違う、そうじゃない
鞄から、ボディ用のウエットペーパーを取り出して、手や脚や…その他色々を拭いていく。
彼女も、せっせと自身の脇や乳房の間や首筋、お股の辺りも拭いている。
「ん~…すーすーするっ。」
彼女はそう言って、ぶるっと身体を震わせた。
敏感な部分を拭くには、メントール成分の入ったボディペーパーは少し刺激があるのだろう。普通のティシュを取り出して、改めて拭き直していた。
そうして、お互いの身体のケアを終えて、服を着直す……。
が、彼女は先程まで穿いていたぱんつをどうしようか迷っているようだ。
「……濡れちゃった?」
「うん…、すこしね。」
ふむ。
少々短命ではあったが、充分な武功は挙げたであろう。
彼女の穿いていたぱんつは、ここで一旦戦列から下げることにしよう。
「じゃ、それ脱いで。別のにしようか?」
「うん」
彼女はすぐに承諾して、半脱ぎだったぱんつを脚から抜いて洗濯ネットに入れて仕舞っていた。
代わりは、どれにしようかな……。
僕は持ってきた大量のぱんつを、ごそごそと探って選んでいく。
その中で、安物ではない、サイズの関係で穿けなかったお気に入りのものが目につく。
「あ……、これがあったんだ」
これは、最初期に買ったのだがやはりサイズが小さくて穿けなかった、3枚組の紐ぱん。
色が、割とシックというか彩度の高くない、和風っぽい趣の色合いの薄手の紐ぱんを取り出す。
取り出したそれを見て、彼女が少し驚く。
「わ…、ちゃんとした紐ぱんだ。」
そして、彼女も興味を持ったようだ。
そう、これはいわゆるセクシー系には振っていない、普段穿きができるような意匠の範疇に収まっている、おしゃれで清楚な紐ぱんなのだ。
黒、紺、紫の三色セット。
改めて、拡げて操に提示する。
「どれがいい?」
すると、彼女は手にとって、
「ん~…どれも濃色系だね……、ちょっと色がよくわかんない…。」
そう言って、運転席側とを隔てていたカーテンをほんの少し開けて外光を取り入れる。
先程までの人工の暗い光と違って、自然光を受けたぱんつは控えめながらも鮮やかな色合を見せていた。
「……ん~、普段だったら、黒…って言うんだろうけど。」
ちょいちょいと、拡げて光にかざして比較して、それからおもむろに…、
「ちょっと冒険して……これかな?」
彼女が選んだのは、紫。
そして、再びカーテンを閉じて、紫の紐ぱんを身に着け始める。
「ん……?これ、先に紐…結んでおいたほうがいいのかな?」
彼女が僕に聞いてくる。
「……正式にはどっちかわからないけど、僕は穿きながら結んでるかな。締め付け具合って結構微妙なんで、穿いてから結局また解いて調整することになっちゃったりするから。」
なるほどね…、と言って彼女は座ったまま穿こうとしている。
しかし、当然ながら左右が連結されていない結ぶ前の紐ぱんは身体に全く固定せず、なかなか難しそうだ。
「…えー、これどうすれば良いのかな…」
確かに、僕も普段は立ったまま穿いている。その場合は、踏み台に片足をかけて太ももを水平の状態にしてそこに絡ませるようにして固定しながら結んでいるのだ。
しかし、狭い車内ではそんな事はできない。
そんな操の姿を見て、──あることを思いついた。
購入者のレビューの中に、少し興味深いものがあったのだ。
「操、ちょっと横になってみて?」
僕は彼女をもう一度寝かせる。
「…?」
彼女は不思議そうにしながらも、素直に身体を横たえた。
「穿かせてあげるから。」
この手のぱんつは、若い人の……、いわゆる性的に活発な世代のものだと思っていたのだが、デザインの穏やかな紐ぱんのレビューに含まれていたのが、介護現場で重宝しています、という文言。
寝かせたままの状態で脱着がしやすく、とてもいいということらしいのだ。
