20怪
両手で鍬をもって地面に向かって思いっきり振り下ろした。
彦根の屋敷にいた時も屋敷の隅で菜園をやっていたが、そこまでの広さではなかったから特につらいとも思わなかった。でもここまでの広い範囲を耕す事もなかったので正直に言うとまだ慣れない部分はある。
武士として生まれて、武家の当主として働いてきたがこうして農民として生きるのも悪くない。
どちらかというと武士としての責任などがなく自分の頑張りで収穫量が変わってくる農民という生き方にあこがれていた部分はあった。実際はそんなに簡単な生き方ではないが充実している。
何よりお菊と一緒にいられるというのが一番うれしい。
温かく迎え入れてくれたこの土地の人達にも本当に感謝だなと思っていると
「政さん、お菊さんが探してましたよ。」
近くに住んでいる五郎さんが教えてくれた。
「ありがとうございます。」
私はお礼を言ってお菊のもとに向かった。
孕石政之進はこの世から消えて、今はただの『政』になった。
はじめこそよそ者として扱われていたが、農業の事を教えてもらったりしているうちに受け入れられた。
それもこれもお菊のおかげという部分がある事は間違いない。武士としての生き方しかわからない私に農業のあれこれや人付き合いの仕方などを教えてくれたのも周りと打ち解けられるように雰囲気を作ってくれたのもお菊だったからだ。
お菊が笑顔で手を振っている。私も笑顔で手を振って近づくとそこには懐かしい顔の人がいた。
「木俣様。」
「政殿、お久しぶりですね。お元気ですか?」
彦根藩家老の木俣殿本人が立っていて笑顔で聞いてきた。
「はい、木俣様のおかげで元気にさせて頂いています。」
「そうですか、良かったです。
農業の方も上手くできているとお菊殿からお聞きしました。
まあ、元からまじめな方だったので心配はしていませんでしたが。」
「ありがとうございます。本日はどうされたんですか?」
「親戚に会いに来たついでにお会いしようと思いましてね。
複雑な事情はありましたが、本来なら武士として生きていた方ですからね。
彦根藩にお戻しできたらいいのですが、まだまだそうもいきませんからね。」
「ご安心ください。私もお菊もここでの生活に満足しています。
身分によって生き方が決まる、何をして誰といて、そんな事も自由に決める事ができない。
本当に狭い籠の中で生きていたのだと今になっては思います。
ここでの生活も楽とは言えませんが自分らしくいられますし、自分が本当に一緒にいたいと思えた人と共にいられる。それが一番の幸せのように感じます。」
「政殿からまさか惚気を聞く事になるとは思いませんでした。
あの日、お二人をここに送るといった時も言いましたが、私はお二人の幸せを願っています。」
木俣がそういった所で、木俣の部下らしき男が駆け寄ってきて
「殿、そろそろ・・・」
「わかった。それではまた機会がありましたらお会いしましょう。」
木俣が去っていくのを私とお菊は並んで見送った。
武士という身分があり、農民や商人がいて、人は人知れず籠の中に入れられている。
そんな中で変化を恐れる人と変化の必要性も感じずに生きている人もいる。
私はきっとそんな人たちとは違う考え方しかできなかった不器用な人間だったのだろう。
私がもっと人付き合いが上手くて色々とできる人間で上手く立ち回れる人間だったなら、ここにはいなかっただろう。でも、私がそんな人間であったならお菊と出会う事もこうして横に並び幸せを感じる事もなかった事だろう。これでよかった、こうじゃなきゃいけなかった。
私とお菊は今後も幸せな展開の中で生きていく。籠の中で必死に生きていく。
できるだけ自由に、できるだけ楽しく、できるだけ周りを幸せにする生き方で。
完




