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漆黒の生贄〜神を冒涜せしもの〜  作者: まるおドーナッツ
第一章『彷徨える奴隷労働者』
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第一章1 『漆黒の森』

挿絵(By みてみん) 




俺の名前は、前野まえの 忠夫ただお、25歳だ。




平凡な大学を卒業してから、派遣社員として工場に勤務する労働者だった‥と言えば良いだろうか?


 派遣工の労働者は、工場で働いているのが普通なのだが、今の俺は、何故か暗い森の中で理由も分からずに迷っている。どうしてこうなったのかは、分からない。


 なぜなら、そもそも何故、森の中で迷っているのか、どうやってここにやって来たのか、記憶が抜け落ちたようにないからだ。大学時代に何度か深酒をして、記憶を失うまで酒を飲み明かしたことがあるが、今回のこのような状態は、初めてだ。


 今までは、せいぜい駅のホームか自宅のベッドで目を覚ますことがあったくらいだ。その時は、一部の記憶が失われていて、どうやって自宅や駅まで辿り着いたかは、思い出せないでいた。俺は、いつからこの暗い森の中でさまよっているのだろうか?


 歩き疲れて、2回は木の根元で野宿をした。だから、体感した時間で言えば、大体二日くらいだろうか。それくらいさまよっている。疲労と恐怖で心が折れてしまいそうだ。


 まるで悪夢が具現化したような世界だ。不思議なのが、大体二日くらい暗い森の中を歩いているのに、まったく太陽の光が差してこないのだ。樹木しか視界に見当らないので、同じ所をグルグル回っている気がしてくる。


 俺は、流石に疲労で歩くことを諦めた。自分のカバンの中に工場の作業着と間食用に買ったと思われる、コンビニの菓子パンとペットボトルのお茶が入っていた。この食料は、現在の自分にとって、希望の光でもあったので、最後までとっておくことにしていた。それを食べて最後の力をつけることにしたのだ。


 カバンの中身についても記憶がなかった。目が覚めた時に、自分の横に転がっていたのだ。出勤途中か退勤した後の帰宅途中で記憶がなくなったらしいというのは察しがついた。


 しかし、ここがどこの森の中でなぜこんな光も差さない、暗い森の中をさまよう羽目になったのかは、わからない。さまよいながらも食料や水を得ることが出来ないだろうかと森の中の樹木などを調べてみたが、食べ物になりそうなものも、飲めそうな水も探すことが出来なかった。


 菓子パンを食べながら、自分の記憶を辿ろうとしてみるが、一向に思い出せない。最近の記憶だけがすっぽりと抜け落ちたようにないのだ。


 俺は、大学を卒業してから、良い就職先に恵まれずに、正社員として就職した先の会社をすぐに辞めてしまうということを繰り返して、派遣社員として工場に勤務することになったのだ。


 正社員として就職した先の上司や先輩が、ことごとくウザくて辞めた。


 特にこれと言ってやりたいことも見つからなかったので、なんとなく就職したにすぎなかった。


 大学のサークルでは、オカルトサークルなどに参加していた。中学や高校では、いじめられっ子だった。


 それに自分の両親は、小さい頃に離婚していて、母親に引き取られ、育てられた。



 家は貧乏だった。それをバカにされて、よくいじめられていた。



 俺の性格は、陰気な方だった。友達は、けっして多くはなかったが、オカルトサークルなどで趣味の合う奴らとは、仲良くやっていた。


 大学のオカルトサークルでの飲み会では、記憶がなくなる程、酒を飲んだこともあった。

派遣工の仕事は、クソだった。毎日残業で遅くなるし、給料は安いし、ブラックだった。そういう少し昔の記憶はあるのだが、最近の記憶だけがすっぱりとないのだ。




 なぜここにいるのだろうか?




 まるで悪夢の中をさまよっている気分だ。樹木の中を歩き回っていたので、今着ている普段着は、破れてボロボロになってきていた。


 俺は、ブラック企業の工場作業着に着替えることにした。ボロボロの普段着は、木の根本に捨てた。

俺は絶望して、座りこんでいた。しばらく絶望感に浸っていた時、どこかで物音がした。その物音は、こちらに少しづつ近づいて来ているようだった。


何かの動物だろうか?俺は、その物音の犯人を確認しようとした。暗くてよくわからないが、草むらの茂みに何かいるようだ。俺は、恐る恐る茂みを掻き分けて確認しようとした。



「ぎゃっ!人間だぎゃっ!」



つんざく様な声が聞こえた。俺は、突然のことで腰を抜かしてしまった。




何かが喋ったのだ!



 目をやると、小さい小人のような奴が、ぎょろぎょろとした目玉をひんむいて、俺の方を見ていた。よく見ると三角帽子を被っていて、鼻が異様に高くて長い。口には、牙が見えていた。


こいつは、まるでゲームに出てくるゴブリンみたいな奴じゃないか!



「うわっ!」



思わず俺も声が出てしまった。そして、ガサガサっと、そのゴブリンは、茂みに隠れてどこかに行ってしまった。


 俺は、まさにこの時、悟ったのだ。これが世の中で流行りの異世界召喚だということに。



 少し、ボーッとした後に俺は思った。俺を召喚した美少女は、どこにいるのだろうかと。

事態は絶望的だが、どこかでお約束の美味しいシチュエーションを望んでいる愚かな自分を発見した。


しばらくした後、はっと我に返った俺は、暗い絶望的な現実を再確認する様に辺りを見回してみた。辺りは、相変わらず静けさに包まれた暗い森の中だ。もうあのゴブリンは、どこかに行ってしまったみたいで、物音ひとつしない。また孤独と静寂だけが友人とばかりに自分に纏わり付くのだった。


「さっきの奴は、絶対アレだよな。ゲームとかで出てくる、最弱敵キャラクターの王道でいらっしゃる方だよな‥。」


「差し詰め、俺は、レベル1 暗い森からの冒険への出発って感じだよな。装備は、工場作業着と少しばかりのペットボトルのお茶といったところか。」


 というような、くだらない独り言などを言って、自分の気を紛らわそうとしてみるが、疲労と精神的なプレッシャーでだんだんと俺は、意識が朦朧としてきた。薄暗く、目印となるような風景や建物、太陽の光などもないので、ひたすら樹木の中を歩き続けるだけで、何も先が見えてこない。


 このケモノ道は、どこに繋がっているのだろうか?ひたすら何も考えずに進むしかなかった。現実世界の森林であるなら、もうとっくに太陽の日が差して昼間になっていて、遭難救助隊が捜索してくれていても良さそうなものだが、先の人語を介するゴブリンといい、この百夜の森といい、どうやら現実世界とは異なるところに召喚されているようだ。



 俺は、何も考えずに歩くうちに、ある異変に気がついた。自分の頭の中の声とは、違う声が聞こえるような気がすることに気がついた。




‥‥そのままだ‥真っ直ぐに進め‥




 これは、神のお告げか?自分の精神異常か?しかし、ここが異世界である以上、なんでもアリな気がして、魔物の罠なのでは?とも思った。何度もこの声は、頭の中で同じ台詞を繰り返した。


