葉はなかった。
「話は、わかりましたね?」
最後通牒のように、ブリューナクは今この場にいる全員に問うた。
「はっ、承知いたしました。ですが、せめて。せめて、このストロロとサムタウもお着け下さい。彼らはメアリリと親しく、また腕が立ちます。必ずや、役に立つでしょう」
クノハハは、平伏し、ブリューナクへそう食い下がる。
それに、ブリューナクは愛おしそうな目でそれを見てひとつ小さく会釈して言った。
「わかりました。あなたの気遣い、感謝致します」
では、また後程。
そう区切ると、メアリリから神聖な気配が抜け落ち、もとの快活で優しそうな少女のそれへと戻る。
「話はまとまったみたいだね!それじゃ、私は準備するから!」
「お主はもうすこし事の重大さを認識せんか」
「だって、外に出られるのよ!楽しいじゃないの!それじゃ、準備してくるからね!」
花開かんばかりの笑みを浮かべると、メアリリはブリューナクを元の台座に置いて扉を出た。
やれやれ嘆かわしい、とクノハハは頭を振って、頭痛を追い出した。