確かに、形状としてはおむつと同様とも言える。
その延長上で、ぱんつも履かせるられるというのは、確かに便利かもしれないと思っていたのだ。
「え、えぇっ…?」
彼女は戸惑っている。
……まあ、当然か。
「だが僕には、やましい気持ちは半分くらいしか無い。」
「……半分あるんかい」
彼女がつっこむ。
……どうやら、心の声が漏れてしまっていたようだ。
だが、つっこまれたことで少し冷静になれた。
僕は、彼女の両脚を持ち上げて、ひっくり返すようにしてお尻まで浮かせる。
「ひ…やぁ…?…恥ず…かしっ…」
さっきまで身体を重ねていたというのに……、一旦気持ちが平常に戻るとこんなものかな。
浮かせたお尻の下に、拡げた紐ぱんを裏表を確認して敷いておく。
そして、持ち上げた脚を下ろして、お尻をその上に乗せていく。
それから、少し足を開かせて、紐ぱんの前身頃を彼女の茂みを覆い隠すように上に被せていく。
ここまでくれば後は、両サイドの紐を結ぶだけだ。
僕が右を結んでいると、彼女は自分で左側の紐を結んでいた。
「……なるほど、確かに寝た状態だとふつうのぱんつより穿かせやすいかも。」
僕が、そんな感想を漏らすと、
「……介護される方って、こんなに恥ずかしいんだね……。」
彼女は彼女で、そんな感想をこぼしていた。
「しょうがないことかも、だけど……いくら歳を取ってからでも…これは抵抗あるかも……。介護する側になったら、気をつけないとね…。」
彼女は、持ち前の気遣いから、そんな考えも持ったようだ。
……人は必ず老いるものだ。そして、それはゆっくり確実に進行する。
忘れてはいけないが、「ある日突然老いる訳では無い」のだ。
若いうちに老後を考えると、何故か笑われたり馬鹿にされたりするのだが、ちゃんと日頃から頭の隅に置いておくべきものだと、僕は思うのだ。
いつまでも若いふりをして、若い頃のままに振る舞われるのは、周りだって迷惑だろう。
きちんと、自分の年齢、老いと向き合い、《《降りて征く生き方》》ができるように考えて生きていきたいと願っている。
「……そうならないように生きたいけど、どうなるかなんてわからないからね……。」
彼女は、自分が介護される側になる……そんな心配もしているようだ。
「心配しなくても……、操は僕がちゃんと看取ってあげるから。」
そう言って、僕は彼女に微笑みかけた。
すると、彼女は少し困ったような、照れたような顔をしてから、
「……天音のそういうとこ、……ちょっとずるいと思う。」
そう言って、ゆっくりと身を起こし……僕にぎゅっとしがみついてきた。
「…………私が死ぬまで…大事にしてね?」
「もちろんだよ……だから、長生きしようね……。」
彼女のほうが、僕より歳上だ。
その上、現状では女性の方が寿命は長いのだ。
……いずれ、僕は一人遺されるのかもしれない。
でも、その寂しさを彼女に味わわせない為だったら、
……僕はその苦しみを、引き受けられると思う。
ぱんつを丸出しにしたまま、暗い車内で……お互いを感じながら、
しばらく僕たちは抱き合っていた。
………………
着崩れを直して座席に戻り、それから彼女は、持ってきていたお湯でお茶を入れてくれた。
出発前に、ミルを作動させる音が聞こえていたが、どうやらお茶の葉を挽いて粉にしていたようだ。
出先でお茶を入れると、お茶殻が出てしまって処理に困るのだが、抹茶であればその心配もない。
淫熱の籠もっていた車内を、お茶の香りの静謐さが中和してゆく……。
「はぁ~…おいしい…。」
「ほっとするぅ~…。」
先程までの痴態を全く感じさせない、まるで老夫婦のような雰囲気さえ漂わせてお茶を楽しむ。これも、賢者タイムってやつだろうか…?
