第三十八話 新メニュー 前編
一時間後、勇の指示でライをありったけ買ってきたメンバーは家に戻るが、勇の考えている事が出来ないマルコはこの出費に不満を持ちながら扉を開いてすぐに一言文句を言おうと思っていた。
しかしその考えはマルコ達を出迎える嗅いだ事のない良い香りで忘却の彼方へと消える。
「お、ちょうどよかった。今炊き上がったところだ」
深めの鍋の取っ手を持ち、前もって机の上に置いていた鍋敷きに乗せると鍋の蓋を取った。
白い蒸気と共にさっきまでの漂っていた香りが強さを増し、ギルドメンバー達の鼻孔をくすぐる。
中には宝石のような輝きを放ち、ふっくらと柔らかそうな白い粒がこれでもかと敷き詰められていた。
「もしかして、これはライなのか?」
「もちろん」
自分が知っているライとは違う。型崩れを起こす事なく綺麗な楕円を保っている。だが、いくら形が整えられていても問題は味。水っぽくて食べられたものではない。
「いきなり手を加えてもいいけど、まずはこのライがどんな味か分からないと。ほら、皆早く席につけよ」
いつも通りに席に着くと普段は汁ものを注ぐ木のお椀にライが盛られる。
「箸ないの?」
「あるわけないでしょ」
聞きなれない言葉を琴美が発するも、耳を傾けないままじっとライを見つめる異世界組の五人。
「じゃあ、いただきます」
勇は手にスプーンを持つとライをすくい上げて口に含む。
「うん、うん……やっぱり米だな」
「そうみたいね。食感も味も全く同じ」
納得した様子の日本組の兄弟達を横目で窺ってから五人も手に持ったスプーンでライを口に運んだ。
微かに弾力が残ったライを歯で噛み砕いた瞬間、鼻の奥にふわりと香りがする。味も水っぽくはなく、ほのかな甘みが舌の上に残っていた。
「ほ、本当にこれがライなのですか?」
「聞いた話より百倍美味い!」
「固くもないけど、だからと言って柔らか過ぎでもない」
「そして、明らかに俺達が知っているライとは格が違うほどの芳醇な香りと味」
「身近にあったライがこんなにおいしいなんて……ボク達はどれだけもったいない事をしてたんだろう」
と、グルメ漫画のようなオーバーリアクションをとる五人にそこまでするかと思いながら高宮兄弟は苦笑する。
なんにせよ、これで分かった事はライと米の差異は全くない。むしろライ=米と考えても差し支えなと断言出来る。
「なら、今度はこれでいくつか料理をしようと思うんだけど……流石に人数が足りないか」
「人数? ウチらだけじゃだめなの?」
「うーん……出来れば多ければ多いほど助かるんだけどな」
だからと言って見ず知らずの他人に声をかけるのはどうも違う。
「しょうがない。迷惑かもしれないと思うけどあたってみるか。マルコも念のためついてきてくれないか」
人使いが荒いと文句を言うよりも未知の料理への好奇心が大きいマルコは何も言わず勇の後ろを追いかける。
他のメンバーは勇の料理をおいしくいただくためそれ以上ライを口にせず、まだ湯気が昇る鍋にそっと蓋をした。
外に出た勇達が最初に向かったのはシエルの家。
三回ノックすると扉からシエルの声と共に本人が出迎えた。
「勇くんとマルコくんじゃない。どうかしたの?」
「いや、ちょっとシエルさんに頼み事がしたくて」
「勇の料理の試食をしてほしいんです」
「ほうほう。それは興味深そうだね。是非お邪魔させてもらうね」
快く引き受けるシエルは外に出ると家の鍵を閉める。
「俺達はまだ行くところがあるんで先にギルドに向かってもらっていいですか」
「分かった。じゃぁ、また後でね」
軽い足取りでギルドに向かうシエルの後ろ姿を見送ると、次の場所へと歩みを始めた。
向かった先はライザ工房。鍛冶師の師匠でもあるライザにも試食を頼みに来たのだが、closeの札がぶら下がっている。
「特に音もしないからおそらく寝ているのだろう。鍛冶師の仕事量は変則的だからな」
「仕方ないか。料理の試食をしてもらおうと思ったけど睡眠の邪魔はダメだよなー」
