地球最期の日
地球最期の日を、彼らは童心に帰って過ごす事に決めた。ただ、毎日が新しい発見の連続で、眩しくて、輝いていて、楽しかったあの頃に帰りたかっただけだ。
とても日差しの強い、夏の日のことだった。生まれ育った片田舎の住宅街の路地に集まり、僅かな日陰に隠れるように彼らは集まっていた。
「遊び道具なんて、何にも持ってないぜ?」
「何にもねーけど、ガキの頃って、何も無くても遊んでたよな」
「あの頃って、何して遊んでたんだっけ?」
「鬼ごっことか、かくれんぼとかだっけ?」
「ボールがあれば、ドッジボールとかもしたよな」
「ただ走ってるだけで、楽しかったんだよね」
皆、遠い眼をしながら、軽い談笑混じりに話す。男女六人。年の頃は十代の半ばか、二十歳より少し若い位。まだまだ幼さの残る顔に、哀愁を感じさせる表情をさせている。
結局、大した議論の無い話し合いの末、鬼ごっこを始める事にした。じゃんけんに負けた一人が、顔を伏せ十を数える。そのカウントと同時に他の五人が走り出す。
「一、二、三、四、五、六、七、八、九、十!」
「ちょっと、カウント早すぎ!」
抗議に聞く耳も持たず、走り出した。
「うっせ、いいから逃げろよ! ちゃんと逃げてくれないと、張り合いが無いだろ!」
鬼役の少年が笑いながら駆けてくる。
「ちょっと、やだ!」
逃げていた少女はスカートを翻しながら、鬼役の少年が伸ばした腕をひらりとかわした。はしゃいで駆け回る彼らの姿は、子供のそれとなんら変わりはなかった。彼らが幼い日にそうしていたように、彼らはただひたすらに走った。
近くにセミの鳴き声が煩い位に響く。遠い空から伸びた入道雲が、手に届きそうに低い。側を流れる河からはせせらぎが聞こえ、その対岸の林は青々と茂っている。
太陽光線に照らされた路面は熱く焼け、まるで生き物のように、ゆらゆらと陽炎があがる。天高い太陽は、燦々と光線を地上へと振りまき続けていた。
今まで永遠に続くものだと思っていた風景が、どこまでも広がっていた。しかし、これまでずっと続いてきた彼らの日常も、もうすぐ終わろうとしている。
全員、肩で息をしながら、滝のように汗を流し、最期の時間を謳歌していた。顎の先から滴った汗の粒が、乾いた地面に吸い込まれる。
「はぁ、はぁ……、さすがに、疲れてきたな」
「そうだね、喉渇いた」
「お店とか、開いてないかな」
彼らは商店を探したが、地球最期の日に、わざわざ店を開けている物好きなど、いないだろうと思っていた。
しかし、路地を曲がった先の酒屋のシャッターは、いつものように開いていて、明日には世界が滅ぶなど、微塵も感じさせはしなかった。
自動販売機脇のガラスの引き戸を開くと、店内は冷房が効いていて、汗ばんだ肌に冷気が心地よかった。
「おや、今日はお客さんなんて、来ないと思ってたよ」
出迎えたのは、いつもの老婆だった。深く皺の刻まれた顔が、この店の看板だった。いつ来てもこの老婆は笑顔で迎えてくれた。
「うん。ばあちゃんこそ、今日も相変わらずだね」
老婆はレジの椅子に腰掛け、うんうんと頷いている。
「知ってるでしょ、今日が地球最期の日だって」
「もちろん知ってるよ。でもねえ、だからって店を開けない訳にはいかないよ」
「どうしてさ?」
老婆は、にっこりと微笑みながら答えた。
「それでも買い物に来てくれる人がいるかもしれないし、私は店を開ける以外に、する事がないからねえ。今までも、ずっとそうしてきたんだし」
この老婆は、彼らが幼かった頃から、もう老婆だった。そして、この店は、彼らの知る限り、たったの一日しか休業した事はなかった。その唯一の休業とは、この老婆の伴侶が他界した際だった。
「私には、先に逝った爺さんが残した、この店が全てなんだよ。それに、……ほら。あんたらが、ちゃあんと来てくれたじゃないかい」
老婆の笑顔に、自然と彼らからも笑みがこぼれた。この笑顔も、旧型のレジスターも、傍らの扇風機も、錆びの浮いた商品棚も、何もかもが、昔のままだ。幼かった頃には、百円玉を握り締め、この店へ駄菓子を求めにやって来たものだ。あの頃は百円といえば大金で、それだけで何でも買えたものだ。