落ち着いた気持ちで車外を見ると、停車時にいた大型トラックはいなくなっており、代わりに乗用車が二台ほど停まっていた。
ゆさゆさと揺れる車体を…見られていたのかと、思わないわけではなかったが、どうせもう会うこともない人たちだろうという達観もあった。
「さて、いいかな?」
「うん、おけー!」
彼女はベルトを締めてそう答えた。
僕はエンジンをかけて、また車を走らせ始めた。
……………
高速道路というのは独特だ。
仕事で使うことが多いためかもしれないが、この先どこまでも走っていけるという不思議な高揚感をもたらしてくれる。
今はまだ、交通量がさほど多くない、この日本海東北自動車道ではあるが、全線開通となればそれなりに交通量も増えるであろう。
先に全線開通した太平洋側の三陸道の方は、交通量こそ多くはないが、利用者の多くがプロドライバーと営業車という状況で、これはこれで非常に意義があると思える使われ方だった。自分も仕事で使うことが多いので、理想的とも思える。
一般車両が少ないと、使いもしない道路に金をかけるとは!と言われるのかもしれないが、経済を回すための業務車両がスムーズに動けている現状というのも重要なことではないかと思えるのだ。
以前あったという施策、高速道路休日1,000円のときには、休日は仕事に高速道がとても使えないという状況で、本末転倒な事態を引き起こしていたことを思うと、一般車両が多すぎるというのも考えものだからだ。
行楽に車を使うのも、一つの選択肢で自由ではあるのだが、現状道路インフラは溢れる一般車両をさばき切れるほどのものではないことは、GWや年末年始を見れば明らかだ。
一般客の移動のための鉄道なのだから、車は平日にこそ動かそうという気になるのだ。
今日の行楽を平日に設定したのも、そういう理由があってのことだった。
だが、そんな理想論とは別にして、僕らの車はほどなく一般道へ通りていく。
これから、秋田県と岩手県を横断して太平洋側まで出る。秋田県の横手ICに出るまでは一般道を行く予定だ。
だが、そこは平日。
車通りもそれほど多くなく、交通は至ってスムーズ。一般道は、景色の移り変わりも楽しく、止まりたいところで止められるという自由度に恵まれている。高速道は、移動に関してはこの上なく安楽だが、景色を楽しむという面では一般道に劣ることもあるのだ。
「この辺は、まだ紅葉には早いね~。」
「そうだね、もう少し北上すれば、色づいてるかな。」
操の感想に僕も相槌を打つ。
天気も悪くない、気分も上向きで自然豊かな国道107号線を東へ。
──────
清々しい田舎道を走りながらも、二人の会話の内容は……再び、ぱんつの事になっていた。
「───どう?穿き心地は?」
僕が尋ねると、
「うん、思ってたよりずっと普通。……ちょっと生地が薄いから、体調によっては不安があるかもしれないけど。」
行為の後、ということで彼女はぱんつに《《おりものシート》》をセットしていた。生理用より薄いナプキンみたいな物だ。
「ちゃんと《《羽》》にも対応できるようになってるし、これなら普段でも穿けそう。」
それはよかった。
いくら知識を入れても、実際に使用してみての女性の実感は女性でないとわからない。
彼女の感想を蓄積して、彼女にぴったりのぱんつを選んであげるのが、僕の当面の課題だ。
「ごめんね、上下で色がちぐはぐになっちゃって……。」
「あはは、それはしょうがないよ~、揃いものじゃないし。……あんまり人には言えないけど、あたし上下きっちり揃ってないことも多いし…。」
予期せぬ《《お色直し》》が入ったため、流石に上下揃える訳にはいかなかった。もし彼女が承諾してくれるなら、彼女のためのぱんつローテーションが組めるくらいのラインナップを、ゆくゆくは揃えてあげたいと思う。
しかし一方で、ブラに関しては……僕とはサイズが違いすぎるから、正直な所…選んであげるというところまでは到達できないかもしれない。あの胸の大きさの差は、如何ともしがたいからだ。
哀しいけど、僕…貧乳なのよね。
そんな僕の気持ちとは裏腹に、彼女は出発前に僕が提示したぱんつローテーションの表を見ながら、愉快そうに話す。
「───今回は、スポブラだけの予定だったんだね~。あたしが替えさせちゃったけど…ふふっ。」
思考していた内容と、話題が重なる。
「うん…。ブラ着けたときにね、胸に隙間ができるのは、まぁ…ある程度は仕方ないとは思うんだけど…。物によってはやっぱり胸が盛り上がっちゃうから……。周りから分かっちゃうんじゃないかって気がして…。」
「あぁ~、なるほどぉ。夏とか、厚着してない季節だと難しいかもね。」
「うん、そうなんだよね。……だから、秋が深まってくるとちょっとワクワクするんだ。いろんなブラが着けあられる……って。」
あはは~、と笑って彼女は楽しそうだ。
