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◇
庭園の噴水や泉の上を飛び越え、二人を乗せた飛竜はふわり、と再びバルコニーの手すりに舞い降りた。レティシアが泊っているのとは違う棟だ。
飛竜の背からすべり下りガラス戸を開けて屋内に入ると、その先は広々とした空間になっていた。
天井からぶら下がる、輝く豪華な照明。贅をこらした調度類に、鏡面のように磨き抜かれた床。
大勢の賓客をまねいて盛大なパーティーを催すのにふさわしい、素晴らしい大広間だ。
壁には大きな絵画がずらりと並んでいた。人物像が多い。おそらくは歴代の当主やその家族の肖像画だろう。
これは先々代の大公夫妻。これは100年前の親族が勢ぞろいした宴の図。
フェイは一枚一枚を指さしながら、丁寧に説明して歩いた。
「代々の当主が芸術を保護してるんだ。才能ある画家は年齢に関わらず屋敷に招いて、一族の肖像画を描かせてる」
「……どれも、素晴らしいです……」
レティシアは、フェイと面差しの良く似た女性の、夫婦仲睦まじそうな肖像画を、切ない気持ちとともに見上げた。
(私の生まれ育った屋敷にも、こういった祖先の絵がたくさんあった。今はすべて燃やされてしまったけれど)
「レティシア?どうした、ぼんやりして」
「すいません。ちょっと……私が生まれ育った家のことを思い出していました」
双子の姉と並んだ肖像画もあった。とても良く似せて描いてあって、何だかくすぐったかったけど大好きだった。
せめてあの絵1枚でも、焼け残っていてくれたら良かったのに。
「姉さんが、身代わりになってくれたって言ってたよな。だったらレティシアは姉さんの名前だろ?お前、本当はなんて名前なんだ?」
「……レティアス」
自分の中の、奥の奥にずっとしまい込んであった名前を、消え入りそうな声で名乗る。
「レティアス。そうか、いい名前じゃないか」
「そうでしょうか?」
表向きは死んだことになっている、役立たずの名前だ。
最後にその名前を呼んでくれたのは双子の姉だった。
屋敷に王の兵がなだれ込んで来た時、レティシアはとっさの機転で慌ただしく二人の衣装を取り換えて、
『レティアス、これからはあなたが私になるの。レティシアとして生きなさい。きっと命までは奪われないわ。そのかわりどんなことがあっても、生き延びるのよ!生き延びてみんなを幸せにして!』
びっくりして。恐ろしくて。ただ、言われるままに従った。
姉の衣装を身にまとい、レティシアとして投降し。兵に引き立てられて屋敷の回廊を歩いていると、足元には赤々と血の跡が伸びていた。
嫡子レティアスとして粛清された姉の首が、地面をひきずられていった痕だった。
「なあ。ここではもう、姉さんのフリをすることはないんだ。呼び名を戻そうか?」
「いえ。できたら今のままで……姉を、忘れたくないんです」
自分が『レティシア』であることを止めたら、本当に姉が消えてしまう気がする。できることなら、このままずっとレティシアでいたい。
「……駄目でしょうか……?」
フェイは良いとも悪いとも断じなかった。ただ優しく笑って、励ますように言ってくれた。
「どっちの名前にしても、愛称はレティだな」
「ありがとう、フェイ」
レティシアはふと我に返って急いで笑顔を作った。
いけない。フェイのせいではないのに。悲しい顔をしていたら心配されてしまう。気持ちを切り替えないと。
借りものの愛らしいローブでふわりと回ってみせる。
「まだしばらくは、この格好で通したいんです。女装していても、おかしく見えないうちは」
「おかしいどころか、誰より可愛いよ。好きにすればいいと思う」
そう言って、フェイはレティシアの恰好を思案深げにながめた。
「身の回りのものを揃えなきゃな……今みたいなヒラヒラしたのも良いけど、マーレハス風のも似合うと思うぞ」
「近いうちに、街で揃えようと思います」
セザルから取り返した持参金はそのまま残っている。燃える船の中から持ちだせた荷もある。当分は資金で悩むことはないだろう。
「そうだな。……ところで朝食の後、一緒にきてほしい。ちょっと急ぎで会わせたい人がいるんだ」
「急ぎで、ですか?」
「ああ。またお前の出番だ。逆巻きの姫」
出番、と聞いてわずかに胸が高鳴った。
「私の魔法が、また何かのお役に立てるのでしょうか?」
「そうなると良いんだけど……少しだけ厄介で」
「まあ」
いつも強気で不敵なフェイが『厄介』と言う相手なら、こちらも相応の覚悟が必要になる。
「どんな方か聞いても?」
「名前はオルテン。長年、うちの近衛隊の隊長を務めてる、この国一の剣の達人で。爺さん……剣聖ランドリュースの弟子でもある。若い頃から盲目なんだけど」
「まあ、盲目の方なのに、そんな重責を?」
「だからさ。堅物というか、一筋縄でいかない、なかなかの御仁なんだよ。そのオルテンが……お前が持っている爺さんの宝剣を引き取りたいって言うんだ」