第25話 ケイトの本心
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ケイトはそっと立ち上がると、椅子から降りて執務机の前に歩み出た。
彼女が身に纏っている深緑のデイドレスは、落ち着いた雰囲気を醸し出している。
また、先ほどクロエは退室したので現在室内にはケイトとエマのみである。
「あなたが、わたくし付きの女官を志願してくれたことに対して、心から嬉しく思います」
真摯な眼差しを向けられながら言葉を受けると、胸の奥が熱くなっていくように感じた。
「ただ、迷いもありました。この道にあなたを巻き込んで果たしてよいのだろうかと」
ケイトは視線をそっと外し続ける。
「もちろん試験は公正に執り行われましたし、わたくしの意見は参考程度であり直接関与はしておりません。あなたは、間違いなく実力で女官となったのですよ」
(そうだったのね……。ケイト様はそのようなことを私に打ち明けてくださって、本当に心根が温かい方だわ……)
エマは胸に込み上げてくるものを、必死に抑えた。
「これからよろしくお願いしますね、エマさん」
そう言って微笑んだケイトは、エマにとって特別な、神々しさをも含んでいるように見えた。
「こちらこそ、これからどうぞよろしくお願いいたします」
エマは緊張で身体を固くしていたが、ケイトの笑顔を見ると、スッとそれが和らぐように感じたのだった。
「正直に打ち明けますね」
ケイトは表情を引き締めた。
「わたくしにはまだ、信用を置ける女官や臣下がほとんどおりません。あなたがここに来てくれることが決まって、本音を言いますと安堵をしているのです」
「王太子妃殿下……」
思えば、ケイトは先月に王太子妃となったばかりであるし、今はまだ味方の勢力の基盤が整う途上であるのだろう。
加えて、先ほど先輩女官のクロエが「滅多な人を置けない」と言っていた理由もそういったところにあるのだろうと思った。
王宮中の女官の中には、派閥である「貴族派」に属する女官が多く在籍しているし、一見すると無派閥にみえるが区別がつきづらい女官もいる。
先の婚約破棄騒動のように、王族や王族派の勢力を削ごうとする働きかけはまたいつ何処で起こってもおかしくないのだ。
「王太子妃殿下。わたくしは本日付で入職した新人ですし、今の時点では大した働きもできないかとは思いますが、精一杯殿下のために尽くしていきたいと思っておりますので、よろしくお願いいたします」
「エマさん……」
ケイトは、そっとエマに近寄り彼女の手を優しく取った。
そうして二人の顔合わせは済み、エマは隣室へと戻って資料の整理を再開したのだった。
「……ケイト様……」
手は資料の整理を行っているのだが、何処か夢心地であった。
何度も思うのだが、エマは本当に王宮女官に、それも渇望していたケイト付きの女官になることができたのだ。
「……先ほどの決意を、忘れないようにしなければ」
ケイトの役に立ちたい。
あの騒動の後に強く抱いた気持ちを、エマは再び噛み締めたのだった。
◇◇
それから一刻ほどが経った後、クロエが入室しそろそろ休憩だと声を掛けてくれた。
「お昼休憩にしましょう。食事は官僚専用の食堂があるので私はそちらで摂るのだけれど、あなたもよろしかったら一緒にどうかしら?」
「はい。是非、ご一緒させてください」
そうエマが答えるとクロエは微笑みながら頷き、二人で食堂へと移動した。
食堂は、たとえば五十名ほどの人々が一堂に会したとしても余裕はあるだろうと思われるほど広く、席の数も充実している。
食事の提供自体はセルフサービスで、二種類ある本日の定食の中からどちらかを選ぶ形式であった。
「大方、肉料理と魚料理と分かれているのよ。今日の魚料理は白身魚のムニエルらしいから、それにしようかしら」
「美味しそうですね。私も同じものにします」
カウンターの給仕係にその旨を伝えると、配膳係から次々とお皿を受け取り、手に持つトレイに載せていく。
そうして一通り流れ作業を終えると、クロエが声を掛けた。
「あの席にしましょうか。丁度、他の同僚たちも揃っているから」
「はい」
他の同僚と聞いてドキリとした。
そういえば、こちらに配属されてきたのは就業開始時間から大分経ってからのことであり、他の女官たちはすでに別の場所で働いていたのでクロエ以外の女官と会うのは初めてなのだ。
クロエに促されて奥の席へと移動をすると、三人の女性が席に腰掛けて綺麗な姿勢で食事をしている。
「皆さん、こちらの席にお邪魔をしてもよろしいでしょうか」
クロエは若干緊張しているのか、声が上ずっているように感じる。
「ええ、もちろん。どうぞお掛けになって」
そう言って和やかな表情で応えたのは、亜麻色の髪の女性であった。
彼女の向かいにはもう一人女性が腰掛けている。清潔感のある黒髪が印象的だ。
「失礼します」
トレイを置いてクロエの隣の席の椅子に腰掛けると、二人の女官との顔合わせが始まった。
「わたくしは本日から配属されましたエマ・グランデと申します。これから、どうぞよろしくお願いいたします」
腰掛けたまま辞儀をすると、それぞれの女性も辞儀をした。
「こちらこそ、よろしくお願いしますね。噂の伝説の令嬢が入職すると聞いて、わたくしたち待ちに待っていたのですよ」
「ええ。実際にお会いすることが叶って、感動しています」
思わぬ好評価だったので、身体に電撃が走ったような感覚を抱いた。
「あの、伝説の令嬢というのは……」
向かいの席に座る黒髪の女性が、小声で答えた。
「あの例のパーティーの際のことですわ。わたくしは、当日は離宮付きだったので詳細は知らなかったのですが、とても勇敢だったとのことですね」
「ええ。ですので、わたくしたちの間ではエマさんのことは伝説の令嬢とお呼びしておりましたの」
聞く人が聞けば、貴族特有の裏のある言葉運びなのかと勘繰ってしまうが、彼女たちの表情はとても生き生きとしており、そういった含みは感じなかった。
「大変恐縮です。先輩方、これからどうぞよろしくお願いいたします」
「「はい」」
それからそれぞれ自己紹介し合った。
亜麻色の髪の女官はミントといい、黒髪の女性はサニーと名乗った。
そうして、エマは王太子妃付きの女官たちとの顔合わせを終えたのであった。