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幼少期 前編


 ――――――物心ついた時から、親は人間じゃ無かった。それが普通だった。



 {小僧、飯だ。今回は大猪を狩って来い}


 「おう」


 巨大な黒い獣―――グルに命じられて俺は巣穴から駆けだした。大猪は森の中では狩りやすい方の獲物だけど、俺にとってはまだまだ危険な相手だ。グルに逆らったらそれこそ命が無いんだが。


 枝の上を次々と渡り歩いて大猪を探す。ヤツは森の深い方にはいないから、俺も浅い所に向かって進む。なんだってグルの巣穴は森の奥深くにあるのか。強いからか。


 ”出会ったらヤバい奴ら”に出会うことも無く、日が少し傾いた頃、目的の大猪を見つけた、俺三人分ぐらいはある大物だけど、これ以上探すのに時間は掛けられない。木の上から隙を伺い、草を食むヤツめがけて飛び降りて、その首筋にグルの爪を突き立てた。


 「ブゴオオオオ!?」


 突然のことに大暴れする大猪だが、しっかりと突き立てているため爪が抜けない。俺は振り落とされないように必死で爪にしがみつく。すると、混乱した大猪は暴走して自分から木に頭をぶつけて昏倒してしまった。ここで漸く俺は爪を引き抜き、その喉をバッサリと切り裂いて止めを刺した。


 「ふぅ………」


 一息つき、続けて解体に移る。とてもじゃ無いけど一人で全部食いきることも、ましてや持って帰ることも不可能なので必要な分だけ切り出してから後は自然に任せるのだ。狩った証拠は一番大きな牙を折って帰るか、足の一本でも持っていく。まぁ、当然牙だが。


 グルの爪はとても鋭い。肉だろうが岩だろうが突き刺さるし、切り裂ける。なので暴れられた時は相手の肉が裂けてしまうのではないかといつもヒヤヒヤだ。だけど、それだけ鋭いのが解体にはとても便利なのだ。あっさりと腹の肉を割き、美味そうな部分を手ごろな大きさに切り出した。


 そして速やかに牙も切り落とすと、肉を抱えて一目散に帰路に就いた。



 肉を抱える人間の子供など、腹をすかせた獣からすればいい餌だ。その上血の匂いを撒き散らしているとなればもうこれは狙ってくれと言っている様なものだろう。毎回の狩りの賜物か獣の気配には敏感になった、が、出来ることと言えば抱えた肉を削ぎ落すくらいのものだ。その所為で毎回俺の口に入るのはせいぜい一割なのだが、死ぬよりはいくらかマシだ。

 

 しかし、今回はいささか運が無かったのかもしれない。


 立ちすくむ俺の前には巨大な獣が一頭。獅子の頭と山羊の頭、蛇の尻尾を持つ怪物。キマイラだ。”出会ったらヤバい奴ら”の内の一種類、俺なんて肉ごと丸のみにできるし、たとい逃げた所で一秒と持たないだろう。どうしてこんな冷静なのかって? グルよりは怖くないからな。


 キマイラの合計6つの目は嘗め回すように俺をじっくりと眺めている。下手な真似をしようものなら頭からガブリ、だろう。頭の中は落ち着いていても全身は恐怖でガッチガチに固まっているのが幸運なのだろうか。


 一向にその場から動かない俺を見つめ続けることに飽きたのか、はたまた俺が狩られる側で間違いないという確信を得たのか、おもむろに獅子の頭がその咢を開き、喰らいついてきた。赤い喉の奥から目が離せない。時間の進みが遅く感じるが、相も変わらず身体は指先まで動かせない。


 ―――あ、喰われた。



 だが、獅子の頭は俺の元に届くより早く強烈な力で地面に叩きつけられ、まるでザクロの様に飛び散った。殆ど同時に山羊の頭と尻尾の蛇が切り落とされる。そして、獅子の頭があった場所には黒い肉食獣の腕があった。


 {小僧、何をしている}


 「」


 平然と話しかけてきたグルに言葉が返せない。余りの恐怖で喉が固まってしまったのか、魚の様に口だけがパクパクと動いた。


 {しゃんとしろ!}


 「はっ!」


 {―――よし、帰るぞ。キマイラにビビらされるようなお前は食後の休憩なしだ}


 「酷い!」


 {じゃかしい}



 巣へと帰り、食事を済ませた後は宣言通り休憩なしでグルによる鍛錬が始まった。グルの爪でも何でも使って、とにかくグルに一撃入れることを目標に倒れるまで延々戦闘を繰り返すのだ。元々体力を消耗している上にグルは本気で無いとはいえ戦闘は戦闘、隙ができれば躊躇無く一撃入れてくる。ハッキリ言ってキツイしやりたくないが、俺はグルに逆らえないからやらざるを得ない。


