第2章
よろしくお願いします。
まだ肌寒い今は五月。
蒼戸 削間は眠気と寒気に襲われながらその夜を過ごしていた。
彼の視界の先にコンクリートと時折顔を上に向けた際に見える星空だけ。
べつにここは暖房も整ってないような牢屋というわけでもなく普通に外であり、コンクリートってのも住宅街の塀と塀の間に潜んでいるという理由なわけだ。
じゃあお前はなんでそんな所に潜んでいるのかと、知らない人が見れば当然訊いてくることは間違いない。
彼が彼自身の格好で、夜の八時に人気も感じない住宅街の塀と塀の間に若い男が潜んでいれば問い詰めたくなるのが普通だし、警察を呼ぶなら尚のこと彼は普通で正しくて、相手が相手ならば感謝状だって貰えるかもしれん。
そのくらい怪しい削間が怪しい状況でここにいるのには理由がある。
隠れているのだ。
敵から。
見えぬ敵兵から。
敵のほとんどが削間よりも実戦経験が豊富だ。
なんなら人生経験だって多分豊富かもしれんな。
なにせ蒼戸削間はごく一般的な普通の高校生であるから。
こんなことを言えば何か特殊な力でも持ち合わせてるんだろ実は? 的な答えが返ってくるかもしれんがマジで削間には超常現象を起こせるような能力なんて持ち合わせてなく、至って普通の高校生。
強いていうなら彼の手には『銃』が持たれていること。
本物かと疑ってしまうこれは十七歳である削間が持っていては法律に引っかかる十八歳以上しか使用の許されていない正真正銘のモデルガンである。
いや正確には電動ガンと呼ばれるものらしいのだが素人目にはエアガンも電動ガンもガスガンもイマイチ区別がついてない。
だってついこの前まで触ったことすらなかったのだから。
そしてなぜ十七歳の高校生が兵士のような恰好で銃を持ちどこに隠れているかも解らない敵兵から見つからないようにしているかといえば、言わずとも解るだろう。
削間はなぜかサバイバルゲームをしているのである。
はいそこ通報しない。
時代が変われば政治も変わる。
後で説明を入れるが、削間は決して法に触れるような行為はしていない、断じてだ。
それにもしも削間が法に触れる行為をする不良少年だったとしよう……、ぐるりと顔の向きを変えて後ろを見る。
ならアレはどうなる?
削間の視線の先。
彼と同じような戦闘服、けれどなんか彼より良さげな武装を身に纏い、なんか凄いそれっぽい動きをしている女性が一人。
見た目はチビ、中身は知欠。
その正体は削間の住む葛飾区の現区長の孫娘にして削間の高校の同級生、白鳥 毛歌。
はっきり言って削間はまだ十八だとパッと見誤魔化せる。
だが目の前で機敏な動きで辺りの様子を鳩が首を動かしていることを連想させる動きで見張っている奇怪なちっちゃい子供はなんだ。
見ず知らずの人間に年齢クイズを出してみろ。
間違いなく当たらない。
断言しよう。
千円くらいなら賭けてもいいだろう。
確実に見つかれば補導されるような高校二年が削間よりイカした装備で削間より慣れた動きで削間より様になっているのだ、それも一切の法に触れずにだ。
今この現場に警察を連れてきたとしても彼らは捕まらないし、そもそも今彼らのいるこの場所、葛飾区(旧江戸川区)の小岩駅を中心とした町全域には定められた者しか入ることはできず、それは警察であっても例外じゃない。
削間と白鳥の二人の高校生はは今この場所で合法的にサバイバルゲームをやっているのだ。
そんなことありえねえだろと思うかもしれない。
やってる当の本人だって最初聞いた時には訊き返したのだから無理もない。
「そんなことありえないだろ、俺高校生だぞ」とな。
だが世間は削間達が思ってる以上に、凄まじい勢いで情勢を変えていった。
時代が変わるという言葉をあの時初めて実感したのかもしれない。
――気づいた頃には削間はもう戦場に立っていた。
蒼戸削間という少年は、これでも学校で何かの役柄になった時、それこそ面倒事を任されたりした際など、なんだかんだでしっかりと最後までやってきた男の子だ。
小学六年の頃紙芝居を作って低学年生相手に見せる授業があったのだが、アホのオールスターズとも呼べるべくして集められたグループの一員となって絵と文章を書いていくという、今思えばひどくくだらない催しをさせられたことがあった。
グループごとに数枚の画用紙が渡されて作業が進んでいって、発表まで残り数日って時にメンバーの一人が配られ完成間近だった画用紙に、絵具用バケツをぶっ放して台無しにしたことがあった。
クラスの吐き溜めメンバーはたぶんどこも大差ないんじゃないかと思う。
どいつもこいつも大して責任感も無い様子で「どうしようか」などと口では言っていても行動はしないグズばかり。
発表は休み明けの月曜日。新しい画用紙を教師に貰おうと頼んだのだが、何故かこれを拒否されるわ、周りの連中はクソの役にも立たなかったので削間はわざわざ自腹を切って画用紙を買って、思い出せる限りの文章と絵と写真を用いて本来グループメンバー全員で作るべきものをたった一人で休みを潰してまで作りあげたのだ。
内容はハッキリ言ってお粗末の極みでとても褒められた内容じゃなかった。
それでも発表できただけマシというもので、発表すら諦めていたグループの連中は適当な感謝を述べただけで、発表会はほとんど削間一人で行ったようなものだった。
今思えば完成しませんでしたで済むような事案でも、なんだかんだ責任と行動が伴っているのがこの蒼戸削間という人間だ。
大して成績が良くないのだから宿題なんてたまに忘れてもべつに影響ないのに、削間は毎日やってから学校に行ったし、毎回五百円しか正月にくれない叔父に対しても、心にない以上の感謝の気持ちをしっかりと出せる身。
もしも削間に、そんなつまらない責任感さえない普通にサボることをちょっとカッコいいとか思えるくらいの、つまらない人間としての設定があったのなら、彼の人生設計は高校生になった際に狂うこともなかったんじゃないのだろうか。
そんなつまらないことを、何もすることが無くなった時。
そんなどうでもいいようなことを、何もやる気が起きなくなった時。
ぼんやりと考えてしまうのは、やはり自分が真面目だからなのだろうか、と今日もまた平凡な日常の中で削間は考えていた。
そう、考えていたはずだったのだ、あの間違いさえ起こらなければ。
今のこの頃は。
ありがとうございました。