公爵令嬢は真実の愛を探しに行く
「真実の愛を見つけたんだ」
ユピテル神樹国の唯一の王子、カリスト・ユピテルはそう言い放つ。私の婚約者だった人。私はこの国の公爵の一人、薔薇の公爵の一人娘アマルティア・ハールバルズ。私の亡き父と彼の父、国王は旧知の仲であったため同性が生まれたら親友に。異性が生まれたら是非結婚相手に、ということで生まれる前から婚約は決まっていた。
つまり、私たちに恋だの愛だのは存在していなかった。少なくとも、私には一切。
だから好きな人が出来たのなら、穏便に婚約破棄でもなんでもしよう。遅かれ早かれ、私としては王子との婚姻は荷が重すぎる話であるし。しかしカリスト……この王子、余程私が嫌いと見える。
王家、王子主催の同年代を集めたお茶会。よく開催される社交場だが、王子はそこでわざわざ重大発表があると参加者全員を呼びつけて、私に対して大々的に婚約破棄を申し出たのだ。
「お前が私の婚約者の地位に未練があるのは重々承知だ。しかし、私は運命の人に出会ってしまった……おいで、レダ」
未練なんてこれっぽっちもないが。
はぁ……元から体が強い方ではないのに、特にここ1、2年は屋敷から出ることすらままならないほど疲れが溜まっている。今日は本当に、王子がしつっこく呼ぶから鞭打って出てきたってのに……
「あ、え……? わたし……」
王子の目線の先の人物を見ようと、自ずと私たちに集まった人だかりはある少女を中心に広がる。緑色のくせっ毛にオレンジ色の瞳、おろおろと周りを見渡して困っているその小さな姿はきっと世の男性全員が守ってあげたくなるだろう。武闘派公爵ハールバルズ家に代々伝わる冷たい銀髪に青い瞳、睨んでいるのかと王子に散々文句を言われる私のつり目がちな姿とは正反対のタイプ。
なるほど。どこのだれかは存じないが、レダと呼ばれたこの少女に王子はぞっこんというわけだ。いやな予感がする。私は踵を返し、足早に挨拶をしてその場を去ろうとした。
「わかりましたそれでは王子、この話の続きは陛下を交えて王宮でお話致しましょう」
「ま、待て! 父上はお前に騙されている! そもそもこの婚約自体があり得ないのだ、だってお前は……」
「ええ、王子。勿論、婚約破棄の件はお受けいたしますわ。正式な許しを早く陛下にお願いしに参りましょう」
冷汗が流れる。もしも、もしも私が完全無欠の公爵令嬢ならばこんな思いをせずに済んだのだろう。だが、私には婚約破棄をされても仕方がない弱みがあるのだ。だから私に王家との婚姻は荷が重すぎる。そして一番恐れていることは……
はやく、はやくこの場を立ち去らなければ。地面の土がヒールに、ドレスにつくのも無視して足早に去ろうとする。しかし、王子に腕をつかまれてしまった。
にやり。
王子の顔が醜く歪む。勝ち誇ったような顔。ぐらりと視界が霞む。とても立ってはいられず座り込む。冷汗が止まらないのに体の中心が驚くほど熱い。
「アマルティア・ハールバルズ……お前は咲かなかった出来損ないだ」
ざわざわとギャラリーがどよめく。すぐにこそこそとしているのかしていないのかわからない陰口が私の耳に届いた。ああ、一番恐れていたことが起きてしまった。
ユピテル神樹国。
大神樹ユピテルの下に築かれた鎖国国家。国の周りは広大な森に覆われ外界からのすべてから遮断されている。この国では一定の年齢に達すると大神樹ユピテルから種を頂く。体の一部となった種は根付き、体のどこかに花を咲かせる。その花によって私たちは様々な恩恵を受けるのだ。
魔法も、その恩恵の一つと考えられている。血に深く関連するこの種は、王族の血なら王家代々継いで来た癒しの魔法を授け、私の場合だと薔薇の公爵と呼ばれるハールバルズ家では攻防一体の茨の魔法を授かる。
しかし稀に。種が根付かない者がいる。病弱で長生きする者は少ないと言われている。そんな存在を咲かなかったと呼ぶのだ。そしてこれは、最大限の侮辱だ。事実とはいえ……
「薔薇の公爵家であるアマルティア様が……」
「おい、ハールバルズ家ってアマルティア様しか跡取りがいなかったような……」
「……ユピテルの守護神とも呼ばれたハールバルズがこんな終わり方とは……」