回れ右をして去ろうとした瞬間、ライザ工房の扉が勢いよく開かれ大きな音を立てると、血走った目の下にうっすらとクマを浮かばせているライザが必死になって勇の後ろ姿を捕まえた。
「勇、その話ホントか! 料理の試食をさせてくれるのか!」
「そ、そのつもりでしたけど、ライザさん疲れてるようなんで別に――」
「よっしゃああああ! 先にあたしは勇の家に向かってるからな!」
砂煙を起こしながら全速力で走り去る。勇達はその後ろ姿をただ茫然と見る事しか出来なかった。
「……まるで嵐のような人だな」
「う、うん。……じゃあ、次はレクスの所だけどマルコ場所分かるか?」
「場所も分からずに行くつもりだったのか。レクスは住んでいる所をこの町の住人の殆どが知っている。ついてこい」
今度はマルコが先頭に立ち、勇をレクスの家まで導く。
マルコの後について行くとたどり着いたのはシャーロット家のある豪邸が並ぶ地区より少し離れた場所にある隣接する家より高い純白の建物。一瞬城と見間違うほど堂々としているその建物に一人住むには少々大きすぎるように感じるが、街の英雄と呼ばれる人間にはもしかしたら逆に小さすぎるのかもしれない。
「ここだ」
「マルコの家よりかは小さいけど、それでも大きいよな。……ん? 何だあの人だかり」
玄関前で待ち構える大勢の人。見るからしてレクスのファンとは思えない。殆どの人の顔つきは厳かで重役人のように見える。
「どうやら、依頼人のようだな」
「あー、俺もついでに頼み事があったんだけどこれは無理そうか?」
「さぁな」
扉の解錠と共に待ち構えていた大衆の視線が一点に注がれた。
少し軋んだ音を立てながら開かれた扉の先には家主のレクスが立っている。
いつも見る鎧は身に纏わず、勇達と変わらないこの世界の一般的な服装をしていた。
待ちに待ったレクスの登場に人々は押し寄せる。
「レクス殿! あなたに依頼を」
「私のお願い聞いてください! 報酬は百万ジーグで」
「ふん! 儂は五百万ジーグだ! 如何ですかな?」
六百……七百……オークションのごとく値を跳ね上げ、権利を得ようとするが、本人のレクスは階段下で群がる依頼人達に呆れた表情を浮かべた。
「俺の依頼はいくらにすれば受諾するんだ」
「ちなみに、何を頼もうとしていたんだ?」
「レクスの創造で欲しい形の調理器具を作ってもらおうと」
「創造をなんだと思っているんだ!」
間違った上級魔法の使い方をさせようとする勇にマルコは我慢出来ずにツッコムと、大声に反応したレクスがキョロキョロと顔を動かし、勇達を視界に捉える。
「ん? 勇じゃないか。僕に何か用?」
親しく話しかけられ、依頼人達の視線が痛いほど突き刺ささる感覚を覚えながらもダメもとで話し始めた。
「レクスの創造で色々作って欲しいんだ。報酬はその……俺の料理なんだけど」
報酬が金や宝石ではなく、料理と言う勇をバカにした笑いが高らかに上がる。ただの料理で依頼を受けてもらえるなら苦労はしない。そう思っている大衆の間を掻い潜って抜けたレクスは勇達に近づく。
イマイチレクスの行動にピンとこない二人。
「何をしてるんだい? 早く勇達の家に行くよ」
まだ見ぬ美味なる料理に対する好奇心の表れからか、瞳の奥がキラキラと輝くレクス。その姿に困惑した。
依頼人達の依頼内容は権威を持つ人物の護衛や、危険度の高い魔物討伐などレクスにとっては造作もない依頼だが、成功すれば確実に名声は上がる。
しかし、実際に受けた依頼の報酬はただ料理が食べられるだけ。しかも内容は上級魔法をなめたような使い方をさせるもの。
これを驚かないでいる方が無理な話だ。
「ま、待ってくれ! 料理ならビエトルに招待する! あそこはスルンで最高級のレストランだ」
「あそこの店の料理はおいしくないからいい」
そう言い放つレクスは勇達と共にどこかに去っていく。その姿を依頼人達は呆然と見つめる事しか出来なかった。
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