百十九話
それは生きているようで死んでいた。
息はするが考えることをやめていた。
身体は動くが怠くて動きたくなかった。
彼は待たせすぎたのだ。
その代償がこれだ。
辛かった、非常に辛かった。
苦しかったといってもいい。
自由とは自分が好きなようにすることだ。
それは心が楽になると同時に、拘束される事を意味する。
相手を好きに選ぶことができる。
しかし、そのあとに待つのは地獄だ。
だから逃げた。
ただほんの少し、今だけらくになりたい。
そう思って逃げた。
逃亡が長く続かないことは分かっている。
しかし、彼は安息を求めて逃げた。
彼は関係を維持したかった。
踏み込みたくなかった。
もし踏み込んでしまえば、地獄が訪れることが分かっているからだ。
だから踏み込まなかった。
だが、その防波堤はたった一人の少女によって崩された。
来ることは分かっていた。
安息がいずれ終わることを理解していた。
彼はそれまでの間楽しんでいた。
そして今が崩れたからこそ、彼は元に戻る。
ただの人外好きな少年に。
今まで見せなかった感情を見せる。
「ア゛ア゛ア゛ア゛」
声が出なかった。
枯れた、という訳ではなかった。
そんな余力がなかったのだ。
疲れ果てたことで、声が唸り声のようなものになっていた。
「大丈夫ですか?」
顔を左に向ければ、武刀の左腕を枕にしてこちらに身体ごと向けている万里がいた。
万里は今まで着ていた服を着ておらず裸だが、毛布で肩より下は見えていない。
「あ、うん」
武刀は疲れ果てて頭が働かないが、万里はその反対で何故か気力に溢れていた。
「俺、少し寝るよ。眠い」
働きづめに近かった武刀はもう疲労で身体が怠くなり、目を瞑るとすぐに深い眠りに陥った。
「分かりました。後始末は私がしておきますね」
万里の声が聞こえたが、それはすぐに眠りの世界に入ったことで考える事すらできなかった。
武刀は目を覚ますと、身体を起こした周りを把握する。
眠る前までは色々と散らかっていたが、今ではすっかり綺麗になっている。
枕元には畳まれていた服があり、全裸の武刀は服を着る。
その時、身体がべたついていない事に気づいた。
万里が拭いてくれたのかな? 助かる。
武刀は服を着て、右の首元を右手でなぞると小さな二つの穴が開いていることが、分かる。
穴が塞がるのはどれくらいかかるかな。
万里に噛まれてできた穴を気にしながら部屋を出る。
魔物の軍団を倒して一日経っているせいか、避難できず町にいた者が戻り一階は話し声が聞こえた。
ここの店主は戻って来たのか?
一階に降りて隣接している食堂に向かうと、食堂で座っているのはアルフィーとジブの二人だけだった。
「随分と遅い目覚めだな」
武刀が食堂に入って来たことにアルフィーは気づいた。
「まあな。二人だけか?」
「ああ。ストリアとあの黒いエルフは部屋に、万里という娘は冒険者ギルドにいる。そうだったな?」
「うん。冒険者ギルドでは今、万里ちゃんは救世主として持て囃されているよ」
万里が持て囃されてる、か。
褒められることにあまり慣れてないから、赤くなって照れてそうだな。
周りの冒険者から褒められ、その中心で褒められ慣れしてなくて赤くなる万里の姿が思い浮ぶ。
「持て囃される、ね。なら帰ってくるか。今何時? というか飯ある? 腹減ったんだよね」
武刀は手前に座っているジブの左隣の椅子に座った。
ジブの隣に座った武刀は、ジッとジブの顔を見ながら思う。
もう我慢しなくていいんだな~。
「今は丁度昼時だ。飯については食材から現在調達していると聞いたが、ジブの顔を見てどうした?」
「いや、何でも」
武刀は首を横に振り、見られていたジブは今まで気づかず、自分の顔をペタペタと触る。
「何か顔に付いてた?」
「だからなんにもないよ」
武刀は欲求を我慢しながら笑ってごまかし、話を続けた。
「それでアルフィー、調達はどういうこと?」
「魔物の肉だよ。あれは生物だから今日中に食わないといけないから、外では祭りみたいになってるぞ」
「あれ? 一日経ってるよね。腐ってない?」
