死者の声を聴く探偵
ミステリの皮を被った何かです。
楽しんでいただければ幸いです。
私が初めて死者の声が聞こえると気が付いたのは友人が交通事故で若くして亡くなった時だった。
「遺影、撮っておけばよかったなぁ。」
そんな間抜けな声が葬式のさなかに聞こえた。
「遺影だけにイエイってピースしてる写真とか。
ウケ狙えたんじゃない?」
葬式のさなか聞こえた友人の声に爆笑をこらえて肩を震わせれば、隣に座っていたクラスメートにハンカチを差し出された。
泣いていると思われたらしい。
ありがたくそれを借りて私は顔を隠した。
かれこれ10年程前の出来事だ。
それ以来、私の能力は水と豊かな土壌を得た植物のようにめきめきと伸びた。
とうとうテレビを見て、殺人犯に殺された被害者の言葉が聞こえようになったのには頭を抱えた。
正解はわかるが過程が分からない問題について、どこぞの名探偵のように『犯人はあなただ。』などと断定しても根拠がなさすぎる。
そうして黙って彼らの声を聴き、死者の言葉を聞いて出た結論。
死人に口なしとはよく言ったものだ。生きている人間は息をするように噓をつく。
当たり前だ。
自己防衛のためだったり、人を守るための優しさからくる嘘だったり、場の空気を壊さないといったような人間関係の円滑化のためだったり。
もちろん逃避や自己都合のためであることもある。
3歳の子供だって嘘をつく。
まぁ、これは発達過程によるものらしいが。
そんな環境に浸かっている間に私はどんどん人間不信になっていった。
「先生。平井先生?」
そんな声に不意に現実に引き戻される。
目の前のソファに腰掛ける憔悴しきったクライアントの夫婦はまさに我が子を亡くした親といった風体だ。
声をかけてきたのは私の秘書、松本清澄。
彼女は不思議そうに私の顔色を窺っている。
彼女の持ったお盆の上のコーヒーが彼女の困惑した心境を表すように揺れる。
「あぁ、すみません。」
「いえ。」
元刑事時代の同僚であり、私が探偵を始めたときに秘書を買って出てくれた彼女は非常に優秀で、クライアントとのアポイントまでには彼ら自身の情報をきちんと整理しまとめておいてくれる。
『死者の声を聴きます。』
そんなキャッチフレーズで客引きをしているせいか依頼の大半は死亡の原因究明だ。
今回はどうやら自殺した我が子の声を聴きたいという両親からの依頼らしい。
前調査によればその少女、横溝静は学校にていじめを受けており、それを苦に自らの命を絶ったとのことだ。両親が知りたいのは、その加害者と何をされたか。
訴えを起こすうえでの証拠を集めたいらしい。
さて、と私は死者の声を初めて聴いた時のことを思い出す羽目になった写真に目を移す。
元気よく両手で作ったピースを体の前に出している彼女はとても自殺するようには見えない笑顔だった。
「ギャルピなんて久しぶりに見ました。」
松本の言葉にやはり彼女の言葉を思い出す。いや、遺影だけにイエイじゃないんだよ。
そんな邪念を頭の片隅に追いやってその写真を見つめる。
『許さない。』
誰を許せないのか。その言葉がいじめを行っていた人に当てたものかすら分からない。これは足で探すしかないかと私はため息をつく。
「では、調査いたしまして1週間後には…」
松本がクライアントに話せばクライアントもその場でわかると思っていたようで驚いている。
分かる。わかるよ、その気持ち。
そもそも超能力のあるミステリなんて安楽椅子探偵のごとく証拠を事務所にいながら集めるものではないのか。
私だってそう思ってるさ。そんな悶々とした感情を抱えたまま、私は彼女の通っていた中学校に調査依頼のため電話を掛けた。
*
大事にしたくないらしい学校からの現地調査の協力が得られたのはその週の日曜日だった。
「本日はよろしくお願いします。」
「はぁ、案内を務めます岸です。
こちらこそよろしくお願いします。」
岸先生と名乗った教師は言葉とは裏腹に、生徒のいない間にさっさと調べてくれというような視線を向けている。