私への侮辱なら耐えられる。しかし、家門の侮辱となれば耐えられない。私が幼い頃に亡くなったお父様が、守り抜いて下さったハールバルズ。私の代でつぶすわけにはいかなかった。咲かなくても、魔法が使えなくても、勉強して、代理として領地を仕切って、なんとかハールバルズの名前だけは残そうと陛下にも懇願して、頑張っていたのに……
この噂はすぐに市井にも広まるでしょうね。そうなればハールバルズはお終いだわ。閉鎖空間であるこの国で、咲けず病弱な私に手を貸してくださる人はいないでしょう。それぐらい、咲かなかったというのはこの国では致命的なのだ。
ふらつく頭と足に鞭を打って、すっと立ち上がる。
キッと王子をにらみつけると、王子は狼狽えたがすぐに意地の悪い笑みを見せる。
「──ぃ……」
「は?」
「真実の愛、とおっしゃいましたか」
王子は面食らった顔をしたが、すぐに得意げにレダと呼ばれた少女を抱き寄せると周りのギャラリーにも聞こえるように芝居がかった口調で話し始めた。
「そうだ! 不愛想でトリカブトのように危険なお前と違って、レダはユリのように可憐で美しい……私は見た瞬間悟ったのだ。これが私の運命の人であると! まさに人生を変える出会い、気付き! 貴様との偽物の恋愛ごっこでは得られなかった喜び、満足感……これこそが! 真実の愛だ! 」
恋すらしたことがない私にはまったく共感できない話だ。しかし、人生を変える出会いと気付き、か。
「……良いですわね」
ドレスの端をもって、優雅にお辞儀をする。
「それでは御機嫌よう皆様。私は真実の愛を探しに行って参ります」
今度こそ、私を止める者はいなかった。
数秒おいて笑い声が聞こえてくる。この国にもう未練はない。私は意を決して王宮にいる陛下の元へと向かった。
「ご機嫌麗しく、陛下。ハールバルズ公爵家公爵代理アマルティア・ハールバルズでございます」
「アマルティア……! 私とお前の仲だ、堅苦しい挨拶はいい。それより、聞いたぞ中庭のお茶会での愚息の失態……なんと詫びたら良いのか……」
重すぎるマントを侍従に預けて、ユピテル神樹国現国王カリュケ・ユピテルは私の元へと駆け足でやってきた。見た目はとても若いが、相当なお年になる。これも大神樹の恩恵の一つだ。この国の人々は老いることはない。
通常花を咲かせる中、王族だけは体に木が生える。陛下の場合は右上半身が樹皮に覆われている。因みに王子は頭に小さな枝が生えているらしいが、彼の癖とボリュームのある金髪のせいでパッと見はわからない。因みにレダと呼ばれた少女は頭に花冠があった。あれが飾りでないとすれば、あの花冠が彼女の花なのだろう。
「陛下のそのお言葉だけで、私は充分でございます」
「しかし……! ああ、カリストあやつめなんて事を……婚約破棄なら破棄でもっと穏便な方法があっただろうに……これでは……」
「……ハールバルズ家は私で断絶、でしょうね。病弱で咲かなかった私を嫁に貰いたい方も婿に来て下さる方もいないでしょうから。国の端で慎ましく一人でひっそり暮らすしかないでしょう」
「ッ……!」
「……陛下、もしも私のことを少しでも哀れに思っているのなら、お願いがございます」
「なんだ!? 私にできることならばなんでも……」
「この国を出ていきたいのです」
陛下はお優しい方だ。父と仲が良かった、ただそれだけで咲かなかった私を偏見の目を持たず実の娘のように接してくださった。王家に養女と迎え入れられれば、私にもこの国に居場所はあった。けれど、ハールバルズ家を消したくないという私の我儘を優先してくれたのだ。
お優しい陛下。今、彼は私の言葉を聞いてこの上ない絶望に身を震わせているのだろう。
外界を穢れた世界として、森の中を安住の聖地であると定めているこの国にとって、国から出ていこうとする事は大罪だ。そのような発言をするだけで地下牢行きは免れず、平民ならその場で殺されても文句は言えない。
「聞かなかったことにするッ……」
「いいえ、陛下。お聞きください」
「アマルティア! 自分が何を言っているのかわかっているのか!?」
