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第6話 俺のこと嫌いにならないよね?

 突然すぎる柳さんの言葉に、俺はそのまま凍りつきボーッと彼女を見上げた。まさかこんなふうにみんなの前で頼んでくるとは思いもよらなかった。

 そしてそれは俺だけじゃなかった。柳さんの約束の相手が俺という事実にクラスの皆が驚いた表情で俺をじっと見つめていた。

 彼らが驚くのも無理はない。だって当事者である俺も柳さんと約束があるって今気づいたから。


「何ボーッとしているの。早く行こよ」


 柳さんは皆の前で、俺の手を取って立ち上がらせた。そうしてそのまま教室の外へ連れて行った。突然のことで俺は頭が真っ白になって何の抵抗もできず、彼女に手を引っ張られた。

 柳さんに手を取られ廊下を歩いていると、皆が見つめているのが感じられた。なんで柳さんがあんなヤツの手を取って歩いているのか、呑み込めない視線。嫉妬の視線などそれぞれの漢書が入り混じった視線が、俺に向けられていた。

 俺は彼らの視線を避けるため、俯いて廊下を歩いた。


「着いたよ」


 耳元で響く柳さんの声に、ゆっくりと顔を上げて教室の中を見渡した。机が隅に寄せられているし、黒板の前にあるピアノ。やっぱり音楽室だった。


「では今日からよろしくお願いします」

「よろしくって何を? まさか昨日のあれじゃないよね?」

「もちろんあれです」


 柳さんはなぜそんな当たり前なことを聞くのかと言わんばかりに答えた。


「で、でも俺誰かを教えられるほどの腕じゃないんだと、昨日」

「いや、泉くんなら十分できる。だから私がこの曲を弾けるように教えてくれよ」


 柳さんが楽譜を突き出しながら言った。楽譜には亜麻色の髪の乙女と書かれていた。


 本人が教えられるほどの腕じゃないと言ってるのに、なんでお前が十分だと言い切ってんだ、と怒鳴りたかった。しかしそんな俺の気持ちを知ってるのか知らないのか、柳さんはニコニコ笑っていた。


