1 オープニング:魔境の森で降る雨
加筆修正しました。大元はあんまり変わりません。
そこには、厳然とした緑が広がっていた。
視界すべてが原始林で覆われた人の手の及ばぬ、獣とそして魔物たちの塒。時折、獣の雄叫び断末魔の叫びが森をつんざくようにひびきわたる。
ここはフロースガル王国のグレイハウンド領下にある国境、グノーグの森。
肥沃な土地であるが為に、獰猛な獣達の食生が人の手を阻み続け、気づけば多くの国を分かつ大森林としてその緑を成しており、人は彼の地を『魔境』と称していた。
ひとにはあまりにも過酷な環境であり、時折冒険者がこの森に植生する薬草の採取に赴くことがあるが、無事に帰ることができるものは少ない。
そんな森にも雨季がやってきた。
この時期になると足場も悪くなるため冒険者でも寄り付かず、森に住む雑多な生物達はその生を謳歌していたが、森の更に奥。樹齢数百年はくだらない巨木達が立ち並ぶ薄闇に包まれた世界。雑多な植生と獰猛な獣達が闊歩する、生命の宝庫で。
――人ではない者達の闘いがあった。
争うのは、ともに小さな影同士だ。
片方は森小鬼族。ちいさな体躯に昏い緑色の肌を持ち、とてつもない悪臭を放つ醜悪な顔をした森の狩人。人と友好的な立ち位置にはいない『亞人』で、今その彼らの手には鉄錆びた短剣や、棍棒、錆が浮いた槍が握られていた。それらは数多く存在して、ひとりだけの相手を怯えた目で睨みつけている。
もう片方は子どもだろうか。襤褸布を纏い、華奢な体躯にもかかわらず、重厚な造りでありながら装飾などが一切見られない無骨な柄に、肉厚な刃が伸びた長剣を振り回している。片手半剣程の長さであるが、その短躯で握るのなら両手剣と変わらない。時折、襤褸布から覗く肌は血の気を失っているのだろうか、青白く生気が伺えない。
戦況は――圧倒的であった。少年らしいものはひとりで奮戦しているものの、森小鬼はまだ数を多く残している。似たような体格である以上、数が味方する森小鬼が優位のはず――だった。
しかし、少年の手がひらめくたびに、森小鬼の数がひとつ、ふたつと減っていく。
そう、少年は並居る森小鬼とはちがって、ひとりで局面を覆せるような強者であった。森小鬼の数という暴力を前にしてもなお、その刃を振るうだけで圧倒出来る程に少年は脅威的な力量を有していた。
「どうした!! 無抵抗の相手でなければ、武器を振るえないのか!」
少年は襤褸布で顔を隠したまま、怒声を張り上げる。一体この矮躯からどんな熱量が滲み出ているのか想像も出来ない程で、その叫びは森を駆け抜け臆病な獣ならば尻尾をまいて逃げてしまうほどに鬼気迫るものであった。そして、その雄叫びとともに振り抜かれた剣はまるでバターに熱した刃を融すように、易易と森小鬼のひとりを切り飛ばして森子鬼はその場でくずおれる。
容姿から判断する年の頃を思えば、生兵法の剣技かと思えば、事実はまったく違う。理に叶った歩法とただ正確に敵を斬るその剣捌きは、まるで歴戦の古豪を思わせる剣技であった。同時に力強くもある。瞬く間に振りぬかれた袈裟斬りは、森小鬼のひとりの身体を即座に寸断させて、臓物を撒き散らしながらこの魔境を潤すあらたな滋養となった。おおきく踏み込んで返す刀で横に薙ぐと、もうひとりの森子鬼の腸をひき千切って大地にバラ撒くと、当の森小鬼はぎっと低い呻きをあげて虚空に睨んだままそのまま地へとしずんだ。
まさに一騎当千の強さを見せる少年の前に森小鬼に手はなく、踏み込むのを躊躇えば即座に少年の剣が森小鬼の素っ首を跳ね飛ばし、数を頼りに迫ればか細い子どもの体躯とは思えない豪腕で目にも留まらぬ疾さの剣が振り抜かれて四肢を欠き、続く一刀に即座に生命を散らすこととなった。