 意外なことに俺は、この不思議な声に口程にもなく従順に従った。


 これはきっとブラック企業に勤める労働者の悲しい性だろう。仕方がないのだ。強制的な状況に逆らうことより、従うことでダメージを軽減しようとしてしまうのだ。


 疲労と絶望感で俺は、従順な奴隷のようなゾンビと化していた。フラフラと、その声に導かれるように進んでいる、その最中、俺は痛烈な痛みを左肩に感じた。



「っ!? 痛いっ!」



すぐに左肩を押さえる前に目視してみると、切り傷から出血していた。



「シャア!」



 甲高い叫び声が聞こえた。俺は、左肩の出血を押さえながら前方に目をやると、なんと先程のゴブリンが、右手にナイフを持って立ち塞がっていた。ナイフからは、俺の鮮血が滴り落ちていた。


 絶対絶命のピンチ!俺には、なんの武器もなく、この最弱キャラクターに勝つ術も持たない。


「俺を見た人間は殺す!」


 さっきは、この普通の人間、前野まえの 忠夫ただお、25歳を見ただけで逃げ去ったくせに、この今の異常なまでの殺意に満ちた姿は何であるのか、俺は、理解出来ないでいた。


 だが都合よく、ふとオカルト研究サークルで学んだ知識が思い浮かんだ。

妖精の中には、人間に見られることを極度に嫌う妖精もいて、姿を見た人間を呪い殺しにくることもあると文献で読んだことがあった。


このゴブリンがその類の妖精であることが、なんとなく分かった。しかし、分かったところで何の進展もない。状況は、絶対絶命のピンチのままだ。



「死ねっ!」



 飛びかかって来たゴブリンは、手負いの左肩をさらに攻撃しようと、ナイフを振り回した。俺は、少ない力を振り絞って後ろに飛び退いた。


 小人のゴブリンは、間合いを外して空振りになっていた。



 ‥‥このままだと切り刻まれる!



 その時、俺の頭の中の違う声が、大きな声で語り出した。男性なのか女性なのか、性別は分からないが、やけに威厳がある声だ。



‥‥サラマンドラの力を使え‥‥私の力を貸してやる‥



 俺には、何のことかサッパリ分からないと思ったが、とっさに異世界ゲームの知識と共通認識で魔法が使えるだろうという前提で右手を自分の前にかざしていた。そして、俺は口走っていた。



「いでよ!サラマンドラ!」



 恥ずかしさを通り越した、気狂いがもたらした奇行だった。

ここで魔法の力が解放されて、敵にダメージを与えて、ターン終了というお約束のパターンが展開されるかと思われた。


だが、現実は虚しい沈黙が辺りを包んだ。俺の奇行を見ていたゴブリンは、万が一のことを想定してか、防御の体制をとっていた。そして、何も起こらないと見るや、侮辱的な目で俺を見て言った。



「ビビらせやがって!契約者じゃねーのかよ?」



「ビビって損したぜ!」



 ゴブリンは、安堵の後、前以上の殺意を放つようになった。これは、いわゆる怒らせたってやつだ。その時、また頭の中で自分とは違う声が聞こえてきた。





‥‥私と契約しろ‥そうすれば助けてやる‥





 俺は、この声が何かの精霊の声であることを悟った。他になすすべがなかった俺は、この声の主にすがるしかなかった。





「助けてくれ!契約でもなんでもする!死んだら終わりじゃないか!」





 俺は、無我夢中で叫んでいた。その瞬間、目の前に爆炎が立ち上がるのが見えた。炎は、瞬く間にゴブリンを飲み込んでいった。



「ぐえええぇ!」



 炎の渦に巻き込まれたゴブリンは、たまらずに後ずさりして逃げていった。


 俺は、生まれて初めて魔法というものに出会ったのだ。俺は、無事に強制エンカウントイベントを乗り越えたことを感じとっていた。


 ホッとしたのも束の間、左肩の痛みと出血に気がついた。傷は、けっこう深いみたいだ。包帯もない、消毒液なども、勿論ない。なんとかゴブリンは撃退したものの、これはヤバい。怪我と疲労で死んでしまうかも知れん。


恐怖に支配されていた俺のマインドに、また例の声が聞こえてきた。



‥‥傷口に手を当てて、治れと強く念じろ‥‥



 俺は、傷に手を当てて強く念じてみた。すると、緑色のほのかな光が発せられた。みるみる出血が止まっていくのがわかった。


 この緑色の光は、自己治癒能力を促進しているようだ。ヒーリングの魔法だろう。

しばらく時間はかかったが、ヒーリングの魔法のおかげで傷は、大分良くなった。異世界に召喚された俺の職業ジョブは、魔法使いのようだ。


 差し詰め、謎の声の主は、精霊で、ゲームマスターと言ったところか。ゲームの進行役で重要な役割のようだ。


 要領を得たような気になった俺は、頭の中の声に向かって言った。



「次は、どうすれば良いのだ?ゲームマスター! お前が、俺をこの異世界に召喚したんじゃないのか?」



 しかし、頭の中の声は、ピタリと止んでしまった。俺は、今しがたに起きたイベントのことをなんとなく考察してみた。

 

――――私と契約しろ‥そうすれば助けてやる――この声の後に契約すると叫ぶと魔法が発動したよな‥‥。


 これが精霊契約の儀式みたいなものだったのだろうか?‥わかる筈がない。生まれて初めての異世界での魔法体験だ。現実世界では、ブラック企業の工場でいつものルーティンワーク、製品のチェックとか、原材料の運搬とかをやっていただけの人間に想像できる筈もない。試しにもう一度、同じ魔法を使ってみようとした。



「サラマンドラ!」



寂しく虚空に声が消えてゆくようだった。‥‥何も起こらない。



「ヒーリング!」



 今度は、先ほどの緑色の光を放つ癒しの魔法を叫んでみた。しかし、先ほどとは違い、何も起こらない。

完全に訳が分からない。もしかすると、自分で魔法を放ったのではなく、誰かが自分に魔法をかけたのではないかと思った。が、それらしき人影や存在は、周りに見当たらない。謎だらけである。


 俺は、気を取り直して進むことにした。ぐずぐずここにいても仕方がない。また、あのゴブリンが復讐しにくるかも知れない。それを思うと進まずにはいられない。


 俺は、魔法の爆炎で焦げた地帯からさっさと逃げ去るように立ち去った。程なくして俺は、一筋の光明を見出した。


「太陽の光だ!」


 出口のようなアーチ状の樹木の先から、光が差し漏れているのを発見したのだ。

俺は、嬉しさのあまり口走っていた。



「強制イベントをクリアしたから、ストーリー進行が解放されたんだ!」



 痛いゲーム中毒者のようだ。この共通認識と国民性は、否定出来ない。ゲームやアニメの世界に現実逃避するあまりに異世界旅行においても、この様な性が露呈されるのだ。


 しかし、そのような性が露呈されるほどに、唐突に出口が見つかったことも不思議なことだ。



「何日かぶりの太陽だ!」



 タダオは疲労も忘れて駆け出していた。出口のアーチ状の樹木をくぐると、眩いばかりの光が全身を強く照らした。強い光に思わず仰け反り、腕で光を遮った。


 しばらくして、目が慣れてくると、自分の目の前に太陽が降り注ぐ大草原が広がっているのが見えてきた。ブラック企業の工場と家の往復ばかりしているだけの生活では、とうてい見ることも出来ないような幻想的な草原だ。草は、ほのかに光を放っているように見え、見たこともないような綺麗な蝶々や昆虫の類が飛んでいた。