「そこは皆の力を合わせて氷魔法で」
右親指を突き出してグッとガッツポーズをし、ドヤ顔をする。
「魔力が回復したんだ。それなら、外に行かないの?」
「私達は既に食べてきたぞ」
さも当然という顔でアルフィーは言い、ジブはうんうん、と何度も頷いていた。
確かに、俺が注文した、とか聞いていないのが悪いけど……。
「オッケー。俺は飯を買って来るよ」
「ちょっと待て」
武刀が立ち上がると、アルフィーに止められた。
「私もジブも話したいことがある。一緒に行こう」
「はいはい。万里は……大丈夫かな、多分勝手に来るだろうし。なら一緒に行こうか」
三人は宿から出た。
その時、武刀が二人の肩を押さえて引き寄せようとした際、アルフィーの右肩を右手で抱き寄せようとしてアルフィーの右ストレートが武刀の腹を抉った。
場所は南門に向かう大通り。
そこでは今、素材を刈り取った魔物の肉が焼かれて無料で食べることができた。
南門の理由としては、戦場が南門であったからという理由だ。
又、北門も魔物に襲われていたらしいがそれは万里の介入によって鎮静化したらしい。
北門に向かう大通りでも、南門と比べると小規模だが同じように肉が配られていた。
南門への大通りに近付くと、肉を焼く香しい匂いが空腹の腹に直撃する。
匂いだけで口の中は涎が溢れ、頭の中では食べたい、という欲求がガンガン疼く。
「ああ、腹減った」
「僕も」
「ジブはついさっき食べたよね」
腹を摩る武刀にに、匂いがジブも誘惑したのか一緒にお腹を摩っていた。
「だって、お腹が減ったことはしょうがないもん。この身体、最近になってさらにエネルギーを必要とするし」
「そうなの?」
「思い当たる節はない?」
武刀は屋台で肉の串刺しを一つ注文する。
代金はいらないらしい。
「そうだな~……あれかな、今の状態でも身体の一部がドラゴンのようになるんだ。きっとそれだと思う」
「ああ、それは」
武刀は串刺しを横から頬張り、串から抜いて口の中に飲み込む。
完全に飲み込むまでの間、どう説明しようか順序立てをする。
その間にジブも串刺しを三つ注文し、その内一本を完食している。
おかしい。こっちは先に注文してまだ半分しか食べてないのに。
ジブの串を気にするのをやめ、武刀は話し始める。
「魔術回路がジブ用に更新された、といえばいいのかな? 普通はそんなこと起きないんだけど、これは異常だからね」
半分食べた串を口に咥え、空いた右手から懐にある変化の短剣を取り出す。
これは今まで、色んな事に利用されてきた。
普通の人間に魔術回路を付与して人工の魔術師にしたり、人外を人に変えたりと、元の姿が変わるぐらいに魔改造されている。
したのは所持者であるが。
そのため、改造した本人が予想していないことが起きることがある。
今回もその一つで、何故か知らぬ間に更新されているのだ。
左手で口に咥えた串を抜いて咀嚼する。
「僕が姿を変えるようになったのはそれが原因ってこと?」
こくり、と武刀は食べているため喋らず頷くだけだった。
「そうなんだ、なら良かった。けど、魔術回路が更新してるときは魔術が使えないから不便だね」
「そうなんだよ」
武刀は口の中に入っていた肉を呑み込む。
「ただ、そういった事態にもなるから武器に魔術回路を付与するんだ」
「そういえば、魔物との戦争でもジブは魔術が使えたな」
今まで黙って二人の話を聞いていたアルフィーが話の中に入り、武刀も頷いた。
「俺も魔術が使えなかったから、武器や防具にある魔術だけで戦ってきたしな。そういうこともあって、物で魔術が使えるように工夫したんだよ」
「その口ぶりだと、ムトウが作った、という風に聞こえるが……」
「そうだよ。俺がやったんだ。どちらかというと俺は戦うほうよりも開発者向きだし」
武刀がそう言うと、ジブとアルフィーの二人の顔に絶対に嘘だ、と書いてあった。
「疑う気持ちも分かるが、事実だぞー」
半眼になって言う武刀は二本目の串を食べ始める。
ジブの方は既に五本目に突入している。
時々話に加わるのに、どうしてそんなに早く食べれるんだ?
