ブラの、その前に
ほのぼのラブコメ、続きます
「上下揃いの下着、っていうコーディネイトの魅力に…。」
「あ~、なるほどね~。」
それぞれ単体でも魅力的だが、上下揃いで合わせたときの魅力的相乗効果は、ばつぐんだ。
少々値段は張るが、わざわざセットで買うだけの価値が、僕はあると思う。
「…でもね、先に着てみたいものがあったんだ。」
「ブラより先に…、ってこと?」
うん、と僕は答える。
「いきなりブラはハードル高いけど、上半身を覆うものなら、抵抗が少ないかな…、って。」
む?と、ちょっと彼女は思案したが、すぐになにかが閃いたようだ。
「あ、もしかしてブラキャミ?」
「正式名称は良くわかんないけど、…うん、スリップとかキャミソールとか…そういうの。」
なーるほど~、と彼女は納得する。
「確かに、それならサイズも結構アバウトでいいし……。」
そして、お気に入りの一品を取り出して彼女に見せる。
ベロア生地のすこし厚手で、縁にレース処理がされており、伸縮性もあるものだ。色は濃紺。
これは最初期に、たまたまセール品だったのでダメ元で買ってみたものなのだ。しかしこれが非常に物が良く、今でも寝るときに着ている。
「これ、最初は長持ちしないだろうなー、って思ってたんだけど、思いのほか丈夫でね、すごく気に入ってるんだ。」
「へー、温かそうだね、これ。」
「うん、買ったとき冬だったから。」
彼女はまた微笑む。
「やっぱり、実用性も加味してるんだ?」
「…貧乏性で…」
趣味なのに、完全に嗜好だけに振り切れないのが僕の弱さなのだ…。
「キャミソールは、操も時々着てるじゃない?」
「そうだね」
ちょっと躊躇したが、やはり正直に話そう。
「…無防備に、あれ一枚で部屋をうろうろしてる操が、結構好きで…。なんかあれを思い浮かべて僕も着てるんだ…。」
「そ、そうだったの…?」
ちょっと驚いている。
「部屋でも、無防備なのは良くない、みたいに言われたことあったから…、上になにか着るようにしてたんだけど。」
僕は、ごめん…、と謝った。
「あの頃、まだ付き合い始めだったし…、ほら、宅配業者の人来た時にそのまま出てったことあったでしょ…?」
彼女は、あー、そういえば…となにかを思い出した。
「他の男に、操のあんな姿見られたのが…悔しくて…、つい…。」
「あ、あ~…そういうことか…。」
操は納得したようだったけど、同時になんだかうれしそうだった。
そして、ちらりとこちらに視線を向ける。
「…じゃあ、せっかくだから…着ようか…?…今」
思いがけない提案に、胸が高鳴る。
「ほ、ほんと…?」
「うん」
その言葉を聞いて、ある欲望が芽生えてしまった。
「じゃ、じゃあさ…」
そう言って、下から2番目の引き出しを開ける。
そこには、買ってからまだ一度も着ていない物がストックされているのだ。もちろん洗濯はしてある。
そこから、薄紫色で滑らかな生地、胸の部分に刺繍が施してあるカップ付きのキャミソールを取り出した。
「あ、かわいいね、これ…」
それを見た彼女がそう言う。
「こ、こんなかわいいのも…着るんだ…」
なんだかちょっと恥ずかしそうにしている、
「これ、買ってから一度も着てないんだ…。」
そう言って、彼女に差し出す。
「…良かったら…、着てみてくれない?」
流石に、これは踏み込みすぎだろうか、と気持ちが焦る。僕もすこし酔っていたのかもしれない。
「その、…嫌なら、いいんだけど…。」
そんな不安に思わず、予防線を張ってしまう。
しかし、彼女は、
「え、いいの?これ…一度も袖、通してないんでしょ?」
袖が無いのに袖を通すというのも不思議だが、確かに未着用だ。
「うん、新品だったら…抵抗ないかな…って。」
すると彼女は、むしろ不思議そうに答えた。
「抵抗っていうか…、あたし天音の着たものだったら、全然平気よ?…その、天音が嫌じゃないなら…だけど。」
