黒猫丹亭―くろねこたんてい
以前書いた短編(自殺遺伝子)と同じ世界観ですが、より細かく設定を変えているので、とりあえず別物です。
読んでいても、読んでいなくても大丈夫、全く無関係な仕様になっています。
桜は、死人の血を吸って絢爛な花を咲かすという。
日が落ち、黄昏に沈む路地で、女はふと思う。足元に落ちてくる花弁が目に入り、それの軌道を逆に辿ると、桜に見下ろされていた――満開、だ。
それは美しくもあり、恐ろしくもあった。桜にまつわる、あの都市伝説がそうさせているのか、それとも……。
(ここ、かしら……)
いつの間にか辺りを支配し始めた闇の、真中に存在する、館。
館と呼べるほど豪奢ではない、古びた木造建築であるはずなのに、思わず館と呼んでしまうのは、唾液を飲み下してしまうのは、言い知れぬ何か、不吉なもののせい。
“黒猫丹亭”――そう書かれた看板を見て、女はやっとその戸を開けた。
声を出そうとして、止めた。
青く澄んだ双眼と、目が合った。
青い瞳は女の姿を映し、時々ぱちぱちと瞬きながら、近づいてくる。
女の前まで来ると、少女は青い瞳を向けたまま小首を傾げた。その動きに合わせて、やわらかな金の短髪も揺れた。
青い瞳、金の髪に、赤いチャイナドレス――何故か、彼女にぴたりと合っているような印象を受けた。
「あ、あぁ。手紙を、出した者なのだけれど、ここの、店主に。あの、姫菱製薬の、者です……」
女の言葉を聞き、少女は、ぱっと笑い、奥へと消えていった。
少女の姿が見えなくなったと認めると、肩が下がった。女は、そこで自身が緊張していたのだと知る。
ぐるりと辺りを見渡してみる。何とも奇妙な場所だ。まるで、田舎の祖父母の家をさらに小さくしたような――そう、土間と、左側には畳が見える。
しかし、土間には崩れてきそうなほど本が積み上げられ、黄色い照明がますますここの異常さを飾っている。温かみも親しみも、無い。
――いやな、場所だ。
ばさばさっ。
突如響いた音に、女の体が跳ねた。
見れば、本が数冊落ち、ページがひとりでにめくれている。
女はそちらへ歩み寄り、落ちた本を手に取った。表紙に目をやる。
植物図鑑、のようだが、図鑑にしては若干薄いような気がした。
残りの本も手に取り、同じように表紙を見る。
“人間と毒”、“毒と薬の総て”、積み上げられた本も、ほとんど似たようなタイトルだった。当然と言えば、当然か。
女は特にこれと言った感情を抱かず、目の前の山に、手にした本を積み上げようと視線を移した。
その瞬間、女の手から本が滑り落ちる。
「ひっ……」
青白い、手。
本の山から伸びてきたそれに、息をのむ。
死人のような手に繋がるのは、黒い着物、闇のような黒髪、暗い、瞳。
その瞳にじっと見据えられ、声も出せない女の横から、先程の少女が飛び出して来た。
そこらにあった紙をひったくり、ペンを走らせ、死人のような青年にそれをつきつける。
「おきゃくさん……? あぁ、手紙の」
少し擦れた声で言うと、本の山から這い出して来た。少女は青年に対して怒気を孕んだ視線を投げかけている。声は、発さない。
「怒るなよ、娘々(にゃんにゃん)。寝てたことは、まぁ、悪いとは思ってる。いいだろう? 今からきちんと仕事するんだから」
宥められ、幾分か表情を和らげた少女は、再び奥の部屋へ下がった。
「さて」
青年の瞳が向けられ、体が強張る。
「適当に座ってくれ」
青年は本の山を崩し、膝の辺りまでの高さにすると、そこに座った。
女は言われた通り、近くにあった椅子におそるおそる腰を下ろした。
壁にかけられた時計が、正しく時を刻んでいる。
