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◇
その夜から当面、レティシアは大公のお屋敷に客人として住まわせてもらえることになった。
一緒の部屋で寝るというフェイの主張は丁重に丁重に辞退した。
フェイと離れてしまったのは少し心細いけれど、女性と分かった以上さすがにそれは無い。
それに、ゆっくり休養できる環境はありがたかった。なにしろまだ足元が波で揺れている気がするくらいだ。
広々とした客間でひとり。柔らかなローブに身を包んでベッドに横たわって、芯まで染みこむ静寂を味わった。落ちついて眠れるのは本当に久しぶりだ。
ひとりになって、レティシアはラン爺の宝剣を胸に、改めて考えた。
(私はフェイにとって『嫁』?……それとも『婿』?たまたま船の上で知り合っただけの関係なのに?)
他に行く宛てもなく誘われるまま、フェイの男気を頼りに着いてきてしまったけれど。
まさか本気で結婚とか、いきなりそこまでの話は、まったく考えていない。フェイだけが何故かあんなに乗り気でも、周りの誰も真剣に取り合わないだろう。
昼間レストランでナフタンが見せた、訝し気な視線。兄大公の、まったく耳を貸す気のない態度が良い証拠だ。
『妹はあの夜のことを、ずっと悔やんでいたんですよ』
ふと、そのサザレイの言葉が脳裏によみがえった。
(フェイが私を構うのは、遠い昔の負い目のせい?)
そんな必要、全くないのに。ただ、どこにも行き場のなかった自分に居場所を作ってくれただけでも十分だ。
王太后のいいなりに嫁ぎ。フェイの言うなりにこの国に招かれ。
(私は何がしたいの……それとも、何もしたくないの?)
フェイのように。自分の進む道や生き様を自分で決め、その通りに実行するなんて。そもそも、自分がどうしたいのか自分で考えるなんて、そんな恐ろしいことなど、とてもできそうにない。
考えただけで震えがくる。絶対にやりたくない。
(せっかくフェイが決めてくれたんだもの。今はこのままで十分……本当は、姉上との約束を果たしたいけど……とうてい……)
そんなことを考えるうち、いつの間にか眠ってしまったらしい。
遠くから呼びかけられる声に、ようやくはっと目を覚ました。
「レティシア、起きて」
「は……っ、フェイ?」
「やっと起きたな。何度も呼んだんだぞ」
真上から顔を覗き込まれて、慌てて飛び起きた。
いくら疲れていたとはいえ、枕もとで名を呼ばれていても気が付かなかったなんて。ありえない。気を抜きすぎだわと、かーっと赤面した。
寝起き姿を見られると、さすがに男とばれてしまう恐れがあるので。王宮で暮らしていた時には、わずかな人の気配でも飛び起きてしまうくらい、気を張り詰めていたのに。
「おはよう。ぐっすり眠れたみたいで良かったな」
いつの間にか窓が開いていた。夜はまだ明けたばかりのようで、東の空から清浄な朝焼けがさしこむのを感じる。
フェイはバルコニーから入ってきたらしい。外には、大きな翼を広げた竜が、体重をまったく感じさせない姿勢でちょこんと手すりにとまっていた。
「海竜だけじゃなくて、飛竜もお友達なの?」
「これは兄上の使役竜だ。お前と朝の散歩に出かけたくて、ちょっと借りた」
フェイが手招きすると、竜はバルコニーに下りて、乗れというように背を屈めた。サザレイの竜とはいえ、フェイにも随分となついているように見える。
「まあ……竜の背に乗って散歩?」
「そう。朝早くに起こして悪いな。お前に、見せたいものがあるんだ」
フェイに手を支えられ、レティシアはおそるおそる飛竜の背に乗った。翼をぴんと張り、二人を乗せた竜はたちまち空へと舞いあがる。
「しっかり掴まってろよ」
「そ、ええ」
言われなくてもそれはもう。いきなりの空の旅なんて、王宮育ちには無理すぎて。竜の鞍とフェイに、レティシアは全力でしがみついていた。
屋敷がみるみる小さくなった。坂道の上を通り過ぎ、丘を越え、その先には当然ひろい海が広がっているはずだった。
代わりに目に飛び込んできたのは、高くまっすぐ伸びた塔の姿だった。
「まあ。こんな所に塔が……」
「あれが竜塚のうてなだ」
目標の四角い塔の上に、飛竜はなめらかに舞い下りた。レティシアは手すりに駆け寄り、その眼下に広がる景色に目を見張った。
そこにあるはずの海はなかった。
かわりにあったのは、広大な大地。その至るところに目につくのは。
(竜が……竜が、こんなにたくさん……!)
