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パブリック    作者: つむぐぼん
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01:未来少年は過去の世界に夢を見るか?

 二十五世紀はユートピアに成り果てていた。

 世界中を優しさが埋め尽くし、思いやりと愛情で窒息してしまいそうなくらい人を慈しめる世の中。もちろん悪意なんて微塵もない。そこにあるのは秩序と雰囲気。特に規制はされていないが、それらを逸脱する行為はなによりも禁忌とされた。社会の空気がそれを許さなかった。

 僕たちはそんな世界で生を受けたのだ。


 ■


 彼、もといハルは小さいころからたくさんの疑問を抱く、端的に言えば変な少年だった。

 それは、なぜ人を殺してはいけないのかに始まり、なぜ無料の食べ物を食べ過ぎてはいけないのか、なぜ環境カンファレンスと倫理セッションを週に二回受けなければならないのか、法律で決められたわけでもないのにどうして建物は揃いも揃って穏やかな薄い色をしているのか。

 考えてみるとハルの疑問は今に生きる大抵の、それこそ十人中十人が当たり前と受け容れるような物事に対して抱くことが多かった。それは倫理だからだとか、ルールだからだとか、そういった社会の視点で物事を説明されることで彼が納得することはほとんどない。受け入れてしまえば楽なはずなのに、難しいことは全部大人に任せてしまえばいいのに、頑固な彼は疑いの眼差しを鋭く鋭く研ぎ続けていて、常にその答えを探し続けていた。

「どうしたら、幸せになれるんだろうな」

 だから、その時も疑問を呈したのはハルのほうだった。

「ハルは今幸せじゃないの?」

 その時、僕たちは地下室にいた。ハルの家にひっそりと保管されているたくさんの本と映像作品の山に埋もれながら、僕たちはいたずらに時間を潰していた。いや、僕はそういう認識であってもハルは違っていたのかもしれない。お互い同じ『本』を読んでいたとしても僕とハルでは決定的に違っているものがあった。

 僕は最近発売された小説群を。

 ハルは数百年前の過去の遺物を。

 ハルの家の地下室にはたくさんの本が格納されている。それらは電子書籍やAR技術で視界に表示させた拡張現実(オーグメンテッド・アビリティ)のようなデータ上の代物ではない。ざらざらとした紙にインクをしっかり使って一枚一枚丁寧に印刷された、重くてかさばる正真正銘の本だ。

 二十五世紀に小説という文化はもうほとんど残ってはいない。物語を創る想像力も、それを誰かに伝えようとする気概もこの世界には残っていないからだ。フィクションを考える暇は世界平和に対してどう考えていくかに矯正されてしまう。物語で肉付けされて、伝えたいことが分かりにくくなった文章より、直接的に書いてある専門書のほうが人気というのも小説の文化が廃れた原因だろう。だが僕は小説が好きだった。作者が考え出した意見を物語調にして、キャラクターの行動なり発言なりを通じて読み手に伝えようとしている。僕はその感覚がたまらなく好きだった。悪者の概念がもはや存在していない今日の物語は恐ろしくつまらないものだったけれど、文の端々から感じる作者の温かみとか優しさとかを一つのストーリーとして触れるその時が、僕の中では一番の至福だった。

 そういうわけで、僕は本が好きで、それをハルの家で読むことが習慣と化していた。僕はARで、ハルは冊子。媒体も、好みの時代も違っていたけど、同じ読書仲間という共通意識みたいなものを僕はただ一人感じていた。

「ほらよ」

 本から目をそらし、質問を投げかけた僕をちらりと見たハルは、椅子に寝そべっていた体を起こしながらその手に持っている本をぞんざいに投げてよこす。

「ロリータ……?」

 それは昔の本だった。およそ五百ページで構成されたそこそこ重い紙の本。いきなり渡された僕はただただ困惑する。ハルから渡された意図が分からなかったからだ。タイトルと作者名と少しばかり丈が短いスカートのようなものをはいている女性の足が表紙に描かれているさまはどこか僕をむずがゆい気持ちにさせる。そんなデザインをしみじみと眺めながら、僕はおもむろにページをめくってみる。それはとある男の苦悩の物語だった。

 主人公が、歯が浮くような甘ったるい恋愛劇を繰り広げた幼馴染によく似た少女を見つけ、その母に取り入って結婚し少女を愛すという今世の作家全員が頭を捻っても思いつきやしないであろう冒頭から物語は綴られていた。

