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5 月陰

 春の気配が濃くなりつつあるこの頃。柔らかな光に照らされ緑は鮮やかになり優しくなった風は咲き始めた花の香りを運び始めた。

 レイルは執務がひと段落したため、ルーナと中庭でも散策しようと部屋に誘いに来て、長椅子にあるものを見下ろしていた。

 ルーナが長椅子で丸まって眠っている。まだ冬の名残を残した春の初めだ、流石に風邪をひかないように薄い布が掛けられている。それはいい。寝顔もいつもながらとても可愛くて癒される。それもいいのだが。

 昼寝をするなとも言わない。夜睡眠を十分にとれないのは自分の所為なので、寧ろ寝てくれと言ってあったが……午前中も寝ていたと言ったよな?……と考える。昼食の際に何をしていたと訊けば、眠ってしまって、と恥ずかしそうに言っていた。

 昨夜も日付が変わる前にはルーナは眠ってしまったはずで。……最近はそんなことが多いのだ。

 一度身体を繋げると眠ってしまう。昼間も眠る事が多いようで、無理をさせ過ぎだとレイルが女官長に小言を言われたりもしたのだが、そんなわけで最近は無理はさせていないはずだ。……春眠暁を覚えず、とは言うが流石に眠りすぎでは無いだろうか。


「どのくらい寝ている?」

「半刻位でしょうか」


 眠りも深いようだ。ルーナはわりあい気配に敏感で眠った後でレイルが寝所に入ると目を覚ます事が多い。それが横で話をしていても目を覚ます気配もない。


「まさか病気とかではないよな」


 自分で言って不安になった。そういえば最近元々少食なのに更に食べる量が減ったように思う。まさか……ルーナに万が一の事があったら自分はどうしたらいいのだ。


「ルーナ!」


 レイルはルーナの肩を揺すろうとして女官長に止められた。


「懐胎ということもございます」

「解体?」


 何を言っているとレイルは怪訝な顔をする。


「懐妊といった方がお分かりですか?」


 解任? 益々怪訝な顔をするレイルに女官長は溜め息を吐き言った。


「御子様を授かったのでは、と申しています」


 大きな城を一周出来るのではと思うほど長く深く考えて、漸く、ああ、と結果に至る。眠るルーナを見下ろして「それはないだろう」と答えた。

 サフィラスとルベウスの血の問題とルーナ自身の問題。事実、二年以上あれほど身体を繋いでもその徴候すらなかった。


「その徴候がこれではないのですか? 授かりにくいというだけで、授からないとは言われていないのでしょう」

「知っているのか?」

「ルーナ様から聞いています。一度侍医の診察を受けるようお勧めします」

「だが、ルーナがな」


 以前あれほど拒絶したのだ。その事に触れて欲しく無いのだろう。


「普通に体調を診て貰う分には何も申されないのでは?」


 確かに懐胎で無いにしろこの眠り方は心配になる。

 レイルは診察の手配をした。



 そして……王の寵姫の懐胎が知らされる。



 *****



 部屋に日々贈り物が届く。

 レイルからではない。日和見な貴族らのものが殆どだ。

 サフィラスの王位は正妃の子にのみある。レイルの第一子クラウスは既に王太子の地位を確立しているにもかかわらず、寵愛深い側室の子の恩恵に肖ろうとしているのだ。もともとルーナは側室といえども隣国の王女。正妃としての身分は申し分ない。腹の子が王子であれば正妃の地位、王位継承権の順位の交代すらあるのではと囁かれていた。


「ルーナ。泣くな。腹の子に障るぞ」


 レイルはルーナを膝にのせ、優しく身体を抱き寄せた。ルーナは懐胎が分かってからというもの塞ぎ込み、事あるごとに泣いていた。

 あの時は眠気しかなかったものが、今では不快感と吐き気に代わり、眠ることすら満足に出来なくなった。食事も儘ならない有り様に加え、ルーナ本人が鬱いでいるのだ。身体は衰弱する一方だ。


