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桜はどこか知らないところで勝手に散っている

作者: 獺太朗

 桜の木の下に死体が埋まっているのなら、あの川の底は死体でできている。なので桜程度に騒がなくてもいいのだ、と力説すると、呆れられたため息が私のコーヒーを揺らした。

 そうだよ、人混みが嫌い、を高尚に表現しようとしてすべっただけだ。

「そんなんで本当に大丈夫なの?」

「何が?」

 私は唇を尖らせて、クリームソーダに刺さったストローをついばむ。ここでかっこよくコーヒーでも飲めればいいのだろうが、生憎コーヒーは好きではない。それに会計は割り勘なので、だったら自分の好きなものを飲んだ方が健康にいいというものだ。

「引きこもり体質で終業と共に消えるあなたが、まさか花見に参加するなんて言い出すものだから、どういう風の吹き回しかと思ったら」

 目の前の彼女はわざとらしく眉を下げて困った表情を作ってみせる。いちいち仕草の一つ一つが芝居がかっている奴である。

「社内恋愛できたのね」

「どういう意味」

「一応、会社の人を人間として認識していたんだなあ、と思って」

 ひどい言い草である。しかし、恥を忍んで喫茶店に呼び出し恋愛相談などしている身。余計な反論は慎む。

「業務上、支障のない範囲では、ちゃんと認識してる」

「その返答をしてしまう時点で、もうダメだと思う」

 ふー、とまたコーヒーの水面を揺らした後、目の前の相手はおもむろにカップを持ち上げた。そしてカップに口を付ける様が、どうにもこうにも様になっていて、なんだか悔しい。半分、私の勝手な当てこすりだけど。

「私と仲良くお茶をしている時点で、その理屈は間違っていると思う」

「私がよっぽど人間のできた人格者だから、じゃない」

 ああ言えば、こう言う。まぁ、そういう人だからこそ、気楽に付き合えている面はあるのだが。

「でもまあ確かに、普段の業務で第二研究開発室の人たちと関わり合うことなんてないものねえ。お花見くらいしかチャンスがない」

「そう。だから、今回は頑張っていこうと思っているけれど、人混みを考えただけで、人がゴミのようで、なんかもう焼却処分したいくらいの気分」

「テロの片棒担ぐ気はないから、お休みしたら」

「すみません」

 へい、と私は頭を下げる。理性では理解しているのだ。普段関係のない部署の人と関わりを持つためには、社内行事に出るくらいしかないことを。

「けど、どこで知り合ったの? そこが一番のミステリーなんだけど」

「それは――」

 確かに、彼女には、第二研究開発室に気になる人がいる、としか言っていない。

「高校時代の一個上の先輩だったんです」

「ええ!」

 ここではじめて彼女が驚いた声を出した。まぁ、そうだろう。社内恋愛かと思ったら、高校の話が飛び出してきたのだから。

「高校の頃から、その、気にはなっていて。それで、そんなこんなで、日々を過ごしていく内に社会人になり、潤いのない日々の中ただ朽ち果てていくだけかと思っていたのですが」

「予想外にロマンチックなこと言い出した」

 私は俯く。いい年こいて何初恋こじらせてんだ、と自分でも思う。しかし、高校時代から私は成長したのだ。あの頃とは違う。具体的には、自由に使えるお金が百万円くらいある。