ほんと、彼女と……こんな会話ができるなんて、僕は幸せものだ。
「──スポブラも嫌いじゃないんだけど、やっぱり凝った刺繍が施してあるのが、僕の中でのブラジャー像なんだよね。」
「それは分かるよ、《《スポーツ》》ブラ、っていうくらいだから、色気は無いもんね。」
「それに、スポブラはサイズの適合範囲も広めで失敗も少ないし……、ぱんつと違ってブラって安いやつでもそこそこするもんね?」
「そうよ~、3,000円くらいは覚悟しておかないと、ちゃんとしたのは来ないからね。……だから、気に入ったブラだけで一週間ローテ組むのって、結構難しいのよ?……世の女の子は、どうか知らないけど……。二軍のブラとかも結構使うし。」
彼女の胸をちらりと見て、僕は通販サイトのラインナップを思い出す。
「そっかぁ…、大きいサイズは数も少ないんだろうね……」
「うん、可愛いデザイン、ってなると余計に……ね」
彼女の場合は、特に胸が大きい。そのため必然的にブラの値段も嵩むのだろう。
ブラを常用している身としては、巨乳手当みたいなものがあってもいいんじゃないかとさえ思うくらいだ。
一方、《《貧乳》》の僕には別な悩みもあるのだ。
「僕の場合は……逆で、95のAとかBって、……そんなサイズ殆ど無いんだよね。」
そういう理由もあって、どうしてもスポブラ比率が高くなってしまうのだ。
すると彼女が提案してきた。
「男用のブラなら在るんじゃない?メンズブラ、って私の見てるカタログにも時々載ってるよ?」
──たしかに、ある。
95AAとか100Aとか、そんなサイズ女の人ならまずお目にかかれないだろう。サイズを見ただけで男用だと察しがつくほどだ。
「……うん、でも……それは、僕の中では違うんだよ……。」
僕は、苦悩の表情を隠しきれずに、そう答えた。
これは理解はされないと思うけど、それは僕の求めているものではないんだ。
いくら、デザインが女物と同じであっても、男用に作られていたら、それは《《男物の下着》》なのだ。同様に、ぱんつにもメンズシェイプという男の下半身に合わせて作れられた女物《《風》》のデザインのぱんつがあるが、これも同様に僕にとっては完全に男物だ。
男物のこんなデザインのぱんつなど、正直穿きたいと思わない、気持ち悪いとさえ思ってしまうのだ。
僕は……、女物じゃないと嫌なんだ。
女性化願望というのとは違うんだ、そういうのは全く無い。
女体への憧れは……無くは無いが、そういうのとは違うんだ。
僕は男のままで、女物の下着を楽しみたい。
自分でも変だと思うけれど、ここは譲れないんだ。
男物の女性風ぱんつなど穿くくらいなら、普通にトランクスでも穿いてたほうがマシだと思ってしまうんだ。
これは、合理的に説明はできない。
まぁ、性癖の一種なのだろう。
そう思うと……やはり僕は、変態なのかもしれない。
世に云う、LGBTQのくくりに無理やり当てはめれば、Qに当たるのだろうか?
「……むずかしいんだね?」
「……ごめん。」
彼女の控えめな答えに、僕は静かに謝った。
やはり、この趣味は無理があるのだろうか……。
一度解決したと思っていた不安が、また僕を覆い始めていた。
悩んじゃ駄目だ、深刻な顔をしていたら彼女の重荷になってしまう。
そう思って、僕は無理に笑顔を作って、……そしておどけたように答えた。
「……でも、世の中の流れがそっちに向いてるなら、僕もメンズブラに慣れていけばいいだけのことだから。あははは……。」
そして、ちらりと彼女を見た。
けれど……、彼女は笑っていなかった。
真剣な顔で、僕の方を見ている。
そして、僕の左手をぎゅっ、と握ってきた。
「……そうじゃないよ?」
「え……?」
彼女は、やはり真剣に答えた。
「世の中の流れなんて、殆どが経済原理だ、って……天音言ってたじゃない。」
……………
そのとおりだ。
メンズブラだって、マイノリティの気持ちに寄り添ったからじゃない。
企業が、売り物になると目をつけたから世に出回っているだけなんだ。
それが証拠に、僕の嗜好とはかけ離れた《《男用の女性下着》》ばかりが流通している。
「自分の気持ちを偽って、世の流れに迎合しちゃ駄目……、それは《《わたしたち》》が選んだ生き方じゃないよ……?」
………そのとおりだ。
「うん、そうだったね」
僕も彼女の手を握り返した。
「無いなら、探そう?……それでも無いなら、一緒につくろうよ?……それが、わたしたちが選んだ生き方だよ。」
彼女は、今度こそ……力強い笑顔を僕に向けてくれた。
折よく、赤信号に差し掛かる。
車が停まる。
信号待ちをしている車は、僕らの他にはいない。
僕は、操に身体を向ける。
そして、彼女の身体を引き寄せた。
「ありがと、みさお……」
「ん……」
僕は、彼女に顔を寄せて……そして、深く口づけをした。