第39話 真摯な眼差し
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そして、ロベールのエスコートで馬車に乗車し、エマは彼と向かい合って座った。
扉が閉められた後、御者も乗り込んだのか少し間を置いてから馬車がゆっくりと動き出した。
「コホン」
ロベールはそれがまるで合図かのように、小さく咳払いをした。
「君の様子が普段とは違うことは、先ほど君を伯爵家邸に迎えに行った時から感じていたことだ。……なにか、言い出しづらいことがあるのではないかとは思っていた」
「閣下……」
「それからそろそろ、いや、その提案は後ほどがよいな」
いざ懸案事項をロベールに話そうとすると、非常に言いづらく、なんと説明をしたらよいのかも迷った。
なので、別の話題を切り出そうかと思考をしていると、ふとロベールが力強い眼差しでこちらを見ていることに気がつく。
「ひょっとして、君はいわゆるやっかみを受けているのではないだろうか」
「…………」
こういう時、自分の心内を正直に打ち明けてよいものなのか非常に迷う。
だが、ロベールの瞳を見ていると自分の心の弱さが肯定してもらえるような気がして、誤魔化そうとする気持ちは起こらなかった。
「実は、……閣下の婚約に関する過去のお話を、王宮内で聞いたものですから……」
思わずエマは瞳を逸らした。
というのも、どういった表情でロベールに対して顔向けをすればよいのか分からなかったし、純粋にエマに彼と向き合う勇気が足りないからというのもあった。
ちなみに、その話はあえて誰に言われたとは伝えなかった。
ロベールがそのことを知ってしまえば、彼の立場上場合によっては動かなければいけなくなる可能性もあるため、それはできるだけ避けたかったからだ。
「そうか。打ち明けてくれてありがとう」
チラリと横目を向けると、ロベールはしばし口元に手を当てて、なにかを思案しているようだった。
「そうだな。……私から、その案件を君に直接説明をすることを控えていたのは事実だ」
エマは下を向けていた身体を起こして、背筋を伸ばしロベールの瞳を見た。
すると、その視線からは真摯さを感じ、エマの心はそれだけれで随分と解れたように感じる。
「そのことについては、ベクターさんから事情は伺っていました」
ベクターというのは、バルト家に仕える家令の名前である。
エマは、以前に彼からバルト公爵家の屋敷にて公爵家に纏わる様々な概要を聞いており、そのほとんどがロベールに関することであった。
「ああ。だが、君にわだかまりが残るのは私の本意ではないので、私からも説明をしたい」
「閣下……」
そして、ロベールは隣国の王女マチルダとの事情の説明を掻い摘んで始めた。
つまるところ、件の婚約話はキャサリンの推測どおり、バルト公爵が現国王の弟であるがための国絡みの政略的なものであった。
だが、その時ロベールは十八歳であり、王女マチルダは九歳であったそうで、それは家令の説明にはなかった事柄である。
「随分、年齢差があったのですね」
マチルダが九歳と幼いことも気にかかったが、貴族の婚約は幼い頃に親同士で婚約を決めることは特に珍しくもないことであるので、そちらはあえて言葉にはしなかった。
「ああ、そうだな。私は一度隣国へ赴きマチルダ王女と会ったこともあったのだが、物怖じをせず物静かな方だった」
ロベールの言葉に含むところを感じられないためか、エマは聞いていて嫌な気持ちは抱かなかった。
「だが、相手も私も会話を交わし国に戻り手紙でのやりとりを二、三行ったところで、婚約話は白紙になったのだ」
「……左様でしたか」
それは、王女が国外の公爵家に降嫁するよりも、国内の侯爵家に降嫁した方が内政を整えるのに有利だという、あちらの王家の判断からのものだったらしい。
「正直なところ、そういう経緯であるので、互いにそれを深く嘆くまでの信頼関係を築くこともなく親密というわけでもなかった。そもそも正式に婚約を結ぶ前であったのだし、互いに気持ちが芽生えていたとは言いがたいな」
少し苦笑した表情をしたロベールを見ていると、エマの脳裏にふとベクターからの言葉が過った。
『若旦那様は、自分のお相手は常に家のためになる方だと意識して、ご自分から結婚相手を探そうとはされませんでした。ですが、若旦那様はあなたを自らお選びになられました。私はそれが誠に嬉しいのです』
その時は、自分が公爵家のためになる相手ではないのではないかと思い、本音を言うと少し罪悪感を抱いた。
だが、今は形容はしがたいが、ロベールを慈しみたいという感情が強く湧き上がってきた。
そう思うと自然と言葉を紡いでいた。
「あの、閣下。そちらに座ってもよろしいでしょうか」
「ああ、もちろん」
隣に腰掛けると、ロベールを意識してなのか身体が熱くなった。その肩にもたれかかりたいと思ったが、そのような大胆なことをする勇気がなかった。
そのエマの思案を察してなのか、ロベールはエマの肩にゆっくりと腕を回した。
「エマ」
「……はい」
「そろそろ、私のことを名前で呼んでもらえないだろうか」
「名前……ですか……?」
「ああ。婚約をした間柄であるのだし、出仕中はともかくせめて私的なときは呼んで欲しいのだが、難しいだろうか」
ロベールに触れられている部分が、熱を帯びてくるように感じた。
まず、彼に対してなんと呼べばよいのだろうか。
愛称としてロヴィという呼び名を思い浮かべたが、とても呼べそうになかった。
「もっと色々な悩みを気兼ねなく打ちあけて欲しい。他人のために尽力する君を、私は少しでも支えたい」
そう耳元で囁く言葉がとても名残惜しく、このままときが止まればよいのにと思う。
「だからまず、呼び名を変えないか。できれば愛称が好ましいのだが」
「分かりました。ただ、愛称はまだ勇気が出ませんので……ロベールさんはいかがですか」
「さんもよいな……」
そう言ってロベールは、エマの右頬に手を添え、ゆっくりとその唇に自身の唇を重ねた。
「愛している、エマ」
「私も愛しております」
エマはきっと初めて口付けを交わした今夜のことを、一生忘れないと強く思った。
そして、二人は余韻に浸るようにしばらく抱きしめあっていたのだった。




