汚染のはじまり
時は西暦2645年。
今から話す内容はその年から15年前の話である。
日本のとある県にあるどこかの施設の地下では、対人用生物兵器の研究、開発、実験などが行われていた。
この研究の目的は、まだ正体が明らかになっていない組織が海外の軍事向けに生物兵器を売り出し、金を稼ぐのが目的とされている。
その研究施設ではさまざまな種類の生物兵器が量産され、保存されていた。
日本政府がその情報を入手したのは研究が始まって約5年後のことだった。
政府は一刻も早く研究を止めるべく、様々な措置を行ったが、研究は止まることなく続いた。
そんなある日、その研究施設で大きな事故が発生したのだ。
事故の内容は施設内の大量に保存された生物兵器の暴走と施設外への脱走である。
脱走した生物兵器達は、研究施設から離れた地下や地上に独立して巣を作り、増殖を始めた。
政府はこの事態を速やかに終結させるために、総動員で自衛隊を派遣させた。その結果、大きな爪跡を残したものの、生物兵器達をなんとか一掃することに成功したのだ。
その後も各自衛隊の活躍で生物兵器達による動きは確認できなくなり、政府は完全に殲滅したと判断した。
しかし、その考えは少し甘かったのであった。
そう、生物兵器達は全滅などしていなかったのだ。
再び被害が確認されたのはあの事故発生からさらに3年が経った時の事だった。
場所は地下にあの研究施設があったという場所の近くにある中学校だった。
その学校の一階にある教室の床から生物兵器達は沸いて出てきた。そのとき、その教室の生徒達は体育の授業で体育館にいたため死傷者はでなかったものの、生物兵器達は教室を破壊して外に逃げてしまったのだ。
すぐに自衛隊が派遣され、再び姿を現した生物兵器を排除しようとした。しかし、生物兵器達の肉体は以前より進化しており、自衛隊の使用している武器では歯が立たなかった。
一方的に人類がやられている中、生物兵器逹は街を破壊しながらもさらに増殖を続け、進化を繰り返す一方だった。
そして、気づいた頃には日本中での増殖が始まっていた。
人々はこの生物兵器をクライシスと呼び恐れた。
勿論、政府はそれをだまって見ている訳ではなかった。
政府は現存する自衛隊より優れた武器装備を扱える大きな組織を結成する事を決定した。
その名はP.K.D.F(Peace Keeping Defense Forces)。
全都道府県、全市町村にP.K.D.Fの大小問わずの基地を設置し、自衛隊員は勿論、希望する一般人も中学生(満12歳)から入隊が可能な組織とした。
それから新たな治安組織P.K.D.Fと進化した生物兵器との長い戦いが幕を開けたのである。