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 練兵場から戻る途中の小道。街までもう少しのところで、髪を乱しながらキャムが追いついてきた。


「待って。ごめんなさいっ。父は私が説得するから。まだ手を引かないで!」


 急いで走ってきたのか、はちきれそうな豊満な胸元に汗が光っている。すかさずフェイが振り返って文句を言った。


「なんだよ、キャム。オルテンに話を通しとくって言ってたのに」

「そのつもりだったけど、サリアの相手をしているうちに先に父が出かけちゃったの!」


 サリアというのは、生まれてまだ間もないキャムの娘のことらしい。キャムは息を整えながら、レティシアにむかって説明した。


「いまお産のために里帰り中なんです。夫が待ってるから、もうじき向こうに戻るけど」

「お二人は、お友達だったのですか?」

「ああ。キャムは俺より年上だけど、嫁いで行くまではよくうちの屋敷に出入りしてたから」


 そういう繋がりで『逆巻きの姫』にお呼びがかかったらしい。どうりで親し気なわけだ。


「レティシアさまには父が失礼なことを……本当にごめんなさいね」


 詫びの言葉を口にして頭を下げながらも、ちらりと意味深な視線で見上げてくる。


 フェイが珍しく皮肉を言った。


「キャム。あんたもこいつに不満みたいだな」

「いやね、そんなことないわ。ただ、あなたが2年ぶりに帰ってきたって話は、あっという間にマーレハスに広がったのよ」


 そして、フェイが結婚相手を連れ帰ったという衝撃的な噂も、同時に街中を駆け巡ったらしい。

 それがどんな相手なのかは分からない。だから、みんなそろって同じ想像をした。


 『あの』フェイを射止めたくらいだから、さぞかし勇ましい、 誰もが文句なしに認めるような逞しく強い海の男だろうと。


 つまり、皆は若かりし頃のラン爺やオルテンのような男性を予想していたのだろう。 考えるとため息が出てしまう。


「それなのに、実際に会ってみると私がこんなだから、皆さんあのように言葉を失われるのですね」

「あら。私は、とてもお似合いだと思うわよ」

「ありがとう、キャム」


 素直に礼を口にするフェイは本当に嬉しそうだった。レティシアは恐るおそる訊ねた。


「それはそうと。あの……お聞きしたいことが……」


 たとえ、逆巻きの力のことをつい最近、耳にしたにせよ。

 キャムは何故、オルテンの目を治そうとそんなに必死になるのだろう。

 昨日今日の怪我ならともかく。若い頃に視力を失ったのなら、もう相当に年数が経っている。本人も不自由はないと言っている。

 無理に説得してまで、ほんのひとときの魔法をかける必要はあるだろうか?


「今さらだって言うんでしょう?私もそう思うわ。でもね」


 聞いてしまったの、とキャムは左の腕を前に突き出した。肘から手首にかけて、紅い大きな花の刺青が施されている。 


「綺麗ですね。とても良くお似合いです」

「刺青のように見えるけれど、これは痣なの」


 キャムは寂しそうに言って、うっすらとふくらんだ赤い花びら模様を指先で撫でた。


「ずっとそう思っていたわ。でも先日、生まれた娘を見て、私の痣が遺伝しなくて良かったと喜んでいたら、叔母が『あら、知らないの?』って」


 キャムが痣だと思っていた腕の赤い模様は、幼い頃にチチリという毒蜂に刺された痕なのだと聞かされたという。


 オルテンが、戦の負傷で光を失ったという話は嘘だった。

 キャムが幼い頃。土の中にあったチチリ蜂の巣にいたずらをして、蜂を怒らせた。それをオルテンが庇って、代わりに蜂の大群に襲われたというのが、真相。


「全身を刺された父は、後遺症で失明してしまったの。医者には、こんなにチチリの毒を受けて視力くらいですんだなら軽い方だと……」

「そんな事があったんだ。キャムは大丈夫だったのか?」

「私が刺されたのは、左腕の一ケ所だけ。この痣は、毒の名残なんですって」


 レティシアは慌てて頭を下げた。


「申し訳ございません、知らないとはいえ無神経なことを」

「いいえちっとも。今の夫と出会ったのも、この痣がきっかけなんです。まるで、綺麗な花のように見えるでしょう?」


 幼い頃に母を亡くし。

 物心ついた時から、オルテンは剣と仕事一辺倒。家庭を顧みることはほとんどなく。

 優しい乳母や多くの侍女に囲まれながらも、キャムは寂しくて仕方なかった。


「あの人は仕事人間なんだと諦めていたわ。でもその、初めて原因を知って気づいたの。父はきっと……失明したのは私のせいだと恨んでる」

「キャムさま、それは……」

「いいえ、きっとそう。久しぶりに里帰りで会ったのにほとんど会話はないし。初めての孫、私の娘(サリア)にもろくに近寄ろうとしない」

「いや、オルテンは昔から誰にでもあんな感じだぞ」


 レティシアもフェイも、なんとか宥めようとした。キャムは頑なに思い込んでしまっているようだった。こうと思ったらてこでも動かない処はさすが父娘というところか。


「その父がこの間、戯言でもなんでも、孫の顔を見てみたいって言ったの」


 そんな時にナフタンの店で、逆巻きの魔法の噂を耳にして。いてもたってもいられなくなってしまった。


「私と父がやり直すのはもう無理でも、せめてサリアの顔くらいは見ておいて欲しい。そうしたらもう……マーレハスには戻ってこないわ」


 困ったなあ。

 レティシアはフェイと互いに顔を見合わせた。


「どうしましょう、フェイ」

「お前次第だ。オルテン相手にもう少し頑張る気力があるなら、まだこの話から下りなきゃいい」

「……頑張れるでしょうか……」

「大丈夫だろ。さっきは中々の気迫だったぞ」


 褒めてもらえるのは嬉しいけれど、やっぱり自信がない。

 うつむくレティシアの肩にぐいっと腕を回しながら、フェイは楽しそうに解説した。


「知ってるか?オルテンの異名は『翠眼の鬼』。あの瞳を見て、生きのびた敵はいないんだって。兵どもはおろか、他部隊の隊長までオルテンが目を開くと震え上がるらしいぞ」

「えええ」


 確かに。見えないと分かっていても、生きた心地がしなかった。


「平気だろ。お前、堂々と渡り合ってたじゃないか」

「どうでしょう……ただ、おじいさんの剣を渡したくなくて夢中で……」


 正直、後ろにフェイがいるのだから、いよいよとなったらどうにかしてもらえるのではないかという甘えもあった。

 あの頑固な相手を説得できる保証なんてない。次に相対した時、今度こそ圧し負けて石化してしまう可能性だって大きい。


 それでもただ一つ、間違いないことはある。


「フェイ。この話、このまま終わらせるのは嫌です」


 できるかどうかは二の次に。

 いまの素直な気持ちを打ち明けたレティシアに、フェイはにやりと笑った。


「気が合うな。俺もだ」




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