第22話 寮の隣人
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その後、エマはキャサリンの私室に招かれた。
すでに寮の室内には、テーブルやビューロー、ベッド等の家具が所定の場所にきちんと置かれており、そのどれもが一見しただけでも上等な家具だと判断がつく。
「すみません、まだ片付けが終わっていないので、お茶をお出しすることができないのです」
「いえ、お構いなく」
寮の個室にはキッチン等の設備はないのだが、キャサリンの話では代わりにお湯の入ったポットが各部屋に支給されるので、自由にお茶等を飲むことができるらしい。
寮の個室自体は、ゆったりと広めのリビングと、隣にもう一部屋個室があるらしい。
また、寮母のマールによるとシャワー室は寮の一階に設けられているので、衛生的にも問題はなさそうだ。
エマとキャサリンは、一人掛けのソファにそれぞれ腰掛けた。
「キャサリンさんが合格をなされていて、本当によかったです」
「……ありがとうございます! ……あの」
「はい」
「もしよろしければ、お嬢様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか」
キャサリンのその言葉で、エマはまだ自分が彼女に対して名乗っていなかったことに気がついた。
「すみません、まだ名前を伝えておりませんでしたね。私はエマ・グランデと申します」
「エマ・グランデ様ですね。改めてよろしくお願いします」
「ええ、こちらこそ」
エマは微笑み返したが、キャサリンが自分の名前を口にしたのを聞いた途端、小さく首を横に振った。
「敬称は不要です、キャサリンさん。私たちは、これから同じ女官となるのですから」
「確かにそうなのですが……。あくまで、私が労働者階級であることは変わりませんので」
そう苦笑したキャサリンの言葉に、エマはあることを思い出した。
そもそも、王宮女官の職に就く資格は十年ほど前までは貴族のみに許されており、平民には受験をする資格すらもなかったのだ。
だが、近年となりそれは不公平だろうと一部の裕福な商家やジェントリらが議会で訴えたことで様々なことが緩和され、女官試験もその対象だったと記憶している。
それは、確か一部の貴族らの手助けもあったようだが、彼らは「貴族派」として王族派の勢力を削ぐために色々と画策をしたらしい。
ただ、王宮女官の試験を一般枠として平民も受けられるようになったとはいえ、毎年必ず一般枠から採用されるわけではないとも聞いた。
それに、運良く採用されたとしても、一般枠で受かった女官の権限は低く、配属先も王室に直接関わるところではないらしい。
また、他の女官たちとは差別をされたり、毎年契約更新の試験を受けなくてはならなかったりと、色々と制約も多いのだ。
そういった事情があるので、一般枠での応募者自体が毎年十名ほどと少なく、合格者もこの十年間で数名しかいないので、王宮で働いている平民の王宮女官はとても不利な立場に立たされているのである。
「改めまして、私の名前はキャサリン・アシュリーと申します。以後よろしくお願いいたします」
(アシュリー)
そのファミリーネームには聞き覚えがあった。
確か、テイラー伯爵家が営んでいる貿易商会の得意先の商家だったはずだ。
主に茶や絹を取り扱っていて、王都内に仕立屋をいくつも経営しているとも聞いている。
もしそうであれば、下手な下級貴族よりもよほど裕福な家であるはずである。
叙爵こそ与えられてはおらず貴族ではないが、キャサリンもおそらくこれまで充分に「お嬢様」と言われるような暮らしをしてきたと考えられる。
「失礼ですが、ご実家は商会を営んでおいでですか?」
「は、はい。一応王都にお店も構えておりますが、両親共に労働者階級なのは事実ですので」
以前から、キャサリンは自分が労働者階級であるということを強く主張しているように感じるが、不思議とそれは自虐を含まず、むしろ誇りを持って言っているようにも思えた。
「両親は私に女官ではなくて、家のために少しでも役立つ家柄のご子息と結婚をすることを望んでいたのですが、私は昔から王宮で働く女性に憧れがあったものですから」
「左様でしたか……」
おそらく、両親の反対は相当なものだったと思われる。
というのも、一般枠ではなくても女官になるには合格率が低い試験を突破しなければならず難しいのに、彼女の場合は更にずっと確率の低い一般枠で受験しなければならないのだ。
しかも、仮に合格することができたとしても、不利な立場な一般枠出身の女官にしかなれない。それでは両親も心配することだろう。
「とても立派だと思います」
「い、いえ。私はもう三年も受け続けてきましたから。……それよりも、私はもう一度エマ様にお会いできたらお礼を言おうと思っていたのです」
「お礼ですか?」
「はい」
キャサリンはそう言うと、立ち上がって深く辞儀をした。
「エマ様。先日は助けていただいて、本当にありがとうございました」
「い、いえ。そんな風にお礼を言ってもらうことでは……」
キャサリンは静かに首を横に振った。
「いいえ。……エマ様もご存知だと思いますが、一般枠の受験者は貴族の方と区別をつけるために、手首に赤いブレスレットを身に付けなければなりません」
「……ええ、確かに」
それは当然エマも心得ていたことだったし、倒れていたキャサリンがそれを身につけていたことにも気がついていた。
「転んだ私がこんなことを言う資格はないことは充分承知をしているのですが、……あの時、周囲に他の受験生の令嬢の方々がいらっしゃったのですが、皆遠巻きに私を嘲笑していました」
「そんな……」
思い返してみると、確かにあの時は他にも周囲に令嬢が数名こちらを見ていたと思う。何故皆、声を掛けないのかと一瞬不思議に思ったのだが……
「私はあの声が怖くて、中々自分で起き上がることができずにいたのです。ですが、エマ様が助けてくださったので……」
そう言って微笑んだキャサリンの瞳は潤んでいるように感じ、エマの心を熱くした。
そして、ふとキャサリンがあの時転んでいたのは、もしかして誰かの故意的な嫌がらせが原因だったのではないかと思った。
だが、本人が打ち明けない以上訊かないことにした。
「……キャサリンさん。でしたら、せめて寮にいる間は私のことは気軽に呼んでください。そういう気を緩められる場所がないと、この先キツくなることもあるかもしれませんから」
「エマ様……」
キャサリンはギュッと手のひらを握って強く頷いた。
「……はい! これからよろしくお願いします、エマさん」
「ええ、こちらこそよろしくお願いします」
そうして、エマの入寮生活が始まったのである。