王都進出
バジリスク討伐から二週間、俺とミロは元パーティメンバーの三人に見送られながら馬車で王都へ向けて出立した。ギルド所有の馬車な事もあって俺達以外に客はいない。
彼女の背負う鞄の中にはギルドから渡された紹介状が入っている。俺達が王都へ向かうのは、ギルド本部からの要請なのだ―――呼ばれたのはミロ一人だが、俺が付いていくことを条件に出したのもまたミロだ。
そして当の本人は相変わらずの無表情で幌馬車の椅子に腰かけている。気まずく感じているのかは不明だが、俺達の間には一切の会話が無い。俺の方は正直面も見たくないのだが。
結局、お互いに一言も口にしないまま日は落ち、森の近くの平原で野営を行うことになった。食事の為に御者が火をおこすのを二人とも黙って眺めていた。朝から空気がずっと重たいことに耐えきれなくなったのか、彼は火を見ながらこちらに声を掛けてきた。
「ええと……お二人は御夫婦なんで?」
「いや、違う」
「違いますよ」
「……コンビだ、一応な」
俺がそう付け足すと、御者は気まずそうに鼻の頭を掻いた。
「ああ、そうですか……お兄さん、頑張ってくだせぇ」
何か勘違いされている気がする。
ミロは床に就き、俺は火を弄りながら御者と見張りをしていた。後半刻もすればミロを起こして御者が睡眠をとることになっている。個人的には余り火を好まないので、早く替わって欲しいと言えばそうなのだが、声を掛けるのも、まして二人きりで警戒するのも億劫だ。
「お兄さんは、あん娘の何処に惚れなすったんで?」
「だから、そういう関係では無い」
暇だからか、御者が下世話な話を振ってきた。
「何と言うか、恩人に面倒を見るよう頼まれたんだ」
”人”では無いし、”頼まれた”では無く”脅された”だが。
「はあー、あんな美人なのに、少しも心が動かねぇんで?」
「ああ。性格がな」
「あぁ、そりゃあ勿体ねぇ」
真に理解した訳でも無かろうが、御者はうんうんと頷いた。
その後も男同士で軽く会話を交わしていると、ミロがテントから顔を覗かせた。
「御者さん、交代です」
「おお、もうそんな時間で。すんませんねぇ」
ペコペコしながら御者は速やかにテントに入ったが、直前で俺にだけ見えるように人差し指と中指に親指を挟み、ニヤリと笑った。見張り番で行為に及ぶ阿保が何処にいる。
そして、再び両者が黙り込み、空気が一気に重たくなった。
「………ガルムさんは、火が平気なのですか?」
時間の感覚が無くなってきた頃、何を思ったかミロが急に口を開いた。
「……苦手だったがな、克服した」
一度だけ、落雷で大木が焼失する様子を間近で見たことがある。火が燃え広がることは無かったが、かなり驚かされ、恐怖したことは間違いない。
「人間社会で生きていくなら火は切り離せん」
「でしょうね」
ミロの目はぼんやりと火に向けられている。恐怖も、興味も、その目から感じ取ることはできない。
「………火は、熱いんですよ」
「………?」
「火は、熱いんです」
「…………それが?」
「…………それだけです」
それっきり彼女は口を開かなかった、訳が分からない。
意味不明の問答を終え、そろそろ明け方だという時分。俺の耳は森の方の茂みが揺れる音を捉えた。ミロも全く同じ方向を向いている。
「………人間、か?」
「でしょうね、獣では……なさそうです」
捕食者が二人もいれば、大抵の獣はお互いに物音が聞こえる範囲まで近づこうともしないだろう。なら考えられるのは鈍い人間、恐らくは森をねぐらにする盗賊の類だ。だが、接近しようとしないのはこちらを警戒しているため、だろうか?