生徒が自殺したというのにまるで見なければなかったことにできるかのような態度も、死者の彼女の神経を逆なでしているのだろう。
聞こえてくる声は、もはや何に対して許さないと言っているか本人すらも分かっていない様子だった。
「そもそもですけど、あんなギャルピするような子が自殺なんてしますかね。」
「その辺りを探るのは私たちの仕事じゃない。」
許さないという言葉だけではその真偽は分からないし、考える気もない。
「でも、遺書もないのに状況証拠だけでご両親への説明としては“自殺”って話で片付けられている。
おかしくないですか?」
「そうだな。」
私の意図を介さないように松本は首をかしげて事実を突きつける。
私は考えないようにしていたその違和感を言い当てられ、思わず眉間にしわを寄せた。
苦い感情をため息に乗せて吐き出すと、横溝静の所属していた3年A 組の教室の引き戸を開けた。
夕方の日差しが無人の教室を赤く染めている。
『許さない。死にたくなんてなかった。
誰が私を殺したの?』
松本は慣れた様子で私の顔を見た。
「何か聞こえますか。」
「聞こえなければよかったと思ったよ。」
私は嫌な予感が的中したと頭を抱えて天井を見つめた。
「それって?」
松本の興味深げに目が輝く。先ほどの予測が当たっていたことへの歓喜といったところか。
とにかく、これでは警察と連携をとる必要がある。
面倒なことになったとうなだれる私の横で松本は手慣れたように電話をかけた。
そう、こんな事は初めてではない。
死者の声を聴くということは、生者の嘘を暴くことと表裏一体であることもある。
もちろん可能性の話だ。
「平井先生。」
松本が私の名を呼ぶ。やれやれというように私は重い腰を上げると後ろについてきていた岸先生に顔を向ける。
「そういう訳で、もう一度初動捜査からやり直しになります。」
私の言葉にそうですかと答える彼は奥歯を噛みしめてどうにか笑顔を作ろうとしていた。どうせ、彼もまた何かしらの偽りを持った人間なのだろう。
「いやだねぇ、人間は。」
「先生。先生も人間です。」
そんな茶番に私は諦観の笑みを浮かべた。
暫くの後、見慣れたスーツの男がやってきた。
「捜査やり直しだって?」
くたびれた様子のその男は宮邊。顔なじみの刑事だ。
面倒くさそうにため息交じりにパトカーから降りてくる彼は、実際面倒くさいと思っているのだろう。
何度私はこの表情を見たことか。
「私のせいじゃないです。」
「分かってんだけどなぁ。」
私の口をついて出た言い訳に、理解はしていても納得はできていないような彼は苦笑いをこぼして頭を搔く。
宮邊は職員玄関の前で煙草を取り出しかけ、学校敷地内であることを思い出したらしく舌打ち混じりに箱をしまった。
「で?今回は何が聞こえた。」
「誰が私を殺したの、と。」
「それは追い詰めたとかそういう意味じゃ…」
「ないと思います。
死にたくなんてなかった、とも言ってましたし。」
一縷の望みをかけたかのような彼の言葉を一蹴するように遮ると私は肩を竦めた。
死者は刑事ドラマの探偵役のように懇切丁寧に状況説明をしてくれる訳ではない。そもそも死者自身にだって分からない事だらけの死もある。気づいたら死んでいたと。
そんな彼らから聞くことができるのはほんの断片的なことに過ぎない。強烈な感情、執着、後悔、最後に焼き付いた景色。
そして今回のような疑問。だからこそ、この能力は厄介だ。真実は聞こえても、それを導く過程はわからない。そもそも真実すら分からないことのほうが多い。
宮邊は岸先生へ軽く会釈すると、面倒臭さを隠そうともしない顔で校舎を見上げた。
「現場は教室だったな。」
「それは間違いなさそうです。」
彼女の最後に見た景色はその窓から落ちる景色だった。そんなことは言わなくても、その一言で伝わる程度には現場を共にしてきている。
「ここから、転落。」
教室につけば宮邊が窓から下を覗き込む。
「事件だとするならば、突き落とされた?」
「お言葉ですが、警察の方でも事件性は低いと…」
「あくまで再確認です。」