『ロリータ、我が命の光。我が腰の炎、我が罪、我が魂、ロ、リー、タ』

 僕はその展開を見た途端、体中が一気に熱を帯びたような感覚に襲われ、体が震え始めた。気が付かぬ間に何度もツバをのどへと送り流していて、体の熱を収めようと、生み出た汗が球となって体中から溢れ出す。そんな状態のまま数ページを一気に駆けた僕は、これ以上は耐えきれないと判断し、急いで本を閉じる。生理的に受け付けてくれなかったのだ。

 恐ろしい自我だった。

 恐ろしく歪な欲だった。

 僕はそれを良しとしている主人公の様に心から怯えてしまった。どうしてこんな思想にたどり着くことができて、あまつや行動に起こそうと計画を練ることができるのか。その全てが意味不明で、その全てが僕にとって嫌悪の対象だった。ここまで受け付けないものは僕にとって初めての経験だった。

 早くなっていた心臓の動悸が少しばかり落ち着いて、ほんの少し生まれた余裕で僕はハルに顔を向ける。ハルは僕のことを見つめていた。大して心配するようでもなく、ねぎらいの言葉をかけてくれるわけでもなく、その冷静な眼差しは、ただただ僕を見据えていた。

「これを読んでどう思った」

 ハルが問う。その声には真剣さがいつもの口調の数倍込められている。

「……とてもじゃないけど恐ろしくて僕には読める代物じゃないかな。人がここまで赴くがままに生きることなんて想像できやしないし、そもそもこんなことを考える人だってほとんどいないはずだ。僕にはこの話を受け入れることなんてできやしないよ」

 ハルは僕の言い分をまっすぐに聞いていた。

「……それはこの世界を否定するのと同じだとは考えなかったのか?」

 どういう意味と尋ねた僕に、ハルは言葉を続ける。

「この世界は優しさと思いやりでできている。考え方を受け入れることはもちろんのこと、人を理解しようと動かないならばこの世界の一員とは決して呼べない。お前がやっていることは、この世界で生きることを放棄するのと同じなんだ」

 僕は言葉に詰まった。確かにハルの言うとおりだったからだ。この二十五世紀はどこまでも慈愛と至福に満ちた世の中。どんな考え方も許容され、人が人らしく生きることのできる理想の地。ユートピア。だがそこで生きるためには一つだけ条件があった。

 この世界で十六年間も生きてきた僕だ。それぐらいはわかる。

『人を理解するということ、しようと努力すること』

 万人がそうやって人のことを考えて、動いて、受け入れることで平和と秩序を創り上げたこの世界にはその姿勢が不可欠だった。本であっても、その姿勢を崩してはならない。総人口の数百万人が何年にも渡って守ってきたことを、僕は今まさにその使命を手放そうとしていたのだ。

「で、でも、これは昔の人の考え方だ。今こういう考え方をする人がいたら理解しようとする気にもなるけど、そんな人はきっとどこにもいない。僕にはこの話を理解する必要性がない」

 苦し紛れの言葉だった。昔だからといって考え方を知る必要性がないわけではない。むしろこの世界に生きる人たちならば、新たな視点で物事を考えることが出来ると喜び、率先して理解しようとあがくのだろう。それが模範的な人間の行動。僕がそうしないのはひとえに昔の本がこの世に存在しておらず、当然そういった過去の考え方に及んでいる人もいないから。そう言い張ることで、自分はあくまでも社会から逸脱してないと強調していた。

 そもそも昔の書籍は二十二世紀ごろ勃発した戦争の影響で、これ以上閲覧することを封じられたという歴史がある。文学作品だけに関わらず、絵画や音楽などの創作物全てが対象で、それらは国から廃棄の指示が出されたのだ。なぜ国がそんなことをしたのか理由はわからない。だが、ハルの父親はこっそりと、運よく廃棄されていない過去の創作物を集めていて、今や地下に巨大な書庫を創り上げていた。過去の書物を禁止した国と、逆にそれを集めたハルの父親。両者の言い分を聞いたわけでもないので一概にどちらが悪いとは言えないが、このような、例えばハルから渡された『ロリータ』のような、危険な物語が存在するから廃棄を命令したという国の言い分だったら実によくわかるし、逆にそれを集めていたハルの父親にはどうしても肯定的に捉えることが出来ない。国が過去の書物を回収どころか閲覧すらも禁止しているということは流石に理解しているはず。しかし、だとしたらなおさら彼の真意がわかりかねないし、だからこそ彼が悪いことをしているという認識が取れてくれない。

