第4話 エマの過去
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エマは幼い頃から、幼馴染である男爵家の次男、カルロと婚約を交わしていた。
グランデ家には姉妹のみで嫡男がいなかったために長女のエマが婿をとり、彼が爵位を継承することで子爵家を維持する予定であった。
補足をすると、この国では女性が爵位の継承をする権利はないのだ。
だが、一年ほど前に妹のマニカが姉に虐められているとカルロに泣きついたことがきっかけで、こともあろうに二人はいつの間にか親密になり、妹のマニカがエマの婚約者カルロの子を宿してしまったのである。
そもそも、エマがマニカを虐めていたなどとは彼女の虚言であり、全くの事実無根であった。
エマの両親はマニカの不貞に青ざめたが、要は爵位の維持にはどちらかの娘がカルロを婿に迎えればよいので、エマには申し訳ないとフォローしつつ、マニカの不祥事は問題ないと判断したのである。
エマは共にグランデ家を継ごうと将来を約束した婚約者に簡単に裏切られ、カルロはマニカとつい先日に結婚式を挙げた。
エマは結婚式になんとか出席はしたが、式中は周囲からの哀れみや侮蔑の視線を感じ、逃げ出したい衝動を常に抱いていたのである。
そして、すでにグランデ家に居場所などはなかったが、つい先日までは肩身の狭い思いをしながらも領民の農作業の手伝いをしてなんとか日常生活を送っていたのだ。
その最中、伯爵夫人である伯母が領地へと赴き、王都へと連れ出してくれたというわけだ。
「お祖母様のお世話で精一杯で、婚約者のことを気にかけられなかったのは事実です。けれど、私は……」
その後は、涙が込み上げてきて言葉にできそうにない。
ケイトがエマの両手をそっと取り、握りしめた。
「あなたは悪くありません! 悪いのは全面的に妹君と唆された婚約者の方です! 全く道徳心に欠けた非常識な方々ですわ!」
「今はその通りだと思っています。……そして先ほどの王太子殿下のなさりようは、まさにその通りだと思うのです」
ケイトは何かに気がついたのか、ハッと動きを止めた。
「……そうですね。きっとシャルル様もカミラさんにうまく唆されたのでしょう」
「はい」
「そうであれば悪いのはわたくしではなく、まんまと唆されたシャルル様と唆したカミラさんですわね」
「そうです、その通りです!」
そう言った後、ケイトは心中の黒いものが晴れたかのような晴れ晴れとした表情をした。
「きっとエマさんは、ご自身が辛い思いをしたからこそ、わたくしを気にかけてくださったのですね。……あなたのお心遣いは決して忘れません」
「そのような過分なお言葉を……」
その先は胸に熱いものが込み上げてきて、言葉にならなかった。
「わたくしはきっともう大丈夫です。婚約を破棄されたことで、これから苦難が待ち受けていようとも、……なにがあっても挫けません!」
その顔は生き生きとして魅力的で、エマは漠然と永らく彼女についていきたいと思った。
「ありがとうございます、エマさん。あなたはわたくしの恩人です」
「いいえ、ケイト様。お礼はここまでお連れいただいた補佐官様に仰ってくださいませ」
「補佐官様ですか?」
疑問符を浮かべるケイトに、侍女のマリーが助言をした。
「宰相補佐官様が、こちらまでケイト様をお連れしてくださったのです」
「まあ、宰相補佐官殿が! それは後ほどお礼をお伝えしなければいけませんわ」
その直後、ノックの音が扉に響いた。
マリーが扉を開き戻ってくる。
「ケイト様、宰相補佐官様がお越しになられました。事情を伺いたいとのことですが、お通ししてもよろしいでしょうか」
ケイトはエマの方に視線を移した。
「よろしければ、ご一緒していただけますか?」
「よろしいのですか?」
「はい、是非に」
ケイトは寝間着を身につけているので、ロベールには仕切り越しに会話をするようにと前もって伝えてから、入室してもらった。
ロベールを一人にしておくわけにもいかないと、エマは仕切りを越えて彼の隣につく。
「ケイト嬢。まずは大事がないようでなによりです」
「痛み入ります」
「それでは、詳しい話を聞かせていただきたいのですが」
ケイトが詳細を話したあと、ロベールは小さく唸ったような声を上げた。
「やはり思った通りですね。ご協力に感謝をいたします」
「いいえ。……それで、王太子殿下はどのような処遇となるのでしょうか」
「そうですね。これから調査を行いますが、陛下のご様子からはあまり寛大なご対応はなされないでしょう」
「左様ですか……」
詳細は伏せられたが、今回の王太子の行動は完全なる彼の独断によるものだったらしい。
その事実のみからでも、おそらく国王は周囲の勢力を考慮して王太子に処分を下すのではないかと思われた。
そして、それを察したのかケイトは静かに目を伏せた。
あのような仕打ちを受けた相手とはいえ、やはりまだ情は残っているのだろうか。
「君が声を上げてくれたことにより、事態が好転するに至った。改めて感謝する」
「いえ、当然のことをしたまでですので」
ロベールは気持ちのよい笑顔を向けたが、おそらくエマに対してではなく、仕切りの向こうのケイトに対してだろう。
(もしかしたら補佐官様は、ケイト様のことを想っていらっしゃるのかもしれないわ)
そう思うとエマは新しい予感で胸が高鳴ったが、何故か自分の胸がズキリと痛んだ。
(それにしても、まさかあの時に助け船を出してくれた方が、宰相閣下の補佐官の方だったとは)
本来は雲の上の二人であり、下級貴族令嬢のエマは話しかけることさえ叶わないが、予想外なことで知り合いになった。
エマは境遇の似ているケイトを放っておけず、このまま彼女の力になりたいと強く思ったのだった。