74 救急搬送
一面血だらけの事件現場、幸いというべきか死人は0だった。
ただ鼻血に始まり骨折、打撲、出血過多、靭帯損傷、肉離れ、筋繊維断裂etc...
倒れ込むには少し狭さを感じるこの階段はもはや地獄絵図そのものだった。
今時点では死者が居ないこと、狭いところで人が交錯したおかげで無傷だったものが数人残っていることが唯一の救いである。
救いはそれだけではない。
この通路には何かの紋様が描かれた鉄棒がごろごろと転がっていた。
「動ける人同士でこれを持ったまま上着を脱いで下さい!」
速やかに指示をだした。
その後すぐさまマイクと俺で先に行う。
鉄棒二本を2人で持ちつつ上着を脱ぐ、これは俺がこの世界に来た時、空から落ちているときにやったことである。
あの時は即席パラシュートを作るためだったが今回は違う。
支えとなる棒、今回でいうところの鉄棒は抜かずに使う。これだけで、そう簡易担架の完成である。
「マイクはロディを背負ってテントへ皆を案内して下さい。
テントでカモフラージュ作成中の2人に大量の浄化水の用意させて下さい。
その後ミカを背負い走ってヴァーミリオン邸まで救護班の増援を要請して下さい。
救護役の人までもが倒されたので増援が必要です。お願いします。」
素早くマイクにあれこれ指示をする。
すると突如、服の裾を引っ張られた。
顔色を悪くしたミカである。
「お、お兄...ちゃん...えっと他にも奥に倒れてる人がいる...優しくしてくれた人たち...助けて...」
もじもじしながらかつ半泣きで訴えてきたのだ。
「わかった。お兄ちゃんに任せとき!
倒れている人たちは血流している?」
優先順位を決めるためにそう聞いた。
それに対してミカは首を横に振った。
血が流れて居ないなら死のリスクは脱水、餓死または窒息とかくらいに絞られる。
ひとまず後回しで良いだろう。
それよりも危ないのは血を流し倒れている人たちである。
出血過多でも死ぬしなんなら菌が体内に入っただけで敗血症で死んでしまう。
特にこの地下は掃除されたような形跡などない。
速やかに移動させ、ろ過と熱処理で浄化させた綺麗な水で洗い流し止血すべきである。
俺は下着のシャツを細長く何本にも引き裂いた。
この世界ではまだ布は縦、もしくは横に力を加えると簡単に裂ける。
それほど紡績業や裁縫技術が未発達というわけだ。
引き裂いたらそこらへんに垂れている血溜まりに浸しすぐ運ぶべき重症者に括り付ける。
「血を染み込ませた布が右手首に結ばれている人を優先的に運んで下さい!
増援が来るまでに応急処置が必要な方に付けてまわりますので!」
これは前世の災害時の救急医療にも用いられる手法なのだが俺はそこまで詳しくない。
何色かあって容体によってどの色かを決めていることだけは知っている。
そして自分は容体を正確に詳しく測れる技量など持ち合わせて居ない。
だから自分が出来ること、出血や損傷が激しい者を血のついた布、それ以外は何もつけない、これで見分けさせる
骨折とかは知ったこっちゃない。
「ルイスよ。それらをつけ終えたらお主はこの奥へ行って状況を確かめてきてくれたまえ。
いずれにせよこいつらに責任があるのは我輩!指示なら我が出そう。
本来の目的の遂行を任せる。」
遅れて駆けつけたロゼル・シルヴァが到着するなりそう告げてきた。
異論は全くないのでそれに従う。
全ての怪我人の仕分けが終わった。
「それでは行ってきます。
1人ではどうにもならない時はどなたか呼ばせていただきますね。」
そう言い残し荷物をまとめて奥へ進む
長い地下道を走りだした。
走ってかれこれ15分くらい経ったくらいでようやく奥へと辿り着いた。
3キロ強、それなりの長さであった。
(やっとゴールか...なんでこんなに長いのだろう...てかよく掘ったな...)
掘削技術も未熟なのによくやったものだなと感心する。
科学、技術、医療、それらは全て中世レベルでしかない。
その中でこれだけ長い地下通路、そして崩れず残っている点、どれをとっても感心するばかりである。
ギィィ
錆びたドアを開ける。
「おえ...」
埃臭い匂いと血生臭い匂いが混じりあい思わず嗚咽してしまった。
あたりを見回すと檻の中で倒れている女性達10名、外には1人の男と何匹もの獣が倒れて居た。
そして奥には本やら小瓶、金属のインゴットらしいものなど様々な物が置かれているショーケースのような棚が目に見えた。
檻の中にいる人たちは痩せ細り獣は命尽き果て檻の外に倒れているもの達に至っては無残な死に方をしていた。
檻をよく見ると凄い歪み方をしていた。
猪のタックルで凹んだとかそんな話ではない。凹んではいるのだが少し溶けかかった、そんな痕らしいものが見受けられたのだ。
ひとまず檻の中へ入り安否確認を行う。
(この人も、この人も......