岸先生が私の言葉に慌てたように口を挟む。そんな彼の言葉を、松本が柔らかく、しかしながら有無を言わせぬような笑顔で遮った。そんな彼女に岸先生は面食らったように口を噤み、居心地悪そうに肩をすくめた。
「横溝さんのスマートフォンは?」
「ご遺族に返却済みです。」
今どきの学生ならスマートフォンに遺書を残していてもおかしくないと聞けば、突っぱねるように岸先生は言う。
いくら私がたかが探偵だからってそんな言い方はないじゃないか。
「壊れて中身が確認すらできない状態で、ですがね。」
宮邊の言葉に岸先生の顔が強張った。
その辺りの情報は彼の手元にあるらしい。遺書がないと断定されたのもそれが原因だった。
「それは…」
「事実として、確認済みです。」
宮邊が低く言う。そんな宮邊に何かを言い返そうとして、岸先生は口をパクパクとさせてから分が悪いと覚ったのかその口を閉じた。
『いつだって大人は見て見ぬふり。』
ふいに耳元で横溝静の声がする。
彼女の言い分をまとめればこうだ。
彼女は誰かに殺された。
しかし、その誰かを彼女は見てはいない。
そしてそれを見て見ぬふりをしていた『大人』がいた。
なるほど、分からない。
*
彼女が落ちたとされる地上へ向かう階段は妙に薄暗かった。夕焼けに照らされているうえに、電気が消えているわけじゃない。
ただ、体感として『薄暗い』と感じた。
日曜の学校というのは不気味だ。
残業をしている教師はいるのだろうが、ほとんど音がしない建物は冷たく薄暗く感じる。
階段を下りるたび、妙な静けさと薄暗さが空気を重く感じさせる。
『痛い、なんで。』
断片的な声ではあったが、横溝静じゃないその声に私は眉を寄せた。不意に止まった私の歩みに松本がこちらを見る。
「先生?」
「ここ、過去にも何かありました?」
彼女が落下したという着地点に足を進める。上を見上げれば先ほどまでいた教室の窓が見えた。
『誰が私を殺したの?』
横溝静の声がまた響く。
その声に重なるように、別の声が耳の奥をかすめた。
『痛い。どうして、なんで。』
私は反射的に顔をしかめた。横溝静の声よりももっと古い物。
古いラジカセのテープのように、もっと擦り切れていて、摩耗して、ざらついた声。年月を経て、もはやその感情だけが残留している。
その声に私は確信をもって岸先生を見据えた。
「この場所、前にも事故か自殺がありましたね。」
岸先生の肩がびくりと跳ねた。どうやら彼はポーカーフェイスというものには向かないらしい。
私がじっと彼の目を見つめていれば彼は観念したようにため息を一つついて口を開いた。
「えぇ……十年ほど前に、女子生徒が階段から転落した事故はありました。」
「事故?」
「はい。最終下校時刻まで一人で残っていて、門が閉まる前にと慌てて足を滑らせた事故です。」
そういう岸先生の視線は定まることなく不安げに揺れている。宮邊が鼻で笑った。
「納得してねぇ顔だな。」
「いえ、決して…そういう訳では…」
岸先生は私の視線から逃げるように視線を逸らした。その視線に私は確信する。
この学校には前例があると。何かを見て見ぬふりをして、何かに口を閉ざし、曖昧に終わらせた前例が。
『私、だけじゃない?』
横溝静の声がした。
私は校舎を見上げた。赤く染まった窓が、まるで血のように見える。
「宮邊さん。」
「あぁ。」
私の声掛けに宮邊は面倒そうに頭を掻いたあと、小さくため息をついた。
「過去も洗い直せってんだろ。
お前がそう言う時はだいたい当たるんだよな。」
宮邊は『あぁいやだ、いやだ。』と肩をすくめて顔をしかめるが仕事で手を抜くことはしない。ため息一つで気持ちを切り替えたのか、手帳の新しいページを開いた。
「光栄です。」
「全く、これっぽちも、ミジンコほども褒めてねぇ。」
そんな軽口を叩きながらも、彼の目は真面目だった。刑事時代から変わらない。私を妄信的に信じている訳じゃない。それでも長年の経験から無視できない。
それが彼の私へのスタンスだった。
私はその距離感が嫌いではない。
盲信されるよりよほど健全だ。
*