「ルーナ」

「一人にして……」

「出来ない」

「……王妃様のところへ帰って下さい。暫くは側室の務めが果たせません……」

「俺の帰ることろは此処だ。一緒にいたいんだ」

「私は嫌……」


 うっと口元を押さえ洗面所に走る。女官が直ぐに対応するが、レイルが傍に行くことはルーナ自身に拒絶された。

 口を開けば、「一人にして」「王妃の元に」の繰り返しで、王の子を身籠ったという栄誉は其処には微塵もなかった。

 いや、本当は王の子ではなくレイルの子を身籠った事を喜んで欲しいのだが、それすらルーナには酷なことのようだ。目を離せば命でも断ってしまうのではと、とてもではないが一人には出来なかった。レイルが付けないときは、常に女官を三人は付けた。

 洗面所の扉が開きルーナが女官に伴われ出てくると待機していたレイルはすぐさまルーナを抱き上げた。


「降ろして……」

「嫌だ」

「陛下、きらい」

「なんとでも言え。俺は離れない」


 口ではなんと言ってももう抵抗する気力すらなく、抱かれれば身を預けてくる。


「俺の子を身籠ったのがそんなに嫌か」

「……だって赦されない……陛下の子を生んでもいいのは王妃様だけなのに……」

「俺は嬉しい。愛する女の中に俺の子がいるんだ。男でも女でも楽しみでしょうがない」

「私の犯した罪の子です……」

「巫山戯た事を言うな! 子に罪はない! 俺とルーナが愛し合って授かった大事な子だ」


 レイルがルーナの未だ薄い腹部に手を当てれば、ルーナはびくりと身を震わせた。


「陛下を愛していると言ったことはありません」

「言われなくても知っている。ルーナは俺の事を愛している」

「勝手なことを……」


 ルーナの頬を涙が伝う。


「勝手じゃない。真実だ。腹にいるのは俺とお前の愛し子だ」

「……大事だと愛しいと思ってもいいのですか……?」


 ルーナの手が腹部の上にあるレイルの手に躊躇いがちに添えられた。


「勿論だ。王位に付けてやることは出来ないが二人で慈しんでやろうな」


 それはルーナは王妃に子は王太子になれないということだ。けれどルーナは瞳を潤ませ微笑んだ。

 空いた手で頭を撫で髪を梳けば「はい」と小さな返事が聞こえ、ルーナはそのまま気を失うように眠りについた。

 ほっとする。穏やかな寝顔は久しぶりだ。眠ったと思っても苦しそうな顔をして魘されていて、泣いて目覚める。連日そんな調子で、側室として身体を繋げることも出来ず、王の睡眠の妨害にもなるのだから一緒に寝たくないと言う。それでも離さなかった。愛しい女が心身ともに苛まれているというのに放って置けるわけがない。代わってやることは出来ないのだから、せめて傍にいたいと思って当然では無いだろうか。


「女官長何か掛けてくれ」


 レイルが抱いたままのルーナにふわりとブランケットが掛けられる。それはルーナが以前自分で編んだ春物のブランケットだ。


「このまま休まれるのですか?」

「ああ、少しな。大丈夫そうなら寝台に連れていく」

「王が甲斐甲斐しいと噂になっておりますよ」

「言わせておけ。本当の事だ。……妃、アレクシアは悪阻は無かったか?」


 妃が身籠ったのは十三年前、第二子の時で九年前だ。正直言って記憶がない。


「ルーナ様に比べれば軽いものですがございましたよ。陛下は自分にはどうすることも出来ないから私共に充分に世話をするようにと。休むのに邪魔になるといけないからと姿もあまり見せませんでしたね」