「……あれが盗賊、ですか? 他人から奪うことで生きている連中」
「多分な、確証はないが」
「盗賊は、捕まるべきだと聞いています……捕らえても?」
「確認したのは偉いな。………俺らに害をなさないなら無視で良い気もするが。夜の森に入る労力が勿体ないし、仮に仲間を呼んでもお前一人でどうにかなるだろ」
ミロが目だけをこっちに向けた。どこか責めているようにも見える。
「捕まえるのは義務では無いんですか?」
「義務だろうと、あらゆることを完全にやり遂げるのは不可能だ。ついでに言うと、義務でなくても優先してやらなければならない事はある。お前の言ってることは正しいが、正しいだけじゃ人間の町ではやっていけねぇんだよ」
暫く睨み合う俺達だったが、向こうが折れた。
「……手を出してくるようなら仕留めます」
「ああ………もう逃げたようだが」
既に盗賊は俺の耳でも追えない所まで離れているようだった。ミロは再び火を見つめる作業に戻り、その背中から朝日が顔を覗かせた。
「お兄さん、彼女さんどうされたんで?」
「ちょっと口論になってな」
「はぁ……」
大丈夫かこいつら、みたいな目で見られた。大丈夫じゃない。
結局、俺達を観察していたであろう盗賊の襲撃も無いまま王都に辿り着いた。日は既に落ちかけている。御者に礼を言い王都のギルド本部を目指して歩き始めた。
ミロはやはりと言うべきか無表情を保っているが、どことなく顔が青い気がする。先の町よりも更に多い人の波に流石の女傑もビビっているのだろうか。
「………人間って、こんなに数がいる必要あるんですか?」
「さぁ…ないんじゃないか? 食料と安全さえあれば数は勝手に増えるだろうしな」
「……ラカムさんの言っていたことが少しだけ分かりました」
一体何のことだろうか。
今までの拠点も中々大きかったと思うが、王都のギルドは更にそれ以上の大きさだった。人も大勢いるらしく、扉の外に居ても騒ぎ声が聞こえてくる。ミロは僅かに眉を顰めた。
ギルドの入口を二人で潜ると、以前ミロが訪ねて来た時と同じように一瞬だけ完全な静寂がギルドを包んだ。しかし、次の瞬間には爆音のごとき野郎共の咆哮と、好奇の視線が一斉に俺達、正確にはミロに突き刺さった。
「………これでも、許されないんですか?」
「……ああ、喧しいのは分かるがこっちから手は出すな」
彼女の苛立ちはどうにも結構ヤバイらしい。剣の柄に手が触れては離れてを繰り返している。
「……冒険者ギルドへようこそ、本日はどのようなご用件でしょう」
「大森林近郊の冒険者の町から呼ばれて来た。ミロ」
流石に本部の受付嬢は教育が行き届いているらしく、これだけの大騒ぎになっても表情を変えず応対した。しかし、ミロが差し出した紹介状に目を通すとその目が大きく見開かれた。
「し、少々お待ち下さい」
そう言って受付嬢はカウンターの奥へと小走りで消えていった。
「おい、嬢ちゃん。そんなひょろっとした男じゃ無くて俺達と遊ばねぇか?」
「いいねぇ、ちょっと酌してくれよ」
受付嬢がいなくなった途端、下卑た笑い声をあげながら酒臭い男共が絡んできた。ギルドの監視が無くなって増長したのだろう、周りの人間は寧ろ楽しそうにその様子を眺め、ミロの不機嫌の度合いがまた一段階上昇するのを感じた。
斬っていいよな? としきりに目で訴える彼女を視線でなだめ、俺は惨劇を避けるべく口を開いた。
「悪いがこの娘は俺の連れでね、粉かけるのは止めて貰ってもいいか?」
「あ? うっせぇ男に用はねぇんだよ」
「サッサと女残して消えな」
ギャハハハ、と耳障りな男達をどうしたものか考えていると、俺が黙ったのを見てどう勘違いしたのか二人はミロに手を伸ばし始めた。
「さあ、こんな腰抜けほっぽってあっちへ行こうぜ」
「そうそう、剣なんて物騒なものは外してなぁ」
男の手が剣に触れる瞬間―――ミロがブチ切れた。
「ミロ!!!」
咄嗟に俺が叫ぶのと、剣に手を伸ばした男が木製の床に頭を完全に沈め、もう一人が顎を痛打されてあっけなく気絶するのは殆ど同時だった。ギルドの空気はあっという間に冷め、この状況を作り出した張本人は鞘に収まった剣を振りながら鼻を鳴らしていた。
「剣に触らないで下さい」
その警告、何秒か遅い。