笑顔
祖父の遺影を見るのが、苦手だ。
築60年を超える、木造平屋の自宅の仏間に、曾祖母、曾祖父、祖母に並んで、祖父の遺影が飾られている。
曾祖父母達は、僕が生まれた時点で他界して居り、遺影の写真でしかその顔を知らない。
セピア色の写真に写る、穏やかな笑顔を浮かべた老夫婦。彼らの血が、僕にも流れてると言われても、やはり知らない誰かにしか思えなくて。
祖母は、僕が生まれた頃には随分と体が弱っていて、ずっと入院して家に居なかった。
物心付く前に、祖母はそのまま息を引き取り、結局、僕の記憶に有るのは、葬儀の場で、棺の中で眠る顔だけだった。だから、カラー写真の中で笑顔を浮かべる祖母と、記憶の祖母は一致しなくて、最初は誰だろう?なんて思ってた。
何時しか、記憶の中に有る、棺で眠る祖母の顔が、遺影と同じ笑顔になって。
僕の中で、祖母はこの笑顔の人なんだと、納得できるようになった。
祖父は、僕が高校に上がるまでは生きて居た。
中学2年くらいまで、祖父はとても快活で元気な人だった。僕は所謂、おじいちゃんっ子で、小学校の低学年までは良く祖父のこぐ自転車の後ろに乗せて貰って、色んな場所に連れて行って貰った。
外へ遊びには、自分の足で、友達と一緒に出掛ける様になってからも、祖父と将棋を指したりして遊んで居た。
だから、中学3年に上がる頃、祖父が急に床に臥せる様になってしまったのが、とても寂しかった。
そして、そのまま眠る様に息を引き取ってしまった祖父に、置いて行かれた様な気がして悲しかった。
葬儀の場で、真面目な顔の祖父の遺影も、棺の中で静かに眠る祖父の顔も、記憶の中の、目尻に皺を寄せて、朗らかに笑う祖父と全然違うから、僕は泣きもせず、ただソレから目を背けて居た。
それから、毎日。写真の中から笑いかけてくれる、曾祖父母や祖母に並んで、真面目な顔で、真っ直ぐにこちらを見つめる祖父の遺影が、僕の日常の一部になった。
僕は今でも、優しかった、好きだった祖父の、笑顔を思い出せるはずなのに。
あの遺影を見ると、思い出の中の祖父が、真面目な顔で僕を見て来る様になる。
だから、僕は、祖父の遺影を見るのが苦手だ。
まだ少し、空気の冷たい日が良く晴れた日に、祖父が小学校に上がる前の僕を、少しさび付いてガラガラと音を立てる自転車に乗せて、桜の綺麗な公園に遊びに連れて行ってくれた。
公園の中にある、売店に併設された東屋で、椅子に腰かけて僕を膝の上に乗せて、桜を見て居た祖父は、何時もの様に目尻に皺を寄せた笑顔だった。
それから、祖父がお気に入りだと言う、雑居ビルの中にある喫茶店に連れて行って貰った時も、忙しい両親に変わって入学式に来てくれた時も、夏休みの自由研究の為に、虫取りの為に山に連れて行ってくれた時も、一緒に将棋を指して居た時も。祖父は何時も、楽しそうに目尻に皺を寄せて笑っていた。
だから、病に床に臥せった時も、心配して枕元に来た僕に、祖父は何時もの様に・・・。
・・・・・・・・・・あれ?
布団の中で、じっと体を横たえた祖父は、にこりともせず、真面目な顔で僕を見て居た。
遺影と同じ顔で、僕を見て居た。
ああ、そうだ。
僕は、この人の、この顔をずっと見て来た。
何時だって、僕に何も言わず、にこりともせず、真面目な顔で見つめて来る。
僕は祖父が苦手だった。
だから僕は、何時もにこにこと、笑うようにした。
楽しい事なんて何もなくても、にこにこと笑うようにした。
大抵の人は、笑いかければ、笑い返してくれたから。
祖父も、笑いかければ、笑い返してくれると思ったから。
だから、僕の記憶の中の人の顔は、皆、笑っている。
何が楽しいのか、にこにこと笑顔を浮かべている。
なのに、祖父は笑わなかった。
記憶の中の祖父も、笑うのを止め始めてしまった。
駄目だ。記憶の中の人達が、笑顔を止めて、本当の表情を作ったら・・・。
違う・・・。僕は、ずっと誰かと一緒に、笑顔で過ごしてきたんだ。
これ以上、思い出を変えないでくれ・・・。
僕は、祖父の遺影から目を逸らすと、明日の準備をする為に、自室に戻る事にした。
友達とふざけて、破れてしまった教科書をセロテープで繋ぎ合わせて。
掃除の時間に遊んでて、びしょ濡れになってしまった制服、明日には乾くように扇風機で風を当てて。
階段で、不注意でぶつかって転んでぶつけた、痛む場所に湿布を貼って。
寝る前に、洗面台に設置された鏡の前で、ちゃんと笑えているか確認して。
大丈夫。僕の周りは、昔から、今も、ずっと笑顔だった。明日もそう。
だから・・・笑顔じゃない、祖父の遺影を見るのは、苦手だ。