『魔法仕立てのファスナー』
滑留め具の試作は、想像以上に地道で、難しかった。
「じゃあ、まずはこれを……この小さな金属片を、噛み合うように削って――」
レネが拡大鏡越しに、魔道ペンチでマギア鋼を少しずつ削っていく。
その手元を覗き込みながら、私は前世の知識を思い出していた。
「この突起がスライドしながら上下に噛み合うように……まるで“山”と“谷”を重ねる感じにしたいんです」
「ふむ……。その噛み合わせが、魔力で自動的に閉じるってわけか」
ミレーユが魔法陣のスケッチをしながら、魔力の流れの試算を始める。
「この式を通すには、素材に“魔導線”を埋め込まないといけないね。でも、金属に刻むと壊れやすいから……」
魔道線…魔力を流すための特殊な細い糸のことか!これを布に折り込ば柔軟な仕組みになるんじゃ…
「だったら、織物に直接縫い付けるのは? 布に魔導線を織り込む形なら、もっと柔軟になるはず!」
「おお、それはいいかも!」
私のアイディアに、二人が乗ってくる。
しかし――
《試作1号》:固すぎて動かない
ガチィ――ン!!
「うわっ!?……な、何この音」
「魔力の流れが一気に詰まって、金属が跳ね返ったんだ……危なかった」
動作テスト中に金属片が弾け、レネのメガネがずれた。
原因は、魔力を一点に集中させすぎたため。
「やっぱり、力を分散させる構造にしないと……」
「導線を左右に分ける? それとも、魔力を脈のように“拍動”させる?」
《試作2号》:開くけど、閉じない
今度は、スライド機構がようやく動いた――が。
「……開いたけど、戻らないわよこれ」
「えっ!?……ほんとだ。開いたまま止まってる……」
ミレーユが苦笑しながら、魔力石を再調整する。
「たぶん、“始動”の魔術式しか刻んでなかったから、“終了”の命令がないんだよ」
「なるほど。“始点と終点”をセットで書かなきゃ、片道切符になるのね……」
「うん、まるでドアを開けて、閉め忘れたみたいな感じ」
《試作3号》:布に干渉してしまう
「……あれ? 布がつれちゃってる」
「うーん、金具の部分が引っかかって、布を傷めてるね」
「やっぱり、“歯”の形をもっと滑らかにしなきゃ。あと、装飾としても見栄えする形がいいな……」
私は、紙にいくつもの曲線を描きながら言った。
「花のつぼみみたいな形にすると、かわいくて、指にもひっかかりにくいかも」
何度も失敗するうちに、私はある記憶を思い出した。
「そういえば……“上下の歯”が一列ずつかみ合って、中央のスライダーで締める道具があったの」
「それ、どんな仕組みなの?」
「左右に並んだ小さな突起を、中央の“引き手”がかみ合わせていくの。で、そのスライダーを動かすことで開閉できる」
「……なるほど、それを魔力で動かすなら、“引き手”の代わりに魔術式で歯を寄せ合えばいいってことか!」
「そう。開くときは、逆向きに魔力を流す……」
3人の視線が交差し、同時に頷く。
《試作4号》
翌日の午後、ようやく“それらしい形”の試作品が完成した。
「……じゃあ、いくよ」
私が魔石にそっと触れると、金具が静かに――
スゥ……と滑るように動いた。
「わぁ……!」
「成功、だね」
「これは……開閉できて、見た目も美しい。しかも魔力の流れも安定してる」
試作第4号。まだ微調整は必要だが、“形”にはなってきた。
「あと3日以内に、量産できるようにしなきゃ」
「布鬼さんに届けるんでしょ?」
「そう。彼女が、この部品を待ってるから!」
滑留め具は、ちゃんと動くようになった。
でも、まだ終わりじゃない。
「これを、ドレスに使うなら……見た目も大事だよね」
レネがそう言って、金具を光にかざす。
たしかに、今のままだと、ちょっと地味。
「ちょっと待ってて。いいアイディアがあるの!」
私は、カバンの奥から色ガラスのかけら”を取り出した。
前に市場で買った、お気に入りの素材。
「これを、小さくカットして、魔法ではめこんだら……」
キラリ。
まるで宝石みたいな光が、金具の先にともった。
「すごい……! 小さいのに、キラッと光って、すごくキレイ!」
「これなら、目立たないけど、ちゃんとオシャレ!」
ミレーユがうなずいてくれる。
私は、もうひとつ思いつく。
「あと、ここの動く部分、音がしずかになるように、内がわに“布まき”しよう」
「布まき?」
「うん。小さなクッションを入れると、音がカチャカチャ鳴らなくなるんだよ」
「それ、天才かも……」
試作は何度か重ねて、ついに――
「……完成、だね」
魔法で動いて、なめらかに開いて、音も静かで、キラリと光る。
世界でひとつだけの“滑留め具”。
