馬鹿王子は家庭教師を溺愛し、男装王女は探偵の助手になりたい
「ソフィア、申し訳ないが、婚約は破棄させてほしい」
「え?」
私はソフィア・ロバーツ。たった今、二十年来の婚約者から振られた女である。
魔法学園の大学を卒業したあと研究員として働きながら、彼からのプロポーズをずっと待っていた。その結果がこれ。
「どうしたの?ジェイコブ、私、何かしたかしら?」
「好きな人が出来たんだ。幼馴染の君には悪いけど、彼女と結婚しようと思う」
私はロバーツ男爵家の次女で、彼は伯爵家の跡取り息子。家柄も経済状況も全く違う私たちが婚約したのもひとえに親同士の仲が良かったからに過ぎない。
「すまない。正式な書面は追って君の家に送るよ。まず君には直接謝りたかったんだ」
そんなところで律儀に謝られても、私のショックが軽くなるわけあるか。彼を待ち続けたこの三年間は一体何だったんだ。
私は怒ればいいのか、泣けばいいのか、混乱していた。
そして、私の口をついて出たのは全く違う言葉だった。
「そうなの。それじゃあ、お幸せに」
「ありがとう、ソフィア!」
満面の笑みを浮かべるこの無神経な男を蹴り飛ばしたくなった。
私はその後どうやって家に帰ったか覚えていない。
私とジェイコブの婚約が破談となってロバーツ家は大騒ぎだった。
母は卒倒し、父は書面をびりびりに破って暖炉に投げ捨てた。
「うちの大切なソフィアに、あの男は何してくれたんだ!?」
「もう、ドレスも嫁入り道具もみんな用意してしまったわ……でも、ソフィア、気を落とさないで、うちは大丈夫だから」
大丈夫なものか。貧乏貴族の我が家が私の嫁入りのためにどれだけ苦労して工面してくれたことか。
私は現在二十五歳、完全に行き遅れた。家族のため、お金のため、世間体のため、私は決意した。
「お父様、お母様、私、家庭教師として働きに参ります」
「そんな……この家を出て、一人で働く気か?」
「そうです。今までご心配とご苦労をおかけしました。何とか自立して生きてみたいと思います」
私は両親に必死で引き留められたが、決心は固かった。私は早速、都で職を探し出した。
意外なことに私には人に物を教える才能があった。
今まで大学で学んだことを活かせる職をとの思いつきだったが、やがて家庭教師として私は評判になった。
そんなある日、屋敷に使者がやってきた。
「アシュレイ公国の者ですが、ソフィア・ロバーツ様でお間違いないでしょうか?」
「ええ、私がソフィアですが、何か御用でしょうか?」
「王の勅命により参りました。ソフィア・ロバーツ様を我が国にお迎えするよう言いつかっております」
「私を?何故ですか?」
「家庭教師としてお招きするよう言われております!どうか、ご同行願います」
なんというか、強引な話である。
しかし幸いにしてちょうど現在受け持ちの子はいなかった。
私は荷造りを済ませると、迎えの車に乗り込んだ。
アシュレイ公国はウルガ山脈に囲まれたのどかな国。
澄んだ湖畔の周りには茶色のレンガ造りの家々が立ち並んでいる。
まあ、傷心旅行にはちょうどいいかもね。
私は車に揺られながらぼんやりしていた。
やがて市街地に入ると立派な時計台が目に入った。時は丁度三時を指していた。
深い森に囲まれたアシュレイ城は断崖絶壁に建てられていた。
「これが噂の『妖精の城』……」
「ソフィア・ロバーツ様、お待ちしておりました。どうぞ、こちらへ」
白髪を綺麗に撫でつけた執事が私を案内してくれた。
「あの、私はどうしてこちらに呼ばれたのでしょうか?」
「都でソフィア様の家庭教師としての評判が国王陛下の耳に入り、そこで王子殿下と王女殿下の家庭教師として招聘されました。お二人とも十七歳。来年は他国の大学で遊学させたいとの国王陛下のご意向です」
「大学受験を……今からですか?」
「今まで何人もの家庭教師を雇ったのですが、次々に辞めてしまいました。こちらのお部屋になります」
執事がドアを開けるとそこにはソファーに寝そべった金茶色の癖っ毛の少年と、
艶やかな菜の花色を緩く一つに束ねた少年が立っていた。それぞれ二人とも美少年だった。
え?あれ?王女って言わなかったっけ?