「冷たいな。俺は」

「そういった男性が殆どですよ。世に本当の意味で愛妻家は少ないですから」

「……アレクシアには一度きちんと感謝を伝えたいな。王妃と王位継承者の事も再度はっきりさせよう」


 王妃はアレクシア、王太子はクラウス。それは約束通り代えない。本当は王妃だけでもルーナを添えたいがルーナ自身が決して頷かないだろう。


「それが宜しゅうございます」

「それから肌触りの良い毛糸を用意してやってくれ。悪阻が治まればルーナに子供のものを作ってもらおう」


 女官長は畏まりましたと頷いた後、「作ってもらうのですね」と笑った。



 ルーナは幸せな夢を見ていた。

 レイルに良く似た蒼髪の男の子が満面の笑みで走り寄ってくる。抱き締めようとしたら大きな手に拐われた。弾ける笑い声に見上げれば、レイルが子供を抱き上げ笑っていた。とても満ち足りた笑顔でこちらまで嬉しくなった。子供がルーナに手を伸ばした。レイルが笑ってそっと手渡してくれた子供は温かく存外重くて、抱いては歩けなくて手を繋いだ。子供を中央に右にレイル、左にルーナ。咲き誇る薔薇の中を並んで歩いた。

 とてもとても幸せで

 (いばら)がここまで大きくなったことを知った。



 *****



 サフィラスが薔薇の最盛期を迎える。

 ルーナは悪阻が漸く軽くなり、食事も少しずつだが摂れるようになった。あれ以来安心したのかこの頃は愛おしげに自らの腹部を撫でる仕草がよく見られる。

 よく晴れたその日、開け放たれた窓から入る柔らかな風が薔薇の芳香を届けた。

 薔薇が見たいと言うルーナに、では届けさせようと言えば、歩きたいんですと頬を膨らませた。母になるという女性が随分と可愛らしい仕種をすると笑えば、今度はむうっと眉を寄せた。


「陛下、嫌いです」

「ルーナ。あの時はお前も大変だったから許したが今は駄目だ! 訂正して愛していると言え! それから最近“陛下”に戻っているぞ!」


 お仕置きだと後ろから抱きすくめれば、「きゃあ!」と楽しそうな悲鳴を上げる。気を良くして少し強めに抱き締める。


「あ、やっ……くるし、…お腹が……」

「すまん! 侍医を呼ぶか!?」


 慌てて解放し顔を覗けば、笑うのを堪えるように身を震わせていた。


「ルーナ!」


 声を荒げれても、気にせずルーナはレイルの胸に飛び込み顔を上げる。


「お散歩連れて行って下さい。レイル様」


 あまりにも悪びれない様子で微笑まれ、毒気が抜けた。


「本当に狡いな。俺がお前に逆らえないのを知っていてそういう顔をする」

「だって幸せなんです。皆に祝福されなくてもレイル様はこの子を愛おしんで下さるのでしょう?」

「皆、祝福していますよ」


 レイルが答えるより先に女官長が答えた。


「子は宝です。特にその子はサフィラスとルベウスの灯火になる御子ですから」


 女官長の言葉にルーナは美しく微笑む。見た事のない美しく穏やかな微笑みは母としてのものだろうか。


「女官長、俺の言うべき言葉ではないか?」

「失礼いたしました。陛下はルーナ様には愛しか囁けないのかと。散策に出られるのは結構ですが、無理はなさいませんように」


 女官達にくすくすと笑われ、行ってらっしゃいませと背を押された。


 *****


 春の風がさわさわと心地よく薔薇を揺らしていた。

 何種何色あるのか分からない薔薇たちは競うように咲き、芳香を漂わせる。


「少し風があるな。匂いも強いが平気か?」

「心配しすぎです。平気です。……腕を組んでもいいですか?」

「転ぶといけないからこっちだ」


 ぐいっと腰を抱き寄せる。ルーナは逆らわずに身を寄せてきた。


「もう少し肉をつけんと風で飛びそうだな」


 悪阻が酷い間は碌に食事をとれずにいたのだ。食欲は全くなく、兎に角匂いが駄目で侍医や女官にこれだけは口にするようにとスープなどを渡され涙を零しながら口に運んでいた。料理長が苦心して匂いや味を工夫してくれたので何とか繋いでこれたという状態だった。もともと華奢な身体はいっそ痛々しい程に細くなっていた。