翌日、宮邊は10年前の事件の調査のために警察署へ、私たちは横溝静のクラスメートへの聞き込みのために学校へ足を運んだ。
クラスメートへの聞き込みは予想通り難航した。
「別に普通でしたけど…。」
「いじめ?ないですよ。」
「あんなギャルっぽい子、虐められないでしょ。」
あらかじめ決められているかのような返答。 空気を乱さない息の合った受け答え。
一度警察が事情聴取しているのだ。そんなものしか出てこないことは百も承知だった。
私は彼らの言葉を聞きながら、その顔色やしぐさを見る。
『言ったら次は自分。』
『関わりたくない。』
『だって先生も無視してたし。』
言葉で隠そうが10年以上嘘をつく人間を見続けてきた私にとってそのしぐさや視線は雄弁だった。
生者は死者とは違う。保身、恐怖、虚勢、建前。幾重にも塗り固めて本心や真実を隠す。
だから私は、生きている人間が嫌いだった。
「先生。」
松本が小声で呼ぶ。
「一人、気になる子が。」
「あぁ、私も気になっていたんですよ。」
窓際の一番前の席に座る女子生徒。同級生に話しかけられても曖昧に笑うだけで、異端者であるはずのこちらを一度も見ようとしない。
岸先生から借りた生徒名簿に目を通してその名前を見つける。
『相上 千尋』
名前順に並べば十中八九先頭に立たされるだろう名前の彼女はただ静かに本を読んでいた。
私は彼女の席の前に空いている椅子を引っ張ってくると腰を下ろした。
「少し話せますか。」
びくり、と彼女の肩が揺れる。
「私、何も知りません。」
こちらが何かを聴くまでもなく、即答だった。
私はゆっくり相上を見る。彼女は俯いていた。だが、その手が震えている。
明らかに『何か』を知っている人間の反応だった。
「横溝静さんと仲が良かったね。」
こちらが何を知っていて何を知らないのか。それを隠すように断定して言えば、彼女は少し迷ったように視線をさまよわせる。
「別に、普通です。」
「普通ってことはないでしょう。
それじゃあ、最後に話したのは?」
「記憶にないです。」
嘘をつきたくはないが本当のことも言いたくないといったところだろう。
だが、それだけじゃない。彼女は怯えている、誰かに。
そしてあわよくば本当はその誰かを暴いてほしいと思っている。察してくれと言わんばかりの言葉選び。面倒なことだ。
思わず漏れたため息に松本が窘める様な目で私を見た。
「先生。」
松本が静かに口を開いた。
「少し休憩しませんか。」
私は彼女のこういうところに救われている。彼女は私のミスをカバーしてくれる。それだけで信頼できる人間だった。
「そうですね。」
私が立ち上がった瞬間だった。
ガタンと大きな音が教室に響き渡る。
そちらに視線を向ければ教室の後方で椅子が倒れていた。
誰もがその大きな音に振り返る。
誰も触っていないはずの椅子が、一つだけ床に転がっている。
教室が静まり返る。
岸先生が青ざめた顔をしたまま叱責するように声を上げる。
「誰だ?!今椅子を倒した奴は!?」
誰もが名乗り出ないしんと静まった教室。
そもそもその席のそばには誰もいなかったのは明白なことだった。
「誰がやった!?」
それでも、岸先生はそう叫ぶしかなかったのだろう。
私はゆっくりと倒れた椅子に近づいてその椅子を見る。
椅子の足にはテグスが絡まっていた。
これを引っ張れば、この教室にいる誰でも椅子を倒すことができただろう。
そしてその犯人はおそらく、何かを伝えたがっている。
私はテグスの件を伝えるべきか迷う松本をよそにそのテグスを回収した。
「この席の生徒は?」
「あ、えっと、加藤剛さんですね。」
私の行動に戸惑ったような視線を向けていた松本は私の問いに、慌てて名簿に目を落とすとそう言った。
その言葉が教室に響いた瞬間、教室の温度が下がったような気がした。
「彼は?」
岸先生が答えるより早く、クラスの誰かが呟いた。
「今日は休みです。」
教室全体が呼吸を忘れたかのような耳がうずくほどの静けさ。その静けさを背に私達は教室を出た。
*
加藤剛は、いわゆる問題児であった。