「ご紹介します、お二人の家庭教師になられます、ソフィア・ロバーツ様です。ソフィア様、こちらがダニエル王子殿下で」
執事はソファーに寝転んだ薄緑色の眼をした少年を示し、
「そちらがシャノン王女殿下です」
長い髪をさらりと流し、浅葱色をした瞳の王女は優雅に礼をした。
「シャノンです。ご機嫌麗しゅう、ソフィア先生。これからよろしくお願いします」
王女は長身で男物の礼服を見事に着こなしていた。
ダニエルの方を見ると、ソファーから飛び起きたと思ったら、私の手を取って宣言した。
「おい、オレはこいつと結婚するぞ!一目惚れした!」
「え?」
王子の言葉にその場の全員が固まる。
「兄上、初対面のお相手にそのようなことを言えば困らせてしまいますよ」
「いや、決めた。俺は必ずソフィアと結婚する!」
執事は頭を抱えた。私はというと茫然としたまま何も言えなくなっていた。
「それじゃあ、父上と母上に挨拶に行こう、ソフィア」
「あのダニエル王子陛下……」
「ダニエルで良いよ」
「あ……えっとダニエル様、大人をからかわないで下さいませ。歳の差とご身分を考えてください」
「良いんだよ、この国、小さいし、母も元は商家の出だから」
「そう申されましても、釣り合いというものがありまして……」
「なんだ、ソフィアは俺が好きじゃないのか」
「そういうわけではありません。けれど初対面で、驚いてしまって」
「そうなのか!それじゃあじっくり考えてくれ」
「すみません、ソフィア先生。兄上は少々強引なところがありまして、ただバカなだけなのです。お許しください」
「さり気なく人を貶すなよ、シャノン」
「事実ですから。それに王位を継承するのに大学で学ばなければいけないのは兄上だけでしょう。僕は自由にさせてもらいますから」
「シャノン様、国王陛下はシャノン様にも大学進学を希望されています」
それまで沈黙していた執事が復活した。
「ええっ。僕は関係ないのに。どうせなるなら魔法騎士団に入りたいね」
「女性、それも王族の人間が入団するのは難しいかと」
「このフェミニズムの時代にまだそんな化石みたいな考え方している方がどうかしているよ。まぁ、いいや、ソフィア先生、授業をしましょう。そうしたら全部わかると思いますから」
王女が手慣れた様子でウィンクして見せた。
私は基礎的な問題集からいくつか問題を抜粋し、テストを作成した。
ドミニク語の翻訳、魔法数学、基礎的な魔法陣の記述などなど。
魔法学園に通うものなら一年目で勉強する内容ばかりだった。それから一時間後……
「シャノン王女様、満点、ダニエル様……零点」
「ね、お分かりになられたでしょう、ソフィア先生?僕に勉強は必要ないのです。退室してもよろしいでしょうか?」
「いいえ、とりあえず、この問題集をやっていてください。ダニエル様は、私と復習しましょう」
「どこからわからないかわからないんだが」
「……まずはこの教本をひたすら読んで下さい、ダニエル様。ドミニク語の基礎が易しく書かれていますので」
「わかった。それでこの単語の意味はなんだ?」
「……『韻律』です」
それから二時間、夕食の支度が出来るまで勉強を続けた。
その晩、私も王家の晩餐に呼ばれることになった。
「あなたがソフィア・ロバーツ殿か。アシュレイ公国へようこそ」
「国王陛下、この度はお招きいただきありがとうございます。素晴らしい自然の豊かな国ですね」
私の言葉に王妃が微笑む。
「ありがとうございます。あると言ったら森と湖ばかりで……ところで、あのダニエルが三時間も席について勉強していたとは本当ですか?」
「ええ。試験も含めてそれくらいの時間は勉強されていましたが、何か?」
国王と王妃は揃って顔を合わせた。
「まあ、前の家庭教師の時は一時間ともたなかったのに」
「流石、ソフィア殿だ」
「あの……私って何人目の家庭教師なのですか?」
「はて、確か十人だったような……」
「十二人目ですわ、あなた」
「父上、母上!それよりもお話ししたいことがある!」
「わかったから、席にきちんと座れ、ダニエル」
「俺、ソフィアと結婚する!」
王は水が気管に入ってゲホゲホとむせて、
王妃はスプーンをスープ皿に落として派手な音を立てた。
「な、なんだって?」
「結婚するんだ。一目で運命を感じたから」
「それは……本気なのか?」
「本気。そのためなら何でもする」
「……わかった」
「あなた、良いんですか?」
「ただし、条件がある。ハーパー連邦の大学に入学し、卒業すること」
「え? お許しになられるのですか?!」
断られるだろうと事態を見守っていた私は驚く。だって、あり得ないでしょう?
「うむ。我が国は君主制だが、議会によって否認されれば王室は取り潰しだ。しかも男系継承しか認められていない……シャノンが男だったらなぁ」
「僕は国王などなりたくありません。どうせなら魔法騎士団に入りたいです!」
「王女が入れるわけがないでしょう、シャノン!あとその僕という一人称なんとかなさい」
「そういうことだ、ソフィア殿。ダニエルと結婚してくれるかな?」
「え?いえいえ、私の様な不束者が王室に入るなんて恐れ多いことです」
「いや、ダニエルがまさかこんなきちんとした立派な女性を選ぶとは思わなかった。是非ともダニエルを支えてやってほしい」
「ソフィア、よろしくな!」
まさかの展開に私は微笑みが引き攣るのを感じた。
ジェイコブに婚約破棄されて二年、私の人生は大きな転機を迎えていた。
私は午前中、王宮の中を探索していた。そこで中庭から硬いものがぶつかり合う音が聞こえてきた。
兵士たちの中心で剣を振るっていたのはダニエルとシャノンだった。
「流石、兄上。やりますね! 剣術だけなら、一級品です」
「抜かせ、シャノン! お前、通算、千二百七十五勝千三百二十九敗で五十四も負け越してるじゃねえか。