「じゃあ早く始めよう」


 柳さんは小走りでピアノの方へ向かった。そして楽しげに楽譜を画面台に置いて椅子に座った。


「泉くん何してんの。早くこっちきて」


 柳さんは自分の隣をパンパン叩いた。俺はそんな彼女をじっと見つめながら静かに口を開いた。


「あの柳さん、俺は誰かを教えたことがない。だから俺に下手に習うより専門的な人に行くほうがいいと思う」


 正直自信なかった。誰かを教えたこともない俺が、誰かを教えてもいいか。俺に教わって悪くなるのではないか、不安で気軽に彼女のお願いを聞いてくれないのだ。


「でも私が知ってる中でピアノに一番詳しいのは泉くんだよ」

「いや、俺はそれほど詳しくはないよ。あと最近はユーチューブで簡単に習えるから」

「あの泉くん」

「う、うん」

「今の私がユーチューブで習った結果だよ」

「・・・・・・」


 柳さんの襲撃的な告白に俺は言葉を失った。


 ユーチューブで習った結果あれだと? 一体何の動画を観たんだ。


「ああ、ユーチューブだけじゃ何言ってんのかわからないんだよね。楽譜を読めるようになるまで四ヶ月かかったわ。しかもフォルテとかピアノサマ? なんだっけ」

「ピアノシモ?」

「そう、それ。とにかくユーチューブで習うのは私に向いてない。誰かが直接そばで教えてくれるのが何より一番だわ」


 柳さんは親指を立てながらそう言った。

 確かに素人にはユーチューブよりあれがいい。


「だから泉くん、私にピアノを教えてくれ」

「でも俺は」

「専門的じゃなくてもいいから、この曲だけは弾けるようになるように教えてください」


 柳さんが頭を下げて頼んだ。


 専門的である必要はない、か


 あの曲だけ弾けるようになるのが目標なら俺が教えてくれてもいいかも知れない。ただあの曲の楽譜に従って指が動くように体に叩き込めばいいから。


 ふーむ、でも・・・


 ちょっと気になるものがあった。


「あの柳さん」


 俺が名前を呼ぶと、柳さんは顔を上げて俺を見つめた。


「どうしてそんなにあの曲を弾きたがるの」


 柳さんがなぜこの曲にこだわるのか気になった。


「そりゃ・・・」


 急に柳さんが楽譜を持って椅子から立ち上がった。そして俺にツカツカと歩いてきた。


「これ見て、これ」


 柳さんは楽譜を突き出しタイトルのところを指さした。そこには前にも見た亜麻色の髪の乙女と書かれていた。


「この曲完全に私の曲じゃん!」

「えっ」

「ほら、タイトルも亜麻色の髪の乙女。これ完全に私のこと言ってるじゃん」


 確かに、それはそうだ。タイトルの亜麻色の髪の乙女は亜麻色髪の柳さんを連想させた


「初めてこの曲を聴いたとき、感じたわ。この曲、私の曲だって」

「・・・そんな理由でこの曲が弾きたいわけなの?」

「そうだけど、そうじゃダメ?」

「いや、ダメなわけではないけど」


 まさかこの曲のタイトルが自分のことを示すっぽいから、だなんて。他に大した理由でもあると思ったのに・・・。


「それでレッスンはいつ始まるの?」

「レッスン? 俺まだやるって言ってないけど」

「はあぁ!? じゃあさっきのあれなんだったんだ。絶対に弟子入りの前の流れだったじゃん!」

「いや、ただ気になって聞いただけなんだけど」

「そんなぁ・・・」


 柳さんは絶望したように座り込んだ。


「ひどい・・・私を騙したのね」

「いや、騙したわけじゃないよ」


 そもそも教えるって言った覚えもないし。


「ねぇ〜本当に教えてくれないの?」

「それは・・・」


 柳さんが昨日のあの眼差しで攻撃してきた。マジ反則だ。あんな表情で頼んでくると断りづらくなるんだから。


「命の恩人のお願いだよ。本当に聞いてくれないの?」


 命の恩人、か


 確かに俺はそこで死ぬつもりだったが、とにかく死にかけの状況で助けてもらったから、命の恩人ではあるが。


「ねぇ、恩返しと思って」


 恩返し・・・。 嫌でも命を助けてもらったから、人間であれば恩返しはしないといけないもんか。


 ふーむ、どうしようか


 恩返しとして教えるのはいいかも。学校の後、家に帰っても特にやることもないし・・・あ、店の手伝いがあった。でもそれも母さんに前もって言っておくと、問題にならないかも・・・。

 いや、そんなことより果たして俺がちゃんと教えてあげられるかな。正直に自信ない、怖い。もし俺が教えても全然進展がなかったら・・・。


 やっぱり断ろう。柳さんには悪いけど、仕方ない。


「柳さん、俺はやっぱ・・・・・」


 断ろうとした瞬間、柳さんのうるうるとした瞳と目が合ってしまった。俺は言おうとしたことも忘れたまま、彼女をじっと見つめた。そして改めて口を開いた。


「あの柳さん、もし全然上手くならなくても、俺のこと嫌いにならないよね?」


 俺は俯いたまま柳さんの答えを待った。


「そりゃ・・・当たり前でしょ!」

「えっ」


 柳さんの答えに、俺は顔を上げて彼女を見つめた。


「そもそも泉くんに教わるのに、上手くならないわけないでしょ。あともし私に才能がなくて全然ダメでも、泉くんのこと嫌いにはならないから、そんな心配しないで」


 柳さんはいつもの笑顔を浮かべた。俺はその明るい笑顔を見ながら、思わず答えてしまった。


「わかった。じゃあ教えてやるよ」

「ホント!? やったぁ!」


 俺の答えに、柳さんは飛び上がって喜んだ。


 こうしてこれから俺は放課後に、柳さんにピアノを教えることになった。


「じゃあ早く始めよう。今日は何を」

「あ、今日はダメ」

「はあ!? どうして」

「今日は店の手伝いがあるから。レッスンは明日からやろ」

「そっか・・・、仕方ないね。わかった」


 柳さんは少し残念そうだったが、それでも納得してくれた。


「あ、もう行かないと。じゃあまた明日」

「うん。明日、楽しみにしてるね」


 音楽室を出ていく俺に向かって、柳さんは手を振ってくれた。ドアを閉めるとき、隙間から見えた柳さんの顔は、今まで見た中で一番明るかった。

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