 {おら、手ェ抜くな!!}


 「ごふっ!?」


 尻尾による殴打が腹に入り、木に激突するまで飛ばされる。立ち上がるより早く襲い来るグルの爪を何とか転がって回避すれば、再び尻尾による一撃を貰ってまた吹き飛ぶ。食った物を吐こうが血反吐を吐こうが鍛錬は終わらない。


 {得られる情報から予測して回避しろ!! 昨日も言っただろうが!!}


 「……っ!!」


 言われたことを実践に移そうとするが、身体はとても付いて行かない。そもそも言っていることが高次元なのだ。結局また打ち倒される。


 {余計な事考えんな!! 集中しろ!!}


 全身が痛くてとても集中などできるものでは無いが、それを口に出す事はしない。今更だからである。また尻尾が飛んできた。


 結局、日が落ちても続いた鍛錬は俺がその日の内に気絶から目覚めなかったことで終わった。



 巣穴の中には日が届かないが恐らく朝、グルの尻尾にもたれ掛かる形で寝ていた俺が目覚めると同時に尻尾の主が声を掛けた。


 {おう、起きたか。それじゃ、今朝は魚だ。適当に見繕って来い}


 それだけ言うと再びのっそりとグルは寝に戻った。獣の癖に意外と朝に弱いのだ。


 巣穴を出ると日の出の光が俺の目を灼いた。俺の体内時計は相当に正確である。そして盛大に鳴った腹時計は残念ながら壊れているのだろう。なぜならいつだって鳴いているから。


 まぁ、魚という比較的楽なお題なのはグルの優しさだろう。ここで食べ過ぎる訳にはいかないのが辛い所だが。食べ過ぎると眠たくなるからな。俺は手製の銛を片手に欠伸をしながら川へ向かった。全身の痛みにはもう慣れた。そして手際よく数尾を仕留めると、腹から齧り付いた。空腹に染み渡る。


 巣穴に帰ると既に覚醒したグルが外で待ち受けていた。その横には本が数冊積まれている。


 {今日は言語と文化だ。さっさと準備しろ}


 基本的に毎日午前中は勉強で潰れる。科目は日替わりで、人間の言葉や生活、計算を中心に色々、俺以外の人間などいないのにやらされる。グルが言うには、森の外へ出る日のため、らしい。そんな日が来るとは思えないのだが。ちなみに、俺が話しているテルキア王国語は森に最も近い国の言葉だそうな。これだけは話せる。



 午前中の勉強が終わって昼休み。そこらの木に生えていた果実を齧っていると、得物を咥えたグルがやって来た。


 「グル、どうした?」


 {小僧、今日の鍛錬は休みだ。適度に体を動かすだけで良い。それと、狩りもやらなくていい。それを食え}


 「え? なんでだ?」


 {明日、日の出と同時に出掛ける。そこで力を発揮できないのでは困るからな}


 「……分かった」


 よっぽど大切な用事なのだろうか。それにしたって始めてから今日まで欠かさず続けてきた鍛錬を休んでいいと言うなんて……休んでいいと言われても何をして過ごせばいいのかが分からないぞ。


 結局何をするでもなく一日を過ごし、久しぶりに気絶じゃ無い睡眠をとれた。



 明朝、グルに起こされた俺は寝ぼけ眼でその背に跨り、森の中を疾駆するグルに全力でしがみついていた。気を抜くと飛ばされる、とっくに目は覚めていた。


 森を抜け山を越えて、日が頂点を過ぎた頃、ようやくグルは停止した。恐る恐る頭を上げると、そこは巨大な岩の上だった。それも、その岩は何かで切り裂かれたかのように平坦で広い。その端にグルはやって来たらしい。


 {降りろ}


 「……あ、おう」


 滑るようにグルの背から降りると、足元に何やら彫りこんであるのを見つけた。文字、の様に見えるけど、習った物とどれも違う。


 「グル、ここは……?」


 {何百年か前の人間が作った場所だ。殺し合いをする為にな}


 「…………今から俺も殺し合いを?」


 {まだ早い}


 「そう、良かった」


 ……まだ?

 


 そこから暫く、グルと二人で来るはずの誰かを待っていた。ねぐらである森と違ってここは常に強い日差しが照り付け、俺だけでなく心なしかグルも参っているように見える。結局グルの巨体で出来る影に隠れて時間を過ごした。


 そして、そろそろ日が落ちるという時分になって臥せっていたグルがバッと体を起こした。その目は鋭く北の空を眺め、明らかに昂っている様子が見て取れた。グルに倣って俺もそちらを向くも、特に気になる事柄は無い。


 「グル、何が見えてる?」


 {一つ、銀色の星が見えるな? アレをよく見てみろ}


 まだ明るいものの、既に星は沢山あってどれの事かがいまいち分からない。だが、暫く見続けていると明らかにおかしいものがあることに気が付いた。少しづつ、だが確実に大きくなっているのだ。