そんなことで騎士になれると思ってるのか?」
「その記憶力と算術がどうして勉学に活かされないか不思議です」
二人は言い合いながらも剣を交わし合う。
「やってしまえ、シャノン様ー!」
「ダニエル様、剣術でも負けたら良いところないですよ!」
近衛兵たちが野次を飛ばしている。
「あの、これは何かあったのですか?」
「あれ、見かけない顔ですね。いえ、単なるいつもの朝稽古ですよ。稽古の終わりに試合をしているんです」
「そうなんですか。てっきり喧嘩でもしているのかと」
私の存在に先に気付いたのはシャノンだった。
「兄上、愛しのソフィア先生が見てますよ?」
「何?それじゃあ意地でも勝たなくっちゃな!」
シャノンがダニエルの動揺を誘う様に囁きかける。
しかしむしろ、ダニエルの剣速が増した。ダニエルの勝利で決着がつくと、私の元に駆け寄って来た。
「ソフィア、見に来てくれたのか?!」
「たまたま、散歩をしていたら偶然お見掛けしましたので。素晴らしい剣さばきでした」
「惚れたか?」
「えっと、ご勇姿とくと拝見させていただきました」
「そうか。ソフィアにそう言われるのと悪い気はしないな。それではまた午後の授業で!」
ダニエルは笑顔で颯爽と去っていった。
家庭教師として働き始めて二週間が経った。
「ソフィア先生、昨日の問題集、全て終わらせてしまいました」
「もうですか、シャノン王女様?」
「シャノンで結構です。簡単な問題ばかりだったので退屈でした。魔法学園ではこの程度の授業しか行われていないのですか?」
「わかりました……それでは、『魔法工学とその発展』というテーマでレポートを明日までにお書きください」
「承知しました。それでは、僕はこれで失礼します。僕の事より兄上をよろしくお願いいたします」
こうしてシャノンは教室を出ていき、私とダニエルは二人っきりになった。
「いかがですか、ダニエル様? 教本としてドミニク語で書かれた『世界樹物語』ですけれど、原作はお読みになったことがありましたよね?」
「ああ、聖女様と青嵐の騎士が世界を旅する話だな。よく乳母がシャノンと俺に何度も読んで聞かせてくれた。おかげでシャノンは青嵐の騎士に憧れた挙句『自分より強い人と結婚する』と言って聞かない。だから、内容もなんとかわかる。やっぱり面白い」
「勉強を面白いと思うことはとても大切なことです、ダニエル様」
「今までの教師はどこが良いんだかわからない意味不明な詩の訳をさせられたり、同じ文章を何度も書き写させられたり退屈だった。ソフィアはそういうことはしないのだな」
「私もそのような授業を受けさせられて苦痛でしたから。しかし、学ぶということはとても楽しいことです。その本が読み終わったら、二人でお茶をしながらドミニク語で感想を話し合いましょう」
「それは面白そうだ。早く読み終わらねばな。待っていてくれ、ソフィア」
ダニエルは辞書を片手に読書を再開した。
※
話の腰を折って申し訳ないが、わたしは今とても困った立場に置かれている。
わたしの名前はアイザック・モリス。稀代の魔法発明家だ。
しかし、不本意ながらその事実よりも世間では別の肩書で認識されている。
そんなわたしがどうして困っているかというと、アシュレイ公国に来て三日目の今日。偶然わたしはスリを目撃した。
わたしは急いで犯人を追いかけたのだが、追い詰められたのはわたしだった。
土地勘の無い異国において、わたしはまんまと袋小路におびき寄せられ、
いかにも知的水準の低そうな若者たちに取り囲まれているのであった。
白状するとわたしはありとあらゆる武術の心得がない。剣も銃もからっきしである。
護身用魔法杖『ビリビリくん』は触れた相手を一発で昏倒させることができるが、対多数戦を想定したものではない。
わたしはこの窮地をどのように切り抜けるか、思案していた。
「よぉ、よくも人を盗人扱いしてくれたな?」
「有り金全部置いて行ってもらおうか?」
うーん、打開策が思いつかない。
仕方ない、財布の中身を辺りにばらまいて、注意が逸れたうちに全速力で逃げよう。
それで憲兵の元に駆け込もう。とりあえず、この腕時計型光学写真機でスリの顔を撮影してと。よし、準備は整った。
いざ、逃げようと思った瞬間だった。
「何をしてるんだい?君たち」
そこに現れたのは透けるような金髪を緩く一つに結んだ深い青色の目をした美少年だった。
「あ、あなたは、シャノン様?!」
「おい、ヤバいぞ、ずらかるぞ!」
「待て、その茶髪のニキビ男はスリだ!」
「それは見逃すわけにはいかないな」
少年は長い脚で逃げようとする男の足を払い、倒れこむ瞬間に肘鉄を食らわせた。
男はそのまま悶絶し、その場に倒れこんだ。
「申し訳ないが、憲兵を呼んできてもらえますか?」
「わかりました!」
わたしは憲兵を呼びだし、窮地を脱することができた。
「ありがとう。シャノンくんというのかな?」
「そうです。外国から来られた方ですね。この度は大変失礼いたしました」
「いえ、シャノンくんに謝ってもらうことではないよ」
「こちらには一体何を?」
「時計台の謎を解きに」
「時計台の謎というと三百年前にこの国の魔術師がかけた魔法ですか?」
「そう。わたしこそが三百年間明かされることが無かった真相を解き明かして見せるよ」
「失礼ですが、お名前は?」
「これは恩人に失礼した。わたしはアイザック・モリス。魔法研究をしている」
「アイザック・モリスというと、あの有名な魔法探偵の?!」
わたしは苦笑した。魔法研究家として発明をいくつもしているのに、なぜか探偵としての方が有名になってしまった。
友人や知人から頼まれた厄介事を解決していただけなのに、今では国からも度々依頼される。何故だろう?
