5怪
「お菊。あなたの気持ちもわかります。
でもね、私たちのような身分では武士の方とは釣り合わないの。
それは誰がとかじゃなくて全体として言える事で皆がみんなわかってる暗黙の了解っていうやつなの。
特に政之進様は武家の当主なのだから、さらに厳しくなるわ。
政之進様は誠実にお菊の事を考えてくれてると私も思うわ。
政之進様自身が身分で相手を選べない事に不満を感じられ、周りにそう言う発言をされてるのも聞いたことがあるけど、世の中の大勢は階級制度や身分制度に縛られた人達が占めてるの。
お互いの事を思うなら、これ以上深い関係にならない方がいいの。」
年老いた下女は諭す様に言った。政之進を心配する家臣がいるようにお菊の事を心配する下女もいた。もちろん、嫉妬や妬みからお菊に嫌がらせをする者達もいたが、長年下女として働いている者ほどお菊の事を深く心配していた。
同じような事例を今までに何回も見てきたがよい結果になったものは一つもなかったからだ。
だが、年老いた下女は知っている。こうやって反対されると逆効果だという事も。
これも今までの経験からわかっている事ではあるが、政之進が本気でお菊の事を想っているという点で、今までの事例とは少し違う気もしていた。
もちろん本気だった人もいただろうが大抵は遊びで下女にちょっかいを出すやからが多かった。
『今回は違う。』そう思いたかった。だからこそ、厳しくお菊に言い聞かせなければいけないと思っていた。
政之進が本気でしかも家臣のいう事も聞かないくらいに本気だからこそ、武士と下女の実らなかった恋が実るという前例ができるのではないかと期待してしまう。
お菊は黙っていた。今までの経験から言い返してきたり相手にされなかったりするのかと思っていたがどの反応でもない。
お菊は賢い子で教養こそないが物分かりが良く、何より人の気持ちがわかる子だと知っていた。
「お菊、他の子たちからの嫌がらせも受けてるのでしょう?
つらい思いをしなければいけないなら、命の保証を受ける方を選ぶべきよ。
職を失ってもまた探せばいいわ。でも命を失ったらそれで終わりなのよ。
政之進様との恋は命の危険がある事なの。」
「わかっています。」
お菊は短く返してきた。おそらくこの後は『でも・・』と続くだろうと思ったがそうではなかった。
「私にもそろそろ限界なのではないかと思っていました。
政之進様が他家の方と口喧嘩になったという話も聞いております。
あとは身を引く覚悟を決めるだけなのですが、どうしてもできないんです。
でも、絶対に身を引きます。」
理解はしていても断ち切れない思いはある。だからこそ、いつまでたっても同じような話が出続けるのだ。理屈ではわかっていてもどうしようもない葛藤の狭間でお菊は苦しんでいる。
そう年老いた下女は思い、そっとお菊の頭を撫でた。
お菊に対する様々な思惑が政之進もお菊も誰も知らないうちに絡み合い悲劇に繋がる事とは、この時は誰も知らなかった。