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◇
しん、と沈黙が落ちた。
意を決して、反論してはみた。
言ったそばから後悔がどっと押し寄せ、手のひらが冷たい汗に濡れた。
「……私のような若輩者が生意気を言って、申し訳ございません」
声が震えそうになるのを必死にこらえながら、レティシアはぺこりと頭を下げた。
盲人とはいえ相手はこちらの一挙一動、人間性までも鋭く感じ取っている。
今さら隠しようもなく弱いけど。だけど弱くても。亡きラン爺のためにも、ここは退くわけにはいかなかった。
ここで自分が揺らいだら。彼がなんのために力を尽くしたのかさえ、その尊さまで曖昧になってしまう。
「ただ感じるのです。はっきり『誰』とは言えませんが、この剣には正当な受取人がいるのだと。その方にお渡しできるまで、私が責任をもって預かります」
「つまり、儂にはその資格がないと?」
オルテンは声にありありと不満をにじませる。短く刈り込んだ金髪をぼりぼりとかいた。
「申し訳ありません。……宝剣の譲渡はお断りしますが、他の事でならお力になれるかと」
「他の事とは何だ?」
「……私の魔法にご用があると伺いました」
「知らん」
「ええ?」
レティシアは困惑した。『逆巻き姫』に用事だというから、てっきり魔法を使う話だと思ったのに。
「父さん。その話は私が、フェイお嬢さまにお願いしたの」
ふいに声がした。もの慣れた様子でつかつかと入ってきたのは、すらりとした長身の若い女性だった。
両肩をむきだしにした異国風の衣装に、腕には大きな赤い花の刺青。ぱっと目を引くあでやかさだ。
「キャム、赤ん坊はどうした」
オルテンが驚いたように声をかけた。キャムと呼ばれた女性は、こともなげに応えてオルテンに歩み寄った。
「屋敷に置いてきたわ。乳母やと侍女がいるから大丈夫よ」
二人が並んだ姿を見て、レティシアは、あ、と思った。
(似てる……)
隣に寄りそうように立った女性を、オルテンは改めて紹介した。
「娘のキャムだ」
「お初にお目にかかります。レティシアさま」
キャムは優雅な身のこなしで頭を下げ挨拶した。
「貴方さまの『時を逆巻く魔法』の話を街で伺いまして。ぜひにも、父の目を治していただきたく、お呼びしましたの」
キャムの父オルテンは若い頃、戦で負った傷がもとで光を失ってしまった。魔法で時を戻して、その目を見えるようにして欲しいという。
レティシアの力もキャムの依頼も、オルテンには初耳だったらしい。納得いかない様子で首をかしげている。
「時を逆巻く?それで目が治るのか?」
「それ、は……」
是か非かで問われても。どう返事したものか、迷ってしまう。
『治療』は苦手だ。誰だって、病気や怪我が治ったなら治ったままでいたい。魔法が解けて、元どおりに戻ってしまった時の失望を見ると、自分まで打ちのめされた気分になる。
「……私は医者ではないので、見えない目を治すことも、ましてや完治させることもできません。時を戻していられるのは、ほんの一時なのです。それでもよければ……」
過剰に期待されても困るのだ。
そしてオルテンは、そんな生ぬるい弱腰を看過してくれる相手ではなかった。
「そんなあやふやな魔法に、意味があるのか?」
首元に刃を突きつけられたようで、ヒヤリとした。言われるだろうなと思ったら案の定だ。
「儂のこの目が光を失ってから。日々の暮らしも、仕事も、困難はすべて己の力で克服してきた。何ら不便はない。第一もうこの齢だ。今さら見えるようになりたいとは思わんよ」
まして、魔法の力でどうにかしてもらおうなどと。……とは言わなかったけれど。
(ああ、この場から逃げ出してしまいたい)
レティシアは両手で頬を覆う。恥ずかしくてたまらなかった。
自身の忍耐と努力だけで立派に生きてきた相手に、何かできるなんて慢心もいいところだったのかも知れない。
「わかりました。さしでがましいことを申し訳ありません」
あっさり心折れたレティシアに対して、キャムの方はしぶとかった。恐れげもなく食い下がった。
「でも、父さん。意味があるかどうか、試してみるだけでもどう?もしかなうなら、サリアの顔が見てみたいって言っていたじゃない」
「捨て置け。戯言だ」
父娘の会話に、フェイも割って入って説得しようとする。
「そう馬鹿にしたもんじゃないぞ。こいつの魔法にかかると、もしも、が本当になるんだぜ。オルテン」
「くどいですぞ」
レティシアはハラハラしながら三人のやり取りを見ていた。
どうにも、言えば言うほど頑なになるようだった。
その気のない相手に、魔法を押し売りしてもしょうがないのに。『逆巻き姫の出番』と呼び出されたのは、キャムの独断で、フェイの勇み足みたいだ。
「わかったよ。お呼びじゃないってことで退散する」
岩山のような相手と堂々と渡り合っていたフェイは、ふいにあっさりと矛先を収めた。
「ただ、爺さんの剣は譲れない。それでいいな?」
「今日のところはそれで結構」
結構とはほど遠い口調でオルテンが答えた。レティシアはずうんと気が重くなった。この問題はまだまだ続きそうだ。
「さ。帰ろうか」
フェイは石化しかけていたレティシアを促した。
立ち去ろうとするその背中から、オルテンが重々しく声をかけてくる。
「失礼だが。そのお相手は、男子の身で『姫』を名乗るなどるなどして、奇矯にもほどがある。それをマーレハスの一族の婿に?フェイ嬢さま、自棄を起こされてはなりませんぞ」
「別に自棄なんて起こしてないって」
苦笑するフェイに手を引かれ、レティシアは逃げるようにその会見の場を後にしたのだった。