 俺はその光景に少しばかり癒された気がした。夢に見たようなファンタジーの世界がそこに広がっていたからだ。この世界は、俺が夢の中で現実逃避のために作り出した世界じゃないか?とさえ思えてきた。

だが、この身体の飢え渇きは、現実感のあるものだ。この苦しみと痛みは、紛れもない現実なのだ。幾らか窮地は脱したが、このままでは確実に死あるのみだ。


 タダオは、せめて水だけでも補給できないだろうかと草原を見渡して小川らしきものが見当たらないか探し始めた。


 タダオは、フラフラとした足取りで草原を歩き回ることになった。水は山の谷間から流れるはずなので、草原の起伏や地形、遠くに山がないかなどを丹念に見回してみた。


 すると、どうやら脱出してきた暗い森の方角に山があるような地形の作りになっているようだった。森の出口からは、かなり離れた位置にあるが、山間の谷になっていそうな場所があるようだった。



「あそこの谷間が川になってそうな可能性があるよな‥。一か八かでも行くしかなさそうだ。他に可能性がありそうな場所もなさそうだし。」



 森の反対側の方角には、だだっ広い草原が続いている風景があるのみだ。それもまた夢の中のような幻想的な風景でさえある。



「本当に夢の中を迷っている気がするけど、夢じゃないんだよな‥。」



 虚しいような悲しいような、それでいて不思議なノスタルジーを感じる。初めてじゃない気がする、デジャヴのような‥と言って良いだろうか‥。この異世界に召喚されてからというもの、不思議な感覚に襲われてばかりいるようだ。


「子供の時からゲームばかりやっていたせいか?こういうファンタジーの世界が懐かしさを帯びて自分の前に顕現しているようですらある‥。」



「心高鳴る、剣と魔法の異世界ファンタジーってやつだろう。」



「これでハーフエルフの美少女が出てくれば文句なしのやつだな。」



 俺の幼気な期待と願いは、少し違う形で後ほど叶えられることになる。程なくして俺は、また頭の中に例の声が聞こえることに気がついた。




‥‥このまま進め‥‥




 また、あの不思議な頭の中の声だ。ゲームマスターのように俺を導いているかのようだ。ここで、この声について、とやかく反抗してみても飢えと渇きは満たされないので、従うことにしていた。


 もう一つ言えば、反抗とかそんな余裕は、ほとんどなかった。もう二、三日は、あの陰気な暗い森の中を飲まず食わずで彷徨っていたので、体力の限界が近かったのだ。


 谷間に川があるという俺の予想は的中していた。遠くに水が流る小さな小川が見えてきた。その小川のほとりには、変わった角が生えた、鹿のような動物が水を飲むために群れで集まっていた。


 異世界の動物を見た感想は、喉の渇きを潤したい一心に打ち消されていた。


 俺は、飲める水かどうかも分からないが、動物が飲んでいるので大丈夫だろうと思い、直接、顔を川につけてガブガブと水を飲んでいた。



「―ぷはあっ。生き返るぜ!」



 ボロボロの工場作業着の男が鹿のような動物と共に水場にあり付いている様子は異様だ。しかしながら、タダオは、なんとかサバイバルで命を繋ぐことが出来た。


 喉の渇きが癒されると、今度は無性にお腹が空いてきた。だが、サバイバル経験のないタダオにとってこの先どうやって生きていくのか不安しかなかった。



「どうやって食い物にありつこうか‥?水辺は確保出来たが、食べ物がない。森から脱出できたが、このままだと飢死だ。」



 しばらく思案にふけるタダオであったが、何の考えも浮かびはしなかった。それだけ現代人というものは、文明に頼る生活をした結果、サバイバル力というべきか、文明から離れて生きる力が退化しているのだと痛感したのであった。



「あの鹿のような動物の肉って食えるのかな?」



 変わった角が生えた鹿のような動物を見て、タダオは原始的な狩猟生活を考えざるを得なかった。それらの動物は、平和と自然の恵を教授するように水辺に集まり、水を啜っていた。



「‥‥しかし、俺は何の道具も持ってないしな‥馬鹿みたいに、素手で鹿に飛びついて捕まえてみるか?‥‥逃げられるのがオチだ。マジで馬鹿か俺。言葉の通りで馬と鹿だよなホント。」



 その動物たちは、タダオを恐れることなく群を成して水を啜っているのだった。タダオには、子供の時から小動物には、あまり警戒されない特性があった。


 友達の家に遊びに行った時にも、その家で飼われている犬が、初めて来たタダオを一家の序列の中の最下位に位置づけて、じゃれたり、甘噛みしてくることがよくあった。





−ドスッ!





不意に何かが突き刺さる音が聴こえた。





「メエエェ!」






一匹の鹿のような動物がドスン!バタン!と暴れ始めた。その動物を見ると、尻の方に矢が刺さっているのが見えた。


 その瞬間、間髪入れず、一斉に動物の群れが逃げ回って散り始めた。矢を受けた奴もびっこを引きながら逃げ始めた。どこから飛んできた矢か調べようとして、タダオは後ろを振り返って見た。


 すると、凄まじいばかりの突風が吹き荒れてきて、思わず半目になってしまった。もの凄い風が通り過ぎたかと思うと、その突風は先の動物に直撃して、転倒させてしまった。転倒の際、地面に頭部を強打した動物は、動かなくなってしまった。




「なんだ‥‥何が起きたんだ?」




「‥‥あなた、変わっているのね。ヘルビの群れが人間を見て逃げないなんて。」




 タダオの後ろから透き通るような高い少女の声が聴こえてきた。


 見ると歳は推定16、17歳くらいで声と同じように透き通るような薄い色味の長い金髪をなびかせて少女が立っていた。エルフの民族衣装のような黄緑色の布の服を着ていて、腰には皮の腰当てを付けていて、弓の矢筒がついていた。よく見ると、耳がとんがっていた。異様に整った顔立ちと碧い瞳が凛としてタダオを見つめていた。