それでも、罪の名をつけるには決定打には欠ける。問題児であるだけでなく法の穴をすり抜ける賢さもある。そんな少年であった。
だから学校も警察も強くは出られない。
夕方、私たちは宮邊と合流し加藤の自宅へ向かった。
古い団地。共用廊下には煙草の臭いが染みついている。
インターホンを鳴らすと、しばらくして乱暴にドアが開いた。
「誰?何の用?」
何度ブリーチを繰り返したのか分からない傷んだ金髪、複数つけられたピアスやネックレスがぶつかって音を立てる。苛立ちを隠そうともしない目。
「横溝静さんについて聞きたい。」
その瞬間、彼はドアを閉めようとする。
すかさず宮邊はドアが閉まらないよう足を挟んだ。
そんな彼らをどういうアプローチで攻めていこうかと見ていれば耳元で声が聞こえる。
『違う。』
横溝静の声だ。
『きっと私を殺したのは、こいつじゃない。
だってこいつにそんな根性ないもん。』
その声に一瞬呼吸が止まる。教室の反応は明らかに彼が恐怖の中心だと示していた。 引く気のない宮邊に加藤は露骨に舌打ちしてドアを開けた。
「何?」
「いじめていたそうですね。」
「は?」
「複数証言があります。」
宮邊は平然と嘘をつく。大体あの場にいなかった彼には教室の空気だって知りえない。
加藤は鼻で笑った。
「からかっただけだろ。
たかが冗談で警察までくんのかよ。」
『嘘つき。』
横溝静の声はもう彼の事などどうでもいいと言うように呆れをはらんでいた。
やはり、いじめ自体はあったらしい。
『でも、こいつじゃない。
だって、こいつができるのはせいぜい法律に触れない程度のことだもの。』
彼をさげすむような横溝静の声。虐められながらもずっとそう思っていたのだろう。
そしてその態度が余計いじめを増長させた。
さて、しかしこれで振出しに戻ってしまった。
横溝静を殺したのは誰か。
「亡くなった日、最後に会ったのは?」
「知らねぇよ。興味もねぇ。」
「放課後、教室にいたそうですが。」
「居たら悪ぃのかよ。」
宮邊との問答の中、加藤の目が揺れた。
その時だった。ふいに部屋の奥から女の怒鳴り声が響く。
「うるさいんだけど!!」
酒焼けした声とガラスの割れる音。
加藤の表情が一瞬凍った。そして諦めたようにため息をつく。
ああ、と私は理解した。
この少年が壊れた理由、虐められてなお横溝静が彼を見下していた理由。
それらが今のたった一瞬に詰め込まれていた。
それでも、それは免罪符になりえない。
加藤は苛立ったように頭を掻いた。そして早急に知っていることを洗いざらい吐いてしまうのが得策だと計算したのだろう。
背後を気にしてから口を開いた。
「あの日、アイツは教師といた。」
空気が止まった。
「誰です?」
「知らねぇよ、俺は帰るところだったし。
どうせ俺の事、告げ口してんだろって気にもしてなかったから。」
告げ口されても証拠なんてねぇしという彼はこれで知ってることは全部話したというように肩をすくめる。
「もういいか?」
「えぇ、ご協力ありがとうございました。」
慇懃無礼に宮邊が彼にお辞儀しているのを横目に私は考える。
彼女と一緒にいたという教師は、誰だったのだろう。
『あぁ、岸先生。』
横溝静が今思い出したというように声を上げた。
帰路についた車の中で、宮邊はいらだったようにハンドルを指で叩きながら低く唸った。
「横溝静は岸先生に思い当たることがあるようです。」
「岸先生ねぇ。」
放課後にいじめを受けている生徒と二人きりという状況だけ見れば別に珍しくはない。
いじめに関しての聴取をしていたといわれてしまえばそれまでだ。
松本が助手席で資料をめくる。
「横溝さんは『いつだって大人は見て見ぬふり。』と言っていたんですよね。」
「えぇ。」
私は松本にそう答えながら窓の外を眺めた。夕日は落ちて空は紫に染まり、明かりを灯し始めた街並みが流れていく。
死者の言葉は断片的で、彼女たちが知りえないことは分からない。
岸先生と話をしていたという事実と、彼は彼女を殺していないという事実は共存しうる。
*
翌日私たちが再び学校を訪れれば、職員室は昨日より明らかに張り詰めていた。