恐るべき食事スピードに武刀は戸惑いながらも、二本目の串を食べる。
「私も言いたいことがある。できればあまり人がいない場所で」
二本目を食べ終えて三本目に突入しようとした時、アルフィーが真剣な眼差しで武刀を見つめていた。
「分かった、なら宿に戻ろう。ジブはもう少しここにいるか?」
ジブの方に向いて尋ねると、彼女は器用に指と指の間に串を挟んで八本持っていた。
最高記録、と呟いたジブは首を縦に二回動かした。
「なら帰ってくるついでに俺の串も適当に持って来てくれないか?」
「分かったよ。後で持ってくるね」
「頼むよ」
アルフィーと武刀は宿の帰路に着く。
大通りから離れて行けば肉の焼ける香しい匂いは薄れ、二本の串を食べたことでまあまあ腹が膨れた。
「そういえ、宿には二人がいるんだよな?」
記憶が確かなら宿にはストリアと黒いエルフの二人がいる、と記憶していた。
いい加減名前を教えてほしいものだ。
「そうだけど、それがどうした?」
「いや、二人だけだと気まずい空気が流れるんじゃないかと思って」
「それは大丈夫だったよ。二人とも楽しそうに話していたよ」
「俺がいなかった時に何が起きてたんだ?」
ストリアが黒いエルフを拘束していたが、そこからどうやって仲良くなったのか少し気になっていた。
そんな時だ。
前から武刀の名を呼ぶ声が聞こえた。
「先輩。助け──」
万里が武刀目掛けて走ってきたが、背後から撃たれて前に倒れた。
「何が……」
突然の事にアルフィーは驚いてどうしようか戸惑い、武刀はもう呆れていた。
「音が聞こえなかった、ということはサプレッサーか。普通は音を減少させるものだが、聞こえないということは遠距離か」
武刀は慣れた手つきで万里に近付いてお姫様抱っこをしようとしたが、右腕を右前脚を置かれて止められた。
「わふ」
そこにいたのは、大型犬ぐらいに大きな白い狼だった。
背中には緑色のツインテールをした幼女が座っていた。
「久しぶりだね」
「ああ、久しぶりだな。アル」
快活に幼女のアルは右手を上げて挨拶をした。
「わふ」
自分を忘れるな! と言っているように白い狼は鳴き、武刀はそちらにも目を向ける。
「フェンも久しぶり。あと万里だろ? 分かってるよ」
倒れている万里を持ち上げ、フェンの背中に乗せる。
普通の犬に人間を運ばせるのは危険だが、フェンなら出来る。
というかしたがる。
「知り合いか?」
仲良く話し合っている姿を見たアルフィーは、恐る恐る近づく。
「ああ。こっちの幼いのがアル、狼がフェン、そしてもう一人が……」
「裏切り者には罰を」
後ろからモデル体型の女性が右肩にスリングと呼ばれる革製の紐を担ぐ。
スリングに繋がっている先にはスナイパーライフルがあった。
「ユーミル。アルフィーと同じエルフだ」
エルフである二人は、武刀には何故か視線の火花が散っているように見えた。
「どうしてそんな物をつかうんだ! 我らエルフは弓と魔法だろ!」
「だから、弓は暗殺にしか向かない。それに考えが古い」
まただ。
アルフィーとユーミルの二人はこの話で、激突の真っ最中だ。
いがみ合っている二人がゆっくりと歩きながら、その前を武刀とフェン、アルに万里が歩いていた。
しかし、それは宿屋に着いたことで落ち着いた。
アルフィーの話は黒いエルフのことだったらしく、それはなりゆきで食事をしているジブと、話を聞いたフェンが肉串を食べるために南門の大通りに向かった。
話を聞く限り、ここに来る途中で北門で肉串を食べたといっているが、よく食べる。
その二人を除いた武刀、アルフィー、ストリア、黒いエルフ、万里、アル、フェン、ユーミルの九人が一番奥の部屋で円を作って話し合っていた。
武刀の左隣アルフィーがおり、武刀は胡坐を掻いて座ってその上にはアルが乗って頭武刀の身体に預けていた。
その反対にはストリアと黒いエルフが仲良く隣同士に座り、抜け駆けした万里は、武刀から一番遠くの離れている所で悔しがっており、それを武刀の右隣にいるユーミルが顔を上に傾けて見下していた。
いつものことなので、武刀は胡坐の上に乗っているアルの頭を撫でで気を逸らし、アルは気持ち良さそうに目細めていた。
「まず初めにアルフィーの話、聞いてもいいか?」
誰も司会をする技能、というよりもできる者がいないためここは武刀が仕切ることにした。
「分かった。私が言いたいのはそこの黒いエルフのことだ。彼女を救うために力を貸してほしい」