商品棚に目をやると、懐かしい品々が並んでいる。当時と変わらない駄菓子のパッケージには、当時の思い出がたくさん詰まっている。ちょうど百円で買えるよう、欲しい駄菓子を幾つも手に取り、悩んだものだ。そんな事を思いながら、皆、思い思いの品を手にレジに並んだ。財布から小銭を取り出そうとする彼らを、老婆は止めた。
「いいんだよ、お金なんて」
「でも……」
「どうせ今日で終わりなんだから。お金なんていらないよ」
老婆は、笑っていた。
「こんな小さな店、今までやって来れたのは、あんた達が毎日来てくれたお陰なんだから。……これ位しかやってやれないけど、私からの恩返しだと思って、持って行っておくれ」
彼らは老婆の気持ちを素直に受け取る事にした。ほんの僅かな駄菓子と飲料水だけだ、数字にすれば大した額ではない。しかし彼らは、老婆の気持ちがたまらなく嬉しかった。
「今まで、ありがとうね、ありがとうね」
いつまでも笑っている老婆の目尻から、涙が流れ落ちた。
「ぷはぁっ!」
一人が、公園の水道で頭から水を浴びていた。犬のように首を振るうと、濡れた黒髪の先から、水が粒になって乾いた地面に落ちる。水滴はあっという間に乾いた土に吸い込まれていった。
「ちょっと止めてよ、掛かるじゃない」
「いいじゃねえか、暑いんだから」
滴る水玉が容赦なくシャツに掛かるが、そのシャツは既に汗でこれ以上ない程に湿っている。
「ほらほら、じゃんじゃんいくぜ!」
そういって蛇口をひねると、口を親指で押さえ、水を撒き散らした。
「ちょっと!」
「あっははははは!」
水しぶきが勢いよく飛び、辺りはすぐに水浸しになる。ちょうど、霧状に広がった水滴の中に、傾きかけた太陽光線が射し、その中に小さな虹ができた。
六人で川原の堤防に腰掛け、山の稜線に沈む夕日を眺めた。ゆらゆらと揺らめきながら、ゆっくりと太陽が高度を下げていく。
「夕日なんて、久しぶりに見たな」
「そうだね」
「あんなに、綺麗だったっけ?」
「どうだろ」
手近にあった石を拾い、川面へ放った。それは水面を切り数度撥ね、幾つかの波紋を作り、そして小さな音と共に沈んだ。風で揺らめく水面に反射した光が、きらきらと複雑に交錯し、まるで撒き散らしたダイヤモンドのようだ。
「見て、もう沈んじゃうよ」
真っ赤な太陽は、遂にその直径の半分ほどを山の稜線に沈めていた。ゆっくりと時間をかけ、次第に灯りは小さくなり、そして山の奥に姿を隠した、ただ山を背後から照らす赤い光だけが残った。
山の向こうには紅く染まった薄い雲が伸び、天球の向かいには濃い紺色の世界が広がっている。
「おまえ、随分と日に焼けたな」
「ええ、うそ?」
半袖のシャツを捲ると、二の腕の中央で肌の色が変わっていた。
「あんただって、全身真っ赤じゃない」
「ああ?」
彼は首の後ろまで真っ赤で、それは夕日に染められたからではなかった。
「どうりで、ヒリヒリするわけだ」
「こりゃあ、風呂が沁みるぜ」
「あっははははは!」
一人が立ち上がった。
「そろそろ、行こうか」
「そだね」
次々と立ち上がり、川原沿いの堤防道路を歩いた。遠く、カラスの鳴き声が聞こえてくる。絶え間ない河のせせらぎは、まるで世界の終焉を感じさせない。けれど、来るはずの無いその時は、刻一刻と近づいていた。
「……これから、俺たち六人で、世界を救うのか」
「全然、実感湧かないね」
「でも、俺たちがやらなきゃいけないんだ」
「うん」
紅い世界は次第に西へと追いやられ、やがて世界は紺色に支配されていった。
「明日も、見られるのかな、夕日」
「無理なんじゃないか、地球最期の日なんだし」
「でも、明日また日が昇ったら、みんな驚くんじゃない?」
「ああ、そうだな」
「見てみたいな、みんなの驚く顔」
「さてと、……それじゃあみんなを驚かせに、帰るとしますか。俺達の任務に」
「うん」
「ええ」
「おう」
地球最期の日。そして彼らは旅立った。二度と戻る事のない死地へ。来るべき明日を護る為に。