第二話 二度目の誘いは泡雪に消える夢
殿下と次々に踊る令嬢が、もし自分だったなら……。
舞踏のたびに、何度そう願っただろう。
結局、最後まで一人として目を逸らせず、全ての令嬢と殿下の舞踏を追い続けてしまった。
踊る前はあれほど心臓が張り裂けそうで、順番を待つ時間が永遠に感じられたのに。
いざ終わりが近づいてくると、こんなにも名残惜しくなるなんて。
すべての令嬢との舞踏が終わり、陛下が殿下をお側に呼び、何やら言葉を交わしている。
三十人以上と踊られたのだから、さすがにお疲れなのだろうか……殿下がふと深く息を吐かれたように見えた。
その瞬間、会場の空気がわずかに緩む。
けれど殿下の周囲には、付かず離れず群れる令嬢たちの姿。
距離を詰めることはせずとも、目線や仕草で「もう一度」を訴えているのが分かる。
まるで見えない網に絡め取られた獲物を狙うかのように、殿下を取り囲んでいた。
本当は……わたくしもあの中に飛び込みたかった。
けれど、そんな勇気は持てない。
望むことすら烏滸がましいと分かっていて、ただ遠くからその姿を眺めるしかなかった。
終曲が鳴り終わったと思った矢先、再び音楽が流れ出す。
会場がざわめきに包まれる。
殿下が陛下の元から一歩進み出て、ゆっくりと会場を見渡される。
群がる令嬢の視線を受け止めることなく、次々と軽く手で制し、進む。
そのまっすぐな足取りは迷いがなく、ただ一人を目指しているように見えた。
……そして、気づけば殿下はアンナの前に立っていた。
「まさか…」
喉の奥で声にならない言葉がこぼれる。
会場の空気が一斉に揺らぎ、どよめきが広がる。
遠くで姉たちの甲高い声が聞こえた気もした。
けれど、耳に届くのは自分の鼓動だけ。
二度目の舞踏に誘われるなど、夢にも思っていなかった。
たくさんの豪華なドレスに身を包んだ令嬢がいる中で、選ばれたのは……わたくし。
本当に自分が物語の主人公になったかのように思え、足元が浮いていく。
震える手で裾を摘み、亡き母に教わった通り深く膝を折る。
これが夢でないなら、どうか醒めないで。
二度目の舞踏に誘われたのは、アンナだけ。
周囲の視線を痛いほどに浴びながらも、殿下の差し伸べる手を取る。
その瞬間、胸が詰まるほどの幸福に包まれた。
……けれど。
踊り始めてすぐに、一度目の舞踏の時に感じた違和感が甦る。
……気のせいかしら……いえ、絶対に気のせいではない。
殿下と視線が一度も絡まないのだ。
ただ淡々とステップを刻みながら、どこか遠くを見ておられる。
殿下の眼差しは、探すように、求めるように、熱を帯びていた。
その熱が自分に向けられていないことなど、痛いほど分かる。
でも、わたくしはこの視線をよく知っているわ……その意味も。
だって……きっと今のわたくしが殿下を見つめる視線が同じなんですもの。
少し遠くを見る、殿下が見つめる先、誰がいるのか……殿下の視線を辿った先……
そこには、婚約者と舞う公爵令嬢の姿があった。
王族に次ぐ高位の家柄。この場にいる令嬢の誰よりも美しく、気高い佇まい。
最初に彼女を見たとき「絶対に勝ち目などない」と感じた、アンナのその直感は正しかった。
時折、殿下の手に力が籠る。
……殿下が彼女に心を寄せているのは明らか。
あぁ、きっと彼女とわたくしを……いえ、この場にいる全ての令嬢が彼女の代替品に成り得るか見られていたんだ。
最初は殿下もお気持ちを隠せていたのかもしれない。
けれど、隠せないほど殿下は婚約者のいる公爵令嬢のことを……
これだけの数の令嬢を集めても、殿下の視線を奪うことも、一時のダンスを彼女の代わりに踊ることですら、誰一人として務めることはできなかったということなんだろう。
でも……二度も踊っていただけたのだから、わたくしのことを少しは気に入ったのではないのかしら……
殿下のその熱い視線を頂けなくても構わない。
わたくしを彼女の代わりと思っていただいても。
公爵令嬢を想いながらでも絶対に文句など言わない。
殿下のお傍にいられるなら、それで構わないと思ってしまった。
そんな思いも過るけれど、あまりにも美しく優雅に踊る公爵令嬢のお姿を見て、殿下が目を奪われるのも当然。
舞台の上でひときわ輝く公爵令嬢の姿を見た瞬間、悟ってしまう。
誰も、あの方の代わりになどなれない。
この場にいる令嬢で代わりが務まる程度の女性なら、殿下もとっくにどこかの令嬢か、隣国の王女で妥協されていたはずだ。
殿下が十九歳になっても婚約者を持たれなかった理由……その全てが、彼女に向けられた深い想いの証だったのだ。
最後まで、殿下とアンナの視線が交わることはないまま、五分間の舞踏が終わり、殿下の大きな手が静かに離れていく。
それでも一瞬、強く握られた温もりだけは、この胸に焼き付けられていた。
二度もお相手いただいたのだから、わたくしは特別なのだと思ってしまった。
けれど、踊り終えた殿下の口から零れた言葉は……
「ご一緒いただき感謝します。この後も楽しんで」
最初の舞踏の後に頂いたお言葉と、一言一句変わることなく殿下の口から零れ落ちる。
その瞬間、アンナの胸の奥で小さく砕ける音がした。
「……はい。あ、ありがとうございます……」
なんという、優しくて残酷なお言葉。
それでも……最後に聞ける殿下の声なら、何度でも心に響かせたいと思ってしまう。
生涯、愛されなくても構わない。
部屋も、肩書きも要らない。
殿下が望むなら声も発しない、殿下が必要な時だけ呼んでお傍に置いてもらえたら……
きっと、殿下のご要望全てに応えて見せるし、どんな酷い仕打ちでも受け入れられる。
決して殿下と彼女の邪魔なんてしない。割り込めるなんて思いあがらないので……
殿下……どうか……どうか……
あぁ、きっとこんな考えだから、殿下はわたくしを二度目のダンスにお誘いしたんだわ。
そう自分に納得した時、一縷の望みも持つなと、殿下から死刑宣告を受けたような気すらした。
だって、殿下の視線の先に立つ、公爵令嬢の美しいこと。凛とした佇まい。
私たち全ての侯爵令嬢が殿下に向ける、欲しがるような視線とは全く違う。
真っ直ぐな気高く美しい瞳に、格の違いを突き付けられてしまう。
誰一人として、束になっても彼女に太刀打ちなんてできるわけがないんだわ。
夢は、二度も見られた。
けれどそれは、殿下にとっては誰とでも同じ形式に過ぎなかった。
二度ダンスを踊っていただけたのは、他の令嬢のように騒がしくなかったから。
もしくは、単にわたくしのことをおぼえておらず、一度目だと勘違いされた。
きっとその程度のこと。
……アンナだけではない。
殿下は最初から、この場にいる令嬢を誰一人として気にも留めていない。ただ一人を除いて。
生まれて初めて殿下の視界に入り。ほんの二回、ダンスを踊っただけ。たった数時間の出来事。
奇跡のような夢を見せて頂いたと思った直後に地獄に突き落とされるなんて。
アンナは夢が泡雪のように消えていく音を、確かに胸の奥で聞いた気がした。
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