「本業は発明家であって、探偵ではないのだけれど。今回は旅がてら時計台の謎に挑戦したくアシュレイ公国に来たんだが、残念ながら中に入れないみたいだ」
「そういうことでしたら、僕に任せてください」
シャノンはわたしを連れて、時計台へとやってきた。
時計台には二つの時計が付いており、一つは時を刻み時間になるとからくりが作動する。
もう一つは天文時計で、月の動きを計測していた。シャノンを見た衛兵たちは敬礼をする。
「彼を中に入れたいんだが、いいかな?」
「シャノン様とご一緒でしたら。どうぞ、お入りください」
中に入ると時計台は螺旋階段になっていた。
「シャノンくん、君は一体何者なんだい?」
「少しこういうことに融通が利くだけですよ。どうですか、時計台は?」
「階段をただ昇っているだけなのに、くらくらしてきた」
「僕もです。薄暗くて、なんだか足元がふわっとするような不安定な感覚がします」
「足元がふわっとする? それはつまり、もしかしたら……」
わたしは各階段を計測した。すると一段ずつの高さと長さは違っており、その上角度も微妙に傾いていた。
「それがこの階段の違和感の原因だったのですね。この時計台を封鎖したのも、この時計台に昇ると気分が悪くなり、それは魔術師の呪いだと評判になったからなのです」
「なるほど。これでわかったよ。この時計台は歪んでいて、どこかに隠し部屋がある」
「そんなものがあったとは。この時計台を設計したのは例の魔術師ですから、秘密の部屋をこっそり作っていたのですね」
「魔術師はどうしてこんな部屋を作ったのだろう?そもそも魔術師はどうしてこの謎を残したんだろう?」
「魔術師は優秀だったのですが、金遣いが荒い上に物欲が強かったと聞いています。そこで公国の金を着服していましたが、やがて王家の至宝である金の林檎を盗みました。それに気付いた国王は国外へと逃亡しようとする魔術師を追い、とうとうこの時計台へと追い込みました。追い詰められた魔術師は時計台から身を投げました。しかし、金の林檎はどこにも見つからなかった……そう言い伝えられています」
「なるほど。ここは彼の秘密の金庫だったのか」
「アイザックさん、今日はもう遅いですし、今日のところは帰りましょう。明日また、時計台で」
「わかったよ、シャノンくん。今日は本当にありがとう」
二人は夕闇に沈む時計台が六時の時を告げる鐘と共に別れた。
※
「ソフィア先生、アイザック・モリスって方を知っていますか?」
「あのいくつもの事件を解決したというアイザックさんですか? ええ、フローレンス王国ではとても有名でしたからお名前は存じ上げていますよ」
「他に何か知ってることはありますか?」
「確か伯爵家の次男で、爵位はお持ちでないですが、いくつもの発明により特許を取得しているそうです。けれど、その得たペナント料も新たな実験に費やしているとか……それがいかがしましたか?」
「何でもないですよ。ソフィア先生、今日の課題は?午後には予定があるので、それまでに終わらせてみせます」
「なんか、隠しているんだよな。シャノンのヤツ」
「シャノン様がですか?」
「まあ、何でもいいんだけどさ。シャノンがさっさと出てってくれるから、俺はソフィアと二人っきりだし」
「ダニエル様は一体私のどこがお気に召したのでしょうか?私など地味でありふれた人間ですのに」
「会ったときにびびっと来たんだ。立っている時にすっと伸びた背筋が綺麗だ。礼をするときの角度が美しい。歩き方や仕草が優雅だ。髙過ぎず柔らかな声が心地良い。チョコレート色の髪は艶やかで、セピア色の瞳は澄んでいる。ソフィアには何ていうのかな……気品があるんだ。俺は『この人しかいない』ってすぐにわかった。どうして、ソフィアは自信が無いんだ?」
「……私は家庭教師を始める前、婚約者から一方的に別れを切り出されました。二十年間婚約者として過ごしてきて、別れを承諾すると彼は笑顔で別の女性とすぐに結婚しました。彼がいつまでもプロポーズをしてくれなかったのは、私に魅力がないせいだと思いました。行き遅れた私の様な女にもう誰も興味を示さないだろうと思い、自立する道を選んだのです」
「ソフィア、それはそいつに見る目がなかっただけだ。たった一人の馬鹿男の意見で自分を貶めることはない。俺にとって愛する女性はソフィアだけだ。そんな男のことは忘れて、早く俺の妻になれ」
「ダニエル様……」
「だけど、その前に大学受験だな。続きを頼む、ソフィア」
「はい、ダニエル様。それではこれからはこの青いインクの万年筆を使って、とにかく魔法数学の教科書や手元の紙に書き込んでいってください。青色は心を落ち着かせ、万年筆は鉛筆と違って書き直せません。集中力が上がります。ご自分のペースで頑張ってください」
「わかった。質問できるように傍にいてくれ……それだけでやる気になる」
わかりましたと私は答え、ダニエルを横で見守った。
ダニエルの長いまつ毛が頬に影を落とし、真剣に問題に取り組んでいる。
十近く離れているのに、先程の真っ直ぐな言葉には胸が熱くなった。
私は徐々にこの率直な王子に好意を持ち始めていた。
※
「お待たせしました、アイザックさん」
「いや、そんなに待っていないよ。シャノンくん、毎回申し訳ないね」
「いえ、僕が好きでやっていることですから。随分大荷物ですね」
「ああ、魔法分析に必要な機材でね。大丈夫、建物には傷を付けたりしないから」
二人で時計台を昇りながら、アイザックは至る所に謎の液体を吹きかけていく。
「それは何をしているのですか?」
「魔法の痕跡を調べているんだ。
強い魔法はそれだけ輝きも強くなるし、古い魔法は赤く、新しい魔法は青く光るようになっている」
「そんなことができるのですか?」
「わたしが考案した発明の一つだよ……魔法反応薬という。どうやら、やはり一番歪みの大きい頂上に何かあるみたいだね」
時計台の頂上は日時計の裏側に当たり、大小さまざまな歯車が組み合わされて動き続けている。
「アイザックさん、天井のここに丸い窪みがありますよ」
「シャノンくん、見せてくれるかい? 本当だ。赤く光っている。お手柄だよ!」
「しかし、ここに何かをはめ込むとして、どうしたらいいでしょうか?」
「わからないな……」
二人は時計の基部から周囲を探し続けたが、ぴったりくる形の物は無かった。
「魔術師が死んだときに持っていたのか?」
「文献で調べてみたところ、魔術師は一度、時計台の下に降りて包囲されていることを知り、屋根伝いに逃げようと時計台を昇ったらしいです。途中にメンテナンス用の梯子があるでしょう。あれから手を滑らせて落ちて死んだそうです。その時、魔術師は空手で、金の林檎もその他に何も所持していなかったらしいです」