う…、そんなこと言われると…。
「…なんか、別なコトに目覚めそうで、危険だから…それはまた、おいおい…ね。」
すると彼女は、ぷっ、と笑って、
「なにそれ~?ヘンな趣味ってこと?…下着交換して穿いたりとか…?」
…想像して、ちょっと誘惑に負けそうになる。
だめだ、それ以上いけない…。
「…と、とにかく、じゃ…これ着てみて。」
そう言って強引に手渡し、話を遮った。
すると、うん、と言って、すぐにキャミを僕に返してくる。
そうだ、先に脱がないと着れないんだ…、あわてて変なことしてしまった。
彼女は、着ていたシャツを脱いでさらに僕に手渡してくる。
そして、ブラもはずす。
…流石、手慣れている。後ろ手で簡単に外して脱ぎ去ってしまった。
僕はまだ、背中に手を回しての鉤ホックの脱着が苦手なのだ。後で、コツを聞こうと思った。
そして、ブラも僕に持たせる。彼女の体温を帯びたブラからは、洗剤だけではない、もっと複雑で芳醇な香りがした。思わず、儀式(顔を埋めて深呼吸)を始めてしまいたくなる。
それを察した彼女が、
「だめよ嗅いじゃ」
釘を刺してきた。
残念…。
「あ、キャミソール姿…、てことは、下も脱いだ方がいいのかな…?」
そう言って、僕の方を見る。
正直、穿いたままでも充分なのだが、…せっかくここまできたんだ、欲望全開で行こう。
「う、うん…お願いします。」
そう言って答えた。
そして僕は、屈んでヒーターのスイッチを入れた。そろそろ部屋の中でも肌寒さが感じられる季節になってきた。下半身丸出しで、彼女に寒い思いをさせるといけない。
彼女は頷いてズボンも脱ぎ、ぱんつ一枚になる。そして、僕から薄紫のキャミソールを受けとる。
彼女は、肩紐を持って広げ、一度前後を確認してから足元に下ろし、脚を上から差し込んで穿くように身体を通していく。
肩紐を両手で持ち上げていく毎に、彼女の裸体が、薄紫で覆われてゆく…。
そして、胸の位置まできたところで、肩紐に腕を通していく。僕は、背中側に回って、少しだけ捻れていた肩紐を戻してあげた。
後ろ髪を一度かきあげてから、
「…姿見、とか…ある?」
彼女がそう聞いてくる。
僕は裏返しておいた、いつも使っている鏡を彼女の前に出して角度を調整する。
「わ……♪」
鏡に映った自分の姿を見て、一瞬驚いたが、すぐに楽しそうに、身体を捻っていろんな角度から確認している。
「ふふふふっ…なんか、…いいね~…これ」
真新しいキャミソールを着た彼女は、とても上機嫌だ。
よかった、サイズも悪くなさそうだ。
ぱんつと違って、上半身に身に着けるものは、割とサイズの適応幅が広い。ブラは例外的にかなり難しいが、伸縮性のあるキャミソールなら大丈夫そうだ。
彼女は、僕より5cmほど背が低いが、それでも女の人としては長身だ。
胸もそこそこ大きい。ブラサイズで言えば、80のEだと言っていた。
僕は95のBという、女性ではあまり見かけないサイズなのだが、ちょうどバストトップのサイズで彼女と同じくらいになるのだろう。
見た目だけならぴったりにも感じる。
「サイズ、どう?きつくない?」
彼女に聞いてみる。
「うん、ぴったり!…不思議ね~♪天音と同じサイズだなんて、ふふふ」
くるりと回って、僕に見せてくれる。とても楽しそうだ。
それに…、よく似合ってる。
「かわいいよ、すごく。」
自然とそんな言葉が出た。
そして…、言葉とは裏腹に、ちょっと嫉妬もした。特に、大きめの胸が作り出した谷間の周囲の景色は、自分では絶対に作り出せない。
やっぱりこれは、女の身体を包む為の物なんだ、という事実を…改めて突きつけられたような…そんな気がした。
だが、次に彼女は予想外の言葉を言った。
「ね…、今度は天音も着て見せてよ…?」
え…
「ぼ、僕?!」
なんでそんなこと…。
酔ってるのかな?
