勢力拡大、田乃倉の座布団が上がる
小泉内閣が出来て、8000円台の株価は景気刺激策を積極的におかない、
世界的に株価上昇時期にタイミングが合って、株価が上昇した。
中島は国内外の経済情勢を冷静見てた。
株と為替を同時に投資した、為替は130台後半、株価も8000円台
当時は元手の500倍まで信用取引で、勝負できた。
4億5000万をつぎ込んた、まず株価が上昇、日経平均先物を1000枚買う、買った1000倍が実際の取引額、80億の投資だ。
間違いなく、上がるとの確信がが有った。景気刺激策も有りあ12000円台まで上昇した。
日経平均先物は3ヶ月決算で途中売り買いも出来る、手数料は掛かるが。
冷静に売り買いをして、3ヶ月後には、350億の純利益をだした。
次に為替、テロ組織が世界的に広がり、円高に成るのをよんで
円買いドル売りを売った、1次、
円は1ドル70円前半まで急騰、
1000億の利益をえた。若干19才で有る。
その当時山賀組では4代目組長若村組長で、三心会との抗争で昇利して、全国制覇に乗り出していた。
東京進出の前に北海道、東北、北関東、に山賀組傘下の直系
団体戦が争って進出して入った。
田乃倉組の盛岡組も例外出なく、北陸、甲信地方、東北に出ていった。
北海道、東北は、ヤクザで無くテキ屋、祭りに屋台を出す、露店商、が殆どで関東ヤクザ団体と山賀組の草刈り場に成ってた
田乃倉組では中島が先頭に立って秋田に、進出した。秋田には東北最大勢力を誇るテキ屋組織
陸奥会が、合った、当然抗争覚悟で、秋田に乗り込んだ。
この時、盛岡組の2代目山崎組が田乃倉組に吸収されてた、元々田乃倉は2代目山崎組の出身で
山崎組の跡目が3代目に成る人材が居なく、田乃倉組に入る事に成った経緯である。
田乃倉組は、島出身者が多く戦闘力は抜群で威力を発揮して、秋田、山梨に基盤をつくった。
僅か半年で組員は盛岡組で3番目の組に成り、田乃倉も若頭補佐に昇格、座布団が一気に上がった。
資金は潤沢有る、事務所の建設に取り掛かり、同時に組員の質向上に取り掛かた
山賀組直系傘下団体が、東京に進出中、中島は、田乃倉組の実力では、東京進出はまだ、早いと考えてた。
とりあえず、3年は地元大阪の南で力を蓄えるのに専念する大都会、東京にはそれからだ、
自分若い衆を増やす、田乃倉組の組員を増やす同時、進行である