10怪
-彦根城内 廊下-
「おや、孕石殿。うわさに聞いたのですが、孕石殿がお気に入りの下女がわざと家宝のお皿を割ったとか。
しかもそのお皿は初代藩主様から頂いた神君家康公のお皿だというではないですか。
もちろん、もう処罰はお済なんでしょうね?
そんな大事なお皿をわざと割るなどお許しになるわけがないですからね。」
加藤がいつにもまして真剣な表情で聞いてきた。しかもかなり大きな声でだ。
周りに多くの人がいる事を考えるとわざと周りに言いふらすための行為だろう。
「現在、事実関係を確認している所です。
割ったところを見たという下女が行方不明になりました。
事実関係を確認しない事には簡単に処罰するわけにはいきません。
行方不明になった下女たちが嘘をついているかもしれませんからね。」
「お気に入りの下女をかばいたい気持ちはわかりますが、大事なのはそこではないのですよ。
家宝のお皿を下女が割ったのに処罰していないという現状こそが問題です。
身分制度を維持するためにも我ら武士は武士でない者とは一線を画さなければいけないのです。
普段から下女に甘いようですが、こたびの事はしっかりと対処しなければお家取り潰しに繋がる大事ですよ。お分かりですか?」
「無実の者を簡単に処罰すれば農民たちからの批判を招きます。
武士を支える農民にそっぽを向かれてしまえば、それこそ身分制度の維持が難しくなります。
慎重に対処している所ですから、加藤殿にご心配をおかけする事はありません。」
「おやおや、当主でありながら今回の件に口を出すこともできないのに偉そうなことが言えるのですな。
農民のご機嫌取りもいいですが、家臣の意見にも耳を貸さないとどうなるのでしょうね。
当主として見られていないのではないですか?」
「ぐっ、なぜあなたがそんな事を知っているのですか?」
「隣の領地で不穏な話が広まっていれば聞こえてきても不思議はないでしょう?」
加藤の顔には意地の悪い笑みが浮かんでいる。当主が家臣に見限られているという話が広がれば、井伊家家老の人達からも何か言われてしまうかもしれない。そうなるとお菊の立場は非常に悪くなる。
下女を一人殺して問題が解決するなら確実にそちらに話が動く可能性が高くなるからだ。
「私の領内の問題は私が何とか致しますのでご心配なく。
それでは失礼します。」
とにかくこの場を離れなければと思い、そういって歩き出そうとしたところで、
「待ちなさい、孕石殿。」
呼び止められてそちらを見ると家老の木俣殿が立っていた。
「何でしょうか、木俣殿?」
「少しお話があります。こちらに来てください。」
促されるままについて行くしかなかった。加藤の悪意のある笑みを片目で見ながら政之進は歩を進めた。