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◇
オルテンとは、近衛隊の練兵場で会うことになった。
宝剣はどうしようか?
レティシアは迷った。剣を引き取りたいと言われても……そもそもこれは自分の所有物ではない。ラン爺が残していったものを、形見として保管しているだけだ。自分の勝手で相手に渡してしまって良いものだろうか?
迷ったすえ結局、レティシアは宝剣を携えて、指定の場所へと向かうことにした。
勇壮な兵たちが荒々しく剣を打ち合う広場を望んで、その館は建っていた。かなり古そうだが、太い柱と石の屋根で、堅牢なつくりになっている。
案内されたフェイとレティシアが奥へと通されると、ホールで兵たちに稽古をつけていた教官らしき人物が、気づいて歩み寄ってきた。
「お待ちしておりましたぞ。フェイ嬢様」
「やあオルテン。連れてきたよ」
フェイが呼びかける名前にレティシアは驚いた。盲目と聞いていた本人だ。いま、誰の助けも借りずにスタスタと歩いてきたのに。目が見えない人間の動きとはとても思えない。
レティシアは、おどおどとオルテンの前に進み出た。
「はじめまして」
「レティシア殿か」
呼びかけられた声のずしりとした重みに、レティシアはうっと詰まった。あやうく石化するところだ。
「嬢様から、ラーマルスの王族に縁の方とお聞きしたが、まことか?」
「そう……です」
ギシギシと音を立てそうな首で、ぎこちなく頷く。
見上げるほど背が高い。隆々とした厚い胸板。丸太のような腕。
素晴らしく頑健そうな初老の剣士だった。ただし目は閉じられている。
「単刀直入に言おう。あなたが持っている剣聖の宝剣を申し受けたい」
オルテンは、ずばりと切り出してきた。
決して高圧的なわけでも横柄なわけでもない。ただ、自然と伝わってくる迫力だけで充分、圧しつぶされそうだ。
息もできずにぱくぱくしていると、横からフェイがさらりと助け船を出してくれた。
「オルテン。この剣は偶然レティシアの手に入ったものだけど、それでも今日まで大事にしてきたんだ。欲しいと言うならちゃんと理由を説明してくれ」
なんて筋道たっていて堂々としているんだろう。あんまりにもフェイが頼もしくて、レティシアは二重の意味で泣きそうだった。
「尤もですな」
オルテンが手を打って合図する。兵たちが敷物や椅子を運んできて、ホールの一角に即席の会見場が作られた。
そうしてオルテンは、『剣聖』への思うところをとうとうと語り始めた。
「そも『剣聖』というのは、ラーマルス国の最高の剣士に送られる称号なのだ」
しかし初代が去って以降、かの国の剣技は衰える一方。弱体化は目に余る。剣聖などとはとても呼べぬ未熟な者が襲名し、我が師の名誉名声を貶めている。
何度か腕試ししたが、私の弟子が相手を打ち倒す始末。
「かの国の者らは『剣聖』の称号を何だと思っているのか!」
オルテンの声は屈辱と怒りに満ちていた。考えてみればラーマルスの問題なのに、他国人のオルテンがあれこれ言うのはおかしな話なのだけれど。
思い当たる節がありすぎるだけに、レティシアもフェイも、何も言えなかった。
「レティシア殿。その剣は宝剣のつくりだが、れっきとした実戦用。女性の持つものではない」
「あー……オルテン。レティシアは『姫』だけど、……男だから。俺、結婚しようと思って連れてきたんだ」
微妙に言いにくそうにフェイが訂正をいれる。それでも、いつもの主張は絶対に外さない所がある意味立派だった。
「ほう……?」
オルテンもまた、他の面々と同じように不思議そうな顔になった。が、レティシアの外見に影響されないだけ切替も早かった。
「男子であるなら尚更だ。失礼だが、貴殿は全く己を鍛えられていないようだ。精神も技術も身体も未熟。体格も貧弱だし筋力もない。覇気も胆力も感じられない。とてもその剣は使いこなせないだろう」
はい、仰るとおりです。見えないのにすごいですね……レティシアはぼこぼこに凹みながら無言でうなずいた。
「もし護身用の剣が必要なら、体格と技量に見合ったものをこちらから進呈しよう。宝剣に相応しい対価も支払おう」
「い、いえ。そういう問題では……」
「貴殿はその宝剣に相応しくない」
金銭の問題でないと言おうとしたレティシアを、オルテンはきっぱりとさえぎった。
「その様子ではこれまで剣など触ったこともないのでは?手入れの方法すら分かっているとは思えない。剣聖の証である宝剣は子どもの玩具ではないのだ。即、こちらに渡していただきたい」
言われ放題もいい所だが、すべて当たっているだけに返す言葉がない。剣聖の弟子であり、マーレハスの剣豪であるオルテンこそが宝剣を所有するのに相応しい気がする。
(そうだわ。私がこの剣を持っていていい理由なんてない……)
レティシアは大事に持ってきた宝剣を、言われるままオルテンに差しだそうとした。
その時。レティシアの手の中で、ぎし、と柄が鳴った。
気のせいですまないほどはっきりと。宝剣が鞘の中で身じろいだように感じた。
『嫌だ』と。
「あ、あの……」
ごくり、と息をのんで。レティシアは差し出しかけた剣をまた、手元に戻した。
『ぜひにも頼む。姫にしかできない事だ』
ラン爺の声が、また耳の中に蘇った。
あの時、請われたのは誰だった?頼まれたことは何だった?
「どうした?その剣をこちらに……」
「オルテン。レティシアの言い分も最後まできちんと聞いてくれ」
フェイが、再び援護してくれた。
(ありがとう、フェイ……)
すがりつきたいのをぐっとこらえて、レティシアはオルテンに向き直った。
「あなたの仰ることはもっともです。ただ……ランドリュース様は今でもラーマルスの全ての民の憧れです」
そう。だから、幼い頃から知っている。
たとえ表舞台から姿を消しても、王宮づき剣士の籍はそのまま残されているのだと。今でも彼は、国王から称号を与えられた、王室の守護者のままなのだ。
「あの方は、王族である私のために命がけで戦って下さいました。だからおじ……ランドリュースさまは、ラーマルスの栄えある剣士にして我が臣下。残された王室貸与の宝剣を守るのは、王族である私のつとめです」
それまで黙って聞いていたオルテンが、ずっと閉じられたままだった瞼をすうっと開いた。明るい緑色の、何も映していない瞳が、まっすぐレティシアの方に向けられた。
「それで?」
レティシアはふらりと椅子から立ち上がった。震えそうになる足を踏みしめて、はっきりと宣言する。
「たとえお弟子の方であっても、口出しは無用と存じます」