翌朝
空が白み始め、霧がかった森に柔らかい光が差し込む。
最後の一匹を火球で仕留めたカルロスは、息を荒げながら立ち尽くしていた。
ふいに、目の前の空間が歪み、クレメンスが静かに姿を現した。
「ほぉ、生きていたのか」
クレメンスは淡々と言い放ち、カルロスが何か言う間もなく術を完成させた。
次の瞬間、二人は見慣れた風景――ゲートの設置された小部屋――に立っていた。
クレメンスは一言も発せず、背を向けて部屋を出ていく。
「ったく、声をかけるのすら面倒なのかよ……」
カルロスは小さく毒づきながら、自室へと向かった。
ドアの前の床に、パンとシチューののったトレイが置かれている。
湯気がほんのり立ち上り、温かい香りが鼻腔をくすぐる。
「床に直置きかよ……」
カルロスは呆れつつも、シチューの香ばしい香りを吸い込みながら部屋に入った。
椅子に崩れ落ちるように座ると、さっそくスプーンを動かす。
トマトのまろやかな酸味が口いっぱいに広がり、肉は舌の上でほろりととろけた。
「どんだけ煮込んだんだよ……化け物か」
毒づきながらも、カルロスはシチューを夢中で平らげた。
******
翌朝、ロジーナは早めに起床した。
家事全般は内弟子であるカルロスとロジーナの仕事だ。
本来なら、今朝の朝食当番はカルロスだが、昨日の様子では無理だろう。
そう判断したロジーナは、すぐに身支度を整え、自室を出た。
カルロスの部屋の前で足を止め、そっと様子をうかがう。
中から盛大なイビキが聞こえてきた。
「生きてる……」
ロジーナは足早にキッチンへと向かった。
キッチンにつづくダイニングでは既にクレメンスが静かに朝食をとっていた。
「おはようございます」
ロジーナは慌てて挨拶をした。
「うむ。おはよう」
クレメンスはそう言いながら、ゆっくりと促すように視線をキッチンへと向けた。
その先にあったのは寸胴鍋。
ロジーナは軽く一礼すると、キッチンに入った。
調理台のうえには、パンとサラダも用意されていた。
鍋の蓋を開けると、甘酸っぱくてコクのある香りがふわっと立ちのぼった。
「カルロス先輩は?」
ロジーナはポークシチューをお玉でかき混ぜながら、振り返ってクレメンスに問いかけた。
「寝ている。あの様子では昼まで起きてこないだろう」
「そうですか」
ロジーナは満面の笑みを浮かべ、食器棚の中から大きな皿を取り出した。
鍋のシチューを全て盛り、慎重に置いてあった刻みパセリを振りかける。
そして、トレイに朝食一式をのせ、クレメンスの隣にすわり、「いただきます」と食べはじめた。
クレメンスはチラリとロジーナのを見たが、何も言わずにコーヒーに視線を戻した。
*****
柔らかな光が差し込むキッチン。
空になった寸胴鍋を洗い終えたばかりのロジーナが、満足げに一息ついていると、廊下からふらふらとした足取りでカルロスが現れた。
髪はボサボサ、顔にはまだ寝跡がついたままのカルロスは、鼻をクンクンと鳴らしてキッチンを見渡す。
「……なぁ。シチュー、ねぇか?」
「シチュー? 何の話だ」
静かにコーヒーをすすったクレメンスは、新聞から目を上げずに問うた。
「いや、何の話だって……俺、昨日帰ってきてから、食ったはずなんすけど。トマトの酸味がきいた、めちゃくちゃ美味い……化け物みたいな煮込み具合の……」
カルロスは空腹の腹を抱えながら、記憶の断片を必死に手繰り寄せる。
しかし、目の前の調理台はピカピカに磨かれ、そこにあるのはコーヒーの香りだけだった。
「カルロス先輩、寝ぼけてるんですか?」
ロジーナがさも不思議そうに首を傾げた。
「昨夜は大変でしたものね。一晩中、森で妖魔を相手にされていたんですから。空腹で幻覚でも見たんじゃないですか?」
「幻覚? いや、でも確かにあの肉の食感は……」
「夢だろう」
クレメンスの低い声が、カルロスの言葉を遮る。
「カルロス、まだ疲れが取れていないようだな。もう一度寝てこい」
「……夢? あれ、夢だったのか?」
クレメンスの堂々とした物言いに、カルロスの自信が揺らぐ。
「でも、あの『床に直置き』されたトレイの……」
「床に食事を置くなど、この館で誰がするというのだ。私か? それともロジーナか?」
クレメンスがひややかな視線をカルロスに向ける。
「……そんな無作法な真似、私がするはずなかろう」
「そりゃ、まぁ……そうっすけど……」
カルロスはうなだれ、自分の頭をガシガシと掻きむしった。
「ほら、先輩。コーヒー淹れてあげましたから。これを飲んだら、またお部屋で休んでください」
ロジーナはにっこりとカップを差し出した。
その背後で、クレメンスがわずかに口角を上げ、満足げにコーヒーを自分のカップに注ぐ。
「……おう。サンキュ、ロジーナ。……食いたかったなぁ、あのシチュー……」
カルロスはコーヒーを飲み終えると、肩を落としてトボトボと自室へ戻っていった。




