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 お腹も気持ちも満たされた食事を終えて。

 次にフェイがレティシアを誘ったのは、長い坂を上った丘の上にある、大きなお屋敷だった。


 花畑に囲まれて、広々とした白い壁が続いている。

 高い格子の門をくぐり、青いモザイクのタイルを敷き詰めた小路の先に、長身の若い男性が立っていた。


「兄上!」


 フェイが勢いよく駆け寄っていった。


(この人が……フェイが兄上と呼んだということは)


 マーレハス大公。フェイとは十才あまりも年長に見えるが、それでもまだかなりの若さだ。

 ゆったりとした品の良い衣に身を包み、背には長く伸ばした黒髪を、銀糸の組紐で束ねている。


「フェイ!」


 わずかに身を屈めて手を広げ、飛び込んできた身体を軽々と抱き止める。

 フェイと同じ銀色の瞳が、妹姫の姿をうつして優しく微笑んでいた。


「お帰り、フェイ」

「兄上。わざわざ表まで出迎えてくれたのか?」

「当たり前だ。2年ぶりだぞ。お前の魔法が感じられなくなってどれだけ心配したか」


 大公はフェイの体を離し、じっくりと頭から足元まで見下ろした。感心したようにつぶやく。


「しばらく見ないうちにすっかり育ったな」

「軍に捕らえられて、魔力封じの枷に囚われてたんだよ。レティシアが逆巻きの魔法で助けてくれたんだ」

「ほう?」


 二人分の視線をあびて、レティシアはおずおずと進み出た。

 近くに寄ると、サザレイの体の厚みに気づく。背が高いだけでなく、優雅な衣の下はかなり鍛えられた体躯を隠しているようだった。


「お初にお目にかかります、大公さま。レティシアと申します」

「私はサザレイだ、美しきお客人……いや、これはまた。そなたには美しいという表現では、月並みすぎて気恥ずかしいくらいだな」


 大公サザレイはレティシアの美貌をすらすらと称賛した。こういうことを照れも気負いもなくごく自然に口にできるのは、兄妹そろっての資質らしい。


「しかも、妹の命の恩人でもあるという。国をあげて歓迎しよう」

「とんでもないことでございます」


 恐縮するレティシアに、大公はまあまあと人好きのする笑みを向けた。

 二人は屋敷に入り、奥にある貴賓室へと通された。レティシアは手入れの行き届いた美しい椅子に、上品に腰かけてふうと息をついた。


 王宮育ちで、外の世界はほとんど知らない。これだけ長く歩き回ったのは初めてだった。まして見るもの聞くものが珍しい異国の街だ。胸がどきどきし通しなのは、歩き疲れのせいだけではない。


 レティシアの様子に、サザレイがいち早く気づいて声をかけた。


「客人はお疲れか」

「いいえ。すばらしい調度に感動しておりました」

「この部屋に、そなた以上に価値のあるものなど見当たらぬよ。……それに初対面ではない気がする。以前、どこかで会ったかな?」

「ど、どうでしょう」


 レティシアはたじたじとなってうつむいた。兄妹そろってずいぶんと積極的すぎて困ってしまう。

 その姿をじっと眺めて、サザレイはポンと手を打った。


「そうか、奇縁だな。どこかで見たと思ったら、フェイ、いつぞやお前が百叩きになった、例の姫じゃないか?」


(ひ……百叩き?)


 耳を疑うレティシアに、サザレイは懐かしそうに目を細めて語った。


 今から何年も前、マーレハスから外交のためにラーマルス国を訪問した時。まだ小さかったフェイがやんちゃして、王家の姫をこっそり海に連れ出してしまったのだという。


「姫君の姿がないということで宮廷が大騒ぎになりましてね……いや懐かしい。妹はあの夜のことを、ずっと悔やんでいたんですよ」

「ちょっと兄上!いきなりバラすなよ!」

「なんだ、秘密にしてたのか?隠しておきたいなら、先に言いなさい」

「いまの流れでいつ止める暇があったんだよ」


 仲良くじゃれあっている兄妹をよそに、レティシアは例によってまたショックのあまり固まってしまっていた。


「成程なあ。びっくりすると、本当に石になるんだな」


 感心したフェイの声を受けて、ようやく息を吹き返す。


「フェイ……あの夜の、あの小さい男の子は、あなただったの?」

「さよう。捕らえられた妹は、あえて身分を明かさなかった。代わりに誘拐未遂の咎で百叩きにあったんですよ……まあ、子どもだったので大分手加減はされたでしょうが」

「そんな……」


 勇気を振り絞った逃亡を、セザルに阻止されて。

 大勢にひきずられるように王宮に連れ戻され、王太后に手ひどく折檻されたあと塔に監禁された。

 もうひとりの子どもがどうなったかなんて、想像も及ばなかった。


「ごめんなさい……フェイ。私……」


 うつむくと大粒の涙がこぼれた。あの夜のことを、こんなに大事にずっと覚えていたのに。

 その子がどうなったか考えもしなかったなんて。

 成長した本人に会っても、気づきもしなかったなんて。


「レティシア、頼むから泣くなよ。お前がそんな風に泣くと、俺はなんだか胸の中がぐしゃぐしゃになるんだ」

「だって、知らなくて……フェイ。どうして教えてくれなかったの?」

「言えるかよ。恰好悪い」


 ここから連れ出してやるなんて大口たたいて、結局、助けられなかったのに。

 フェイは珍しくバツの悪そうな顔になって、ぷいと横を向いた。


「俺にとっては初黒星の、逃げ損ねたあの夜のことを、お前は今でも宝物みたいに大事に思ってる。邪魔をしたあのクソのことも忘れて『剣聖さま』なんて慕ってるし。しかも俺は名乗りを上げようにも、またしくじった挙句に奴隷身分で鎖につながれてて……」


 処置ナシ、という風に肩をすくめた。

 レティシアは額を押さえた。確かにそれは、申し出にくい状況だろう。


「フェイ。気づかなくて本当にごめんなさい」

「いいんだ。もう気にするな」


 半泣きで詫びつづけるレティシアの頭を、フェイが優しくなでなでして慰めた。


「ごほん」


 この場に私がいるのを忘れないように。

 そんな咳払いに背を押され、二人はぱっと姿勢を正してサザレイに向き直った。


「それで。お前は今度こそその姫君を攫ってきたというわけかな?」

「それだけじゃない。えっと、兄上。俺、こいつと結婚したい」

「フェイ!」


 レティシアは慌てた。

 それは今ここで言うことではないだろう。兄妹の間柄とはいえ相手は大公だ。子供の冗談ではすまない。


「結婚?」

「あ。こいつ、見た目はこんなだけど、中身は男だから」

「……男」


 不思議そうな表情でまじまじと見たあと、サザレイは再度こほんと咳払いした。

 妹姫の恩人兼客人をもてなす雰囲気はそのままに。すっと目に見えないカーテンが間に下ろされるのをレティシアは感じた。


「そういうことなら、その話はまた今度にしよう」


 せっかく勇気を出して言ったのに。

 あっさりはぐらかされたフェイは、むきになってサザレイに食ってかかった。


「兄上、どうして!?」

「お前には先にすることがあるだろう」


 優しげな表情を浮かべたまま、さらりと突き放すように言う。


 久々に家族と会ってすっかり『妹』になっていたフェイの顔が、その言葉にすっと引き締まった。





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