「‥‥驚いた‥これはハーフエルフか!?」



 思わず自分の異世界物語願望が出てしまった。



「間違いではないけど。私は、ハーフではないわ。あいにくだけど、純血のエルフよ。」




 タダオは、期待と興奮で胸がバクバク言っているのが聴こえるようだった。



目の前に超絶可愛いエルフの少女がいるというシチュエーションに。



瞬き煌く星のようにオタクの鼓動が空にこだました。

明日へと続くブラック企業の労働と異世界サバイバルも君のためなら耐え抜けるさ。

僕の光となって道を照らすよ。

君のその眼差しが。



「‥今、妙に寒気がしたのだけれど。その変な沈黙は何?」



タダオは、咄嗟に話をそらそうとした。厨二病の文学が炸裂するほどの美少女だ。



「いや、言葉がなんで通じるのかなって。俺の言葉がわかるのか?」



 異世界召喚ものセオリーの言葉は通じる設定だろう。言葉が通じないとストーリーが進まない。



「あなた、イエソドのサナを話しているじゃない。変な人間。」



「イエソド?サナ?何の単語だよ‥。つまり、イエソドがこの世界か地域で、サナが言葉ってことかい?」



「そうよ。地下世界にでも行って、瘴気にでも当てられたの?」



 ‥‥地下世界どころか完全に別次元から来ました。しかも記憶が一部喪失してますっていう無茶な設定だ。そのまま言っても余計に話がこんがらがるだろう。



「あの‥あっちの方角にある暗い森の中で遭難してしまって‥。」



「えっ!?あそこは、闇の妖精がいる暗黒の森じゃない?破滅を望むような闇の魔法使いか魔女くらいしか寄り付かない場所なのに。何でそんなところに用があったの?」



「うえっ!そんなヤバイ場所なの?」



 異世界召喚された場所が、破滅を望む場所だなんて、縁起が悪い。なんてタチの悪い設定だよ。



「あなたの無駄話に付き合っているうちに獲物が逃げてしまうわ。話は後よ。」



 そう言うと、エルフの少女は、気絶している鹿のような動物ヘルビを矢でトドメを刺して捕獲した。



「エルフってやっぱり弓の扱いと狩りが上手いんだね。あと、さっきの突風は絶対魔法だよね?」



「あなたって本当に変な人間ね。そんなことも知らないの?常識よ。」



「それにその格好もこの辺りの国じゃ見かけない珍しい格好ね。どこかの炭坑夫か何かなの?」



「いや‥ちょっと記憶喪失気味でさ‥。どこかで頭でも打ったらしいんだよね。」



「まったくそんな感じね。大丈夫なの?」



「あの暗い森の中で彷徨って飲まず食わずでさ。今、飢え死にしそうなんだよ。」



「‥‥嘘をついている様子じゃなさそうね。いいわ。獲物の肉を少し分けてあげるわ。」



「ええっ?いいんですか?ってか生肉を貰っても調理する道具も何もないんです。調理して食べさせて頂けると、有難いのですが‥‥。」



「なんてずうずうしいの。そんなのでよくこの世界を生きてこれたわね。」



「コンビニ弁当と安いファミレスで外食の日々だったもので‥。」



 元の世界では、コンビニと自宅、職場の工場と自宅の往復か、たまに安いファミレスに行く程度の食生活しかしたことのない、ひ弱い文明人がどうしてサバイバルで生肉調理などしたことがあるのだろうか。あるはずもない。


 たとえ、タダオが、アウトドア派でバーベキューを頻繁にやる人種だったとしても、せいぜいが元の世界の文明人のレベルに過ぎず、見たこともないような異世界の動物の肉を狩りをして、その生肉を調理して喰らうことなど、簡単に出来るものではない。



「何言ってるのか、よくわからないけど、貧相でひもじいのは見たらわかるわ。」



「ぐはっ!困っている初対面の人に、なんという毒舌!」



 さらりと毒舌を吐いた後、透き通るような長髪のエルフの少女は、手慣れた動きで薪になりそうな木の枝を集めて、あっという間に肉が焼ける自然のコンロを作ってしまった。そして、腰のナイフを抜き出して獲物の肉をみごとな手捌きで切り取るのだった。



「これでよしっと。あとは火種をつけるだけね。」



 そう言うと、エルフの少女は薪に指を突っ込み、少し精神を集中した様子でしゃがみこんだ。すると、すぐに火の手が勢いよく上がった。火の魔法で火種を作ったのだ。その火は切り取られた生肉を香ばしく焼き上げるのだった。



「そして、スオラをまぶして完成ね。」



 エルフの少女は、腰の布袋から白い粒を取り出して焼いている肉に振りかけた。



「そのスオラっていう粒は、調味料のひとつなのかい?」



「そうよ。冒険者には必需品よ。汗をかいたり、日常行動していると身体からスオラの成分が抜けていくのよ。それを補給する目的でもあるし、酸味が肉の味を引き立てるわ。」



 ――話から察すると、どうやらスオラという白い粒は、塩のようなものらしい。



「半分あげるわ。よく味わって食べるのよ?」



「親切なのはありがたいけど、だんだん上から目線で言われている気がするけど。」



 二人は、火を挟んで向かい合わせに地面に座って肉を食べた。



「―っ?旨い!」



 ヘルビと呼ばれる動物の肉は、元の世界の豚肉か鶏肉に近い味だった。しばらく食べ物にありつけなかったタダオには、格別の高級料理のようにすら感じたのだった。



「あなたって、本当に不思議ね。どこから来たの?」



「単刀直入に普通なこと聞きますね。異世界もの設定を通り越して、普通一般の会話設定ですよね。」



「‥ちょっと何言ってるのか、わからないのだけど。」



「生まれた国は、どこかってことよ。」



「そうか。そうだな‥どう言えばいいのか。極東の島国ジパングってとこだ!黄金の国とも呼ばれていた時代もある。」



「ふーん。全然聞いたことないわね。ここは第一界層のイエソドだけど、そのジパングって国は、どの辺りの界層にあるの?」



 聞き慣れない単語に戸惑いが続くばかりだ。しかし、言語、会話の概ねは通じるということらしい。元の世界に非常によく似たパラレルワールドが、この異世界イエソドということだろうか?



「無知で申し訳無いのですが、界層って何なのでしょうか?」



「あなた、どうやら酷い記憶喪失なのね。」


 美しく端正なエルフの少女の顔が、汚い子犬でも見るような目線でタダオを見つめている。



「なんか、だんだん哀れな気分になってきたな。だが、社畜根性のマエノ タダオは、めげないですよ!」



 ブラック企業勤めで罵倒されたり、見下されたり、嘲笑、哀れみの視線を受けたりすることは、タダオにとって日常茶飯事なことだ。逆境でも変に開き直って前向きだ。



「世界の空の上には、その上の界層の地面がある。地面の下には、その下の界層の空がある。」



「そして界層と界層を繋ぐ階段がある。その階段を登って上の界層や下の界層を行き来できる。」



「なるほど建物の階層のようになっているのか。階段があって行き来できるなんて、不思議な世界だな。」



「そうよ。そしてここが、第一界層イエソドと呼ばれているところ。この界層には、多くの種族と文明がひしめきあっている。この世界で一番にぎやかで情報が溢れるところ。界層の階段は、登りつづけることも、降りつづけることもできる。この界層世界の果てに到達できたものはいない。言い伝えによれば、この界層世界を登りつづけると、一番上の世界に創造神、創界神とも呼ばれる存在がいると言われているわ。そして、降りつづけると、神々の戦いに敗れた堕ちた神々がいると言われている、地下世界が広がっている。」



「何だか壮大なお話だな。お伽話のような。」



「そうね。エルフ族は、人間より寿命が長いけど、エルフの長老でさえも、この世界の果てのことまでは知らないわ。」



「人間より、どれくらい寿命が長いのだい?すげえ興味あるわ。」



「人間の長生きさんが100ヴオシくらいなら、エルフが500ヴオシくらいね。」



「ヴオシ?なんじゃそりゃ?」



「陽が昇って起きて、陽が沈んで寝たら、その一つサイクルが一パイバよ。それを365回繰り返したら、一ヴオシ。」



「―ということは、一日が一パイバで、365パイバが一ヴオシ?じゃあ、500年くらいは生きるのか‥‥。ていうか、元の世界のサイクルと酷似しててすげえな異世界。」



「子供向けの教育が必要みたいね。この分だとルーンも書けない様子ね。」



「ルーン?この世界の象形文字みたいなものか?」



 エルフの少女は、麗しげな瞳を地面に向けて、簡素な象形文字を指で描き始めた。



「ふーん。なんかこういう象形文字みたいなものは、流石!異世界って感じだね。全然読めねぇーわ!」



「ふふふ。面白くて不思議な人間ね。私もあなたに興味があるわ。そういえば、自己紹介がまだね。私は、この近くのイドレ村のロイネよ。ロイって呼ばれてるわ。」



「俺は、マエノ タダオ。タダオが名前。工場作業員で奴隷労働者だった。」



「そうなの‥。その変わってる格好は、奴隷の服だったのね。悪いけどピッタリに似合ってるわ。」



「ぐふっ!天使の様に端正な笑顔で言われた!凶悪な精神的ダメージだよ?!」



 異世界に突然召喚されて、何のツテも生きていくアテもなかったタダオが、エルフの少女ロイネとの出会いによって命が繋がれ、新しい世界で生き延びることが出来る可能性が開かれた。


