第32話 求婚
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ノックの音が響いた後、僅かな間を置いてから返答があった。
「入室するように」
「失礼いたします」
許可が得られたので音を立てないように入室すると、執務椅子に腰掛ける宰相であるロベールが政務の手を止めてこちらに視線を向けた。
「宰相閣下。王太子妃殿下からこちらの資料をお持ちするようにと、言い付けられて参りました」
「ああ、分かった。ただちに用意しよう」
エマから詳細が書かれているメモを受け取ると、ロベールはすぐさま資料を本棚から探し集めた。
普段ならば補佐官が駐在していて、こういったことは彼が行うはずなのだが、今日はどうしたのだろうか。
ただ、今は二十時を越えているので、補佐官はすでに退勤している可能性が高いのかもしれない。
だからこそ、先ほどケイトの執務室に王太子が気兼ねなく訪ねて来たのだろう。
執務時間内であれば、流石に王太子も睦み合うことは控えているらしいのだが、執務が終わるとどうやら反動が出るようだ。
そうなると、早く執務室へと戻り用事を済ませて、二人には離宮へと戻ってもらわなければ申し訳ないと思い至った。
思考を巡らせていると、資料と思しき数冊の本を入れた手提げ袋と共に、突然真っ赤な薔薇が視界に入る。
(もしかして……、この花束も妃殿下にお渡し願いたいのかしら⁉︎)
やはり、二年前に感じたあの視線と思慕のようなものは、王太子妃となったケイトへと向けられたものだったのだ。
また、これまで王宮勤めをしていて、あの時と同様の視線をロベールから感じたことがあったのだが、そのいずれも今思えば傍にケイトがいたように思う。
その際は、いつもロベールは切ないようなそれでいて情熱を含んだような視線を向けていた。
だから、先ほどエマは宰相室に入室することを躊躇ったのだ。
王太子妃となったケイトに対して、おそらく心憂いた恋慕の想いを抱いているだろうロベールに対して、どのように接してよいか考えあぐねていたからだ。
(もし閣下がケイト様をお慕いしているのだとしたら、今の私には耐えられそうにないわ……)
これまで、ロベールにはスミスやキャサリンの件でお世話になったり、自分が辛い時に紅茶やお菓子を差し入れてくれたりと大恩がある。
感謝しても仕切れないと思う一方で、彼に対して特別な感情も抱いていた。
ただ、ロベールはとうとう自分の気持ちを抑えきれなくなって行動に出たのかもしれない。
だが、ケイトは夫である王太子を心から大切にしているので、残念ながらロベールに対しては恋慕の心を傾けることはないだろう。
(もしかして、この際当たって砕けろ的な発想をして、想いを告白しようとしているのかしら……。絶対にやめておいたほうがよいと思うのだけど……)
お互い立場もあるのだし、そもそもきっと相手にもされないだろう。その際、ロベールに対して変な噂でも立ったら一大事である。
「失礼ですが、やめておいた方がよいと思うのです」
ロベールの顔が少し曇った。
「誰か好いた相手でもいるのだろうか」
(お、おりますよ⁉︎ あなた様の恋慕のお相手、ご結婚されていて王太子殿下と毎日あれほど仲睦まじく過ごされているのに、今まで仲のよろしさに気がつかなかったのかしら……)
心の声をそのまま言ってしまいたい気持ちになったが、なんとか抑えた。
「はい、おります」
ロベールの表情は更に曇ったが、真っ直ぐこちらに向ける視線には力強さがあった。
「そうか。……だが、私はそれでも想いを告げたい」
(と、とても強い想いなのね! けれど、やはりその先のことを考えないと大変なことになりかねないわ)
それこそ、下手をすれば婚約破棄騒動以上の騒ぎが起きてしまうかもしれない。
大変な爆弾を投下しないで欲しいと、心の中で叫んだ。
なんだか混乱してきたので、ともかく退室してどこかで水をもらおうと思っていると、いつの間にかエマの両腕には薔薇の花束がすっぽりと収まっていた。
「エマ殿、私と結婚して欲しい」
「いえ、妃殿下にはすでに王太子殿下がって…………、もしかして、………………わたくし…………ですか……?」
「ああ、そうだ。君しかいない」
(…………えっ⁉︎ わ、私⁉︎)
全く思ってもみなかった事態に、思考が追いついていかない。
だが、いつも無表情であるロベールの表情は柔らかく、眼差しが温かかった。
「君と初めて出会った時、必死に王太子妃殿下の元に向かって介抱した君の行動と勇気に惚れたんだ。あの後、すぐにでも求婚をするつもりだったが、君の伯母上に君がやりたいことをやり遂げるまで待っていて欲しいと言われ、考え直した」
思わず目の奥が熱くなった。
カレンといつの間にかそんなやり取りをしていたのかということもそうだが、二人が他者を、自分を想ってくれる気持ちが純粋に嬉しかった。
「君が王宮で働くようになり、君への想いがより強くなったんだ。いつも真っ直ぐ他者を思いやり誰かの役に立ちたいと率先して動いている、そんな君を心から愛している。私と結婚してくれないだろうか」
途端に涙が溢れて、薔薇の花々に溢れ落ちた。
──こんなにも想ってくれていたなんて……
「わたくしで……よろしいのですか? 身分も相応しくありませんが……」
「ああ、君が良いんだ。身分に関しては、今の立場が不安なようなら、君の伯母上は養子に迎えたいとも言っていた」
「伯母様……」
エマは必死に涙をハンカチで押さえて強く頷いた。
今まで、ロベールはケイトのことを想っていると思っていたことや、身分の差があることもあり諦めていた彼への想いが一気に心の中から解き放たれ、自分の気持ちに正直に向き合えたように思える。
また、先ほどの想い人の件は、誤解をしていたとも伝えた。
「私も、閣下をお慕いしております。初めてお会いした時、私の声に応えてくださって本当にありがとうございます」
あの時、彼が駆けつけて来てくれなかったら今頃一体どうなっていたのだろう。
きっと、意識を失ったケイトと共に、ただ周囲の嘲笑の渦に呑まれ、ケイトの悪い噂が瞬く間に広がったのだろう。
そして、ロベールは手を差し出し、エマもその手をしっかりと握りしめた。
二人はしばらくの間、微笑み合っていたのだった。
もとより、トラブルがきっかけで出会い惹かれ合った二人だが、きっとこれからの人生において例え何かが起こったとしても動じず、共に支え合って生きていけるだろう。
エマは強くそう思ったのだった。
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