どこの馬の骨とも知れぬ胡散臭い探偵と警察が再捜査を始めた。そんな噂は昨日のうちに学校中を駆け巡ったのだろう。岸先生は疲れ切った顔をしていた。
「あの日の放課後、横溝さんと接触した教師。岸先生あなたですね。」
宮邊が単刀直入に切り込む。
ひゅっと彼の喉から空気を飲む音が聞こえた。
「いえね、岸先生を疑っているわけじゃないんです。
その日は他に誰が残っていました?」
「部活指導や会議もありましたから、複数人いたと思います。」
「名簿を。」
宮邊の取り繕ったような言葉に岸先生は露骨に嫌そうな顔をしながら、あくまで言われたから渋々というように名簿を取り出して見せる。
「岸先生。」
「……はい。」
「あなた、何を隠しているんですか?」
横溝静の言葉が正しければ彼は何かを見たはずだ。そしてそれを今なお隠し続けている。私の言葉に職員室の空気が凍り、彼の顔色はみるみる青ざめる。
「わ、私は別に……」
「失礼、質問を変えましょう。」
私は机に置かれた職員名簿へ視線を落とした。
「横溝さんは、あなたと話をした後、もう一人誰かに相談していましたね。
いったい誰に何を相談していたのですか?」
岸先生はしばらく職員室の床を見つめ黙っていた。やがて観念したようにため息を一つこぼすと椅子へ腰を下ろす。
「養護教諭です。」
「保健室の先生?」
「はい、辻邨先生です。」
*
保健室は静かだった。
カーテンが半分閉められ、消毒液の匂いが漂っている。
辻邨充希、三十代半ばほどの女性教師だった。
柔らかそうな雰囲気に反して、その目の奥には濃い疲労が見える。
「横溝さんの件、ですよね。」
彼女は私たちを見るなりそう言った。
「相談を受けていたそうで。」
「……ええ。」
彼女は否定しなかった。
「いじめの相談を?」
「はい。」
宮邊が眉をひそめる。
「なぜ報告しなかった。」
「しました。」
辻邨先生は即答した。
「しましたよ。
何度も何度も。学年主任にも、教頭にも、校長にも。
だからこそ担任である岸先生との面談をしていたわけですし。」
念を押すように言う彼女の言葉には怒りも悲しみもなく、ただ淡々と報告書を読み上げているような声色だった。
言ってしまえば面談しかなされなかったというわけだ。その対応に彼女はもはや諦めていたのだろう。
横溝静の性格上そこまでいじめ自体は気にも留めていなかったのだろう。だからこそいじめの対応がおざなりにされていた。
「横溝さんは亡くなる当日もここへ?」
「いいえ、あの日は私が彼女の教室に行きました。
なんでも岸先生との面談がその前に入っているとのことで。」
『辻邨先生は私と話をしてすぐに教室を出た…はず。』
横溝静の声を信じるのであれば辻邨先生は加害者になりえない。だが、救えなかった側の人間だ。
「その後は?」
「軽く聴取をして保健室へ戻りました。」
「近くにどなたかいませんでしたか?」
辻邨先生は口を閉ざした。
*
一度駐車場に止めてある車に戻り、宮邊に話を聞く。
10年前に死んだ女子生徒の事件。
彼女の名前は、井崎幸子。
写真を見た瞬間、松本があっと小さく息を呑んだ。
「似てますね。横溝静と。」
松本が言うように彼女はどこか横溝静と似た雰囲気を持っていた。
校則で許される程度の派手な髪に、制服の着崩し方。そして強気な笑顔。
学校という集団の中で、良くも悪くも目立つタイプ。
「当時の結論は事故死。」
宮邊が茶封筒に入った資料を私に渡す。
「階段から転落でしたっけ。」
がさがさと私は資料を取り出しながら確認する。
「あぁ、目撃者はなし。
だが一つ引っかかることがある。
彼女の担任も岸だ。」
私はその宮邊の言葉に資料に向けていた顔を上げた。
岸先生、現在の三年A組担任。
十年前からこの学校にいた。
そして、二人の死者の担任だった。
それは偶然が必然か。
「一度その子の声も聴く必要がありますね。」
私たちは車から降りると10年前の事故現場である会談へと移動した。
『先生。』
耳元で古いざらついた声がした。
『なんで。』
私は反射的に目を閉じる。