...一応全員生きているな...というか女性しかいないのか...明らか女性を狙った犯行だな。
ただ栄養失調、そして何より酷いのは脱水症状が進みすぎている。)
檻の中にいた女性達は眠っていた。
眠っていたのだが皮膚の紅潮、脈の速さ、荒い呼吸、中等度の脱水である。
中等度とはいえ馬鹿にはできない。
いや中等度がどれくらいやばいのかはわからない。
詳しくもないし体感もない。
しかし軽症の経験はある。
吐き気、にめまいが起きるまで脱水に気づかずにひたすら資料と睨めっこをしていたことがあるのだ。
脱水に気がつきそこでようやく水分を取った際ふと今のが中等度や重症なのかなと気になり調べてみたらこれですら軽症なのである。
その時に中等度の主な症状を確認したのは覚えている。
この他にも活力を失ったり食欲不振に陥ったりするのだ。
自分は軽症ですら命の危機を実感した。
携帯していた水分を一口ずつ全員に飲ませた。
これでどうこうなるレベルではないがこれ以上脱水が続くと後遺症が残ってもおかしくはない。
問題はこの後である。10人もの女性を運ぶ必要があるのだ。
仮設テントまでのその距離約4キロメートルを女性10名運ぶのは1人でどうこうできるものではなかった。
1人でできる方法、何かないかと模索する。
それこそあの猪が協力してくれれば万事解決だったのだがないものねだりなど何にもならないことは知っている。
呼びに行くとしても怪我人の手当てでどのみちすぐには来られない。少しでも運べるなら運ぶべきである。
今あるものでどうするか。あるのはそこら辺に落ちている謎の紋様が描かれた鉄棒、死んで間もない動物と人間の死体、そしてカバンである。
カバンの中には縄、空になった竹製水筒、非常食、ナイフ、裁縫針等の道具くらいである。
まずは2つの竹製水筒を半分に切っていくことにした。
そして切り終えたらキリで穴を開けていく。
鉄棒が通るくらいまで穴をあけたら切り離して4つとなった竹筒2つに1本の鉄棒を通していく。
穴は少しでも摩擦を減らすため滑らかに削り取ってある。
これを2セット作り間を鉄棒二本で固定する固定には縄しかないため厳重に結んでおく。
乗せるための荷台は...ショーケースは流石に重量的にアウトなので罰当たり覚悟で死体を使わせてもらうことにした。
というのも死体はどうも死亡硬直がまだ残っておりとても硬いのだ。
「南無阿弥陀、南無阿弥陀...」
俺は念仏を唱えた。前世では特に何かを信仰していたわけではない。
神や仏などというものは人が作り出した空想上の存在であり、それらは人を死の恐怖を和らげる目的などで使われてきたもの、そう考えていたからだ。
ではなぜここで念仏を唱えたか、それは死んだ人を踏み台に使うなどという愚行を俺の良心が憚ったためである。
人の命を救うためとはいえ、使う名目、大義名分、それらとは別の安心というものが欲しかった。
死後の世界など存在しない、そう思ってはいても死体となった者は過去には必死に生き抜いてきていた事実が紛れもなくある。
例えネガティブだろうとポジティブだろうとどんなに死にたかったとしても死ぬ直前までは身体は生かそうと必死に心臓を動かし、脳を動かし続ける。
それらを踏み躙ることはどうにもできなかった。
だからこそせめてもの思いを込めた念仏である。
唱え終わった俺は合掌を解いた両手で持ち上げそっと荷車の上に乗せた。
即席荷車の中軸に対して死体を少し斜めに向かせて面積を少しでも撮るために調整したら眠っている女性達を乗せて行った。
重ねても5人ほどが限界なため一旦、運ぶことにした。
総重量約250キログラム、引くだけでは進まないため後ろから中腰になって押し進めた。
決して早くはない、一歩一歩確実に前へと押していく。
筋トレしといて良かったと初めて思ったかもしれない。
していなければピクリとも動かせなかったはずである。
(意識するのとしないのとでは大違い...
筋肉を意識して身体を動かせば自然と筋肉は答えてくれる!
意識しろ!使うべき筋肉を、力を入れる筋肉を!)
ロディの教えを忠実に守り俺は力を加えた。
出だしは亀のような速度だったがグンッとより速さを出して歩き出す。
徒歩と何ら変わらない速度でなんとか運び続けることができた。
それでも階段のところまで辿り着くのに1時間弱かかってしまった。
辿り着いた頃には階段の麓で骨折者の手当てが行われていた。
「どなたか彼女達をテントまで運んで下さい。
他にも後5人残っています。
脱水症状が進んでいますのでどなたか手伝って欲しいです。」
そうお願いした。運んだ5人と1人の死体は運んで貰えることにはなったのだが残りの5人を奥から運ぶのには誰も手を上げてはくれなかった。
それもそのはず目の前に苦しんでいる仲間を置いてまで手伝いに行こうとはならなかったのである。
まるで滑ったかのような痛い沈黙がしばし流れた。
女性達が運ばれて行った後2人手をあげるものがいた。
「「 俺がやる! 」」
階段を降りてきた2人の顔を見て驚く
ロゼル・シルヴァとそこには居ないはずだと思っていたマイクがいた。




