058 ――Side B―― 頑張る若い子は応援しよう。
「……で、ミュルカちゃんはどう思う?
――っと、答えてもらうのは無理そうだね」
ひとしきりディノと話し込んでいたザームは、もう一人の同席者に意見を求めて視線を送ってから小さく笑う。
釣られるように視線を向けたディノも同じ表情になったのは、隣に座っているミュルカがいつの間にか眠っていたからだ。
「まぁ、よく眠っちゃったものだね」
「今日は色々あったから疲れたんでしょうね」
少し笑いを含んだディノの声は柔らかい。
妹に対するような、恋人にむけるような、どちらともつかない声音である。
ディノが片手をミュルカの前にかざして小さくつぶやくと、淡い光が彼女の体を包むように広がって消える。
ごく簡単な、防寒用の魔術だ。
室内は適温なのだが、眠ってしまうと体は冷える。
それを心配したディノの過保護ぶりにザームは小さく笑うが、この辺りは弟妹が多い彼にとってはもはや習慣なのかもしれない。
魔術に眠りを妨げられていないか確かめている、その視線の先でソファに体を預けて微かに寝息を立てるその姿だけ見ていると、起きている時とは別人の感がある。
「こうしているとミュルカちゃんは本当にまだ子供だね」
おかしそうに笑ったザームは、すっかりさめてしまったお茶をすする。
起きている時はあまりその年頃らしい無防備さを見せないが、寝顔は無邪気なものだ。
「そういえば、こっちで名乗った名前は偽名だったそうだけど、そうなると年齢もいくらか誤魔化してるのかな?」
「かもしれませんね。
聞いて答えてくれるとは思えませんけど」
いくらか笑みの混じった返事に、それもそうかと思う。
何気なく振舞っているが、よく見ていると彼女の行動は大部分がしっかりと計算されている。
怒っているのすら計算ずくの雰囲気があって、どうにもつかみきれないのだ。
もっとも、彼に言わせるとその計算を隠し切れていないところがまだまだ甘いのだが。
二十歳前後という年齢を考えれば少し老成しすぎだろう。
「ミュルカちゃんも色々事情を抱えてるみたいだけど、ディノ君の事情に首を突っ込んであげる余裕があるのはたいしたものだね」
自分が彼女の年齢だった頃、はたして同じだけのことができていたかといえば、おそらく答えは否だ。
異世界に拉致されて、そこで安易に名前を告げる危険性を考慮して偽名を名乗ったり、関わる相手に手を差し伸べられるかといえば、そんな余裕はなかっだろう。
こと、ミュルカにとってディノは誘拐の実行犯であり、彼に頼るしかない状況に置かれていたとしても、これほど好意的にふるまう必要性はない。
恋愛感情でもあれば別だろうが、あの子に限ってそれだけはないと断言できる。
ディノの方は彼女にそういった執着があるようだが、ミュルカはおそらく故郷に恋人がいる。
その相手が今も生きているか保証の限りではないようで、それが精神的な安定を欠く原因になっているらしい。
「そうやって変に余裕があるのも心配ですけどね。
さっき聞いた話だと、別に帰ってから困ることなんてほとんどないでしょうに」
心配気につぶやいたディノの声に、ミュルカが帰る理由を見失いかけている理由を口に乗せた時、自分しか聞いていなかったことを思い出す。
「まぁ、確かに彼女はまわりに――というか、君に甘いんだよねぇ」
彼女が世話役でもある家主にその言葉を聞かせなかったのは、召喚――ミュルカにとっては誘拐――の実行役である彼の心境を慮ってのことに違いない。
自分のせいで死に目に会えなくしたかもしれない、と知ったらディノは随分な罪悪感を抱え込んでしまうだろう。
少なくとも、今のように気安く彼女と付き合うことはできなくなるはずだ。
単に今の関係が彼女にとってやりやすいだけ、という可能性もあるが、そうだとしても自分のもたらす情報が相手にどんな影響を与えるのかきちんと計算できているのにはかわりがない。
そこまでまわりの状況を計算した上で行動するのが習い性になっているのだとしたら、それはあまりに酷な話だ。
「私に甘い、ですか?」
「甘いねぇ。
そりゃあもう、べったべたに。
――君なら、自分を誘拐した相手に親身になれるかい?」
「……無理でしょうね」
「そういうところが、ミュルカちゃんのすごいところだと思うんだよね。
ま、心配なところでもあるんだけど」
まわりに気をつかいすぎて疲れてないだろうかと気になるのも確かだ。
それでも、彼女の気遣いに助けられているのだからやめろとも言い難い。
「そういえば、ディノ君の家に遊びに行ったんだって?」
「買い物に行ってきた、が正解のような情況でしたけどね。
私が気づかなかった物を沢山指摘してもらえたのでまとめて買い出してきました。
後は服も少々」
「それはよかった。
ミュルカちゃんは身の回りに使うお金を節約しすぎだから、半強制で買わせるくらいがちょうどいいかもしれないね」
気にかかっていたことが一つ解決したのにほっとしたザームが表情をゆるめると、ディノも小さく笑う。
自分には親身になってくれるこの変わり者の医師が、実際は人を寄せ付けない性質なのはよく知っている。
その彼がここまで気にするのだから彼女のことをだいぶ気に入ったのだろう。