「高校時代のことから話を聞こうか」

 がぜん彼女は身を乗り出してきた。どうやら琴線に触れたらしい。

「そもそも高校の頃から、皆勤賞ではありましたけど、引きこもり体質でして。いじめられているとかそういうのはなかったんですけど、あまり人とも関わらず」

「成長してないね」

 うるさい。

「……そんなこんなで昼休みなどは人気ない場所でお弁当を食べていたのですが、そこにある日その先輩がふらりと現れまして」

「はぁ!」

「それで隣で黙々とその人もお弁当を食べ始めました。お互い会話もせず、そんな日々が三ヶ月ほど続きました」

「……はぁ?」

 期待に満ちた表情が一転疑惑の表情に。

「三ヶ月も、人気のない場所で、並んで、無言で、弁当を、食べる……何やってんの」

「そこはもう、なんと言うか、意地」

「どういう」

「逃げたら負け、みたいな」

「……お花見でも、無言で隣り合ってお弁当食べればいいんじゃない」

「いや、まだ続きあるから!」

 私はあきれ果てた様子の彼女を右手で制する。

「三ヶ月間そんな関係を続けてきましたけど、転機が訪れたのです」

「ほう」

 俄然、彼女の目が輝きを取り戻す。

「その先輩のお弁当が、空箱だったのです」

「なるほど! そこであなたがお弁当を分けてあげるという展開」

「いえ。その日も私はもくもくと一人で弁当を食べました。先輩はしばし呆然とした後、空の弁当を持って帰りました」

「なんでやねん」

 彼女は頭を抱えた。

「そこで『私のお弁当、食べますか?』なんて声を掛けられる人間なら、もうちょっと違った未来を歩んでる」

「説得力ありすぎ」

 彼女はつまらなさそうに頬杖をついた。ラブコメチックな展開を期待していたのなら申し訳ないのだが、創作と現実は違うのだ。

「まぁ、いいわ。それで結局会話することもなく、相手は高校を卒業したわけね」

「いえ。その次の日に、はじめて会話しました」

「え?」

 意外な展開に彼女が驚いている。

「――なんていうか、そのときのことを話すの、ちょっと恥ずかしいんですけど」

「いやいや、ここまで来たら、そこは言っちゃいなさいな」

 もじもじする私を彼女は促す。

「その日、その場所にやって来た先輩は、私を見てはじめてこう話しかけてきたんです。『俺の空の弁当見ても、君、ノーリアクションで食べてたね』って」

「本当に恥ずかしいわ!」

 彼女は肘でテーブルを叩いた。コーヒーカップが音を鳴らして、黒いコーヒーが揺れる。

「だから恥ずかしいって言ったし」

「うん、まぁ、うん。で、どうせまたろくな返事もせずにそのままお弁当食べてたんでしょ」

「そうです」

 彼女は、ふー、と大げさにため息をついた。明らかに私の恋愛相談、もっと下世話に恋バナに対して興味をなくしている。

「ただ、私も話しかけられっぱなしはくやしいので、翌日、話しかけました」

「なにその対抗意識」

「『ここ、私の方が先に見つけたんですけど』って」

「だから、何、その対抗意識。何に対して戦っているのかわからない」

「で、先輩はこう言ったんです。『……わかった。ここの使用許可を得る条件は?』って」

「普通に対応しているその先輩もまぁ……。で、そこでなんか条件を出したの」

「そんな返答が来るとは全く思っておらず、条件なんか何も考えていなかったので、私はパニックになりました」

「なるほど。それで、なんかこうとんでもないことを言っちゃったとかね」

「いえ。そのときはそのまま無言でお弁当を食べました」

「……もうリアクションするのも疲れた」

「天丼ってやつかな」

「わかっているなら、話を進めて。早く翌日」

「いえ。お弁当を食べ終わったら、私は条件を出しました」

「はぁ」

 明らかに彼女は興味を失っていっていた。私は話し下手だからしょうがない。聞いてくれているだけ、ありがたいというものである。

「将来、大人になってまた会うことがあって、そのときお互い独り身だったら結婚でもしてください、って」

「って、おい!」

 彼女が立ち上がると、コーヒーカップが激しく揺れて、中身が少しこぼれた。

「急展開、急展開すぎる。打ち切りの漫画でも、もうちょいなんかあるでしょ」

「当時から、私はこんな人間なので、将来普通に結婚するのは絶望的だと思っていたので。ならばこういうのもありかなあと」

「いやいや。それで相手はどう返答したの? そんなむちゃくちゃなこと言われて」

「『わかった。じゃあとりあえず今は弁当を食べようか』って」

「冷静! 高校生でしょ。なんでそんな冷静なリアクションを」

「人気のないところで毎日お昼を食べるような人だし」

「あなたもね」

 ふー、と先輩は気の抜けた風船のように席に座る。

「それから昼休みはそこでお弁当を食べて、たまーに二言三言会話をしてりして、一年くらい経つ頃には相手の名前と学年も知りました」

「普通、もっと早くに知ることだからね。というか、あなたが私の名前を知っているか不安になってきた」

「業務用に覚えたので大丈夫」

「……業務用」

「まぁ、そんなこんなで先輩が卒業してから関わり合いはなくなったのですが、この間、会社のイベントで先輩を見つけて、名前を確認しても先輩だったので、これは先輩だなと」