 「あれ、星?」


 {当然違う。アレが待ち人だ}


 人、では無いだろう。絶対。 


 そして、更に銀色の光が大きくなるにつれて漸く俺の目もその姿形を捉えた。銀の鱗を持つ空飛ぶトカゲ、見るのは初めてだが、恐らくあれがグルの言う”龍”なのだろう、昔聞いたことがある。俺達が見続けている間も翼を休めることなく進む龍はますます大きくなり、とうとうこの岩の元へと辿り着いた。龍は俺達とは反対側に陣取ると、翼を畳んで座り込んだ。



 そして、その背から滑り降りたモノを見た瞬間、俺は人生で初めて出会った”美しさ”に息を呑んだ。



 それは、初めて出会う”生きた人間”だった。背は俺と同じくらい。西日を受けて輝く銀髪、傷一つ無い白い肌、そして、無表情だが整った顔つき。その儚げな存在は俺が見てきたどれとも違って見えた。日暮れにも拘らず体が熱くなり、鼓動が早くなった気がした。


 {……ありゃ無理だな}


 「え?」


 だが、グルは気落ちした様子で呟いた。何が無理なのか。


 {小僧、今からあの小娘と戦ってもらう。まぁ勝てないだろうが、死ぬ気で、いや、殺す気でやれ}


 「……?」


 {ほれ、もう始まってるぞ}


 「え」


 見ると、向こうも同様の説明を受けたのか悩む素振り一つ見せずに突進してきた。両手には身の丈ほどもある巨大な羽が握られている……羽? 疑問は尽きないがやらない訳にはいかない。グルの爪をしっかりと握りしめ、相手に向かって突撃を開始した。


 そして、相手の間合いに一歩踏み込み、次の瞬間に俺は背中から地面に叩きつけられた。息が詰まると同時に脳を疑問が支配するが、半ば反射的に飛び起きる。しかし、足をついた途端に再び転ばされる。立ち上がろうとすれば再びそれだ。明らかに遊ばれていた、立たせてすらもらえない。仮に羽ではなく、人間の使う長剣であればとっくに俺は死んでいるだろう。


 {そこまで}


 聞き覚えの無い声による静止が入ると、相手は途端に動きを止めた。俺もフラフラしながら立ち上がる。すると相手と目があった、飲み込まれそうになる。


 {ミロ、そこで会話でもしていなさい。私は少し彼と話してきます}


 「■■ ■■■■ ■ ■■ ■■■」


 どうやら声の主であるらしい龍にミロと呼ばれた人間が聞き覚えの無い言語で返事をする。龍がグルに近づき、ミロ、さんはこちらに顔を向けた。


 「■ ■■ ■。 ■■ ■ ■■■ ■■ ■ ■■ ■?」


 何と言ったのかが分からない。キョトンとする俺の様子で察したのか、ミロさんは少し考えこんだ後再び口を開いた。


 「こんにち、は。……私、は、ミロ。あな、たの、お名前、は?」


 「…………あ、ええと、小僧だ」


 「そ、れ、名前? 変な、の」


 「小僧としか呼ばれてないから」


 そう返すと無言でこちらをじっと見つめてきた。何を考えているのかよく分からない。


 「………ミロ、さんは王国語も話せるのか?」


 「……うん。テルキ、ア王国語、も、習っ、ては、いた。使うの、は、初め、て」 


 「初めてでそんなに話せるのかよ。凄いな」


 「そんな、こと、ない。普通」


 普通のレベルが高すぎる。……また会話が途切れてしまった。 



 {ミロ、帰りますよ}


 「■■。 ■ ■■■ ■」


 結局それ以上は一言も話せないまま終わってしまった。勿体無いような、ほっとしたような。


 「……じゃぁ、また、ね?」


 「え、あ、おう」


 狼狽える俺を他所にヒラリとミロさんは身を翻した。


 去って行くミロさんの背をへたり込んで見送っていると。背後からグルがやって来た。


 {コテンパンだったなマセガキめ}


 「うっさい」


 {……で、どうやって負けたのかは分かったのか?}


 「………分からねえ」


 {はぁ? あれだけ話す時間があったのに聞かなかったってのか?}


 「…………」


 {………まぁいい、俺達も帰るぞ小僧}


 少しばかり不機嫌なグルの背に跨る。とっくに日は落ちているのだが、これから帰るのだろうか。


 {こんな所で寝たら身体を壊す。朝までには帰れるだろう}


 「……なんで分かった?」


 {雰囲気だ……まだ何か聞きたいことがあるのか?}


 「……俺、名前あるのか?」


 {……お前にゃまだ早い。寧ろアイツが名前を付けたことに驚いた。出来は良いみたいだがな}


 「……そうか」


 {まぁ、ンなこた気にすんな。それより手も足も出なかったことを気にしろ。帰ったらミッチリしごいてやるからな、覚悟しておけ}


 「うへぇ」


 俺が嫌そうな声を上げるとグルはグッグッと声を出し、夜の闇へと駆けだした。真夜中で行きより遥かに怖かったのは言うまでも無い。

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