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第7章:クライマックス前の挫折(1)

 竜の火山の麓に広がる風景は、まるで地獄の入り口のようだった。

 黒く焦げた大地が不規則に割れ、その隙間からは赤い光と共に硫黄の臭いを含んだ熱気が漏れ出している。

 空気は乾燥して喉を焼き、遠くでは間欠泉のような噴気孔から白い蒸気が立ち上っていた。


「これが教団の本拠地か…………」


 俺は山頂を見上げ、思わず呟いた。

 険しい岩肌を持つ火山は、確かに竜が天を仰ぐ姿に見えなくもない。

 その頂上からはわずかに煙が立ち上り、まるで生きた竜の息吹のようだった。


「ここから先は徒歩で進みましょう」


 後部シートからエルナの静かな声が聞こえた。

 白と水色のローブを身にまとった彼女は、長い茶色の髪を後ろで一つにまとめ、緑色の瞳で周囲を慎重に観察している。

 腰には治療薬の入った小袋を下げ、手には精巧な銀細工が施された魔法の杖を握っていた。


「賛成っ!  バイクのエンジン音は目立ちすぎます」


 サイドカーに座るロゼッタも同意した。

 栗色の短髪が風で少し乱れ、黄緑がかった瞳は興奮と緊張が入り混じっていた。

 いつもの工具ベルトを腰に巻き、首からゴーグルをぶら下げている彼女は、サイドカーに取り付けられた魔導砲の最終調整をしていた。


 バイクを岩陰に隠し、三人で前進することにした。

 渓谷の影に沿って進むと、岩山の間から人工的な建造物が見えてきた。


 古代の遺跡と新しい建築物が融合したような奇妙な城塞だ。

 黒い石で造られた巨大な門には、竜の紋章が刻まれ、両脇には松明が灯されていた。

 門の前では黒いローブを着た教団員数人が警備に立っている。


「あれが教団の本拠地ね」


 振り返ると、突然リアナがいた。


「うわっ!」


 驚きの声が漏れた。

 彼女はいつの間に来たのだろう。

 水色の髪をポニーテールにまとめ、森の色合いを基調とした軽装に身を包んだリアナは、アクアマリンのような薄い青緑色の瞳でウインクした。

 背中の弓と矢筒は今や姿を消し、代わりに教団員のような黒いローブを肩にかけていた。


「静かにしなさいよ!」


 彼女は小声で注意し、人差し指を唇に当てた。

 右腕の小さな部族紋様のタトゥーが日差しに照らされて輝いている。


「どうしてここに?  ソフィアは?」


「別行動よ。ソフィアは内側で偵察してる。私は外回りを担当してたの」

「情報は?」


 リアナは岩陰に身を寄せ、低い声で話し始めた。


「教団の総数は約50人。大半は信者だけど、10人ほどの戦闘員と3人の上級魔術師がいるわ。そして、最も警戒すべきは教団長……ザルクス・ドラゴニア」


 その名前に、エルナがかすかに震えた。


「ザルクス・ドラゴニア……かつて王宮魔術師だった人物です。禁断の竜魔術の研究で追放されたと聞いています」


「そう、その通り」


 リアナは頷いた。


「彼は竜の力に取り憑かれた危険人物。そして、ソフィアの調査によれば、彼らはすでに儀式の準備を始めているわ」

「儀式の場所は?」

「火山の中腹に開いた広場よ。そこには古代の祭壇があって、すでに生贄が集められている」

「生贄?」


 俺の声が思わず上ずった。


「村から連れてこられた若者たちよ。約20人……」


 リアナの表情が暗くなった。


「救出は急務だな」


 俺は拳を握りしめた。

 なんとしても彼らを助けなければならない。


「ソフィアが合図を送る予定は正午だったわね?」


 リアナが空を見上げた。

 太陽はほぼ天頂に達しており、正午はすぐそこだ。


「あとは待つだけだな」


 俺たちは物陰に身を潜め、緊張感の中で時を過ごした。

 リアナは時折小声で教団の情報を詳しく教えてくれる。

 彼女の情報収集能力は本当に驚くべきものだった。


 ◇


 正午を少し過ぎた頃、空に鮮やかな赤い光が走った。


「合図だ!」


 リアナが勢いよく立ち上がる。


「作戦開始よ!  私は先に行って、ソフィアと合流するわ!」


 彼女は手早く黒いローブを身にまとい、素早い動きで岩山を駆け上がっていった。

 その軽やかさはまるで山猫のようだった。


「俺たちもバイクに戻ろう」


 急いで隠し場所に戻り、愛車「ドラグブレイザー」のエンジンをかける。

 低いエンジン音はまるで竜の咆哮のようだった。

 タンクに刻まれた赤と青と黄色の紋様が鮮やかに輝き始める。


「烈火さん、準備はいいですか?」


 エルナが後部シートに乗り込み、魔法の杖を構えた。

 彼女の緑の瞳には決意の色が浮かんでいる。


「準備オッケーっ!  魔導砲もフル充填完了!」


 ロゼッタがサイドカーの制御パネルをチェックしながら叫んだ。


「まずは儀式の場所を目指すぞ!」


 俺はアクセルを思い切り回した。

 バイクが轟音と共に飛び出し、岩だらけの斜面を驚くべき安定感で駆け上がる。


 まもなく、火山の中腹に開けた広場が見えてきた。

 ソフィアとリアナの計画は見事に功を奏していたようだ。