「なるほどなぁ。それじゃあこの時計台にまだ残されている可能性があるね」
わたしは胸が高鳴るのを感じた。古代の魔術師との知恵比べはまだ続くようだ。二人は下の階まで降りていった。
そこでふと、わたしは薄汚れた足元に目をやった。
どこにでもある方位図のレリーフがあった。埃と踏まれ続けた結果、レリーフは摩耗していた。
そのレリーフをわたしは丁寧に拭いてみた。
「おかしいな……」
「何がおかしいんです?」
「見てごらん、この方位図は東と西が逆になっている」
「……本当です。どうして気付かなかったんだろう」
「しかも、赤く輝いた。どうやら鍵はこれらしいな」
「外してみましょう……あれ? 外れませんね」
「ここに穴がある。わたしの予想だが、試しに血を垂らしてみよう」
わたしはナイフを取り出し、ちくりと指先を刺した。
ぽたりと血が落ちると、レリーフがカチリと音を立てた。
「外れました!」
「古代の魔術は大体血を媒介にするからね。それじゃあ再び頂上へ行こうか!」
わたしたちは急いで階段を上がっていった。
その途中先を走っていたシャノンが不安定な階段に足を滑らせる。
その華奢な身体をわたしは慌てて受け止めた。
その時肩甲骨の辺りに硬い金属の感触がした。
「失礼しました、アイザックさん」
「いや、いいんだ。この階段は危険だからお互い気をつけよう」
こうしてわたしたちは再び頂上へと辿り着いた。
そこでレリーフをそっと天井にはめ込む。
「あれ? 東と西の方角が正しくなってます!」
「そうだ。天文学でも星座を表す時、逆に描いたりするんだ。ここには天文時計もあるし、おそらく正しい設置場所はここなんだろう」
レリーフがきっちりと収まると音を立てて、天井が開き階段が降りてきた。
わたしはお手製の光魔法を閉じ込めたガラス瓶を掲げながら、闇の奥へと入っていった。
「……何もないですね」
「いや、ここに必ず何かあるはずだ……すまないが、一晩時間をくれないか?」
「わかりました。衛兵に言っておきます。僕はいったんこれで失礼します」
うんとわたしは上の空で答えた。
シャノンが去るとわたしはそこら中に魔法反応薬をそこら中にかけまくった。
そこで一か所真っ赤に輝く場所を見つけた。
光で照らしてみるとそこにあったのは手のひらほどの小さな時計だった。
「流石にノーヒントでこれは難しいな……」
時間はあっという間に経った。時計の前で腕を組んで悩んでいたわたしの元にシャノンが戻って来た。
「お疲れ様です、アイザックさん。差し入れ持ってきましたよ」
「シャノンくん!こんな時間に出歩いたらダメだ」
「大丈夫です。腕は立つ方なので。サンドイッチとコーヒーです。どうぞ」
わたしは言葉に甘えて頂くことにした。
実はずいぶん空腹に悩まされていたのだ。
「今日は満月で良い夜ですよ」
「そういえば、この時計台には月齢を計る天文時計が付いていたんだっけな」
そこでふと私は気が付いた。
小さな時計の中心に丸い石がはめ込まれていることに。ただの飾りだと思っていたが、これはもしかしたら……
「月を表している?」
「何がですか?」
「見てくれ、この小さな時計を。この時計があの天文時計と連動しているとしたら、月齢を表しているのかもしれない」
「月の満ち欠けをですか?」
「そうだ。月齢は約二十九・五三だ。おそらく三百年前なら二十九・五までしか計算していないはず。そうすると約三年で一日ずれていき、三百年後の今は百日ずつずれている。だが、ここはメンテナンスを受けている。そう言ったね、シャノンくん」
「はい。仰る通り月齢は徐々にずれますので適宜職人が手直しています」
「つまりだ。今日は満月。十二時に時間を合わせ続ければいい。約三千六百回かな」
わたしはぐるぐると時計の針を回し続けた。三百年間止まっていた時計は時をどんどん進めていく。
一時間以上経っただろうか。その瞬間は訪れた。
「アイザックさん、天文時計が急に回り始めました!」
シャノンが下に降りて窓から身を乗り出して叫んだ。
「三百年ぶりに時計台が真の姿を現すぞ!」
わたしたち天文時計が動きをぴたりと止めた時、天井裏にぽっかりと穴が開いた。
「ここは時計台の支柱部分ですね」
「どうやら、とうとう到達したようだ。行くぞ、シャノンくん」
「はい、アイザックさん。お気を付けて」
階段を降りていくとそこは三メートル四方ほどの小さな空間だった。しかし……
「なんだ、ここは?!」
「金貨に宝石……一体どれくらいの額になるのでしょうか?」
金銀財宝とはまさにこのことだった。そしてその中でも中心に置かれていたのは、
「金の林檎だ……!」
「さすが、アイザックさんです! 早速、城に行きましょう!」
「え? いや、今は夜中だぞ? 明日の朝になってからでもいいんじゃないか? そもそも王城にどうやって入るんだ?」
「大丈夫です!僕は王女なので!」
「王……女?!」
「はい。金の林檎を見つけたなら夜出歩いていたこともお咎めが無くなるはずです。行きましょう!」
シャノンは意気揚々とわたしを連れて城へと向かった。
わたしは自分が迂闊だったことを悔やんだ。
あの階段で支えた時の違和感で気付くべきだったのだ。
シャノンは上機嫌で城の隠し通路からわたしを招き入れた。
そして、国王と王妃の部屋へと向かった。
「夜分遅くに失礼いたします。父上、母上、金の林檎を見つけました!」
「何をあほなことを言ってるんだ、シャノン。寝ぼけたこと言っていないで、さっさと寝なさい」
「そうですよ。あら、そちらはどちら様です?」
「アイザック・モリスさんです!有名な探偵であられます」
「アイザック・モリス……あの、フローレンス王国で顧問探偵として名高い?」
「国王陛下並びに王妃陛下。このような形で大変失礼いたします。あの、わたしは魔法研究家として働いておりまして……そちらは無理矢理就けられた役職で」
「それでは、シャノン。本当に金の林檎を見つけたのか?」
「こちらです、父上」
三百年経っても変わることのない金色に輝く黄金の林檎が今まさに正当な所有者に返還された。
「なんということだ……あの時計台の謎を解いたのだな?」
「ええ、魔術師もわたしの知能には敵わなかったようです」
わたしは誇らしげに胸を張った。
「祭りだ! 祭りを催すぞ! 執事を呼べ!」
「まあ、今日は素晴らしい日だわ。アイザックさんありがとうございます!」
祭り? わたしが一瞬疑問に思ったのも束の間、すぐに執事やらメイドやら従僕やら近衛兵が現れた。
「国賓としてアイザック・モリス殿をお迎えし、国を挙げて祝祭を開くぞ!」
はいっと答えるとそれぞれが持ち場へと散っていった。
事の成り行きを見守っていたわたしは茫然とした。誰もこの無茶ぶりを止めないのか?