高くそびえたつ塔から視界の届く限り。淡く緑にかすむ、はるか地平線の彼方まで。静かにたたずむいくつもの竜の姿があった。
どの竜もまったく動かない。目を閉じて、眠っているようにも見える。中には、風化してあきらかに骸と分かる竜もいる。
「昨日見てきた街は表の顔。この塔から先が本当のマーレハス、竜の墓場だよ。俺の一族でも、一握りの人間しか入ることを許されない聖地なんだ」
「どの竜も……亡くなっているの?」
「ほとんどは。あと、寿命が尽きるのをここで待ってる竜もいる」
竜の最期は永い。何千年も生きる長命種の竜は特に、人間ならものの数刻で終わるようないまわの際が、何年、時には何十年も続いたりする。
竜がつつがなく最期の眠りにつけるように守るのが、俺たち一族の務めなんだ。フェイは静かに説明した。
「亡くなるまでずっと見守るの?」
「その後もさ。むしろその後の方がずっと長いかな」
生前の姿をそのまま留めたい竜もいれば、土に還りたい竜もいれば、子供たちに囲まれて街中でにぎやかに過ごすのが大好きな竜もいる。
竜の数だけ希望の形がある。
「できるだけ竜の願いに寄りそい、かなえる。俺の一族はそのための力を竜から与えられているんだ」
巡回してくるからここで待ってて、と言いおいて。フェイは再び飛竜とともに風に乗り、竜塚の空に飛んで行った。
竜塚の上空を舞いながら、それぞれの竜の遺骸の間をぬうように、丁寧に巡っていく。
崩れかけた竜を見つける毎、魔法を使って修復しているようだった。
『お前の力は、こんなくだらない争いで使っていいもんじゃない』
ふいにレティシアは、ラン爺の言葉を思い出した。
つまりフェイが持っている石の魔法は、竜のための石化の力。竜の姿を留め、安らかな眠りを守るためのものだったのだ。
(久しぶりに一族の本拠地に戻って、そのつとめを果たすところを見せてくれたのね)
なんて立派で尊いお役目なのかしら。フェイにぴったりだわ。
レティシアがほれぼれと眺めていると、しばらくしてフェイはまた塔の上まで舞い戻ってきた。
「2年ぶりだからな。あちこち傷んでて、一度に直すのは無理そうだ」
額には玉の汗。沢山の魔法を使ったせいか、ちょっと疲れたように見える。
「あなたはもう故郷に戻ったのよ。フェイ。無理のないように進めましょう」
「ん」
「フェイの一族は、この地に根ざして竜の墓場を守ってきたのね」
「そうだ。俺の親も、そのまた親も、その上のずーっと祖先までみんな。俺は兄上の片腕になって、この地を守る。誰にも邪魔させない。竜たちの最期の時も、その眠りも」
フェイがゆっくりと紡ぐ言葉は、厳かな誓いのようだった。胸の奥が、ちり、と疼いた。
(なんだろう。フェイはとても立派なことを言っているのに……)
ただ感銘を受けたのとは違う。少し羨望も混じっている。じれったいような焦りも。
「さあて。屋敷に帰るか」
そうしてまた、来た時と同じように竜の背に乗って屋敷に帰った。
飛竜を自在に操るフェイの横顔を、レティシアは傍らからこっそり眺めていた。
姫の立場で一族を率いて課せられた使命を果たす。誇り高いフェイ。
この確固たる礎に守られた聖なる地と。滅ぼされて跡形もない自分の一族と、なんていう違いだろう。
(フェイを見ていると分かる。今の私が、自分の一族をどうこうしようなんて、とうてい無理なこと)
フェイは誰とも違う。飾り気はないかわり、内側から宝石のように輝いている。ちっとも姫らしくない、むしろ覇気にあふれる勇者のような。それでいて可愛らしいフェイ。
比べると切ないくらい、自分は弱くてちっぽけだけれども。
はずれの魔法でも、自分にしかできない、誰かの役に立つ使い道があるのなら。
フェイの力になりたい。
レティシアは初めてそう思った。