所在なげに女は目を泳がせ、それは青年の所で止まる。女のことなど忘れてしまったかのように、本のページを繰っている。ひとり別世界にいるようだ。
しばらくして奥から足音が聞こえてきた。それと同時に青年が本を手近な山に戻す。
少女が女のもとに駆けて来て、笑顔を見せながら右手を出した。
「約束の毒だ」
青年の低い声に、少女から瓶を受け取る手が凍った。
女の表情を見てか、少女は紙に何事か書くと、青年に勢いよく向き直った。
「何だ。……は。毒じゃない? あれが?」
ぐしゃり、と少女が紙を握りつぶした。右手に憤怒が宿る。
それを目の前にしても、青年の様子は変わらない。
乾いた笑み。
――王だ。闇色の、王。
「あらゆる薬は毒だ。私は、そう思う。人間様にとって良い様に転ぶか、悪い様に転ぶか、それだけのことだ。何かを壊すことに変わりはない」
いいからそこに座っておけ、青年は少女に言った。
少女はまだ何か言いたげだったが、黙って青年の隣に椅子を並べ、座った。
「あんたもそう思ってるんじゃないのか? それは“悪いもの”だと。少なくとも、それを使うことに恐れと後ろめたさを感じている。持っていることにさえ。」
だろう?
青年の笑みが、女にそう問う。
心の奥底まで逆撫でされたような気分がして、女は静かに立ち上がった。礼を告げ、代金を渡すと、早々にここを去ろうと戸を開けた。
「身分を偽って来る必要など無かったのに」
外へ出ようとした体が、固まった。
女は驚愕を隠しきれずに、青年の方へ視線を戻した。
「偽る……? 何のこと?」
「だから、嘘はもういい。笑えてないぞ」
青年は女を見つめる。
白いブラウス、品の良い、黒いロングスカート、首元に光る真珠のネックレス。細い指先は傷ついたことがないかのように真白く、美しい。
「製薬会社の研究員、個人的な研究故、安く薬品を仕入れたい……薄っぺらな嘘をつく理由が分かり兼ねるのだが」
彼女の右手に収まる瓶――精神安定剤を見つめ、青年はまた薄く笑った。
「知り合いに知られたくないとか、そんな所か? 金が無いわけではなさそうだしな。
塵のような自尊心を捨てれば、こんな怪しい所でなくとも普通に手に入るぞ、その“くすり”は」
瓶を持つ女の手が、震える。
少女が青い目を吊り上げ、青年を睨んだ。
「冗談だ。悪かった」
言いながら青年は傍らの本の山に右肘をつき、気だるげに頭を乗せた。
「あんたは医者に診てもらった方がいい。
私は医者ではないから、あんたを診察して治療することはできない。できたとしても、するつもりはないが」
女は青年に背を向ける。
瓶を持つ手に、自然と力が入る。震えを誤魔化そうとするが、無意味だった。
「私はただ、客に毒を売るだけだ。全ての人間を良い方向に導くかみさまじゃない」
「……どうも、ありがとうございました」
女は力無くそれだけ言い、丹亭を後にした。
心臓が強く跳ねている。
女はひとり、路地に立ち止まる。
左手の薬指に指輪の感触を認め、ほぅ、と息を吐いた。
街灯の下、闇に枝を伸ばす満開の桜が揺れていた。
「――今後とも、ごひいきに」
青年、黒猫は、薄く笑った。
お久しぶりです。
長らくの放置、すみませんでした。
さて、今回は初めての長編です。非常に緊張しています(^^;)
もう自分の書きたいようにすればいいよねっ!っていう、若干吹っ切れた感じになってしまっているので、至らない部分も多々あると思います。お許し下さい。
とりあえずプロローグ的なものは出来たので、勢いに乗って次も書いていきたいのですが……ちょっと厳しいかm、大丈夫、がんばります。
感想などいただけるとすごく嬉しいです。
連載したことないのでしばらく右往左往すると思いますが、よろしくお願いします。