「発言中の先輩濃度高いな。っていうか、高校卒業からそれなりに時間経ってるのに、よく気づいたね」

「私が記憶している男性の顔なんて片手で足るくらいなので」

「そうですか」

「図らずも私の出した条件のシチュエーションになってしまったので、どうしようかなと」

「いやいや。それは恋愛相談じゃないでしょ。気にせず知らんぷりしておけばいいことでしょ。あなたそういうの得意なんだし」

「けど、自分が出した条件だから、それ一方的になかったことにするのは」

「でも相手だって付き合っている人いるかもしれないし、もしかしたら結婚もしているかも」

「それはないと思う。だって、昼休みに人気のないところで無言で弁当を食べるような人だし」

「説得力あるけど……。でもそういう人だったら、そもそもあなたの出した条件なんか守る気ないんじゃないの」

「そういう人だからこそ、条件を受け入れる気がないなら、はっきり断ると思う」

「まぁ、そう、なのかな?」

 彼女はなんとも言いがたしという表情で首を傾げた。せっかく整った顔立ちの美人なのに、ちょっと台無しである。

「そういえば、一番肝心なことを聞き忘れていたわ」

 彼女が、ぽん、と景気よく手を叩く。

「その人って一体誰? あなたの一個上くらいの年齢で、一人でお弁当食べてそうな人となると、髪の薄い山川さんか、影の薄い川上さんか」

 私はふるふると首を振る。そもそも山川も川上も誰だかわからない。今度機会があったら、髪の薄い人と影の薄い人を探してみようと思う。そのときまで名前を覚えていたらだけど。

「その人達じゃない。私の先輩の名前は――」

 私が先輩の名前を教えた瞬間、彼女は素っ頓狂な声を上げた。


 *


 結局、花見に来てしまった。そして、かろうじて最後方で乾杯に参加した後、流木のようにふらふらと漂い、指定席の誰もいない場所へと流れてきてしまっていた。ちなみに参加費の元を少しでも取ろうと、もてるだけの焼き鳥を持ってきている。

 花見に来たくせに、花のハの字もない景色を眺めながら、焼き鳥の串をついばむ。そういえば、先輩の名前を教えたときの彼女の反応がすごかったなあ、と思い出しながら。

 曰く、彼は第二研究開発室のホープとして超有望株らしい。さらには――顔はとんでもないイケメンで、超優良物件として狙っている女子社員は掃いて捨てるほどいるそうだ。人は掃いて捨てるものではないと思ったけれども、まぁそこはいい。ちなみに彼女に、彼に興味があるのか、と尋ねたら、好みじゃないと一蹴された。

 顔の良し悪しとか、よくわからないんだけどなあ。それ以前に、私にとっては一人でお弁当を食べる変な人である。

 先輩がいたかどうかも確認できないまま、一人で焼き鳥をつまんで、一体何をしに来たのだろうか。平日の飲み会だから、会費は事前徴収で、来たい人が来たいタイミングで来て、帰りたい人は帰りたくなったら帰る。そういう会だから、焼き鳥食べたら帰ってもいいかな。