「飛びません! 最近は食べられるようになりましたし、これからどんどん太るんですよ。恐いです」

「何が?」

「……だって体型が変わるんですよ……戻らなかったらどうするんです? それでも好きだと言って下さいますか……?」

「どうしたんだ。ルーナ。素直すぎて恐いぞ」


 本当に最近は素直に甘え、可愛い笑みを見せてくれる。これからはもっとそうして欲しい。


「ひどい!」

「はは。嘘だ。可愛すぎて恐い。お前を愛する気持ちには底が無いようだ」


 ルーナは嬉しいと言うように銀の双眸を細めた。


「丸いルーナも可愛いだろうな」


 額に口付けを落とせば、もうっとほっそりとした指がレイルの頬を軽く抓った。こんなことをするのも、またすることが許されるのは彼女だけだ。


「ルーナ、俺の事を愛しているか?」

「内緒です」


 頬を抓った人差し指を唇にたてる。幸せだと言うくせに未だ愛の言葉は口にしない。まだ、後ろめたいと思っている証拠だ。


「ルーナ、気分は悪くないか?」

「はい。平気です。寧ろ、爽やかなくらいです」

「口付けていいか?」


 二ヶ月以上触れることが出来なかった。口付けすらルーナは拒否した。気分が悪いなら仕方がないし、構わない。けれど悪阻よりも罪悪感が強かったのだろうと思う。

 悪阻が治まってきて、気持ち的にも落ち着いてきたと言うのならそろそろ我慢の限界だ。身体を繋ぐのは無理なら出産後でもいい。でも、その薔薇色の可憐な唇を己のそれで覆いたかった。

 ルーナは顔を赤くして視線を彷徨わせた後で「どうぞ」と小さく言った。

 両手で頬を包み、上向かせると「駄目そうなら直ぐに言え」と言ってから、一度触れた。

 久しぶりに感じる甘く柔らかな唇。

 目眩すら覚えそうだ。

 数度、味わうように啄んだ。


「深くしていいか?」


 唇を離さずに訊けば、「はい」と潤んだ瞳で答える。

 堪らない

 舌を入れ存分に舐めて擽った。


「あ…ぁん…はあ、あんっ」


 水音に混じる甘い声にぞくぞくとする。

 舌に触れれば、ルーナも応えてきてくれた。


「あん、ん…ふあ…ぁれい…るさ…ぁま」

「はっ、ルーナ…!」


 頭を固定し腰を強く抱き寄せその甘露を貪った。

 もっともっとと欲するままに口付けていたその時

 ドンッ。

 とルーナの背からレイルにまで衝撃が伝わった。

 蕩けていた銀の瞳が驚愕に見開かれる。

 何が、と思いルーナの後ろを見れば、赤い液体に濡れた短剣を両手で握りしめ王妃が立っていた。


「ぁ」

「ルーナ!!」


 崩れ落ちる身体を支えた。手の位置を変えれば温かくぬるりとしたものが付く。確かめたくない。

 まさか まさか まさか 


「ルーナ!」

「うっ……は、ぁ……」


 苦しげに歪められた眉。


「アレクシアぁぁ!!」


 立ち尽くす妃を睨め付けると激昂のまま腰の剣を掴んだ。抜き放とうとした手を止めたのはルーナの震える手だった。


「まっ…て……やめ…て…」

「ルーナ! 今 侍医を…!」


 抱えあげようとしたとき、軽やかな足音と「お父様!」と言う声が聞こえた。ルーナは脚に力を入れ背をレイルに向け預け、待ってという様にレイルの手を握った。そして走り寄る少女に笑顔を向けた。「アリッサ! 待て」と少年の声も聞こえた。アリッサは父しか見ていないが、少年、クラウスは母の手に持つものとルーナの足元の鮮血を見て言葉を無くした。


「クラウス殿下。今、大事な話をしていて……。っ…アリッサ様を連れて行って頂けますか」


 クラウスはルーナの言葉に、はっとして「すみません。失礼しました」と強引に妹の手を引いていった。

 途端に崩れ落ちる肢体をレイルは受け止め抱き上げた。


「ルーナ! 今 医師のところへ…!」

「まって……もう、いいです……」

「ルーナ!」

「王妃様……」


 ルーナは未だ呆然と立ち尽くす王妃に手を伸ばした。


「アレクシア! 何故こんなことを!」

「陛下が嘘を吐くから!」


 王妃は血を吐くように叫んだ。


「嘘!?」

「公式の場ではわたくしを優先してくれると言ったのに気にされているのはルーナ様! 子は出来ないと言ったのに出来たではないですか! わたくしがどれほど肩身の狭い思いをしていたか! 陛下を愛していたのに!!」