 広場は混乱に包まれ、黒いローブの教団員たちが右往左往していた。


「あそこ!」


 ロゼッタが前方を指差した。

 広場の中央には巨大な石の祭壇があり、その周りには杭に縛られた若者たちの姿が見える。

 そして、祭壇の上には白銀の髪を風になびかせた人影が立っていた。


 ソフィアだ。

 彼女は軽装の鎧を身につけ、長剣を振るって教団員たちを次々と倒していた。

 その青灰色の瞳は冷静さを失わず、動きは無駄がなく洗練されている。


「ソフィアさんを援護します!」


 エルナが杖を掲げ、明るい緑色の光を放った。

 光は広場全体に広がり、縛られた若者たちを包み込む。

 それは保護の結界のようだった。


「魔導砲、発射っ!」


 ロゼッタがサイドカーの魔導砲を操作し、青白い光線を放った。

 光線は教団員の集団に直撃し、彼らを一時的に凍りつかせる。


「よし! 突入するぞ!」


 俺はバイクを祭壇に向けて加速させた。

 タンクに手を置き、炎の力を呼び起こす。

 バイクの周囲に赤い炎が渦巻き、進路を塞ごうとする敵を弾き飛ばしていく。


 祭壇に近づくと、ソフィアが俺たちに気付き、短く頷いた。

 彼女の白銀の髪は少し乱れ、額には汗が光っていたが、その戦いぶりは流石だった。


「烈火!  捕まっている人たちの解放を頼む!」


 彼女の声に応え、俺はバイクを杭の間に滑り込ませた。

 タンクの紋様が青く輝き、氷の力で縄を凍らせる。

 脆くなった縄は軽く叩くだけで砕け散った。


「急いで、あちらへ!」


 エルナが若者たちに安全な場所を指示する。

 恐怖と疲労の色が濃い彼らの顔に、わずかな希望の光が戻っていく。


「教団長はどこだ?」


 俺はソフィアに尋ねた。


「儀式の準備をしているはずだ。恐らく、火口の近くだろう」

「リアナは?」

「杭に縛られた者たちを誘導している」


 彼女はさらに説明を続けようとしたが、その時だった。


「尋常ではない魔力反応!」


 ロゼッタが測定器を凝視して叫んだ。


「火口から大量の魔力が湧き上がってる!  これは……」


 彼女の言葉が終わらないうちに、山頂から轟音が響いた。

 地面が揺れ、空が暗くなっていく。

 赤黒い雲が火山を覆い、その中から紫の稲妻が走った。


「間に合わなかったか……!」


 ソフィアの表情が厳しくなる。


「儀式が始まっている!」

「でも、生贄は救出したはず……」


 エルナが混乱した様子で言った。


「生贄は若者だけじゃなかったんだわ……」


 振り返ると、リアナが走ってきていた。

 彼女の表情は深刻さに満ちていた。


「教団長自身も生贄になるつもりだったの。彼は自分の命と引き換えに、バルドラスを呼び覚ますつもりよ」

「何だと……?」


 想定外の展開に、一瞬言葉を失った。


「 あの雲……尋常じゃない魔力濃度です!」


 ロゼッタの警告に、全員が山頂を見上げた。

 雲はどんどん濃くなり、今や火山全体を覆い尽くしていた。


「烈火」


 ソフィアが落ち着いた声で言った。


「お前のバイクなら、火口まで急行できるはずだ。我々は若者たちを安全な場所に避難させる」

「一人で行かせるわけにはいかないわ!」


 リアナが反対した。


「私も行く!」

「あたしも!」


 ロゼッタも立候補した。


「時間がない」


 ソフィアの声は冷静だが、断固としていた。


「若者全員の脱出を確保しなければならない。それに、バイクは三人乗りでは機動力が落ちる」


 彼女の言葉に反論の余地はなかった。


「わかった……俺が行く」


 決意を固め、バイクのエンジンを吹かした。


「でも、一人じゃ……」


 リアナの心配そうな声に、エルナが静かに前に出た。


「私が同行します」


 彼女の緑の瞳には揺るぎない決意が宿っていた。


「もし烈火さんが傷ついたら、すぐに治療ができます」


 誰も反対しなかった。

 エルナの回復魔法は、この危険な任務には不可欠だった。


「頼むぞ、エルナ」


 ソフィアが短く言った。


「二人とも、無事に戻ってこい」

「もちろん」


 俺はエルナを後部シートに乗せ、改めて全員に向かって頷いた。

 ロゼッタが工具ベルトから小さな装置を取り出し、バイクのタンクに取り付けた。


「魔力増幅器です!  これで出力が30%アップするはず!」

「ありがとう」

「あと、これ!」


 リアナが矢筒から特殊な矢を二本取り出した。


「信号弾よ。緊急時に使って。私たちがすぐに駆けつけるから!」

「了解した」


 彼女たちの気遣いに胸が熱くなる。

 この異世界に来てすぐのことを思えば、随分と変わったものだ。

 一人で気ままに走っていた俺には、今や大切な仲間がいる。


「行くぞ、エルナ!」

「はい!」


 彼女の腕が俺の腰にしっかりと回され、その温かさが不思議と安心感を与えてくれる。

 アクセルを全開にし、バイクは轟音と共に火山の斜面を駆け上がっていった。



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