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第3話 俺は逃げた

 曲名を耳にした瞬間、俺は言葉を失い呆然と彼女を見つめた。


「あれ泉くん、どうしたの」


 柳さんが目の前で手を振った。俺はその手をボーッと見ながら口を開いた。


「柳さん、さっきの曲本当に亜麻色の髪の少女だと?」

「そうだけど?」

「一体どこが?」

「ん? 今なんだと」

「いや、なんでもないよ」


 頭の中で言ったつもりの言葉が思わず口に出てしまった。幸い柳さんには聞こえなかったようだ。


「もしかして泉くん、この曲知ってんの?」

「まあ一応知ってるけど」

「ホント?」


 柳さんが驚いて口を押さえた。

 この曲を知ってるのがそんなに驚くことか。


「私この曲を知ってる人初めて見た!」

「そう?」


 まあそんなに有名な曲ではないから。しかもクラシックだし、知らない人が多いのも当たり前だ。


「じゃあ泉くんはこれ弾けるの?」

「多分弾けると思う」

「そっか、やっぱ無理・・・うん? 今なんだと?」


 柳さんが目を見開きながら聞き返した。圧を感じるほどキラキラする彼女の眼差しから、目を逸らした。


「泉くん、ピアノ弾けたんだ。全然知らなかった」

「昔ちょっどだけ」

「へぇ、すごい。弾いてくれよ」

「それはちょっと」

「そんなこと言わずに、ほらほら」


 柳さんが俺の手を取って無理矢理にピアノの方へ引っ張っていった。いきなり女の子に手を取られて戸惑った俺は抗うこともできず、ピアノの前に座ることになってしまった。


「はい、ここ楽譜だわ」


 柳さんが譜面台に楽譜を置いた。


「いやっ柳さん、俺は」

「私生で聴くの初めてだよ。めっちゃ楽しみ」


 柳さんが期待に満ちた眼差しを送ってきた。


 この流れじゃ弾くしかないか。


 こんなに期待しているのに、「弾きたくない」と断るのはちょっとひどいと思った。それで仕方なく弾こうと思うが。


「柳さん本当にここに座るつもりか」

「そうだけど、ダメ?」

「いや、ダメなわけではないけど・・・」


 距離が近すぎる。ただでさえ小さいのに、こんなにくっついて座ると肩が触れそう。いや、実はそう思っている今もちょっとずつ肩が触れ合っている。その度、俺はビクッとするが、柳さんは全然気にしてなさそう。


「ではよろしくお願いします」

「柳さん、やっぱ椅子を持ってくる方が」

「やだ、面倒臭いもん」


 柳さんの言葉に、俺は深いため息をついた。


「なんでため息を・・・まさか私がここにいるとピアノを弾けないの?」

「いや、そういうわけではないけど」

「じゃあ問題ないじゃん。早く弾いてくれよ」

「・・・・・・わかった」


 結局俺は断念しピアノの方へ目を向けた。

 白鍵と黒鍵が規則的なパターンで並んでいる鍵盤が目に入った。


 ピアノ、か。


 昔から特別な人になり世界に名を残すのが夢だった。そうなるためには一つの分野で最高になって有名になる必要があると思った。そこで俺が選んだのが、ピアノだった。ベートーベンやモーツァルトみたいに世界に名を残したかった。


 幸運にも母さんがピアノをやってたので、幼い頃から習うことができたし、弾くのが楽しかった。そして才能もあって頑張れば夢を叶えるのも無理はないと思った。


 しかしそれは俺の大勘違いだった。


 中三の夏。音楽科のある高校に入るため、初めて規模の大きいコンクールに参加したことがあった。その日はコンディションも良かったし、睡眠時間を削ってまで精いっぱい準備したおかげで、俺ができる最高の演奏を披露することができた。


『これ絶対楽勝だろ』


 俺の演奏にかなり自信あった。金賞は俺のものに決まっていた。


 しかし、それは俺の妄想だった。


 コンクールの最後の出番。一人の少女がステージに上がって演奏を初める瞬間、直感的にわかった。


 このコンクールの金賞はあの子のもの、と。


 拍子、音の大きさと長さ。同年代の演奏とは思えなかった。楽譜の指示から寸分の狂いもない正確な演奏。それはもはやプロと言っても遜色がなかった。


 あれが本物の才能・・・


 初めて壁を感じた。自分に才能があると思ったのが恥ずかしくなった。本物の天才の前で、俺はただの凡人に過ぎない。俺が何度生まれ変わってもあの子に勝つのはできない。


 そうしてコンクールの金賞は案の定、あの少女が取った。俺は銀賞だった。

 銀賞だけでも俺が志望した学校には行けたが、俺は行かなかった。

 これからピアノで特別な人になるためには、あの子を超えないといけないが、それは一生懸命頑張っても不可能なことだと知っていたから。俺はどんなに努力しても、あの少女の才能には敵わない。俺みたいな凡人が才能に溢れるやつに勝つなんて、漫画の中だけの話だ。その後、俺はピアノを辞めた。正確にはピアノから逃げた。


 どうしてもあの子には勝てない。そう思うと全てが虚しく感じた。今までの努力、ピアノに費やした時間、どれもこれも全部無駄だった。今まで頑張ってきた俺がバカみたい。

 そんな虚無感にもがきながら日々を過ごしているうちに、死にたくなった。生きることは全然楽しくない。生きることに意味を見出せない。ただ早く死にたい。

 だがそんな俺の願いは叶うことなく、今ここまで俺を引きずってきた。


 俺は規則的なパターンの白鍵と黒鍵を見つめながら小さく呟いた。


「そういやピアノ懐かしいね」


 ピアノをやめてから一度も弾いていなかったから、ほぼ一年ぶりだった。


 ちゃんと弾けるかな。


 正直自信ない。ミスを連発しそう。


 でも昔練習してた曲だから。


 なんとかなるだろう、と思いながら俺は鍵盤に手を置いた。そして深く息を吐いて鍵盤を弾き始めた。

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