第45話 式後の夜にて
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そして式が終わると、エマとロベールは公爵家専用の馬車でバルト公爵邸へと赴いた。
ロベールにとっては帰宅であるが、エマにとっては今日が初日であるので、まだそのような感覚ではなかった。
「お帰りなさいませ。若旦那様、若奥様」
屋敷の扉をくぐると、家令のベクターがよく通る声で挨拶をし、まるでそれが合図かのように両サイドに侍女と執事がそれぞれ立ち並んで二人を出迎えてくれた。
「ああ、ただいま戻った。皆分かっていると思うが、彼女はこの屋敷の次期女主人だ。皆よろしく頼む」
「「はい!」」
「皆さん、エマ・バルトです。本日からよろしくお願いいたします」
エマが微笑むと、皆一斉に辞儀をして応えた。
彼らは一呼吸置いてから顔を上げ、一同穏やかな表情をしているのでエマはホッと胸を撫でおろす。
「それでは、エマ。私は一度失礼をする。晩餐時に再び会おう」
「はい、閣下」
そして、それからエマは侍女に私室へと案内してもらった。
「素敵……」
その部屋は、これまで暮らしていた寮の個室よりもおおよそ二回りほど広く見え、よく見渡すと備え付けられた家具は自分が寮から持ち込んだ家具と、元々備え付けられていたであろう家具とが並んでいた。
ちなみに、寮から持ち込んだ家具は元々伯爵家のエマの私室で使用していた家具である。
それらは使い慣れているので、嫁いだばかりで馴染みのない場所にいる中、これらの家具があるだけでも心細さが消えていくように感じた。
「それでは若奥様。これから晩餐の予定ですので身支度のお手伝いさせていただきます」
侍女の名前はリラといい、今日からエマの専属の侍女となったそうだ。
「ありがとうございます」
正直なところ、着替えならよほど難儀な構造のドレスでなければ一人で行えるのだが、次期に公爵家の女主人となるからには侍女の仕事を奪うわけにもいかない。
侍女のリラが着替えのためにワードローブの扉を開くと、数十着以上のドレスが並んでいた。
それは、独身用のドレスのように複数の飾りが付けられているタイプのドレスではなかったが、どれも上等な絹を使用し品のあるデザインである。
また、それらは夫人教育のためにエマが屋敷に訪問していた際に、ロベールの母親である公爵夫人が仕立て屋を呼び制作の依頼をしたドレスであった。
そして、身につけていた外出着用のデイドレスから、緑色の肌の露出の少ない室内用のデイドレスを侍女に補助をしてもらいながら身につけた。
身支度が整ったのでリラと共に食堂へと向かった。
食堂へと到着すると、すでにロベールが自席で待っていた。
また、ロベールの両親もそれぞれ自席に着席しているが、彼らはひと段落がついたら領地を統括している城へと戻る予定である。
「お待たせいたしました」
「エマさん、とても素敵なドレスだわ。やはりわたくしの目に間違いはなかったようね」
今、エマが身につけているドレスは夫人の見立てで仕立てたものだが、彼女も気に入っているのであえてこれを選んだのだ。
今晩の晩餐は結婚式披露パーティーの後ということで、普段よりも量を減らして提供された。
といっても、エマとロベールはパーティー中は主に招待客に挨拶をして回っておりほとんど食事を摂ることができなかったので、久方ぶりの食事にエマは安堵をした。
ただ、公爵邸でこれまで何度か食事は摂っていても婚約者と夫人では立場も異なるし、ロベールの両親や使用人たちに取り囲まれての食事は慣れないためか中々食事を摂ることができず、なんとか目前のポタージュを完食させるので精一杯だった。
「それではお義父様、お義母様、おやすみなさいませ」
そして、食事の後に侍女に手伝ってもらいながら湯浴みを済ませて、寝間着のネグリジェに着替えると私室へと戻った。
「それでは若奥様、おやすみなさいませ」
「おやすみなさい、リラさん」
リラ本人や公爵夫人からは使用人には敬称は不要だと言われたのだが、交渉の末、しばらくはあえて彼らに対して敬称を付けて呼んでもよいことになったのだ。
というのも、実家には使用人はいたが、公爵家とは規模が違うし、せめて夫人教育の全課程が終わり今よりは胸が張れるようになるまでは使用人らには敬称で呼ばせて欲しいと本人や公爵夫人に願い出て、それが通ったのである。
それから一人になり寝台に腰掛けると、途端にエマの鼓動が高鳴っていく。
今夜は結婚後の初めての夜である。
慣例どおりであれば、エマの私室内の隣のロベールの私室と繋がっている内扉から彼が訪ねてくる頃合いであった。
コンコン
内扉からノックの音が聞こえたのですぐさま立ち上がって扉を開くと、ナイトガウンを身につけたロベールが立っていた。
たちまち、エマの鼓動が先ほどよりも激しく打ち付ける。
「こんばんは、エマ」
「こんばんは、ロベールさん」
「入室しても構わないだろうか」
「は、はい。どうぞ」
返事がぎごちなくなってしまったが、エマはロベールをどうにか室内へと案内することができた。
「不便なところはないか」
「はい。皆様よくしてくださっておりますので、快適に過ごさせていただいています」
ぎこちなく答えながらも、鼓動は遠慮なく打ち付けている。
「そうか、ならば安心した。そうだ、君に差し入れがあるんだ」
「差し入れですか?」
二人掛けのソファに並んで座り、ロベールがテーブルの上にバスケットを置きその蓋を開いた。
中には、卵のサンドウィッチやハムとチーズのブリトー、フルーツなどが綺麗に敷き詰められており、それを見た瞬間エマは緊張していた身体が解れたような気がした。
「ロベールさん、これは……」
「あり合わせですまないが、料理長に取り急ぎ用意してもらった。……あまり、夕食を食べられなかったようだから」
エマはピタリと動きを止めて、思い返してみた。
確かに緊張からあまり夕食を食べられなかったが、自分でさえそのことを失念していたのに、ロベールはそのことに気がつきこのように気を回してくれたのだ。
たちまち心が温かくなり、目の奥がツンと熱くなった。
「ロベールさん……」
エマは考えるよりも早く、自然にロベールの胸に飛び込んでいた。
「ありがとうございます」
「ああ」
ロベールはそっとエマを抱きしめて、彼女の栗色の髪を撫でた。
そしてエマの髪に口付けした後、唇にも口付けた。
「……さあ、よかったら食事にしよう」
「はい」
そうして、エマはサンドウィッチとブリトーを少しいただいた後、身支度を整えてから再びロベールと向かい合った。
「今日からよろしくお願いします」
「ああ、こちらこそよろしく頼む」
そして、二人はしばらく抱きしめあったのだった。