「……これ、絶対よろこんでくれる」
私は、胸の中がふわっとあたたかくなるのを感じた。
「じゃ、これ……ちゃんと包んで持っていって」
レネが、小さな木箱に完成品を入れてくれた。中はふかふかの布で包まれていて、すごく丁寧。
「ありがとう、レネさん、ミレーユちゃん」
「気をつけてね。道、けっこう荒れてるから」
「なにかあったら、これ使って!」
ミレーユが、小さな魔法の光玉を手渡してくれた。
「これ、助けがいる時に使ってね」
「うん、ありがとう!」
私は木箱を抱え、地図をポケットに入れ、再び、ラフェリオンへの道を歩き出した。
市場の一角。
風に揺れる布たちの隙間から、私はキョロキョロとあたりを見回した。
「……このへんのはずなんだけど……」
そのとき、不意に――
「……エリー?」
聞き覚えのある声がして、振り返る。
「エリナ!」
そこには、腰に布バサミを下げ、きりっと引き締まった目をした、懐かしい顔。
でも、どこか大人びた雰囲気もある。
私たちは自然と駆け寄って、短く抱きしめ合った。
「……ほんとに、来たんだ」
「うん、約束通り来たよ!」
私は胸に抱えていた木箱をそっと差し出す。
「これが、例の“滑留め具”だよ」
エリナはそっと箱を開けて、中の小さな部品を手に取った。光にかざされたそれは、繊細な細工が施され、先端に小さな色ガラスが埋め込まれている。
「……うわ、これ……なにこれ……。可動するし、軽いし……えっ、魔法?」
「うん! レネさんミレーユちゃんと一緒に作ったの。試作だけど、ちゃんと使えるよ」
「……すご。ほんとに作ったんだ。これ、マジで売れるやつだよ」
「名前、決めた?」
「え?」
「だって、これすごい発明でしょ? 魔法で動く留め具なんて聞いたことないもん。売り出す時の“顔”になるやつだよ、これ」
「……うーん、まだそこまで考えてなかったかも」
「じゃあさ、今決めちゃおうよ。仮でもいいから」
エリナが、光を受けてきらめく金具を覗き込みながら言った。
「魔法で作った滑留め具か…なんかいいのないの?」
「そうだね。滑るように動くし、軽くて静かで……」
私は少し考え込んでから、ふと口にした。
「……じゃあ、“ファスナー”とか、どう?」
「ファスナー……? 何それ」
「固定するって意味よ」
「わぁ、いいね!」
エリナがぱっと笑った。
「ファスナー。いいね、ぴったりだよ」
私は、ちょっと照れくさくなって笑った。
「じゃあ、これが“ファスナー”の初号機、だね」
「うん。“布鬼”がちゃんと使ってあげるから、安心して!」
嬉しそうに笑うエリナの手元で、なにかがふわっと光った。
「……ん?」
気づくと、エリナのポーチから、小さな青白い光が漏れていた。
「え、それ……光玉!?」
「うん、これ。実は――」
彼女は少し照れたように笑って、ポーチから小さな玉を取り出す。
「ミレーユちゃんから、預かってたの。『ティアさんと再会するとき、これが光るはずだから』って」
「えっ……!?」
私は思わず目を丸くした。
「私、ミレーユに何も言ってないよ!? そんなこと……」
「うん、でもたぶん、“言わなくてもわかる”ってやつだったんじゃない?」
光玉は、私のポケットの中の光と共鳴するように、ふわりとまたひとつ明るく光った。
「ほんと、あの子……すごいね」
「うん。魔術の天才だし、ちょっと変わってるけど――私、大好きだよ」
私はそう言って、光玉をそっと握った。
エリナも笑った。
「じゃあ次は、ちゃんと並んで仕事しようか。“布鬼”と、“魔術仕立て屋”でさ」
そして、ほんの少しだけ迷ってから――私は目をまっすぐ、エリナに向けた。
「ねえ……エリナ」
「うん?」
「私、今まで名前を隠してた。ほんとの名前は“アリスティア”……アリスティア・ルシエール」
エリナは一瞬きょとんとしたあと、ふっと笑った。
「うん、ミレーユちゃんから光玉をもらった時に、名前を聞いたよ」
「……嘘ついて、ごめん。わざと騙そうとしたわけじゃなくて……でも、ちゃんと言うべきだったよね」
私は頭を下げた。
心臓が、どくんと跳ねる。
けれど――
「わかってるよ」
エリナは、穏やかな声で言った。
「あんた、伯爵令嬢でしょ?」
「……うん」
「でも、そんなの関係ない。私にとっては、“ドレスを作る相棒”ってだけだから」
エリナがにっこりと笑う。
「だからさ――これからは“ティア”って呼ばせてもらうね」
「うん!改めてよろしくね」
ふたりで顔を見合わせて笑った。
空には、小さく光る玉が、ふわりともう一度きらめいていた。
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