「私だけ、こんな格好してるの、ヘンだよ…。一緒に、おんなじ格好しようよ…?」
なんだか妙なことを言い出したぞ…
確かに、見慣れて貰えば彼女の前でも着られる機会が増えるのかもしれない。
だが、何度も言うが僕は見せるために着ているんじゃない。彼女が着てくれたら半分は目的が叶っているんだ。
──半分。
自分の思考で、改めて気づく。
半分…なんだ。
やはり、僕は自分でも着て楽しみたいんだ…な。
彼女が、着て見せて、とまで言っている。ずっと望んでいた結果だったはずなのに、なんでこんなに恥ずかしいんだろう…?
これは実は…彼女の、ただの気遣いなのかもしれない。
でも、もしかしたら…本当に望んでくれているのかもしれない。だとしたら…、ここで引いたら後悔する。
「もし…気持ち悪かったら……、いつでも言ってね…?」
「大丈夫っ!」
彼女はそう即答して大きく頷いた。
何がどう大丈夫なのか、わからなかったが…
僕は、意を決して、服を脱いでいく。
男物ぱんつにキャミソール、ひどく不恰好だったが、仕方ないか…そう思っていると、
「ぱんつも、合わせようよ…?」
彼女がそう言ってきた。
「え?ぱ、ぱんつも…?」
「うん♪」
そして、
「今夜は、二人ともこれで寝ようよ…あ、これ、着たままでも、…いい?」
彼女がそう言って、自分が着ている薄紫の肩紐をちょんとつまんだ。
「それは、…全然構わないけど…。」
彼女はずいぶん楽しそうだ。
なにか、予想外の方向に流れが変わっていったような気がするのは、気のせいだろうか。
寝るんだったら、いつも着ている、さっき紹介した濃紺ベロアのキャミソールかな…。
僕は、ぱんつの後ろにかけてある、キャミソールを取り出した。これは、よくある4点セットのキャミソールで、丈の長短2種類のキャミソールに、寝巻き用のズボンと長袖の上着が付いているのものだ。残念ながらズボンだけはサイズがいまいちだったので着ていない。
僕は、丈の長い方のキャミソールを選ぶ。
さて、どうしよう…
いや、正直に話すと決めたんだ。
「あ、のね…」
「うん?」
おずおずと話す。
「僕、キャミソールで寝るときは…下は穿かないんだ…。」
「え?ぶらんぶらんさせてるの…?!」
彼女が、驚いて口許を両手で押さえている。
ぶ、ぶらんぶらん……
まあ、そうなんだけど。
よく見ると、隠した口許が若干にやけているような…。やっぱり、変なのかな。
「……えっちぃ♪」
いや、彼女は、…うれしいというよりは、なにやら邪悪な微笑みを湛えているようにも見えた。
「それで行こう…それで!」
そんなことまで言い出した。
うぅ…恥ずかしい……
お風呂でなら、お互い全部見せ合ってるはずなのに…。部屋で着替え中だとなんでこんなに恥ずかしいんだろう。
だが、ここまできたんだ、意を決して全裸になる。そして、キャミソールを手に取り、やはり足元に下ろして脚から穿くように身体を通していく。
「うわぁ…♪」
彼女が、キャミを身に付ける僕を見ながら、ほほを両手で押さえて、興奮を隠さずにじっと見ていた。
胸を隠して、その後、左から肩紐に腕を通す。そして、右も。
丈はぎりぎり、僕の股間を隠す長さだ。
「え、…えっと」
裾をつかんで、男性が顔を出さないように下に引っ張る。
まるでスカートを穿き慣れない少女のようだ。
「こ、こんな感じなんだ…けど…」
すると彼女は、ぶんぶんと勢いよく頷いて、
「いい!いいよ…!これ…♪」
そう言って、僕の手を取って、部屋から連れ出そうとする。
「ね、このままベッドで、お話ししよ?」
う、うん。
僕は頷くと、慌ててヒーターの電源を抜く。忘れたら大変だからだ。
そして、照明を落として物置部屋を出る。
「先に座ってて。」
彼女はベッドに促して、自分は冷蔵庫の方に歩いていった。どうやら、飲み物を取ってくるようだ。
僕は、ベッドに腰かけて待とうとしたのだが、その体勢だと股間が丸見えになってしまう。
やむ無く、ベッドに脚も乗せて体育座りのような体勢を取る。
彼女が、グラスふたつと、水出しの薬草茶を持ってきた。
「はい」
そう言ってグラスを片方差し出された。
それを受けとり、なみなみと注いでもらう。
彼女もグラスを持ち、自分で適当に注いで、ベッドサイドのテーブルにボトルを置く。
「はい、かんぱーい♪」
こつん、とグラスを合わせる。
二口ほど、喉に流し込む。
火照った気持ちに冷たいお茶が心地よい。
彼女を見ると、にこにこしている。
「…やっぱり、変…だよね…、こんなの」
そう言って、僕は顔を伏せる。
すると、僕のその顔に…優しく、手が添えられた。
くいっと、彼女の方に顔を向けさせられ、そのまま顔が近づいてきた。
そして、唇が重なる。
数秒、お互いの感触を味わって、顔を離す。
彼女は、まっすぐに僕を見つめている。
「最初はね…、ちょっと変態っぽいかもって、心配したけど…」
ふふっ、と彼女は笑う
「話し聞いてたらね…、びっくりするくらい、天音そのものだった。」
彼女は、首に腕を回して、身体を絡めてくる。
「これ、変態とかとは違う方向性だ…って。オタク系とか、そっちの方向性の嗜好だよね。」
彼女は、そう結論付けたようだ。
考え得るなかで、最上の結果だった…いや、ここまで好意的に受け取ってもらえるとは予想もできなかった。
そう言って貰えると、正直…助かる。
「これなら…、一緒に楽しめそうだし」
一緒に…?