 ただ、タダオは、自分の頭の中に響く声の主、ゲームマスターとも大精霊とも取れる不可思議に自分を導く声が気がかりだった。




 ―――美しく光を讃える小川の流れに沿ってロイネとタダオは、横並びに二人並んで下流の方へと歩いている。タダオは、御礼に肉の運搬を申し出たので、肩に獲物を担いでいる。

 

 体感時間でつい昨日、一昨日まで、一切の光の届かない暗闇で彷徨っていた世界とは、まったく違う世界にいることをタダオは、噛み締めていた。陽の光があるということが、こんなにも有り難いということを人生で初めて味わったのだ。


 優しく撫でるようなそよ風、陽だまりの暖かさ。その自然の何気ない恵みとも言えるものが、無性に有り難く、それを享受出来ることが、幸せに感じるのだ。


 さらには、純血のエルフと称する、透き通る美しさの少女ロイネに魅了されていた。元の世界で読んでいた、ファンタジー小説から出てきたような美しさのエルフが、ただのブラック企業労働者であるタダオの隣を一緒に歩いているのだ。


 薄い金髪の長い髪。切れ長の目、美しく端正に整った目鼻立ち。尖った耳。吸い込まれるような碧い瞳。華奢で女性的な脚線美。それらを非の打ち所の無い、仕立ての良い、伝統的な民族衣装で包んでいる。幻想的なまでの魅力で見るものを圧倒する。森の女神、森の精霊、森と自然の守り人。そのような称号が相応しい。神々しいまでの美しさにこの世のものを見ている気がしない。


 それに引きかえタダオの方は、みすぼらしい工場作業着に汚らしい黒髪がボサボサの浮浪者のようだった。現代日本の奴隷という表現が適切だろうか。文明と怠惰が、社会と不条理が生み出した汚らしい資本主義の奴隷であって、家畜の豚だ。


 いや、ここで言いたいのは、日本の労働者の否定ではない。ただ、このエルフの神々しさが、対照的なタダオを影に貶めるのだ。


 自分の隣で歩いているのは、自分が元の世界で読みふけっていたファンタジー小説のエルフだと。永遠に少女であり続ける、かの存在なのだと。ロイネに対して、そのようにさえ思えたのだ。





「―――――さっきから、変な視線を感じるんですけど?変なこと考えてないでしょうね?」




「いやいや!だって俺さ、エルフとか見るの初めてだし?まじまじと見ちゃって、ゴメンね?」



 先ほど捕獲した獲物の残りの肉を肩から降ろしながら、タダオは答えた。無駄話を長々としながら担いでいるのは、重いと感じるほどだ。



「‥‥なら、いいけど。変な気を起こさない方が身のためよ。吹っ飛ばすから。」



「それ、まじで勘弁!俺、ヘルビくんみたいにぶっ飛ばされたくないし!」



 痴漢の疑いで、あの竜巻のような風系魔法の餌食になるのはワリに合わないといった感じでタダオは、たじろぐしかなかった。



「しかし、俺は随分と大きい森の中を彷徨っていたのだな‥‥。遠目で見ても全貌が見渡しきれねえ。暗黒の森だったけか?闇の精霊がいるとかいう。」



 今一度、周り一帯の地形を見渡してタダオは言った。



「そうよ。」



 ロイネが髪を掻き上げながら、相槌をついて言った。ほのかに柑橘系の果物の香りがする。いい匂いだ。仕草の一つ一つにあり得ない程の魅力が溢れている。



「別名では、迷いの森ね。森に侵入するものを迷わせる精霊もいる。樹木も意思を持っていて時折、移動もする。だから目印となる木やなんかが移動して地図の作りようがない。」



「誰も近寄らないから、後ろめたい奴らが集まってきて、怪しい儀式や何かをする恰好の場所ってやつね。」



「―――――それで美しいエルフの娘さんは、このみすぼらしい奴隷労働者を疑いの目で見てらっしゃるわけですね?上から目線で。」



「否定はしないわ。会ったばかりでよくわからないのは事実だし。見たことない格好だし?」



「これは、勤勉な従業員の仕事着ですけど?」



「勤勉な労働者が、どうして暗黒の森を彷徨っていらしたのかしら?」



「―――――ぐっ!それは‥‥。」



「何故か記憶喪失気味で、気づいたら空間転移させられていたというか‥‥。」



 おそらく仕事場への出勤途中か退勤途中で何らかの事件に巻き込まれて、異世界召喚にあってしまったという推測くらいしか立てることが出来ないでいた。それは、作業着をカバンに携帯していたことが根拠だ。だが、携帯電話やタブレットなどの通信手段がカバンになかったことも気に掛かるが。



「‥‥なるほどね。空間転移魔法ね。何かしらの魔法か精霊かの力が絡んでいることは、確かなようね。」

「あんまし実感ないけど、そうなのかな?」



「あなたが、空間転移魔法のような高度な魔法を使いこなせる風には見えないから。状況からすると、何かに巻き込まれたと見る方が自然ね。」



「まあ、今は焦らず、ゆっくり静養して、記憶を取り戻す方がいいわ。」



 タダオは、ヘルビの肉を肩に担ぎ直し、二人はロイネの村に向かって歩き始めた。空の陽は傾き、夕方のようなオレンジ色の空が広がり始めていた。


 似ているようで少し違う、異世界風景の変化や雰囲気にタダオは、ただただ嘆息するのであった。元の世界と同じような空の風景と変化に思えるが、雰囲気というか、どこかで絵画の中に入り込んだような錯覚さえ覚えるのだ。世界の構成そのものが閉鎖的な質感と感覚を与える。そのような不思議な感覚。


 どこまでも広がる空のように見えるが、それは、実は騙し絵で本当は、狭く閉鎖的な空間に奥行きがあるように見せかけているだけのような感覚。


 その上、美しく幻想的な風景の中に何故かノスタルジックな印象を受けるのだ。きっと、幼い頃に読んだ絵本や物語の中の風景に似ているからではないだろうかとタダオは、当たりをつけて推察していた。


 心地よい、芸術的な時間が過ぎていくようであった。本や絵画の世界に入り込んで迷ってしまった主人公になったような気分がタダオにはしていた。隣には、美しいエルフの娘がいて、共に話し、歩いている。


 いまだかつて、タダオの人生の中で、このようなことがあっただろうか? ――――否、あるはずかない。カップラーメンとスルメイカの匂いが漂う、ワンルームアパートと職場の工場を行き来するだけの生ける屍を晒す人生だった。


 この異世界召喚は、暗く澱んだブラック企業人生のタダオに向けて、天が与えたチャンスかも知れないとタダオは思ったりもした。



「元の世界で底辺労働者として、食うや食わずやの不安定生活を強いられるのなら、この異世界でサバイバル生活をしているのと何ら変わらないのではあるまいか? ――うぅむ‥。」