 僕は正直、過去の創作物に触れたくもなかった。

 だから、割ときつめの言葉で拒絶してみたのだが――。

「いや、それは間違っているぞ」

 やはりというべきか、なんとなく予想していた通りというかハルは僕の言い分をいとも簡単に否定する。

「お前が言っていることはただの甘えだ。この世界に生きている以上、しなければいけない義務をお前は放棄している。昔いた、今いるなんてこの世界の理にはなんら関係はない。何度でも言ってやる。アキ、お前がやっていることはただの甘えなんだ」

 ハルは自分の言い分を通そうとする時、驚くほど冷たい口調になる。胸を針のような鋭利なものでつつかれている感じ。言われたらもちろん悲しくなるし、ハル以外誰も使わないような強い言葉をこれでもかと言われたら、もう何も言えなくなる。僕がそんなハルを見るのは今回が二度目だった。一度目は、僕とハルが初めて倫理セッションで出会い、同じグループになった時。相反するどちらの意見を主軸に置くのかという際に、僕は今と同じ冷たい言葉を放たれたのだ。結局両方の案を提出するということで話は収まったのだが、あの時のような言い方で物事を押し通そうとされたら僕は何も言い返せない。今回もきっと、ハルの言われるがままになるのだろう。

「そうだね……」

 僕は言い返すことを止め、諦め気味にハルの言い分を受け入れる。しかし、ここでふと思う。ハルは何がしたかったのか、と。

 幸せではないと呟いたハルから渡されたロリータ。それをもう読めないと限界を伝えたら、その行為は世界を否定していると反論された。

 ハルのしたいことが、まったくもって分からない。

「……ハルは僕に何をしてほしいの?」

 そういえば、最初からハルは少しおかしかった。普段のハルならば、疑問を持てども口に出したりはしない。一人頭を抱えて思考にふけっている様を見て、僕が何に悩んでいるのか問いかけるのだ。

 他の挙動もおかしかった。ロリータを読んでいる僕をじっと見つめていたり、昔はともかくこんな些細なことでここまで強い口調になるところとかが、基本他の人の行動に口出しをしないハルらしくなかった。

「単刀直入に言うと、仲間になって欲しい」

 またもや僕の頭に疑問符が浮かぶ。ハルは自分のこと話したがらないせいかこういう時の説明が言葉足らず過ぎる。

「どういうこと?」

「言葉通りの意味だ。この何もかもが許されて完璧な世界。俺はこの世界が大嫌いだ。この世界を変えたい。そのための仲間が欲しい」

 完璧な世界。確かにそうだと思う。どこまでも夢にあふれていて、なりたいものになれて、皆が皆を尊重しあう、優しい優しい平和な世界。一片の濁りもない善意は誰を不快にさせることもなく、その善意を踏みにじる者もいない。暮らしも食べ物も遊びも友達も、望めば望むだけ与えられるこの世界。そんなこの世界のどこをそんなに嫌悪しているのだろうか。

「何がハルをそこまで焚きつけるの?」

「……この世界に父さんは殺された、からだ」

 僕は思わず目を見開く。

 彼の父親は数年前に自殺した。ハルによると、たくさんの書物と映像作品と、たった一言だけの遺書を残して死んでいったらしい。

『父さんに、この世界は生きづらいよ』

 この言葉をハルの父親は自殺する前日に言ったそうだ。

 今の時代、自殺者はほぼゼロに等しい。ハルの父親が自殺したときは町中の雰囲気自体が暗くなった。なぜ彼が自殺したのか見当もつかないが、理由がこの世界にあるとするならば、それを変えなければならない。ハルが仲間を求めていた理由はそこにあった。

「だけど、世界を変えるって具体的にはどうするの?」

 ハルは僕の手元を指さす。

「俺は昔の世界を創り上げたい。だからまずはそれらの本を読んで昔の考え方に触れてほしい」

 僕はハルの顔に眼差しを向ける。ハルはどこまでも真剣な表情をしていた。真っ黒な目には赤く炎がともっているようだった。そういえば、昔もめた時もハルは今のような瞳をしていた気がする。

 ハルはハルなりにこの世界をよくしていこうと考えているのだ。

 そう考えると、一気に親近感が湧いた気がした。

「もちろん断りはしないだろうな。俺は今に生きながら昔の考え方に触れている。秋が出した条件もクリアして――」

「大丈夫だよ」

 ハルが僕を断らせまいと必死に退路を防いでいく。しかし、もう大丈夫だ。僕は僕自身の意でハルの意見に参加する。

 ハルの弁を遮り、僕もしっかりとハルを見据える。そして、

「一緒に、世界を変えていこう」

 ただ一言、そう宣言した。


文化祭で掲載する予定の小説です。どうぞよしなに。

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