「っ!!」


 言われたことに反論は出来ない。だが妃がした事は許されることではない。


「お前の愛など不要だ! お前は俺の寵姫に手を掛けた! 処罰を覚悟しろ!!」

「ほら! ほらやっぱり!! 陛下はわたくしを要らないと言う! 王妃の座も王太子の座もそこの魔女に奪われるのです!!」

「王妃の座も王太子の座もお前とクラウスのものだと約束した! 感謝も伝えたはずだ! お前を要らないなどといつ言った!」

「夢で何度も!」

「馬鹿め!」


 ルーナを抱いているレイルはアレクシアを蹴り倒そうとした。


「やめて!」


 鋭い声に遮られる。


「ルーナ」

「やめて! やめて……王妃様……」


 ルーナはレイルの腕の中で王妃に尚も手を伸ばす。


「ごめんなさい……私……誰かに罰して欲しかった……王妃様に…感謝します」


 涙を流し微笑むルーナを見て、王妃は瞳を見開きその場に崩れた。

 ばたばたと足音が近付く。クラウスが呼んだのであろう侍医長と補佐の女性医師がルーナの傷を確かめ互いに目配せしてからレイルに首を振った。

 巫山戯るなと罵声をあげようとしたのを止めたのもルーナだった。


「陛下…いいんです……二人になりたい……」


 ルーナは静かに微笑んだ。レイルは奥歯を噛むと妃を連れて下がれと命じた。遠ざかる足音の中で一つだけ近づく足音があった。


「陛下。私なら助けられます」


 声を掛けたのは元宰相だ。この男は信用ならない。その言葉がどんなに甘美なものであろうが頷けなかった。ルーナも嫌と首を振っている。


「下がれ。必要ない」

「陛下」

「下がれと言っている!! お前は嫌いだ!! 国外に放逐する!!」


 レイルは青白く光る神剣を抜き放ち男に向けた。

 レイルの激昂は蒼い炎を上げるが如く凄まじく、強引な事をすれば自分も無傷では済まない事を感じさせた。男は此処ではルーナを奪う事を諦めた。死んだ後で心臓を奪えば良いと考えたのだ。それが間違いであったことに後で唇を噛む思いをすることになるのだが。



 再び薔薇の園は花と葉が揺れる音だけになった。


「ルーナ……二人きりだ……」


 ルーナはレイルの頬に触れ、他方の手を腹部に当てた。


「レイル様……泣かないで……ごめんなさい…この子は連れていきます。……サフィラスとルベウスの子はまだ生まれていい時期ではないのでしょう……殿下と姫…王妃様を…大切に……」