「ありがとうございます、アイザック殿。あれは土と水を守護する精霊の祝福の証なのです。これで国民にも安楽な時代がやってきます」
わたしは驚いた。それは金よりも価値のあるものだろう。
「お力になれたようで何よりです。それに今回の謎が解けたのもシャノン王女様がいらしたからです。それでは、わたしはこれで……」
「何を仰います! これから祭りだというのに! アイザック殿をゲストルームへお連れしてくれ」
かしこまりましたと従僕がわたしを連れて部屋へと案内した。
「こちらでお休みください」
「わたしの荷物は宿屋にあるんだが……」
「必要なものはこちらで用意します。宿屋はどちらでしょうか?すぐに取りに行って参ります」
わたしは宿屋と部屋番号を伝えると従僕は一礼して部屋を出ていった。
「……疲れたし、寝るか」
わたしはこの状況に対して考えることに疲れたので眠ることにした。
翌朝、どんな事態になっているかも知らずに。
※
何も知らない私が起きると、城の中は慌ただしく人々が走り回っていた。
「一体何があったのですか?」
「ああ、ソフィア様。金の林檎が見つかったんです! これから祭りが行われます。 どうぞ、ドレスに着替えてご出席ください」
そう言われて私は急にドレスへと着替えさせられた。
クラシカルな深緑のドレスを着て、髪を結いあげてもらう。
そこにスズランのコロンを一吹きしたところで部屋をノックされた。
「ソフィア、用意できたか?」
「ダニエル様、どうしてここに?」
「今日はお祭りだから、ソフィアのドレス姿を一番に見たくて。うん、やっぱりソフィアは綺麗だ。スズランの香りがする。とても似合っている」
「ダニエル様、人目がありますので」
「大丈夫ですよ、ソフィア様。もう城中の者が存じ上げておりますので」
私は白粉の上からも分かるほど真っ赤になった。
「俺、そういうこと隠しておけないから。みんなに言いふらしておいた。だって、ソフィアに手を出すやつがいたら困るだろう?」
「そんなことご心配には及びません……」
「当然だ。そういう訳で今日は一日一緒にいてもらう。婚約者なんだから」
「ま、まだ婚約していませんよ!」
「ちょっとの差じゃないか。細かいな、ソフィアは。とにかく俺のそばを離れたらだめだ。わかったな?」
「……承知致しました」
「うん、それでいい。それじゃあ祭りに行こうか。事情は道中説明するから」
※
わたしが翌朝従僕に起こされると礼服に着替えさせられた。
「アイザック様は本日の主役であられますので」
そう言われて城の広間に連れ出された。
「これからパレードが始まりますので、アイザック様はこちらの馬車にお乗りください」
「アイザックさん、おはようございます! 今日はよろしくお願いしますね!」
「シャノン王女様……その恰好は?」
「僕、ドレスに会わないので、公式でもこの格好で通しています!」
笑顔でそう答えたシャノンは男装のままだった。
この国は一日で祭りを始めるし、王女は男装していて街をうろうろしているし、何かが決定的にずれてる。
「まず先頭の楽隊の後ろを父上と母上が金の林檎と共に街を巡ります。その後、僕たちの馬車が走ります。国民に笑顔で手を振って下さい」
「こんなうだつが上がらないおじさんを見ても国民はがっかりするだけだと思いますよ」
「人間、見た目じゃありません。灰色の髪と眼鏡、アイザックさんらしくて良いと思います。さぁ、参りましょう」
そう言って馬車は城を出発した。街は祝宴ムードで降って湧いたお祭りに興じていた。
「シャノン様ー!こっちを向いて!」
「シャノン様、ご活躍お聞きしました! 金の林檎をありがとうございます」
「あれがアイザック・モリスか。思ったより若いなぁ」
「三百年間の謎を二日で解いちまったって話だぜ」
わたしとシャノンは様々な声をかけられながら、パレードは進んでいった。
※
一方、私とダニエルは城下でパレードを眺めながら、出店で買ったエンガンディーナという菓子を食べていた。
くるみがふんだんに使われたキャラメルとバタークッキーで出来たお菓子だった。
「ダニエル様はパレードに出席しなくていいんですか?」
「あれはシャノンが勝手にやったことだからなぁ。俺たちは祭りを満喫しようぜ。コーヒー買ってくるから大人しく待ってろ」
ダニエルはそういうと人混みの中に紛れていった。
私がドレスを汚さないようにお菓子を食べていると、男たちに声をかけられた。
「そこの綺麗なお姉さん。一人なの?一緒に祭りを楽しもうぜ」
その息からはアルコールの香りが漂ってきた。
「いえ、人を待っているので」
「いいじゃんか。ちょっと踊るくらいさぁ」
男が私の手を強引に引いた時、男の顔にコーヒーがぶちまけられた。
「てめぇ、何するんだ?!」
「お前こそ、ソフィアに何をする。勝手に俺のソフィアに触れるな。俺はダニエル・ベネットだ。俺に文句があるなら、いつでも決闘に応じるぞ」
「だ、ダニエル王子殿下! 知らなかったとはいえ、すみませんでした! お許し下さい」
「覚えておけ、ソフィアはいずれこの国の王妃になる存在だ」
「はい、失礼します!」
はぁとダニエルはため息をついた。
「これだから目が離せないって言っただろ?ソフィアは美人なんだから、しっかりしてくれ」
「私、二十年ずっと婚約していて、誰からも相手にされなかったから、どうしたらいいかわからなくて……」
「わかった。俺がソフィアを守る。離れてごめんな?」
ダニエルが私を抱きしめた。その身体はしっかりと鍛えられた男性のものだった。
ジェイコブは私を抱きしめてくれたことも無かったので、
私はその感触に脈拍がどんどん早くなっていくのが止められなかった。
※
パレードで広場にやって来た国王と王妃、シャノンとわたしは壇上に無理矢理上げられた。
王は風魔法のかかったマイクを手に語った。