――――もちろん、妖精や魔法に殺されかねないという危険を除いてという話だが。



「何か、未来の選択肢の乏しさに悩む若者の嘆きといった感じね。」



「未来の選択肢、乏しいって言うな!どんだけ毒舌女神やねん!」



「そろそろイドレ村が見えてきたわ。久しぶりに帰るわね。この数日、獲物が取れなくて困ってたのよ。助かったわ。タダオ。動物と馴染んで水を飲んでる不思議な人間のお陰ね。」



「いや、別に何もしてないし。肉、分けてもらったし‥。ていうか、後半なんか侮辱してないか?」



 ロイネとタダオの行先に、ほのかに光を灯す民家らしきものが見えてきた。そのほのかな光は、暗くなり始めたオレンジ色の空と相まって綺麗なシャンデリアのような体裁を放っていた。

 その民家の煙突からは、白い煙が立ち上り、夕飯の支度が始まっているのか、食べ物の良い香りが漂っていた。



「やっと着いたか‥‥。はあ〜疲れた‥‥。」



 タダオは、肩の荷物にして獲物ヘルビを降ろして、腹の底から嗚咽するように言った。それもその筈だ。ここ二、三日の遭難に加えてゴブリンとの遭遇、肉の運搬作業をやらされたのだから、心底、タダオは疲れていた。



「そういえば、ここまで来ておいてなんだけど、会ったばかりの遭難者の俺に親切にしてくれて、ありがとう。荷物の運搬くらいしか役に立てないけど。」



「―――礼なら、私の方もしなければならないかもね。儲けさせて貰ったから。」



「ここで、そのヘルビの肉を買い取って貰うのよ。あなたもここに登録した方がいいかもね。」



「ほえ?」



 タダオは、思っても見なかったことを言われて、一瞬、理解が追いつかない。



「ここは、冒険者ギルド。単に酒場って面も強いけど。ここでは、人やあらゆる種族、物、依頼が取り引きされるの。まあ、取引所って感じかな。」



「その獲物を持って来て。入るわよ。」



タダオは、言われるままに従い、民家の扉を開けて中に入っていった。




「―――――」




 タダオは、呆気にとられてしまった。こじんまりとした、絵本の中に出てきそうな異世界のお家みたいな民家の扉をくぐると、そこには、厳つい顔がズラリと並ぶ騒然とした、酒場が出現したのだ。リザードマン、獣人、小人、人間‥‥あらゆる種族の厳つい顔が並んでいた。焼肉とショートケーキを同時に食べるような、濃ゆい味がしそうだった。



「かわいいお家の外観との落差がハンパねぇ‥‥。」



 その厳つい顔の面々といったら、お尋ね者臭くて、恐くて直視出来なかった。その内のひとりが、ロイネとタダオに気づいて声を掛けて来た。



「おう!ロイじゃねえか!しばらく見ねえと思ってたらよお。逃亡奴隷狩りでもしてたのかよ?そのとなりの奴は、アレだろ?奴隷だろ?」



「――――くっ!」



 タダオは、半分当たっているようなものだったので、図星をつかれたような気分がして、イラッとした。



「おうおう、兄さん恐い顔すんなよ?奴隷で図星か?奴隷のくせに気骨があるじゃねえか。なかなか見どころあるじゃねえか。」



 饒舌にリザードマンの顔が答えた。爬虫類の眼がギロギロとタダオとロイネを見据えていた。

社畜根性の奴隷サラリーマンとは言え、プライドが無いわけではない。いや、傲慢と変なプライドの高さは、タダオに勝るものは無い。正社員の安寧を捨てても、変なプライドの高さは捨てない困った派遣工の青年がタダオだ。



「彼は、私が見つけてきたのよ。狩りの鼻もなかなかだったわ。彼のお陰で今日は、上物を捕獲出来たわ。」



「ヒューっ!やるう!」



 酒に酔った悪ノリか、小さな喝采が酒場を満たした。すると、奥の厨房の方から、小さな影が動いて出てきたのが見えた。



「ヒューヒューうるせーな!ロイか?」



 その小さな影は、ヒョイと酒場のカウンターの上に降り立った。背丈は、タダオの腰くらいだろう。その小さい身体にアンバランスなデカくて厳つい顔がついていた。

 垂れ流しの長髪を深緑色のバンダナ風の布で頭に押さえつけている。半裸に赤茶けたボロい上着を羽織っていた。至極、端的に言うならば、小さいオッさんだ。



「ちっさ! いかつ! 小さいオッさんやないかい!」



タダオは、ビックリして口走ってしまった。



「兄ちゃん、てめえ初対面で中々いい毒舌してんな。ちょっと傷つくだろうが。これでも俺は、ホビットとドワーフのハーフだぜ。柔らかさと厳つさ半分半分ってとこだ。」



「店長、今日は、取り引きする獲物を持ってきたわ。」



 そう言うとロイネは、件の獲物をカウンターの上に差し出した。


 ドッカリと差し出された肉塊は、カウンターからはみ出して、どうだとばかりに自分の価値を示しているようだった。



「今日、仕留めたばかりの新鮮なヘルビの生肉よ。」



「こいつぁ上物だ‥。」



「いい商談が出来そうね。」



 ロイネが、隣のタダオにウインクして見せた。端正なエルフの瞳に見つめられて、タダオは赤面してしまった。



「ウインクってきょうびしねぇよな。昔のアイドルかよ。」



 時代錯誤感を抱くタダオが正しいのか、異世界の常識感覚がないタダオには、正しく推測しかねるコミュニケーション上の問題だ。だが、鈍いタダオにもこの超絶美人のエルフの少女が、どうして自分などに、やけに親切に対応しているのかが分かり始めていた。




 ―――――金だ。




 うっすら分かっていたが、この世界もまた、物を言うのは金なのだ。元の世界でも、こちらの異世界でも、自分は金のない底辺なのかと世界に対する、言葉に出来ない失望を感じて、鬱々とした気分になった。



「金貨10枚でどうだい!?」



「そうね。それで手を打つわ。ありがとう店長。」



「‥なんだ?値上げ交渉とかしねえのかよ?」



 タダオは、何かあっさりとし過ぎて釈然としなかった。もっとこう、値段の言い合いとかするものだと思っていた。



「ロイは、分かってるね!美人は得だねえ。俺がオマケしているのも、お見通しだね。」



「よく分からんが、商談上手くいってよかったね。」



 大して心にもない形式的儀礼で賛嘆してみた。交渉には部外者でしかないタダオの立場では、この場で出来る唯一の相槌と言っていいだろう。



「これでしばらくお金に困らなくて良さそうね。」



 元の世界でも確かに、牛一頭、馬一頭となれば車が買えるくらい高い値段であることは、タダオにも分かっていた。畜産の経営には、お金と元手が掛かるのだ。異世界の狩人とはいえ、



一頭丸ごと、せりに下ろせば、それなりの値段にはなるだろう。



「ところで初見のお兄ちゃんは、何か取り引き出来るものはないのか?」



 小さいオッさん店長の厳つい眼がタダオを見据えていた。



「彼は、ここの土地のことを何も知らないみたいなのよ。だから私が、冒険者ギルドに登録したら?