敵と見定めた相手には容赦しないが、味方と思えば案外なつっこいミュルカは次々いろんな問題を持ってくるので飽きなくていいのかもしれない。
「先生も随分ミュルカのことを気に入ったみたいですね」
「君ほどじゃないけどね。
面白い子だから興味はつきないし」
楽しそうに応じたザームは、ミュルカの寝顔に視線を移して表情を和らげる。
「まだまだいろんな隠し球が出てきそうで楽しみだしね。
――まぁ、彼女のためにも塔の攻略が早く進むように手をつくさないとね。
口ではあれこれ言ってるけど、帰れる状況になったら帰りたいと言い出すかもしれないし」
笑み含みの言葉に、ディノが一瞬身体を固くする。
「帰って欲しくないかい?」
愛弟子の考えていることなどお見通しだ、とでも言いたげな声音に、ごまかす気をくじかれたディノは小さくうなずく。
「帰るほうが彼女のためだとは思うんですけどね……」
「ま、恋するというのはそういう身勝手さを身につけることでもあるんだよ。
要は、それとどう折り合いをつけるか、だね」
のんびりと言って、ザームは目の前に座る相手の様子を見つめる。
他人と深く関わるのを嫌って、近付かれないようにしてきたディノにはなかなかの難問だろう。
こと、出生にまつわる問題を抱えている彼にとってはタブーでもある分野だ。
本人にとっては悩ましい限りだろう。
「折り合いもなにも、口にする前に思い切りふられてますけどね」
どこか笑を含んだ返事に軽く首をかしげると、ディノはミュルカの口から語られた恋人の話を再現する。
たいして日数がたっていないとはいえ、一言一句違わずに、と言えるほどしっかりと覚えていることにか、その声は苦笑まじりだった。
「あんな風に言われてしまったら、さすがになんにも言えないですよ」
「他の誰といるよりもその人のことを思い出しながら一人でいるほうがいい、か。
確かにそうまで言われてた後に告白するのは度胸がいるねぇ」
苦笑いで答えがらも、話の流れがあったとしてもミュルカがそんな話題に応じた理由が気になった。
彼女の世界についての話題には気軽く応じるのに、自分自身のことに関しては慎重に隠しているのだ。
話したのにはなにか理由があるに違いない。
「……勘付いてるってことかな?」
ザームの知る限り、他に彼女がそんな話題にのってくる理由になりそうなことがない。
本人は隠しているつもりだろうが、彼が気付いたようにミュルカも気付いた可能性はある。
あるいはそんな話題になったのを幸い、予防線を張ったのかもしれない。
だとしたらまた可愛げのないことだ。
ディノが何も言わない間に雑談のふりでしっかりと恋人の存在を主張する。
下手に告白などされてしまえば、関係がぎくしゃくするのは目に見えているのだから、うまいてだ。
ディノにそのつもりがなければただののろけと思うだろうし、そうでなければそれと知らせず牽制できる。
やり方としてはうまいのだが、なんとも不器用な方法だ。
そこまではっきりとどめをささないやり方もあるし、そっちのやり方の方がディノを利用するためにははるかに有利だ。
ミュルカがそれを思いつかなかったとも思えない。
つまり、あえて選ばなかった理由があるのだとしたら、それは間違いなく、ディノの心境を思いやってのことだ。
「まだまだ青いねぇ」
つぶやく声に笑みがまじったのは、結局のところ彼女のやり方が気に入ったからだ。
不器用で青くさく、けれど真っ直ぐな彼女らしいやり方だ。
「おかしいですか?」
「若い子が一生懸命頑張ってるのは微笑ましいよ。
だからこそ、応援したくなるわけだしね」
言葉ほど毒のないディノの言葉に、ザームは楽しげに応じる。
こういう時、いくらか毒のある言葉を選びがちなのはディノの悪いくせだろう。
けれど、ザームはそんなところも含めてこの愛弟子が気に入っていた。
実際にはさほど血のつながりがあるわけでもないのだが、一応は甥にあたるのだからよくしてやってくれと頼まれるまでもなく、自分にしてはずいぶん気にかけて世話をしているのだ。
「ディノくんもたいがい不器用だけど、ミュルカちゃんも不器用というか、真っ直ぐというか……」
「人間関係に関して不器用なのは認めますけど……」
くすくす笑っているザームの言いように、ディノは苦笑いで応じる。
「ザーム先生は器用すぎると思いますよ」
「おやおや。
僕はそんなでもないと思うよ?」
「そうですか?」
「本当に器用ならもっとうまく立ち回って今頃左うちわだよ」
わざとらしくうなずきながらの言葉に、ディノがふき出す。
ザームが再三貴族の娘との結婚を求められたのに、逃げ回って今の妻と結ばれたくだりは神殿では知らない人間がいないほどだ。
どんな地位よりも今の生活を望んだのだから、左うちわなど欲しくもないだろうとわかるだけにおかしいのだ。
「まぁ、これから忙しくなるから頑張るんだね。
伯爵家のお茶会ともなれば貴族に顔と名前が知られるし、安全と一緒に面倒な誘いもたくさんついてくるよ」
「覚悟の上ですよ。
それに、多少面倒が増えても安全な方がいいですから」
ディノの言葉にうなずきながら、ザームがくすくす笑っていたのは、さて誰が安全になるのがいいと思っているのかねぇ、などと思っていたからだ。
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