断片的に流れ込んできた光景は夕闇に包まれた階段。日も落ちて、階段を照らすのは蛍光灯の光だけ。そんな中、泣いている女子生徒と若い岸がいた。
私は勢いよく目を開いた。
「岸先生は10年前の事故にも関わっていた?」
私の独り言に松本が眉をひそめる。
「それって、二人とも岸先生が殺して隠ぺいしたってことですか?」
「そうは言ってない。」
「でも話は聞きに行く必要があるな。」
私の言葉に宮邊がため息をついた。
*
落ち着きなく動く視線。乾いた唇を何度も舐めるしぐさ。
明らかに何かに追い詰められている人間の顔だ。
「岸先生。」
階段へと呼びだした岸先生が着くなり、宮邊が口を開く。
「十年前の井崎幸子さんを覚えてますね。」
その瞬間、岸さんの顔色が変わった。
「どうしてその名前を。」
「質問してるのはこちらです。」
宮邊が低く言う。
「彼女とも事故が起きた際、放課後二人きりだったそうで。」
「それは、相談を受けていただけです。
事故はその後のことで私は知りません。」
即答、用意された言い訳であることは明白だった。
私は彼を見つめた。
『信じてたのに。』
その声色に乗る感情は恋慕。
あぁ、そういう関係だったのだと察するには十分だった。
「関係をばらすとでも言われたのでしょう。
彼女と階段で揉み合いになった。」
「違う、あれは事故だった!」
岸先生は思わず言い返してからはっと気が付いたように口を抑える。顔は青ざめていて、それが答えだった。宮邊が低く言う。
「確かに、転落自体は事故かもしれねぇ。」
でも、その後隠ぺいしたな。」
岸先生はその宮邊の言葉に、観念したように力なく肩を落とした。
「怖かったんです。」
掠れた声だった。
「教師になったばかりで、全部終わると思った。」
『それでも痛かった。助けてほしかった。』
井崎幸子は落ちたあと、まだ生きていた。
だが岸は助けを呼ばずその場を立ち去った。
自分の人生を守るために。
その結果、事故として処理され、学校もそれを事実とした。
それが10年前の真実。
そして10年後、横溝静が現れた。
明るくて、強くて、空気を読まない少女。
かつて自分の目の前で死んだ井崎幸子に似た存在に岸は怯えた。
また壊される、と。
「横溝さんが亡くなった日。」
宮邊が言う。
「辻邨先生が去った後に教室に戻ったな。」
「はい。」
「何を話した。」
岸さんは顔を覆った。
「戻ったのはたまたまだったんです。
忘れ物を思い出して。」
その時に何かあったことは明白だった。
「それで?」
「冗談だったんです。
彼女は強かったからそういっても問題ないと思っていました。」
「何を言った?」
宮邊の追及に苦し気に眉を寄せながら、それでも岸先生は正直に答えていた。しかしその質問に一瞬、言葉を詰まらせた。
「横溝にも原因があるんじゃないか、と。」
松本が眉をひそめ、私はため息をついた。
この狭い箱庭のような学校という閉鎖空間で子供が信じられるのは大人しかいないというのに。
「横溝さんは怒った?」
「ええ。」
岸先生は俯いたまま言う。
「先生も結局見て見ぬふりなんだと。」
その言葉は岸先生の過去の傷を抉った。
10年前自分が明確に見捨てた少女、井崎幸子。
「それで?」
「彼女は自分で何とかすると、スマホを見せてきたんです。」
岸さんの声が掠れる。
空気が止まる。
「証拠動画を撮っていたんです。
それが流出すれば大事になる。だから私は…。」
加藤たちのいじめ動画。学校側が握り潰そうとしていたもの。
「私は消そうとして……。」
『そうだ、思い出した。』
夕日に照らされた教室で揉み合う二人の映像が流れ込む。
岸先生が取り上げたスマホを横溝静が取り返そうとして、不意にスマホは窓の外へ飛んだ。
横溝静が反射的に身を乗り出す。
その瞬間、岸が彼女の腕を掴もうとしてその手をすり抜けた。
落下、どちらも声を上げる間などなかった。
「事故、だったんですね。」
私は岸先生を見つめると確認するようにその言葉を吐き出した。
岸先生は泣き出し、膝から崩れ落ちた。
「助けようとしたんです!