―――ってことで連れて来たのよ。」



 ロイネが替わりに答えてくれた。それは親切なのかお節介なのか、金儲けの計算された策略なのかは分からない。しかし、何の情報も知識もアテもないタダオには、命からがら生き延びて来た流れのままに従うしか道はありそうにもなかった。



「――――――ちょっと記憶喪失気味でして。冒険者ギルドってやつも全然分からないけど。」



「冗談は見た目だけにしとけよ。兄ちゃん。面白いこといっぱいありすぎだろ?絶対。」



「お前に言われたくねぇよ!」



 異世界の小さいオッさんとボケとツッコミをしている場合かと内心で鼻白んだ。



「まあ、ロイの勧めに間違いはねえな。お前みたいな、ならず者にはギルドがちょうどいいな。」



 ――――タダオにも大体察しはついていた。クエストを受注するイベントポイントだ。少しずつレベルを上げて難易度が高いクエストを攻略していく感じだろうという当たりをつけていた。



「まあ、ロイの紹介だ。親切に教えてやるとするか。」



「そりゃどうも。」



「その前に名前だな。兄ちゃん名前は?あと種族と年齢だな。正確な年齢はいらねえ。大体でいい。」



「つーか、人に名前とか聞く時は一応、自分から名乗れよな。どういう教育受けてんだよ?」



「まあ、いいけどよ。俺の名前は、マエノ タダオ。タダオでいいや。25歳?ていうか‥25ヴオシくらい生きてるのかな?あと人間な。正真正銘の純血の人間。」



 それを聞いた店長は、しばらく笑いを堪える体勢で縮こまった。そして、その我慢ゲージが程なく爆発した。



「ぐぅわっはっはっはっー!」



 小さいオッさんが、床を笑い転げている。まるで幼い子供のように見えて気持ち悪かった。



「悪かった、悪かった!小僧。おめえ、まだまだ子供じゃねえかよ。25ヴオシかよ。」



「はあ?子供みてえに転げてる、てめえに言われたくねえ。」



 タダオは、人格まで馬鹿にされた様な気がして、ムッとした。ひとしきり笑い終えた店長が立ち上がり、タダオを見て話だした。



「俺は、150ヴオシは、いってるよ。ロイでさえも100ヴオシ以上は、生きてるぜ?」



「店長。本人の許可なく、女性のヴオシを言うのは、失礼だわ。それに私もまだまだ少女よ?」



 ロイネが色薄い金髪を揺らしながら答えた。白い肌に透き通るような印象が見る者を惹きつける。



「悪ぃ悪ぃ。そうだったな。永遠の少女、ロイだな。」



 ロイネは、薄い笑みを浮かべた。



「おっと、小僧にも悪かったな。俺の自己紹介をしよう。トルスティ・ホヴィネン。店長でもトルでも、どちらの呼び方でも構わねえ。冒険者ギルドと宿屋兼酒場の経営をしている。」



「さて‥登録の話だが‥。ロイから聞いてるか?」



「いや、何も聞いてねえよ。てか契約書か何か書くのかよ?俺‥‥字が書けないと言うか、

‥‥ルーンが書けないんだけど。」



「そんなもん必要ねえ。」



「彼には、まだ登録の話の詳しいところまでしてないわ。」



 ロイネが口を挟んだ。店長の話が笑い話に脱線していたからだろう。ようやく話の本題に入れたといった風だ。



「登録には、身体の一部を差し出してもらう。頭髪、爪、皮膚、何でもいい。保存の効くやつが条件だ。」



「なんだそりゃ?」



 奇妙な登録条件にタダオは、戦慄を覚えた。



「保険だよ。文字だの口約束だの信用のねえ取り引きなんざ役に立たねえ。お互いに正当な取り引きをするために自分の命を差し出して貰う。契約違反、裏切りには、「死」をもって償って貰う。」



「そりゃどういう‥‥。」



 理解に苦しんだタダオは、口を突いた。



「契約違反の罰則は、呪いを掛けられるのよ。タダオ。死の呪いね。身体の一部は、その為の呪術の依代。取引所の公正さを保つために必要なの。」



 ロイネが素早く説明をした。無感情に。冷徹な感触を受けた。美しい顔が、死神の様に冷徹に無表情に変化するのが、見て取れた。


 ――――――呪い?


 タダオは、怖気が立った。魔法に暗い森でのゴブリンの襲撃。異世界に来てからというもの、そういう不可思議な現象が自分の身を嫌という程、痛めつけてきたことが思い出された。そういう体験が、呪いという言葉を現実味のあるものに感じさせていた。タダオは、冷や汗が額に滲み出ていた。しばらく沈黙した後、不審点が浮かんだ。



「それは、こっちが損するだけじゃないか?胴元のあんたが裏切ることも考えられる。登録で集めた身体の一部を持って消える可能性もある。」



 命を差し出せと言ってきた割に、こちらに何の安全牌も見出せないでいたことに不満と不審点を感じたのだ。



「だから、お互いにって言っただろ。俺の身体の一部もここで差し出すのさ。ギルドの責任者として、ギルドに登録している奴は、みんな俺の髪の毛の一部を所持しているのさ。」



 そういうと店長は、赤い宝石がついた首飾りを出して見せた。



「この赤い宝石の中は、空洞になっていて、髪の毛や爪を入れることが出来る。これがウチのギルドに登録している証だ。」



「なんか気持ち悪ぃな。オシャレに呪いを携帯してるのかよ?」



 タダオは、軽口で毒舌を吐いてみた。正直、正気の沙汰には思えなかったが、変に怪しまれても困るので、異世界に馴染んでいるように見せかけつつ、実際、呪いで牽制し合うことについて、どのように思っているのか探りを入れてみるつもりでいた。



「そう言うなよ。」



 そう言って店長は、店の奥から羊皮紙のようなものを取って来た。それには、何か術式のようなものが書かれていた。



「この術式の紙にお前の髪か爪を包んでくれ。俺は、この赤い首飾りに自分の髪を入れる。」



 店長は、深緑色の布で押さえつけている長髪の一部をナイフで切り取り、宝石の中に入れた。



「ほら、このナイフを使え。」



 ナイフを受け取ったタダオは、複雑な心境だった。あまりに考えすぎて、逆に思考が停止するほどだった。



「兄ちゃん、何ボーッとしてるんだよ。さっさとしろよ。」



「いや、俺、ここに登録する必要が本当にあるのかなって思ってみたり。」



 流石に「死の呪い」と聞いてビビッていた。取り引きにミスっただけで死ぬ必要があるのか?などなど色々と思うところもあった。



「ここの土地のこともわからねえ、ツテもアテもねえなら、冒険者としか言いようがねえよな。」

「単なるロイのお節介かも知れねえが、ロイは間違ってねえと思うぜ?遅かれ早かれお前は、ギルドに来ることになってただろうよ。」



「どこのもんかわからねえ。信用も出来るかわからねえ。そんな奴を簡単に信用するほど世の中甘くねえ。取り引きや仕事の依頼、斡旋も出来るわけがねえ。そこで冒険者ギルドの出番って訳だ。詐欺を働いたような奴には、後で発覚したら呪いで死んで頂くわけだ。どうだ?論理的過ぎるだろ?」