どういう、ことだろう。
身体を離して、今度は横に座って、寄りかかるように身体を寄せる。
「あたしね、見せる相手もいなかったし…、下着とか全然拘り無かったんだけど…。」
そう言って、彼女は着ているキャミの裾をつまんで、軽くひらひらさせる。
「こういうの…、いいなって、初めて思えたの。好きな人に選んで貰えたの、嬉しいし…。」
そう言ってから、少し寂しそうな表情が混じった。
「こういう、着てる服とか、下着とか…。そう言うこと話せる友達とかも…いなかったし。」
──彼女は、学生時代に少しだけいじめのような境遇にあったらしい。
通学が困難になるほどではなかったらしいが、それなりに辛い時期でもあったそうだ。
アドラー心理学に出会ったのは、その頃だという。
──狭い領域での人間関係に疑問や困難を感じたら、もっと広い世界の関係性に踏み出す。人間の関係とは、今いる場所だけで完結するものではない──。
そう、思えるようになってから、劇的に世界が変わったそうだ。
その事に、気づいてほしい。
…現状に苦しんでいる人が、いるならば。
彼女は、そう言っていた。
彼女も、僕に似て馬鹿正直な方であったのだろう。きっと、何気なく話したことや、相手を信用して話したことを、ことごとく相手に悪用され、立場を無くしていったのだろう。
出会ったばかりの操は、他人を信用しないように頑張っている姿が痛々しかった。根が優しいだけに、それは辛いことだっただろう。
僕と出会ってから…
僕も同じだよ…、ってわかってもらえてから、少しづつ心が解れていくのが感じられて、嬉しかった。
それまでずっとそうしてきたのなら、下着のことみたいな日常会話は、縁の無いことだったのかもしれない。
僕くらい、ある意味での割り切りができていれば、そんな友人もどきには価値が無いと切って捨てることもできただろう。でも、彼女は現代社会で生きる人だ。僕みたいに世捨人のふりをして生きていくのは、辛いだろう。
「だからね…、なんだか、女友達ができたみたいでうれしいの、今。……あ、嫌だったら、ごめんね?」
僕は、ふるふると首を振る。
「そんなことないよ。」
嫌なことなんてあるもんか。
操が喜んでくれるなら、僕にはそれこそが喜びだ。
「一緒に選んだ、下着で…一緒に外出とかしたら、楽しいと思う。外見上は普通の服着て…、下着だけすっごいの着て…ふふふっ♪」
そう言って、にこにことしながら続ける。
「他の人には見えない、秘密の格好で堂々と歩くのって、なんだかすごく楽しいって思うの。…だからね、今なら天音の気持ちがすごくよくわかるの…。」
すごいな、操は。
懐の深さが、底無しだ。
「そこまで理解して貰えるなんて、思わなかったよ。」
すると彼女は首を横に振った。
「そんな大袈裟なものじゃないわ…、これは、ただのささやかな…。」
趣味、
そうでしょ?
彼女はそう言って、楽しそうに微笑み、
…そして、僕を抱き締めてくれた。