第19話 こんにちは柳さん
「寝たい」
俺はケーキをオーブンに入れながら深いため息を吐いた。
「そういえば明日からはまたレッスンだね」
もう休んでから一週間が経った。明日になったら父さんが仕事に戻ってレッスンを再開できる。
「早く明日にならないかな」
「おい、弟、何考えてんだ」
隅っこの椅子に座った姉さんが言った。
「さっきから手が見えるんだよ。もっと早く動けないのか」
「そんなこと言うなら、手伝ってから言って」
「この姉さんはお前が学校にいる午前中、休まず働いたじゃない。あとやっと子守りから解放されたから、私の休みを邪魔するな」
「はいはい」
これ以上相手しても、得がない。だから適当に相槌を打って早く会話を終わらせるのが一番だ。
俺は姉さんから背を向けて立った。そして次のケーキを作り始めた。
「暇だね。おい弟、お前最近面白かったことないか。あったら話してみな」
「ないよ」
「はあ、ちょっとくらい考えるふりをして答えなさい。高校も行ったから面白いこと一つくらいはあるだろ」
「ないってば。あと作ってる中から邪魔するな」
「作りながら話せるじゃん。この姉さんのためになんか話してくれ」
あ、あれ俺がなんか話す前までしつこく話しかけて来そう。こういう時は適当に相手するのが手っ取り早いだが。
マジで面白いことないが
学校ではいつもひとりぼっちだし、誰に話せるほど面白い話がなかった。
「周、早く。私、退屈だ」
退屈なら手伝ってぇ!、と喉に突っかかったが、やっと飲み込んだ。ここで怒ってもあのイカれた人は気にしないに違いなかった。
「なんかあるんでしょ。青春だから恋とか、女の子と遊んだり、そういうのあるだろ」
「だからな・・・いって」
「ほお、その反応。あるんだな」
姉さんが目を輝かせた。
あ、終わった。
「なになに。このお姉さんに話してみて。姉さん恋愛専門家なんだから」
「いやだ」
「おい、話せって」
姉さんが指をポキポキ鳴らした。その音を聞いた瞬間、過去姉さんに殴られた記憶が脳裏をかすめ、背筋が寒くなった。
「久々に教育を受けたいのか」
「わかった、話す。話すからとりあえず座って」
俺は必死に姉さんを落ち着かせた。幸い、姉さんは落ち着いて椅子に座った。
「じゃあ早く話してみな」
姉さんは足を組んで上から目線で俺を見た。
家族には話したくなかったが、どうせあの人は明日からまたしばらく会わない人だから別にいいだろう。
俺は泡立て器を置いて口を開いた。
「実は最近毎日放課後に、クラスメイトにピアノを教えてる」
「はあ?! お前ピアノを? プッ、プハハハハ」
「笑うな。俺も誰かを教える腕じゃないことくらい知ってるから」
「あ、マジウケるな。それでそれで」
姉さんは笑いすぎて涙まで出た。
「あのクラスメイトって女の子なの?」
「うん」
「マジか。じゃその子がお前の好きな子?」
「そんなわけないだろ!」
「おお、強い否定。それってすなわち肯定って意味なんだけどね」
「お前ガチでイカれてんた?」
「は? おまえ? お前、今、姉さんにお前って言った?!」
「い、いや。姉さんって言ったよ」
「お前、今回だけ許してやるから、気をつけな」
「・・・わかった」
あの人はなんで変わらないんだろう。子も産んだし、母さんになったからちょっとくらい変わってよ。
「それで放課後あの子にピアノを教えてやるんだって?」
「うん」
「まさか二人っきりで?」
「・・・・・・うん」
「マジでえ!?」
姉さんいい獲物を見つかた目を輝かせた。
「正直に言ってよ。あの子とどういう関係なんだ」
「ただの友たち」
「ただの友たちの間なのに、放課後二人っきりで会うだと? しかも毎日? そんなのただの友たちの間に・・・ありか。うん、十分ありかも」
あの人本当に正気なのか。一人で言って一人で頷くなんて。絶対イカれてるだろ。怖い・・・。
「それであの子は可愛いんか」
「知らない」
「その反応、可愛いんだな」
あんなふうに好き勝手に解釈するのなら、聞くな! もちろん可愛いんだけど。
「あの子、いつ紹介してくれるの?」
「は? なんで姉さんに紹介しないといけないんだ」
「別にいいじゃん。私も可愛い子に会いたい。紹介してくれよ」
「何っつってんだよ。姉さんは子守りして」
「お前、なんとひどいことを」
姐さんが急に立ち上がった。
「可愛い弟がずいぶん大きくなったね。姉さんにあんなひどいことを言いやがって」
姉さんが指をポキポキと鳴った。
「この姉さんが久しぶりに礼節を注入してやらないと」
姉さんが一歩ずつ近寄ってくる。
あ、これはやばい。過去のptsdが・・・。
恐怖に体が固まってしまった。やがて姉さんがすぐ前まで近寄り目をぎゅっとつぶった瞬間、
「周、ちょっとこっちきてくれる?」
救いの声が聞こえてきた。母さんだった。母さんがドアから顔を出していた。
「外に運びたいものがあるけど、ちょっと重くて」
「わかった。今すぐ行く!」
俺は姉さんから逃げて、母さんのもとへ走っていった。姉さんの視線で後頭部がズキズキしたが、必死に無視しながら外へ出た。
「これを運ぶの?」
「そう、頼む」
俺は母さんが示した箱を持って外へ運んだ。
「うう、もう結構寒いね」
もう冬だし、寒くなるのも当然だが、だとしても寒すぎる。俺は素早く箱を下ろし、店に戻った。
「うう、寒っ」
「お疲れ」
「おい弟、早くこっちきてこれ取って」
厨房で姉さんが泡立て器を振りながら言った。俺はため息を吐いた。
「わかった」
そうして厨房に戻ろうとした瞬間、
「泉くんはさ、すごく優しくて責任感強い人なんだよ。ゆきが好き勝手なことを言うような人じゃないんだよ!」
すごく聞き慣れた声が耳に入ってきた。俺は無意識的に顔を向けた。
「次また私の前で泉くんの悪口を言ったら、いくらゆきでも絶交だから。わかった?」
そこには亜麻色の髪の少女が座っていた。後ろ姿しか見えなかったが、それでもあの少女が誰なのかわかった。
「柳さん?」
柳さんがなぜここに・・・。
と思った瞬間、柳さんの向かい合わせに座ったボブヘアの少女と目が合った。柳さんの友達である小川さんだった。
小川さんは驚いた顔で俺を指さした。すると柳さんが振り向いた。
「なんでそんなに驚く・・・ええっ!!? なんで・・・なんで・・・」
「その・・・こんにちは柳さん」
親の店で思いがけない出会い。俺は柳さんに初めて先に挨拶した。
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