「相変わらずセンスがいいね」

 不意に声を掛けられた。こんな人気のない場所に現れるのは、どんな変人か変態だ、と思って振り返ったら、先輩だった。

「全身ユニクロですが。しかも全部特別価格で買いました」

「そういう意味ではないけどね」

 先輩は疲れた様子で肩を落とすと、一人分くらい間を空けて、私の隣に座る。彼の指定席である。

「よくこんな人気のないいい場所を見つけられるなあ」

「パチンコ玉が重力に従って、どんどん下に落ちるような感じです」

「わかるようなわからないような例え」

 先輩は表情を変えないまま、缶ビールのプルトップを引く。生ぬるそうな、間抜けな炭酸の抜ける音が漏れる。

「……その大量にある焼き鳥、一本くらいすすめてくれないの」

「お弁当のおかずだって、一度もあげたことないでしょう」

「うん。変わっていないようでなにより」

 先輩はビールの缶に口を付けると、一気に半分くらい飲んだ。

「いい飲みっぷりですね」

「いや、ちんたら飲んでるとクスリとか入れられちゃうからさ。だから、缶とかペットボトルを空けたら目を離さず可能な限りすぐ飲むようにしている」

「大変ですね。お薬、嫌いなんですか?」

「うん、嫌い」

 そう言って先輩は残り半分をまた一気に飲んだ。

「こういう野外の飲み会だと、飲み物は缶出てくるから大丈夫かな、と思ったけど、やっぱり無理だった。しんどい疲れる」

 それを聞いて、私はパックから一本の焼き鳥を差し出した。

「焼き鳥食べます?」

「どうしたの急に」

「社会人になって気遣いを覚えたところを見せつけようかと」

「なるほど。変な対抗意識」

 礼も言わずにひょいと取る。やはり、焼き鳥を渡すべきではなかったか、と後悔した。大人の余裕はまだまだ難しそうだ。

「毒味はできてますよ」

「うん、ありがとう」

 イヤミに対しては礼を言うのか。

「というか、よくすぐに私だとわかりましたね。あれからかなり成長しているはずですが」

「いや、公衆便所の灯りだけが見える場所で一人メシしている時点で」

「焼き鳥に毒入れますよ」

「どんな?」

「テンションが上がって、人と無意味に約束を取り付けまくったりするようなやつ」

「それは後始末が地獄だから勘弁して欲しい」

 そういえば、高校時代もこんな意味の無い会話をしていたなあと思い出す。あの頃は一週間掛けてだったけど。

「高校時代は制服だったから、考える必要がなくて楽だったな」

「私は裸でなければそれでいいという悟りに達しました」

「試着室、入れる?」

「声を掛けるのが無理なので、大体のサイズ感で。裾合わせのいらないスカートスエット様々です」

「相変わらずやるな」

 うんうん、と先輩は何かに納得している。まあ、呆れられず馬鹿にされず褒められたのは、それなりにうれしい。

「俺は、一度意を決して採寸した後、メールで注文している」

「なかなかやりますね。店にすら行かないとは」

 先輩は得意げに口の端を伸ばしてみせる。

「だから、意地でも今の体型を維持し続けるつもりだ」

「通信技術の発達には心の底から感謝しています」

 二人して頷きあう。

「……もうあのときの高校二年分くらいの会話をしてしまったな」

「そうでしたか」

 しかし、あのときの主目的はお弁当を食べることであり、会話をすることではなかったので、一概に比較すべきではないとは思う。

「ところで、まだ独り身かい?」

「はい」

「付き合っている人は?」

「いません」

 前振りをしたかと思ったら、いきなりそれを訊くか。

「先輩の方は?」

「独り身かつお付き合いしている人なし。つまり、我々は条件を満たしてしまった」

「先輩が見て見ぬふりをして声を掛けなければ、条件は満たされませんでしたが」

「さんざんあそこで弁当を食ってしまった以上、それは踏み倒すみたいでいやだ」

「そうやって選択の責任を私に押しつけないでください」

 言ってやると、先輩はどこ吹く風とばかりにトイレの方を見ていた。

「嫌なら、嫌というといい」

「自分で出した条件を、自分で下げるのもかっこうが悪いので、そこは先輩お願いします」

「いやいや。条件を突きつけられた側がそれを反故にするのはよくない」

「いやいや」

「いやいや」

 何のやりとりをしているのだろうか。いい加減折れればいいのに、この人は変なところで負けず嫌いなのだ。

「本当に、変な対抗意識を燃やすよね、君は」

「理路整然とした振る舞いを心がけているだけですが」

 ひゅう、と風が吹いた。しかし、桜のないここでは花びらは舞わない。トイレの臭いの方が先に運ばれてきそうである。

 仕方がない。最終兵器を出そう。きっと私たちにしか通用しないような。

「わかりました。それでは責任をとって、私たちが結婚するとしましょう。しかし、それにはとても大きな障害があります」

「大きな障害?」

 私はこくりと頷く。こうやって人と会話しているときは基本不動の姿勢を決めている私にしては、実に珍しい。つまりは、それだけ気合いの入った奥の手である。

「婚姻届には、証人が二人も必要なのです。私たちに、それを誰かに頼むことができますか?」

「それ、役所のおじさんに書いてもらってもいいらしいぞ」

 なんとなく、人生、いけそうな気がしてきた。そんな春になった。

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