またひとり、森小鬼が首を撥ね飛ばされ恐怖で怯えた表情のままくるくると宙を飛んで森の茂みに入ると、とうとう森小鬼は最後のひとりとなった。
「言え!ここで何が起きたのかを!そして、何をしたのかを!」
少年は剣を構えながら、怒りのまま叫んだ。赫怒を湛えた碧眼で森小鬼を睨みつけて、一挙一足を見逃さんと目を見張る。脆弱な森小鬼は、その視線にぎぃと小さく呻きながら少年を見つめる。
そう、森を血で濡らしているのは、森小鬼だけではない。
少年のかたわらを見れば、ヒューマン――ビースト――エルフ――ハーフリング――大小、様々な遺骸が朽ち果てており、蹂躙されたあとが伺えた。
死して、それなりの時間の経過があったのか、その身体に付着した血は雨で洗い流されていた。
遺骸のかたわらを見れば、巨人族――豚鬼族――甲虫族――森小鬼族――大小、様々な死体が僅か一太刀の下で、降されていた。
死して、それほどの時間の経過がないためか、その身体はまだどくどくと血が流れている。
「居たはずだ!!この惨状をつくりあげたものが!おまえ達の王はどこにいる!」
もう一匹、森小鬼が飛びかかって錆びた短剣を振るおうとするが、少年は即座にその短剣ごと斬り伏して屠ると、残る最後の鬼へ詰め寄ろうとする。しかし、森小鬼の最後のひとりはこの壊滅的な状況の中、今更のように尻尾を巻いて逃げ出した。だが、それを見逃がしてやる程少年は甘くはなかった。
「それが答えかッ!」
罵声をくちにして、ひゅっと、風切り音が鳴ると同時に幽鬼のように少年の姿は掻き消え、背中を見せた森小鬼すらも追い越して姿を現すと、振りかぶった剣を一閃。逃げた森小鬼の首は宙に投げ出されて遅れて頭を喪った身体が足を縺れさせて倒れた。
少年は飛んでいった森小鬼の首を見届けることなく、剣を振って返り血を払って鞘走らせると遺骸がまとめて投げ出されている所へと歩を進め、嗚咽を噛み殺しながら、そっと膝を地に着けた。
「間に合わなかった……」
人族の死骸の脇に楽器らしきものが砕けて、うち捨てられていた。
それは苛烈な攻撃を受けたのか、もはや原型すらわからないな程に壊れている。
しかし、少年はそれが元はなんだったのか知っていた。
――ダイ…ト……。
思い起こすのは、か細く鳴く彼女の声。呼ぶのはかつて彼が仲間に与えられた、自分の名。
かつてはとても心地よい、綺麗な音色の声をしていた。だが、もうそれを聞くことはない。
――ごめん……ね……。
嗚呼。嗚呼。泣かないでくれ。謝らないでくれ。脳裏に浮かぶ彼女はそれでも言葉を止めない。
間に合わなかったぼくが悪い。戦う力を持たない魔剣のきみが、最後にぼくに託したその言葉を信じて、ぼくは仲間をあつめよう。
悠久なる時の中で埋もれた筈の忌まわしき存在が、深き森を裂く閃光とともにふたたび産声をあげた。少年は声にならない悲鳴と眩い閃光――そこに宿る昏き力の奔流から、彼の忌まわしき存在の復活を感じ取っていた。
それは人族におおいなる苦難を齎す災厄であることを、悠久の時を生き長らえて人を守護する魔剣である自分にも看過出来ない事だ。
――あり……とう………。
だから、ゆっくりやすんでおくれ。
弱々しく響く彼女の声はいつしか、聞こえなくなっていた。
それはただの思いの残滓。
少年が聞いたのは、ただの幻聴――。
最早語る事のない楽器を手に、少年は慟哭する。
ぬるい、雨が。少年の、ダイトの頬を濡らした。