「わかっています。だから、こうして陛下にお別れをお伝えしているのです」
「ならば……!」
陛下の目から大粒の涙がボロボロと落ちる。王子よりも深い緑色の瞳。その深さがあなたの優しさのようで。
泣かないと決めていたのに、目頭がじんわりと温かくなってきてしまう。
「ならば何故ッ……勝手に出て行ってくれなかったのだ……ッ! その言葉を聞いては……私はッ!」
「私を捕えねばならない、でしょうね。しかし王宮は私の幼少期を過ごさせて頂いた場所。言わば第二の我が家なのです。
……最後くらい、堂々とさせてくださいまし」
「アマルティア……ッ」
特に人払いも何もせず話し始めてしまってからの、先ほどの発言だ。陛下が兵を呼ばなくても、もう既に近衛兵が近くに来ていた。
「ッ……! アマルティア・ハールバルズ公爵令嬢を……捕えろ!」
4、5人の男たちが襲い掛かる。私はふわりと半身を翻した。突然、辺りは青い薔薇の花弁が舞い白銀の茨が兵士を雁字搦めに拘束する。
「薔薇の公爵……!?」
辺りが騒然とする中、拘束した兵士の一人が呟いた。
「まさか、咲いていたのか……!?」
幼い日のことが思い返される。まだ父、パシファン・ハールバルズが生きていた時。種を貰ってから高熱を三日三晩出しうなされ続けた日の夜のこと。私の体には花は咲かなかった。しかし、私は公爵家が代々受け継いできた茨の魔法を見事に発現させていたのだ。
亡き父の見解では、類を見ない事例であるが種は私の体に根付く前に吸収されてしまったのではないかと言っていた。そして、このことを絶対誰にも知られてはならないと……自分が咲かなかったフリをせよと言っていた。父が死んでからずっと、長い間私はその言葉を忠実に守っていたのだ。
「陛下、実は父から遺言を預かっております。ハールバルズ公爵としてではなく、ただのパシファン・ハールバルズとして。
『俺の娘が咲かなかったと嘘をついて悪かった。しかしお前なら、俺の娘を大切にしてくれてるだろう。感謝する、友よ。』」
陛下はボロボロになって泣いていた。もはや嗚咽が抑えられていない。せっかく眩いばかりの良いお顔なのに今は色んな汁で面影もない。
「そして陛下。これは公爵令嬢ではなく、ただのアマルティア・ハールバルズとしての言葉でございます。
今までありがとうございました。……私の二人目のお父様」
嗚咽は慟哭に変わった。私の視界も温かくぼやけるが、感傷に浸る暇はないのだ。
足元に茨を勢いよく出して自分を茨で守ったら、そのまま勢いで王宮の壁をぶちぬく。大神樹ユピテルの根元に王城は存在する。私は幹を伝い枝を伝い上へ上へと昇りまくる。あるものを見たいのだ。本当なら国外に逃げるだけなら国の端に行ってから移動する方が良いのだけれど……我ながら感情で行動しすぎてしまったかもしれない。
しかし、あるものが見たい。父から聞かされていたあるもの。帝国との戦争の為に例外で外界に出たことがあるお父様が私に教えてくださったもの…
枝の間を縫うように上昇する。長い、大神樹の名は伊達ではない。国を一つ覆ってしまう程だものね。
きっとそれを見たら本当に後戻りは出来ない。覚悟が無かったわけじゃないわ。それでもここは私の故郷。沢山の思い出がここにあった。
『ソレはお前の瞳のように美しかったよ』
亡き父の言葉が思い出される。大神樹ユピテルの葉より明るい光が、段々と漏れ始める。上空に向かって思いっきり上昇した私は、ついにソレを見た。
視界いっぱいに広がる青。
大神樹ユピテルに覆われたこの国では、絶対に見ることが出来ないもの。それがこれ、空だ。
初めて見る空に、本当に国を出たのだという実感がふつふつと湧き始める。
青い、どこまでも青い空。限りのない青が頭上に広がるその様に、私は思わず身震いがした。
「そうだわ。私はもう自由なんだ……外の世界を見てみたいわ……そんなこと、思っちゃダメだって言い聞かせてきたけどこの空のように、私が知らないものをたくさん見てみたい……」
そしていつか、私も真実の愛を……
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