第18話 馬車にて
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翌日。
エマとカレンは伯爵家所有の馬車に乗り込み、王都への帰路に着いていた。
「伯母様。今回は実家への帰省に同行していただきまして、本当にありがとうございました」
エマはカレンに対して深々と頭を下げた。
カレンが付いてきてくれなかったら、今頃どうなっていたのか想像もつかなかったからだ。
「よいのよ。むしろ、こちらこそ色々と配慮が足りなかったと思うわ。申し訳なかったわね」
エマは慌てて身を起こし、首を横に振った。
「いいえ、伯母様に謝罪をしていただくことはなにもないのです」
「そんなことはないのよ。そもそも、アランの性格を知った上で色々と動いたつもりだったのだけれど、あちらの方が上手だったと言うべきかしら……」
扇子で口元を覆って遠くを眺めているカレンの様子を受けて、エマは自室で昨日感じた疑問が再び湧き上がってくるのを感じた。
「あの、伯母様」
「なにかしら」
「お父様が仰っていた公爵夫人のことなのですが……」
瞬間、カレンの動きがピタリ止まる。
「え、ええ。その話は、わたくしからは伝えることができないの」
「……左様でしたか」
「ええ、ごめんなさいね」
その言葉に、エマは確信を持った。
(やはり、エバンズ卿のご婚約者のことで間違いないようだわ。たとえ伯母様は知っているのだとしても、公爵家のことを下手に伝えるわけにはいかないものね)
「いいえ、こちらこそ不躾な質問をしてしまい申し訳ありません」
そう言って小さく頭を下げてから、そっと窓の外を眺めてみた。
昨日と同じ田園風景が広がっているが、夕方であった昨日とは陽の当たり方が異なっているように感じる。
昨日のことが過ると、同時に実家での晩餐時のことを思い出したのだった。
◇◇
「エマ、本当におめでとう」
「よくやってくれた」
「……おめでとう」
「…………」
昨日エマは一同が集まる食堂にて、女官試験の合格の報告を行った。
すると、すぐさま両親と義理の弟、つまりエマのかつての婚約者のカルロは、祝福の言葉を伝えてくれたのだが、そっぽを向いた妹のマニカからは特になんの言葉もなかった。
また、食卓の上にはエマの好きなビーツのスープやグラタン、色とりどりの野菜のサラダ、バケットが並んでいる。
どの料理も領地で栽培して採れた食材から作られており、特にこの日のメニューはエマの好物で構成されていているようだ。
(料理長が気を利かせてくれたのかしら。とても嬉しい……)
ことに自分の好みをよく知ってくれている料理長の料理は、実家にいた時はいつも励みになっていたと思う。
熱々のグラタンをスプーンで掬って一口頬張ってみると、たちまち濃厚なミルクとチーズの豊かな味が広がって、身体だけではなく心まで温かくなったように感じた。
そうして食事を終えて食後の紅茶を嗜んでいるところに、食堂内にエプロン姿の女性が入室して来た。
その腕には赤ん坊が抱かれている。
(きっと、あの子が二人の子供なのね)
エマの心は思ったよりも落ち着いていた。
おそらく、カレンに連れられて王都へと赴いていなければ、このように冷静に赤ん坊を眺めることなどできなかっただろう。
(……可愛い。小さくて柔らかくて……)
ガーゼのおくるみに包まれている赤ん坊は、マニカの腕に収まると安心したように指をしゃぶり始めた。
だが、あんなにも愛らしい赤ん坊を抱いていてもマニカの表情はどこか固く、隣に座っている夫のカルロも話し掛けることもしなかった。
マニカとカルロの間には、何か冷たい空気が流れているように感じた。
そして、しばらくお茶請けのクッキーをいただきながら隣の席のカレンと会話をしていたのだが、カレンが席を立った途端にカルロがこちらに近寄り小声で話し掛けてきた。
どうやらマニカが両親と話をしている隙に来た様子なので、おそらくずっと話し掛けるタイミングを見計らっていたのだろう。
「エマ、本当に合格おめでとう」
エマは紅茶をテーブルの上に置いたが、あえてカルロの方に視線を向けようとはしなかった。
「エマ、これから話せないか」
「私にはお話することは一切ありません」
エマがこういった態度をカルロに取っていると、グランデ家に波風を立ててしまうことになる可能性があることは彼女も充分承知をしている。
だが、今カルロと話すことなどなにもないと純粋に思ったのだ。
「……そうか。それではいずれまた」
「……はい」
視線を始終合わせないように努めていると、根負けしたのかカルロはそう言って立ち去って行った。
内心でエマは安堵の息を吐いた。
そうしてエマはカレンが戻ってくると、速やかに食堂を退室して行ったのだった。
◇◇
昨夜のことを思い巡らせると、エマは小さく息を吐いた。
きっとあれでよかったのだ。
カルロが自分になにを伝えるつもりだったのかは今になっては分からないが、なんとなくだがその内容は想像することができた。おそらく、謝罪と関係を回復したいというものだろう。
その言葉を受けて、今更自分はなにを思いなんと返せばよいのだろうか。
「さあ、報告も終わったし、これで心置きなく出仕の準備ができるわね」
カレンのさっぱりとした明るい声が、窓の外に広がる夕焼けに溶けるようで胸が熱くなった。
「はい。精一杯準備に努めます」
カレンは少し目を細めて微笑んだ。
「もうすぐケイト様の結婚式も執り行なわれる予定だし、ここから心機一転しましょう」
「はい……!」
エマは心の中に燻っていた暗い感情が、少しずつ解けていくように感じたのだった。