でも、じゃあ、どうすればよかったっていうんですか!」
その言葉に嘘はない。
だが、あまりに稚拙で無責任なその言葉に宮邊がいらだつのがわかった。
そう、問題はそこじゃない。
「アンタは十年前から、何も変わってない。」
宮邊の言葉に岸先生がはじかれたように顔を上げる。
「生徒より自分の地位が大切だったんだろ。」
岸さんの表情が崩れた。
「違…」
「井崎幸子を見捨て。」
憔悴したような岸先生の言葉をさえぎって宮邊は続ける。
「そして今度は横溝静を追い詰めた。」
岸先生は嗚咽混じりの震える声を絞り出す。
「私は…教師に向いてなかった。」
その後、学校は大きく報道された。
十年前の事故隠ぺいや教師と生徒の不適切な関係。
そして今回のいじめの隠ぺい。
岸先生は保護責任者遺棄致死と証拠隠滅で逮捕。
教頭を含む当時の学校関係者も処分された。
だがどれだけ裁かれても、死んだ人間は戻らない。
*
依頼から1週間後、横溝夫妻へ結果を報告した。母親は静かに泣き、父親は最後まで拳を握り締めていた。
それでも、夫妻は真実を知ったことで少し、安堵したようであった。
「……あの子は。」
母親が掠れた声で言う。
「苦しかったでしょうか。」
私は少し迷いながら口を開く。
死者の言葉すべてなど知る必要なんかない。それでも、私にその線引きをする権利などあるのだろうか。
結局私は、小さく笑った。
「怒ってましたよ。」
「え……?」
「許さないって。」
夫婦が目を見開く。
「でも思い出したみたいです。」
私は横溝静の写真を見る。
ギャルピースをした、明るい笑顔。
「誰か決定的な殺人犯がいたわけでもなく、事故だったと。」
母親が嗚咽を漏らした。私は静かに頭を下げる。
夫妻が事務所を出る頃には、外はもう夕暮れだった。
松本がコーヒーを差し出してくる。
「お疲れ様です。」
「あぁ、疲れた。」
暖かいコーヒーがじんわりと私の心まで温めていく。自殺だと思っていた彼らにとって事故だったという結論はどんなに飲み込みにくい事実だろう。
恨みを、憎しみを、ぶつける相手がいたほうがまだ救われたかもしれない。そう慮って知らず知らずのうちに緊張していたらしい。
「……先生。」
「なんですか?」
松本が少し迷ってから口を開いた。
「まだ人間は嫌いですか。」
私は思わず笑った。
「嫌いですねぇ。
生きている者は噓ですべてを覆い隠すので。」
「即答。」
私がコーヒーを啜りながら即答すると松本は呆れたように小さく肩をすくめた。
「先生だって嘘つきですしね。」
私は面倒だという感情を隠しもせずに彼女を見る。
「ご遺族に。
本当はもっと色々聞こえてたでしょう。」
図星を刺されて私は目を逸らす。
「正しいだけが人を救うわけじゃないでしょう?
優しいんですよ、私は。」
肩をすくめて言った私の言葉に松本は吹き出した。
「自分で言います?」
事務所の窓から夕日が差し込む。赤い光の中、不意に声がした気がした。
『遺影だけにイエイってね。』
10年前に死してなお、そんなくだらない事を後悔していた友人の声。
「何です?」
「いえ、すべての死者がくだらない後悔の裡に死ねればいいのにと思いまして。」
『そんな人間の事、嫌いじゃないんでしょう?』
それは10年前に死んだはずの友人の声か、私の心の声か。
あぁ、そうだ。生者はどうしようもなく馬鹿で、面倒で、嘘つきで。それでも、少しくらいは嫌いじゃないのかもしれない。
お気づきになられた方もおられるでしょうが、作者は名前を考えるのが苦手で…。
すべてミステリ作家のもじりとさせていただいております。
誤字脱字のご報告大歓迎です。
この度はわたくしの初投稿作をお読みくださいまして本当にありがとうございました。