アルフィーが頭を下げると、場に流れるのは沈黙で断られるのでは怖かった。
黒いエルフは自分の事もあり、硬く口を閉じて固唾を呑み、ストリアも一緒に事の成り行きを見守っていた。
アル、ユーミル、万里は静かにジト目で武刀を射抜き、武刀は非常に気まずかった。
何を答えるか、それは既に決まっている。
問題はそのあとだ。
万里達になんて言われるかな。
何かしないと駄目だよね。
けど、それでアルフィーが救えるなら安いもんだ。
「分かった。手伝うよ」
武刀が口を開くとアルフィーは顔を上げて感謝を述べ、ストリアと黒いエルフは安堵の息を吐いた。
アル、ユーミル、万里はまた面倒事を背負い込む、とため息を吐く。
しかし、それは分かっていたことであり、手伝うことも決定事項なのだ。
「ユーミル達は手伝ってくれるよね?」
「当り前。手伝うに決まってる」
「あたしもー」
「先輩だけには任せておけません」
三人の了承を得れた。
ここにいないジブとフェンも手伝ってくれるはずだ。
「全員参加ということで決まったけど、どう助けるの?」
「まず、彼女の仲間を南にあるダンジョンから救い出す」
アルフィーが指差す右手の先には、黒いエルフがいた。
「そのあと、さらに南下して魔王の領域に踏み込んでアザカに向かう。さらにその上にある私達、エルフの森に行けば到着だ。ただし、このルートの問題は魔王の領域に踏み込むことで、かなりの激戦が待っている」
「ふむ。アザカの上ね……」
武刀は思案顔となり意識が殻に篭る。
「ユーミル。そのアザカという国は知ってる?」
「うん、私達が初めて着た国だから」
「なら話が早い。そこの近くにいる娘いる?」
尋ねると、ユーミルはニヤリと口の両端が大きく横に広がった。
「二人。白とヴァルが」
「ああ、あの二人ならできるな」
あまり笑わないユーミルが笑う、ということは何か裏があると知っている武刀だが、何もツッコまない。
聞くと、色々とややこしくなると知っているからだ。
また俺がいない間に何か起きてるな。
まあ、俺が介入する事じゃないからいいけど。
「何か連絡手段はある?」
「はい」
ユーミルから渡されたのは、幾何学的な模様が描かれた札だった。
「おおー。これは中国の物か。となると周宇も来てるのか」
電話がない時代の電話に変わる遠距離での連絡手段を見て、武刀は一瞬で物の持ち主に気づいた。
「おい」
周宇が助けてくれたことに武刀は感謝していると、武刀が何をするのか教えてもらっていないためアルフィーには分からなかった。
「何をするつもりだ?」
「えーあーうん。えっとわざわざ遠い所に行くのめんどくさいし、転移で一っ跳びしようと思って」
「ハァッ!! どうやってするつもりだ!? というか出来るのか?」
驚きの許容量が超え、思わず立ち上がった。
「できるよ。そもそもやるには入口と出口があれば必要だけど、その問題も解決しているし」
もし出来なかったら、武刀は槍に転移魔術を組み込むことができなかった。
「だけど、あの時はできないと……」
アルフィーが言っているのはきっと、初めて転移をお披露目した村の時のことを言っているのだろう。
「あれは入口と出口がないと言ったんだ。俺が作るのは入口、エルフの森の方に出口を作ってもらうんだ。そのためにもお願いをしないと」
ユーミルから貰った連絡の札をひらひらと揺らす。
「俺は連絡するから少しいなくなるよ。問題起こすな」
「大丈夫。ちょっとお話をするだけだから」
右手の親指を上に伸ばしてガッツポーズをするユーミルは、アルフィーに顔を向けた。
何をするつもりだ……。
武刀は少し怖くなりながら何も言わず扉を開けて部屋から出て、扉を閉めて聞き耳を立てた。
すると、扉の奥から声が聞こえた。
「どこまで進んだ?」
そんな関係に至ってません!
そういう関係が辛くて、そういうことをしてなかったんだから。
まあ、それも今ではしてもいいんだけどね。
聞き耳をやめて今までアルフィー達と泊まっていた部屋に向かう。
そこには誰もおらず、話すには邪魔されないため都合が良かった。
部屋の中央に、ベッド側面の手前に座ってベッドに背を預け、札にある魔術回路を起動させる。
札にある模様が赤く光、それは無事に起動したことを示していた。
「もしもし。もしもーし」
次回はイリスのお話に視点が変わります。
次回の投稿は水曜日になります