「皆も知っての通り、三百年間行方不明だった金の林檎が時計台からとうとう発見された。この国に再び土と水の祝福を受ける時がやって来た。苦しい年もあった。しかし、そんな日々はもう終わりだ。皆で祝おう、祝福されたこの国の未来を! そして称えよう、アイザック・モリスの偉業を」
国王の言葉に民衆のボルテージは一気に上がった。
わたしはまたしても困ったことになった。このような注目を浴びる場が昔から苦手だったのだ。
わたしは笑顔の様なものを顔に張り付けながら、民衆に手を振った。
国王が目で、マイクを取るように目で促したが、断固として拒否した。生来、口下手なのである。
困っているわたしを見かねて、シャノンがそのマイクを取った。
そしてわたしが如何に正義感に溢れ、冷静かつ優秀な頭脳を持つかを語り上げた。
その内容は多少どころかかなり誇張されていてわたしは穴があったら入りたい気持ちになった。
こうして英雄に祭り上げられたわたしはその夜、更に驚かされることになる。
それは城に戻ってからの晩餐会でのことだった。
「シャノン、今何と言った?」
「父上、僕はアイザックさんの元で勉強したいのです。どうかフローレンス王国に行くことをお許し下さい」
「何を言ってるんですか?! シャノン王女様! わたしは弟子などとれる身分ではありませんし、危険な仕事もあります。とてもではありませんが、それは無理です」
「僕はずっと『自分より強い男の元に嫁ぎたい』と思っていました。でもアイザックさんと行動してわかったんです。素晴らしい知性の持ち主であり、謎に挑み解決するのは何よりも刺激的でした。お願いします。アイザックさん、弱いですから用心棒としてもお役に立てるかと思いますよ」
平民が王女を用心棒にしてどうする? やっぱりこの国はずれている。
「うーん、魔法騎士団に入るよりはアイザック殿の元に行く方がましかもしれないな。実際に金の林檎と財宝を取り戻してくれたからなぁ」
「どうしましょうね、あなた?」
「よし、それじゃあフローレンス王国の魔法学園の大学に入学した場合、在学期間中にアイザック殿と共に行動することを許可しよう」
「本当ですか ?父上!」
そこでおそるおそる深緑のドレスを着た美しい女性が発言した。
「フローレンス王国の最高学府は西大陸でも最高峰の難関です。シャノン様がどれほど頭脳明晰でいくら素晴らしい能力の持ち主でも、いきなりはちょっと厳しいかと……」
その通りである。わたしもフローレンス王国の大学を卒業したが、今日思いついたからと言って入れるものではない。
「それでは、これから必死に勉強します。ソフィア先生どうぞよろしくお願い致します」
ソフィアと呼ばれた深緑のドレスを着た女性はがっくりと肩を落とした。
どうやら、苦労を背負い込んだ様子だった。
それは拒否権もなく、王女を任せられることになったわたしも同様だった。
わたしたちは無言でお互いに哀れみの視線を交わし合った。
※
それから私はシャノンに厳しい試験対策を施した。
「今までと違ってこれからはきちんと授業も受けてもらいますよ、シャノン様」
「もちろんです、ソフィア先生」
私はシャノンのためにコネを使って大学に連絡を取り、過去の問題を取り寄せることに成功した。
シャノンはそれを片っ端から解き始めた。
一方ダニエルの方は目覚ましい進歩を見せていた。
ドミニク語も日常会話レベルまで読み書きできるようになったし、教本も紙もインクで真っ青に染まっていた。
「ダニエル様、次の勉強を始めましょう。今まで勉強したことを音読してください。それが出来たら、私に説明してください」
「ソフィアが教えるんじゃなくて、俺がソフィアに説明するのか?」
「やってみれば分かります」
ダニエルは教本を音読し終わると、その教本について私に説明しようとして言葉を詰まらせた。
「……難しいな」
「そうです。人に説明するということは完全にその分野について理解していないと難しいのですよ。私が質問していきますから、ダニエル様はそれについて答えながらわかる範囲で説明してください」
こうして私は二人の受験勉強を指導していった。入学試験まであと三か月だった。
そしてとうとう、試験の日がやって来た。まずはシャノンのウィロウ王立魔法学園の大学部への受験であった。
シャノンはいつも通り男装をして全く緊張していない様子で、フローレンス王国へと向かった。
次にダニエルのハーパー連邦の大学だった。心配してついていくというとダニエルが止めた。
「俺一人の力でやってみる。ソフィアは待っていてくれ」
ダニエルは硬い表情でそう言った。二人とも私もできることは全部やった。あとは幸運を祈るばかりだった。
試験後戻って来た二人は笑顔だった。
「どうでしたか?シャノン様」
「案外、簡単でしたよ。ソフィア先生のおかげです。過去問と似たような出題が多くて助かりました」
「だ、ダニエル様は?」
「うん、とりあえず全力は尽くした。そんなに心配するな、ソフィア」
ダニエルは笑顔だったが、私は不安で押し潰されそうだった。
シャノンとダニエルの未来がかかっている。
私も全力で指導したが、それでもダメだったらどうしよう。
ダニエルがもしも落ちてたら、ダニエルと一緒にいられなくなっちゃう……
私は自分が教師で生徒を支えなければならない立場なのに、不安で仕方なかった。
私が眠れず、テラスで星を見ているとダニエルがやって来た。
「ダニエル様、どうかなさいましたか?」
「いや、たまたまテラスに向かうソフィアを見かけたから来ただけだ……冷えるよ、ソフィア」
私にカシミアのショールをかけてくれた。私はその優しさに思わず涙が出そうになってしまった。
「どうした、ソフィア? 俺、何か悪いことでもしたか?」
「いえ、ダニエル様の優しさがとても嬉しくて……」
「ソフィアは俺の大切な人だからな。当然だ」
「ダニエル様は、不安じゃありませんか?」
「試験の事か? 俺は全力で挑んだ。これでダメならもう一年勉強するさ」
「でも、婚約の約束は流れてしまうかもしれない……」