「ルーナ……」

「レイル様……どうか幸せに……」

「無理だ。お前が……」

「信じています。貴方が平和な世を築くことを」

「無理だ」

「きっと支えてくれる方がいます」

「無理だ! ルーナがいなければ俺は!」

「お願い……。来世では貴方に真っ直ぐに言いたい言葉があるのです」

「ルーナ!……必ず…必ず叶えて見せる。何度生まれ変わろうとその度にお前一人を妻とする。だからお前も待っていてくれ」


 それは承諾の意か。彼女は(はん)なりと微笑んだ。



 ルーナの口が何かを呟いた。


「なんだ? なんと言った?」

「……光の精霊に命じました……私の身体はこのまま光に融けます……」

「何を!! 俺に何も残さないつもりか!!」

「その方がいいのです」

「嫌だ!!」

「……仕方ありません……宝物を差し上げます……」


 ルーナは震える手で自らの耳から飾りを外しレイルに差し出した。


「私が貴方自身の次に大事とする宝物です」


 レイルがそれを受け取るとルーナの指先が光となりきらきらと風に流れた。



 風が薔薇の花弁を舞い上げ

 長い銀の髪が風に流される

 透明な雫が白い頬を伝う



「泣くな。ルーナ……泣くな……!」

「レイル様、勘違いしないで下さい。私 幸せです。

 貴方と一緒にいられて。

 駄目だとわかっていても貴方と一緒にいたかったんです。

 不幸になる人がいるとわかっていても、貴方のものになりたかったのです。

 たくさんたくさん愛されて……

 嬉しくて しあわせで……涙がでるんです……」

「ルーナ……まだなんだ……まだお前を愛し足りない……好きだ…好きだ……愛している……」


 嬉しいと閉じた瞳から流れた雫が光に変わる。

 さらさらと光が薔薇の花弁と共に風に流されていく。

 光が流れる方向の蒼穹に上弦の月が浮かんでいた。


「私は地上で罪を犯しました。月で償ってきます」

「罪などなにも……!」

「いいえ……償ってもう一度……この腕に抱かれたい……」


 ルーナは涙を流しながら、それでも幸せそうに微笑んだ。


「ずっとずっと……貴方の事を……」

「ルーナ……」

「……レイル……内緒ですけれど……」


 あ い し て い ま す


 音もなく唇だけが動き、全てが光に変わり蒼穹に融けた。



 *****



 後日レイルが直接ルベウス王にルーナの死を詫びに行くと、ルベウス王はルーナの望んだことだと頷いた。

 ルーナがレイルの側室になることを選んだその日、彼女が言ったのだと。

 側室でも彼のものになりたい。

 もし自分が早死にすることがあれば病死で片づけて欲しい。

 罪に穢れた身体は残さない。

 レイルと共に両国の和平に努めて欲しい。

 と。


「穢れなど……あれほど清らかな者を俺は知らない」

「月の光は清らか過ぎて地上(いまのよ)では生きにくかったのだ」


 俯き目を覆うサフィラス王にルベウスの王は優しく声を掛け肩に手を置いた。



 *****



 結末は悪夢のようだった。

 欲したものは全て失った。

 残った物は捨てたくても叶わないものばかり。

 けれど、顔を上げ前を見据えなければならない。

 彼女の望みを叶える為に。

 この生ある限り両国の和平に努めなければならない。

 いつか愛しい彼の人に届くまで。






 サフィラスのレイル王

 長きに渡る二国の戦争を終焉に導き、生涯に渡り善政を敷いた彼は蒼皇と今なお敬愛されている。

 王としての彼を支えたのはその息子で、レイル王の後を継いだ王太子クラウスだったと記されている。

 レイル王の政のあり方は死後も百年に渡り平和な世を築く礎となった。

 彼の妃は十年余り正妃の座にいたが病に倒れ居を離宮に移された。王は病床の妻を見舞うことは無く、死を迎えた後で一言「悪かった」と言ったという。

 レイル王には妃とは別に寵愛する側室がいたらしい。

 けれどその寵姫に類する史書は後世にほぼ残っていない。

『いた』という事実のみ。

 年齢、素性、姿、生死すら全てが曖昧にされていた。

 当時の女官長の日記……数ページが切り取られなくなっていた……に一言

 ――― 月の女神は月に帰った ―――

 との記載があるのみである。

 そして誰のものなのかも分からない手記に、レイル王は妃が病に倒れた後は誓いの指環を二度と填めることは無く、その右耳に蒼、左耳に銀の、色違いの耳飾りを常に着け外さなかった、と書かれていた。






 これも 神の子供達の物語

 銀の花嫁に選ばれた蒼き王は後世に名を残す名君となった

 けれど花嫁が傍に居ない彼の国は彼にとって棘の国だった

 どれほど臣に民に慕われても彼の心は(いばら)が絡みつき血を流し続けた

 神の悪戯であったのか 出逢う時期を間違えた子供達

 一つの間違いが全てを狂わせ 悲しい結末に至る

 どうか どうか 次は間違えないように

 その願いを抱き子供達は眠りに付いた

外伝1 蒼皇レイルと寵姫ルーナの物語は完結です。

最終話のサブタイトルは『つきごもり』です。

読んで下さった方ありがとうございます。

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