第14話 その女と結婚しろ
「柳さん、大丈夫だろうか」
今日の柳さん、ちょっとおかしいかった。
普段の柳さんだったら教室に忘れ物しても「明日またくるから、まあいいか」と取りに行かなかったはずだ。仮に取りに行ったとしても高確率で俺を無理やり連れて行ったはずだ。
「やっぱ俺が余計なことを言っちゃったから、怒ったのか」
どう考えても柳さんがそうなったのは、俺は原因だ。柳さんを慰めたくて言ったが、むしろそのあと柳さんの調子がなんか変だった
「せめてそのとき柳さんがどんな顔をしてたのか見えたならこんなに悩まなくても済んだのに」
俺は深くため息をついた。
「周」
俺のため息を聞いたのか、隅っこに座っていた父さんが声をかけた。
「ブツブツ言うのはそこまでにして、床でも掃いてろ。さっさと済ませて帰ろ」
「わかったよ」
父さんの小言に俺は尖り声で言い返した。俺は隅っこの箒を手に持って厨房の床を掃き始めた。
「柳さん・・・」
掃いている途中にも頭から柳さんのことが離れなかった。
「明日謝るほうが」
「柳さんって誰だ」
いきなり背中から父さんが聞いてきた。
まさか、俺の声が聞こえたのか
「友達か。それともまさかかの」
「ち、違うよっ! ただの友達だから、ただの友達!」
「そこまで強く否定すると、かえって怪しいな」
父さんは
俺らしくなく、つい強く反応してしまった。普段なら「違う」と短く返すけど、彼女と言われた瞬間、「本当に付き合っちゃう?」と言ってた柳さんの顔が思い浮かんだからだ。
「とにかく、その柳さんって子は誰? なんでさっきからずっとあの子の名前を呟くんだ?」
「俺が? 俺がそうだったっけ、はは・・・」
「ケーキ作ってるときも「柳さん・・・柳さん」って言ってて、名前まで覚えちゃった」
いや、そこまで口に出したとは思わないけど。
「それで、あの子となんかあったか」
「それが・・・」
父さんにだけちょっと相談してみようか。あまり役に立たなさそうだけど、母さんと恋愛して結婚した人だから、一人で悩むよりはマシだと思った。
「父さんさんは母さんに口を滑らせたとき、どうやって機嫌を直してもらうの?」
「なんだ、あの子と言い争いでもしたか」
「いや、そんなことより早く答えて」
「ところで周、その質問自体が間違ってるんだろ。このお父さんさんは一度たりともお母さんをブチキレさせたことがないんだから」
「・・・・・・」
「なんだ、その目は」
「いや、なんでも」
父さんに相談に乗ろうと思った俺がバカだった。
俺は父さんから背を向け、再び厨房の床を掃くことに集中した。
「なんだ、答えも聞かずに終わりか」
「どうせ真面目に答えるつもりもないくせに」
「わかった。真面目に答えてやるから」
父さんの懐柔に俺は顔を向けた。
「ユリが怒ったときは、俺はケーキを差し出すんだ。するとすぐ笑顔で食べるんだよ」
「そんなことで怒りが消えるって?」
「もちろん、すごく笑顔で食べるんだよ。その姿に惚れたんだ、俺は」
あ、またあの話だ。
「俺が作ったケーキを食べながら微笑む母さんに惚れて、今こうやって結婚したんだ」
「その話、耳にタコができるほど聞いたから、もうやめて」
「周、お前はまだ若いからわからないかもしれない。でもな、そのうちわかる日が来る。自分が作ったケーキを、美味しそうに食べる女を見て、ふと「あ、この微笑を一生隣で見ていたい」って思う日がな。そのときはな、その女と結婚しろよ」
「別に分かりたくないよ」
明日にでも死ねるものなら死にたいのに。結婚など考えてる暇などない。しかも
「そんなこと言うのなら、父さんさんも手伝って。さっき「さっさと済ませて帰ろ」って言ってたんだろ」
「お父さんさんはもう歳なのでくたくただ。若い奴が全部やれ」
「母さんにバレて怒られても知らないよ」
「バレなければいい」
「あら、ベレないってどういうことかしら」
突然背中から母さんの声が聞こえてきた。いつからそこにいたのか、母さんが背中に立っていた。
「あっあなたいつからここに」
「今、それ重要なの?」
母さんは微笑んでいたが、その裏に隠された怒りは隠しきれていなかった。まるで母さんのおでこに怒りマークがつけているみたいだった。
「あなた、さっさと掃除しなさいっ!」
「わ、わかったぁ」
母さんの怒鳴り声に、父さんは慌てて席を立ち、トレーの方へ小走りで向かった。
「これ外に運ぶんでしょう? 俺がすぐっ・・」
「あなた? じっとして何してるの」
「父さんさん?」
「・・・・・・」
父さんが体をブルブル震えながら俺と母さんに顔を向けた。
「ぎっくり腰に・・・ぎっくり腰になっちゃったぁ」
「・・・・・・」
俺と母さんは呆れて言葉が出てこなかった。




