第16話 帰省
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一部父親のセリフ等を変更しました。
エマの故郷であるガーサの地は、グランデ子爵家が領主として治めている土地であるが、その地を統括しているのは二大公爵家の一つである、バルト公爵家であった。
バルト公爵家は、宰相第一補佐官のロベールの実家であるので、つまりはエマの実家の領地はロベールがいずれ爵位を継ぐ予定となっているバルト公爵家が管理をしているのである。
そういった事情があるので、エマは実家にいた時もロベールのこと、というよりも、バルト公爵家のことは当然知っていた。
毎年領地の所得や税金の申告を行いに、子爵である父のアレンが公爵家へと赴いていたからだ。
そのため、エマにとってバルト公爵家は元々雲の上の存在であり、その嫡男のロベールと自分が思いがけないことからとはいえ知り合いになったこと自体が、未だに何処か現実味がなかった。
「あと少しで到着するわね」
ガーサの地へは、王都から馬車で順調な運行であれば片道三日ほどで到着する。
エマと伯母のカレンは、あの後準備をして翌日に王都を出発したのだった。
その間に、実家には予め「先触れ」という帰省の報せを前もって出しておいたので、自分たちの到着は心得てはいてくれているだろうとは思うのだが、何分久方ぶりの帰省なので少々不安が過った。
のどかな田園風景を眺めていると、懐かしい気持ちが湧き上がってくる。
現在は二月の末なので、故郷では丁度小麦の作付けが始まっており、去年の今頃は農民たちに手製のサンドイッチ等の弁当の差し入れをし、共に田畑を耕していた。
それは亡くなった祖母の意思でもあったのだ。
祖母はいつも、「領主だからといって搾取をして管理するばかりでは駄目だ。領民と寄り添わなければ」と口癖のように言っていて、エマはそんな彼女を誇りに思っていた。
そう思いを巡らせていると、いつの間にか馬車は実家の屋敷の前に停まっていた。
「さあ、着いたわ。行きましょう」
「……はい」
そうして、馬車のステップをゆっくり踏んで降車すると、目前には懐かしい建物が建ち一気に帰省したのだと実感する。
半年ぶりの故郷に鳥肌が立つのを感じながら、玄関へと向かった。
(皆、元気かしら。……お父様なんて、きっと酷く怒っているのではないかしら……)
そう思いながら玄関の扉をノッカーで叩くと、すぐさま古参の執事が出迎えた。
「エマお嬢様、お帰りなさいませ。テイラー伯爵夫人、ようこそお出でくださいました。こちらへどうぞ」
そう言って屋敷の手前の客間に案内されると、緊張から鼓動が高鳴ってくる。
皆どういった反応をするのだろうか……
それを察したのか、隣のソファに腰掛けるカレンがそっとエマの手に触れた。
「大丈夫よ。先に手紙や先触れを出しておいたから、アランも充分弁えていると思うから」
「伯母様……」
その言葉に気持ちが少し楽になり、その旨をカレンに伝えるため口を開こうとすると、丁度扉が開かれた。
「姉さん、お久しぶりです。我が家にようこそ」
そう言いながら、中年ほどの黒髪の男性がカレンに近寄り、手を差し出した。どうやら握手のためだろう。
「お久しぶりね、アラン」
カレンは表情を変えずに立ち上がり、握手を軽く交わすとチラリとエマの方に視線を移した。
父親のアランに対してエマと会話をするように促しているようだが、どうやらその表情からはそれだけではないようにも感じる。
だがその視線に気づくこともなく、すぐにアランはエマに対して口を開いた。
「エマ……」
「は、はい。お父様」
「お前……」
何故か語気が強めの父に、なにか悪いことをしてしまったのだろうかという思いが湧き上がり、思わずぎゅっと強く目を瞑った。
「お前は……、本当によくやってくれた! それにしても、一体どのような手を使ったのだ⁉︎ まさか王都でこれほどの良縁を引き寄せてくるなど……」
「アラン!」
咄嗟にカレンが口を挟んだが、エマは父親が一体なにについて言っているのかが分からなかった。
試験の結果は自分の口から伝えた方がよいと判断をして、先触れにそのことは伝えなかったはずなのだが……
「これからは公爵夫人となられるのだろう。何卒、我が領地のことを公爵閣下によろしく伝えてくれぬか」
「公爵……夫人ですか?」
エマがこれから就任するのは王宮女官の予定だが、父はなにかを勘違いしているのだろうか。
そう思い唖然としていると、すかさずカレンが口を挟んだ。
「アラン。前持って手紙に書いておいたでしょう。そのことはまだ……」
「……失敬」
そう言って立ち上がると、チラリとエマの方を見た。
「エマ、それよりも長旅で疲れただろう。夕食の準備が整っているから自室へ一回戻った後、食堂へ向かいなさい」
「……分かりました。それでは伯母様、一度失礼します」
「ええ。ゆっくり身支度していらっしゃい」
「はい、ありがとうございます」
そう言って辞儀をしてから退室していくエマを、カレンは薄い笑顔で送り出したのだった。
◇◇
「どういうことなのかしら」
エマが退室した後、すかさずカレンは弟のアランに詰め寄った。
「も、申し訳ない、姉さん。その……つい思わず」
「わたくしは、散々手紙や先触れで念を押したわよね。まだ本人は知らないことだから、この話題は一切しないようにと。全く、あなたは昔から少々注意不足のところがあるから、それはもう念を入れたというのに、全て無駄だったようね」
カレンの気迫にアランは押されているのか、どんどん身体が縮こまっていった。
「面目ない。少々舞い上がってしまって……」
その口ぶりに、カレンはこれまでのことを思い巡らせた。
思えば、弟は昔から色々とやらかしてきたのだ。今回エマに同行して来て、心底よかったと思った。
「あなたまさか、夫人以外の家族にも言いふらしたりしていないわよね」
「そ、それは、その……」
その口調からこれは予想が当たったのかと悟ると、カレンになにか言いようのない不安が過った。
「……いけない、エマを一人にさせておけないわ……!」
そして、カレンは急いで客間を後にしたのだった。