「大丈夫だ、ソフィア。そんなこと絶対にさせない。俺を信じろ」
「……大学に行けば、若くて美しくて家柄の良い、ダニエル様にお似合いの方も見つかるでしょう。その時は、言ってください。私、慣れてますから」
「ソフィアは頭がいいが馬鹿だな」
ぐいっと身体を引き寄せられて、ダニエルの指が顎を上げさせて緑色の瞳が私を見つめる。
「俺は自分が決めたことは必ずやり抜く。ソフィアと一緒に勉強した時間は俺にとって幸せな時間だった。絶対に結果を出して見せる。ソフィア以外の女なんてありえない。だから安心してくれ」
「ダニエル様……」
「さあ、部屋まで送る。ここは寒い」
ダニエルが自然と私の手を握る。その手の温もりが私の不安を溶かしてくれるようだった。
先に連絡が来たのはシャノンの方だった。結果は見事合格だった。
「ソフィア先生ありがとうございました。おかげでやりたいことができます! 早速、アイザックさんに手紙を書かなくては!」
「シャノン、入学したからには勉学にも手を抜いてはダメですよ」
「わかってますよ、母上」
シャノンはご機嫌でフローレンス王国へと旅立った。
※
わたしは自宅で優雅なアフタヌーンティーの時間を堪能していた。
次なる発明品のアイディアを思案する。そこにメイドがやってきた。
「アイザック様、お客様です」
「……わかった」
思索の邪魔をされたことで少しばかり機嫌を損ねたわたしだったが、応接室へと向かった。そこにいたのは……
「アイザックさん!お久しぶりです!」
溌剌とした美貌の少年……にしか見えない少女だった。
「シャノン様、一体我が家に何用ですか?」
「アイザックさんの家に同居させてもらおうと思いまして。大学からも近いし、何か事件があったらすぐに対応できますから!」
「……あのですね、シャノン様。あなたは女性で、しかも王室の人間なんですよ。こんな小さな屋敷で、見知らぬ男と暮らすなど、あなたの評判にも関わります」
「大丈夫です。両親には了解を取っておりますし、それに家賃もお支払いします」
にっこり笑ってシャノンは金貨をどさりとテーブルに置いた。
「アイザックさんは研究でお金のやりくりが大変だとお聞きしました。これはあの時計台で見つけた金貨の一部です。どうぞ、お納めください」
わたしは言葉を失った。この抜け目ない少女をどうやって追い返したらいいのだろう?
「それで、お部屋はどちらです? 持って来た荷物を運び入れたいのですが?」
シャノンの笑顔は崩れない。シャノンはさらに言葉を続ける。
「アイザックさんはあまり腕が立つ方ではないので、これからは僕があなたの盾になりますよ。安心してください。さあ、これから二人で様々な謎を解き明かしましょう!」
わたしの身体よりも、王女よ、自分の心配をしてくれ。やっぱりあの国の人間は何かがおかしい。
……こうしてわたしの平穏な日々は終わりを告げ、優秀な助手となる少女とともにいくつもの謎に挑むことになるのだが、それはまた別の物語である。
※
そして、とうとうダニエルの結果がやってきた。国王も王妃も息をのんで結果を待った。その結果は……
「合格だ! やったぞ! ソフィア、これで婚約できる!」
「あの馬鹿王子が大学に入学できる日が来るなんて……」
「本当ですね、あなた。これも全部、ソフィアさんのお陰ね。それじゃあ婚約の儀を入学するまでに行わなければ」
「そうだな。急ぎ準備させよう。ソフィア殿のご両親にも手紙を出さなければ」
私は目の前のことが信じられなかった。本当なの?私、好きな人と結婚していいのかしら?
「ソフィア、こっちに来い!」
私はダニエルに連れられて中庭にある噴水の前にやって来た。
「どうだ、ちゃんと合格しただろう?」
ダニエルが突き付けた手紙には下から十番目で合格した旨が書かれていた。
「ギリギリでしたね……」
「俺は幸運の持ち主だから、絶対大丈夫だと思っていた……ソフィア、世界で一番幸せにする。俺はソフィアを選ぶ、だからソフィアも俺だけを見ていてくれ」
「いえ、私はフローレンス王国へと帰ります」
「何だって?!俺との結婚がそんなに嫌なのか?」
「ダニエル様は立派に成長されました。けれど、私が不安なのです。ダニエル様の未来を私のような人間がいることで狭めてしまうのではないかと……どうか、大学でたくさんのことを学んで、素敵な恋をして、立派な王へとなって下さい。私のことはどうか忘れてください」
「……ソフィアは婚約者に婚約破棄をされた時、どんな気持ちだった? それがわかっていながら、俺に同じことを言うのか?」
「それは……私は貴方を思うからこそ、身を引きたいと思っているのです」
「俺が大学に入ることができたのはソフィアの存在があったからだ。ソフィアの事を好きになり、ソフィアのために、自分のために、国のために勉強を続けることができた。その中で学ぶことの楽しさを教えてくれたのはソフィアだ。ソフィア、俺を信じろ。十年後でも五十年後でも同じことを言ってやる。俺の幸せはソフィアと共にあることだ」
強く抱きしめられる。そして二人の視線が絡み合う。
ダニエルはなおも反論しようとする私の唇を強引に奪って封じた。
私はその激しいキスで何も考えられなくなる。
「ずっとこうしたかった。ソフィア、俺の心を全て奪ったんだから、お前の全てを俺は貰い受ける。四年後、覚悟していろ」
そういうと私の左手の薬指に歯形をつけた。
「今は持ち合わせがないんでな。これでソフィアは俺の物だ。逃げられると思うなよ?」
遠くで時計台の鐘の音が祝福するように鳴る。私、今度こそ、幸せになります。
お読みいただきありがとうございます。
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ただいま「最強の聖女は恋を知らない」を連載中です。
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