「―――――――くっ!」




 見透かされて、自分の足下を見られているような気がして、良い気分が一切しない。悪徳商法の罠にかかった人の気分のようだった。どう言うわけか、この土地の住人は、命を差し出すことが常識であるようにさえ感じられた。辛辣な態度で苦しんでいるのは、タダオだけのような気がしたのである。



「生きていくためには、金を稼がなきゃいけない‥‥。そのための就職面接がこれかよ‥‥。派遣会社登録に命を差し出せとか、ありえないだろ。」


 しかし、生きていくアテがないタダオにとって、どうにもならない選択肢の少なさだった。ここでギルドの登録を拒否しても、見知らぬ荒野で野垂れ死にしかねない。胡散臭い契約話でも乗るしか力の無い、タダオには選択肢が無かった。タダオは、元の世界でも異世界でも、弱者で選択することが出来ない、否、選択肢が強制的に少ない、自分自身が歯痒い気持ちで一杯だった。



「――――――――分かった。登録する。」



 しばらく沈黙して考えた後、タダオは低いくぐもった声で答えた。



「やっと答えが出たか。世話のやける兄ちゃんだな。」



 そう言うと店長は、術式が描いてある紙を広げた。手の平程度の大きさだ。次にタダオからナイフを取り、タダオの髪を数本、切り取って紙の上に乗せた。そして、自分の髪を入れた赤い宝石の首飾りもその上に置いた。



「お互いの手をこの術式の上に重ねて置くんだ。」



 タダオは、恐る恐る手を置いた。すると、タダオの手の上に店長の不気味に柔らかい手が覆い被さった。



「気持ち悪いわ!妙に柔肌で柔らかい!ドワーフのハーフなんだから、堅い皮膚かと思ったが。」



「バカ言ってんじゃねえぜ。最初に言っただろ?柔らかさと厳つさ半分半分だとな。」



「俺の後について詠唱しろ。宣誓の術式だ。」



「ここにトルスティとタダオとのギルド登録の宣誓を行うと宣言する。」



 店長が宣言すると突然、術式の紙が白い光を放ち始めた。



「さあ、お前も言うんだ。」



「ええっと‥‥ここにトルスティとタダオとのギルド登録の宣誓を行うと宣言する。」



「偉大なるジュマラの名によって。」

「――――偉大なるジュマラの名によって。」



 段々とタダオにも、圧迫するような力の流れが感じられるようになってきた。それは奇妙な感覚で、血液の流れを逆流させるような感覚だった。



「ギルドにおいて、正心を持って嘘偽りない取り引きを行うと宣誓する。」

「――――ギルドにおいて、正心を持って嘘偽りない取り引きを行うと宣誓する。」



「宣誓を破る者に死の呪いがあらんことを。」

「――――宣誓を破る者に死の呪いがあらんことを。」



「偉大なるジュマラの名によって。」

「――――偉大なるジュマラの名によって。」



「宣誓の終わりを宣言する。」

「――――宣誓の終わりを宣言する。」



 術式の紙は、穏やかな光を解き放ち、しばらくすると光はスッと消えた。



「‥‥終わったのか?手がちぎれるかと思ったぜ。心臓に悪ぃよ。これ。絶対に。」



「あんだけビビって尻尾巻いてた奴が済んだ途端に悪態つくのかよ。ホント小心者だな、兄ちゃん。」



 小心者の悪態つきを見透かされてタダオは軽蔑の視線を店長から受けていた。店長は、術式の紙でタダオの髪を包んで折りたたんだ。そして、赤い宝石の首飾りをタダオの首に掛けた。



「まあ、これで兄ちゃん、タダオもこのギルドの正式なメンバーだ。いいネタ持ってこいよ。何なら奴隷として自分を売りに出すってのも、アリだ。そして買主の主人からの逃亡は、死の呪いだな。」



 下から突き上げるようにタダオを凝視する小人のオッさんが迫る。



「そんな取り引きしたら終わりだろうが!」



 冗談にもならないようなことを言われてタダオは、怪訝に眉をひそめて反論した。



「ぐぅわっはっはっー!いちいち突っ掛かるなよ。冗談だよ。冗談。」



 タダオの矮小な心は、そんな小さいことでいちいち騒ぐなよと言わんばかりに店長の大声で笑い飛ばされた。

 店長の笑い声の隙間から、ここまで静かに事の次第を見守っていたロイネが口を突いてタダオに言った。



「これでタダオも私たちと同じ仲間ね。」



 そう言うとロイネは、胸を開いて赤い宝石のついた首飾りを見せた。店長がタダオにくれたものと同じものだ。



「ロイネも取り引きしてたもんな‥‥。ロイネも冒険者なのかい?」



 タダオは、素朴な疑問を投げ掛けてみた。エルフの生態は、まだタダオにとって未知のもので、好奇心を刺激するには十分過ぎる。



「ほとんど狩りで生計を立てているわ。たまに別な依頼を受ける時もあるけど。冒険者と言っても差し支えないわね。誰かに仕えて給金を貰っているわけじゃないから。」



 少し間をおいて考えた風に答えた。知性と思慮を纏った佇まいから、エルフ族の知性と理性の高さが窺い知れる。その魅力にタダオの厨二病心は、鷲掴みにされていた。



「永遠の乙女よ。君に巡り会えたことに感謝する。願わくば、我が身をその悠久の加護の中にあらしめんことを。この身を伏して願い奉らん。何人も汝と我が身を分かつことなかれ。」



 タダオの黒き歴史の饒舌が咆哮する。時折、発作的に厨二魂が炸裂するのである。



「タダオ、何それ?私は、大精霊じゃないわよ?」



 ロイネは、美しい切れ長の目を見開いてビックリしたような顔をした。そして、その顔は微笑に変わる。



「でも何か精霊契約の魔法や詩の才能を感じるわね。ちょっと意外だわ。」



 タダオは、ひとりで悦に浸っている。



「さて、お腹が空いてきたわね‥‥。売り上げも上々だったし。気分もいいわ。ここは、タダオにも奢ってあげるべきかしら?」



 ロイネは、流し目でタダオを誘惑するように見つめた。思わせぶりな態度だが、これまでのコミュニケーションの様子から見て、簡単に期待できる器では無いだろうということは、恋愛経験の少ない、否、皆無と言っていいタダオにすら感じ取れた。



「いや、そんな悪いっスよ!ロイネさん。俺、何もたいしたことしてないっスから。」



「それじゃあ止めようかしら。」



「いや、そんなあっさり‥‥やっぱり自分、何のアテもないんで奢って欲しいっス!」



「素直にそう言えばいいのに。バカね。でもあなたのおかげでヘルビが、私の気配に気づかないでいたから助かったわ。」



「ヘルビは、臆病な動物で逃げ足が早いのよ。捕獲するには慎重な対応が必要なの。」



「そうなのか‥俺は、昔から小動物にあまり警戒されないと言うか、群れの序列に加えて見られるようなところがあってさ。」



 タダオの脳裏では、友達の家の飼い犬に一家の序列の最下位に見られて、甘噛みされる嫌な思い出が回想されていた。



「ふふっ。雑魚過ぎて、驚異ではないと見なされていたみたいよね?」



「雑魚過ぎるって言うなよ!?」



 売れない漫才師のようなショボいツッコミを入れてみる。異世界のコミュニケーションでも、冗談や軽口は会話の潤滑油のようなものらしい。





 人間以上に人間らしいコミュニケーションをする異世界の住人たちにタダオは、感慨深いものを感じていた――――――――。










 


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